再会…?④
「疲れたな……」
自宅に戻りベッドへ直行する。特にこれと言って何をしてきたわけでもないのに、ひどく疲れてしまった。少し目を閉じるだけで今にも眠ってしまいそうだ。
空っぽになった弁当箱を見て、柴崎が目を見開いている。それはそうだろう。あんなに重たかった弁当箱が空っぽになっているのだから。柴崎が驚くのも無理はない。
「えっと、クラスメイトと一緒に食べたんだ。ご馳走様でした。美味しかったよ」
「お、お友達と一緒に召し上がったのですか!?」
「別に友達ってわけでもないけど……」
「よかった、よかったですな、坊ちゃん。早速お友達ができて。柴崎は嬉しいです!」
懐からハンカチを取り出して目元を押さえている。
渉の帰りを今か今かと待ち侘びていたのは、何も柴崎だけではない。家中の家政婦がまるで英雄が凱旋帰国をしたかのように出迎えてくれたのだった。
過保護もいいところだと文句を言ってやりたくもなったけど、朝正門の前で動けなくなってしまった自分を思い出す。あの時、正悟が来てくれなかったら尻尾を巻いて退散してしまったかもかもしれない。
今思い出すだけでも恥ずかしくなってくる。
今日は本当にめまぐるしい一日だった。世間知らずの渉からしてみたら、知らないことばかりの連続で……目が回ってしまった。
「なぁ、西野君。エレベーターってどこにあるの? いちいち階段上り下りするのが疲れるんだけど」
「え? 普通学校にはエレベーターなんてついてないよ? あっても生徒は使わせてもらえないんじゃないかな?」
「はぁ? じゃあエスカレーターは?」
「学校にはそんな便利なものなんてないよ。だから頑張って階段を上り下りするしかないんだ」
「マジで!?」
目を見開きながら大声をあげる渉を見て、正悟も一瞬驚いたような顔をしたけど、すぐにまた笑顔になった。
「じゃあ、あの自動販売機はカードって使えるの?」
「カードってクレジットカードのこと?」
「そう」
「この学校にある自動販売機はお金しか使えないよ」
「そんなぁ。俺カードしか持ってない」
ガッカリと項垂れる。渉は小さい頃から父親名義のクレジットカードを持たされていて、それを自由に使ってきた。欲しいものは我慢なんてせずに何でも買ったし、お金に困ったこともない。好き勝手にクレジットカードを使っていた渉は、お金を持ち歩く必要などなかったのだ。
「残念だなぁ。俺、コーラを飲んでみたかったんだ」
「コーラ?」
「そう。炭酸のジュースって体に悪いから飲んじゃ駄目だって、小さい頃から言われてて……だから、高校に行ったらこっそり飲もうって楽しみにしてたんだ」
「へぇ。君って本当にお坊ちゃんなんだね? コーラも飲んだことないなんて」
「……うるせぇよ。世間知らずな奴だって思ってんだろう?」
渉が唇を尖らせれば、正悟がクスクスと笑っている。その顔がやっぱり仁とそっくりで……胸が苦しくなった。
「お弁当をご馳走になったお礼に、僕がジュースを奢ってあげるよ」
「え!? マジで!?」
「あぁ。放課後一緒に飲もう?」
「うん! 西野君、ありがとう」
「あははは! 正悟でいいよ。俺も渉って呼ばせてもらうし。ジュースくらいでこんなに喜ぶなんて、渉は子供みたいで可愛いね」
「……あ……うん」
思わず正悟から視線を逸らした。彼の笑顔を見ていることが辛く感じられたから。
『宗一郎は子供みたいで可愛いね』
仁は、いつもそう言いながら宗一郎の頬を優しく撫でてくれる。また俺を子供扱いして……その時は面白くなくて不貞腐れてしまった。そんな不貞腐れた渉を見て更に「可愛い」と頬をほんのり赤らめるのだ。
『宗一郎は本当に可愛いね。大好きだよ』
正悟を見ていると、時々仁との思い出がふと蘇ることがある。それはとても辛いことだったけど、幸せでもあった。
そして、たまらなく仁が恋しくなった。
午後の授業が全て終わった放課後、約束通り正悟はコーラを奢ってくれた。それは幼い頃から飲んでみたかったもので、キラキラと目を輝かせる。
恐る恐るプルタブを持ち上げれば、プシュッと一気に炭酸が抜けていく音がした。
「超いい音!」
この音は、幼い頃から渉が夢にまで見た音なのだ。小さな飲み口からは、シュワシュワッと炭酸の細かい泡が飛び出てきて渉の心は更にときめいてしまった。
「飲んでいいの?」
「うん、いいけど……なんかものすごく悪いことを教えている気分になるよ。しかも登校初日に……。桐谷家の人に怒られちゃわないかな?」
困ったように笑う正悟のことなど無視して、缶を少しずつ傾けていく。ピリッと痺れるような感覚にはじめはびっくりしたけれど、ピリピリと電流のような痛みが喉を通り抜ける刺激に渉は目を見開いた。
「美味しい。これ凄く美味しいね!」
「そう? それはよかったね」
まるで自分のことのように嬉しそうに笑う正悟を見て、渉の心臓がトクンと跳ね上がる。どうしても正悟の笑顔は苦手だ。
「ねぇ、僕にも一口ちょうだい?」
「え?」
「僕にも一口飲ませてよ」
「あ、で、でも……」
なんと返答したらいいのかがわからず狼狽える渉の手から、ヒョイッと缶を取り上げる。「いただきます」と嬉しそうに目を細める正悟の唇が、つい先程まで自分が口付けていた場所に触れたのを、まるでスローモーションのように見つめる。
――あ、これ、間接キスだ。
こんな経験今までしたことがない渉は、呆然と正悟を見つめた。友達っていうものは、こんなこともするんだ……急に意識してしまい恥ずかしくなってしまう。
「やっぱりコーラは美味しいね」
手の甲で口元を拭う正悟に、視線を奪われてしまった。
今日は初めて体験したことがたくさんあった。
お弁当をクラスメイトと食べたり、ジュースを回し飲みしたり。それは思い描いていた学校生活そのもので、思わず胸がドキドキしてしまう。
『また明日ね』
別れ際に正悟に言われた言葉がくすぐったかった。また明日も正悟に会える……そう思えば嬉しかったけど、この有耶無耶な状態で一緒にいることは、渉にとって辛いことでもあった。
「でも会いたい……」
渉はクッションを抱き締めたまま目を閉じる。瞼の裏では今日も仁が笑っている。いつもみたいに……。
「やっぱり西野君にそっくりだ。洋服を着ていなかったらわからないかもしれないな」
ふと頭を過った考えに一瞬で頬に熱が籠った。
「お、俺は何を考えてるんだ……! もう何が何だかわかんない……なんなんだよぉ!」
体の芯が疼くような感覚に泣きたくなってきた。今晩は眠れそうもない。