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第七章 夜と朝の狭間で

主人公ルルトアがクリスたちとの会食で心を乱され混乱した後、小さな希望を見い出したその夜―――――地上では闇烏と魔法師たちとの戦闘が繰り広げられようとしていた。


 夜の深い闇と眩い照明が交差する中、遺跡を眺めながらボートで川面を滑り、やがて神秘の門を潜り抜けて壮麗な城跡へとたどり着く。惑星ラスタバンの観光人気スポット、ラーダーナヤ遺跡をめぐるナイトツアーは銀河鉄道ガルディア内でも評判が高く、多くの観光客が詰めかけていた。

 特に九時台と十時台のツアーは満員御礼で、ひとしきり観光を楽しんだ者たちが帰りに町のパブや屋台村で酒や地元料理を楽しむところまでがセットらしい。古代ロマンの妄想を肴に飲んで食べて、旅の夜をたっぷりと満喫した乗客たちが続々と列車に戻ってきたのは深夜になってからだった。

 そのようすを神聖魔法ルーシェント派の魔法師たちは注意深く観察していた。

「軌道エレベーターの出入り口と列車の改札、計五ヶ所に二名ずつ配置いたしましたが、標的(ターゲット)は未だ確認できておりません」

「顔や姿を変えている可能性もあるぞ」

「わざと微細な波動を仕掛けておいて魔力探知を行っておりますので、見逃しはないかと」

「そうか」

 彼らを率いているのはルーシェント派の若き才人、ヴィルヘルム・ステンマルク司祭。標的(ターゲット)とはむろん闇烏(Dark Crow)のマリア・エヴァレットである。

「先遣隊からの報告は?」

「まだありません」

「では、これより我らも下に降りる」

「今から……ですか?」

「当然だ」

 乗降客を見張っていた仲間からマリアらしき人物が遺跡をめぐるナイトツアーの列にいたと報告が上がると、彼はすぐさまメンバーを選別し、追跡を図った。先遣隊として地上に降りた面々は、今も町中や遺跡周辺を駆けずり回って捜索しているはずだ。

(でも本当にあの女がこの列車に乗っているんだろうか)

 魔法協会から得た情報という話だが、そもそもリークした者の素性も知らされておらず確証もない。敵の目的も定かではないのに。

「急げ」

「はっ」

 魔法師の一人、トーマス・ベルマー助祭は指示に従いながらも内心ではいささか懐疑的だった。

 ステンマルクは自分とさして変わらない歳だが、上からの覚えがめでたく教会内で立場が強い。魔法の実力もA級。将来を嘱望されている人間だ。信者に対しては誠実だが、彼なりの正義を貫くためか、下の者に対しては言動が高圧的で容赦がない。そしてまた極端な実力主義でもあり、たとえ年長者でも無能と判断した者には一切敬意を払わないため独断も多かった。たとえば今回同行しているオーヴェ・ティセリウス司教に対してもそうだ。言葉の端々に侮りが窺える。

 しかし今回の相手はなんといっても暗黒の魔女マリアだ。

 これまで何人もの魔法師が彼女を追い、捕らえようとして失敗してきた。犠牲者の数はいずれ三桁に上るだろう。捕らえるなら全員で挑むべきではないのか。いや、そもそもラインフェルト司教の指示を仰ぐべきではないのか。そう思っても言葉にはできず、口を噤むしかない。

(相手が魔力探知に引っかかってくれるといいんだがな)

 ベルマーたち十名の魔法師はステンマルクと共に軌道エレベーターで惑星ラスタバンの地へと降り立ち、直通ライナーで結ばれている遺跡へと向かった。

 自然公園内の遊歩道と遺跡周辺は深夜でも照明が落ちることなく美しくライトアップされているが、そこから少しでも外れると濃い闇が横たわっている。

「先に出た連中の姿が見当たらないな」

「魔力も感じられない」

 木々の狭間や草むらの奥まで魔法の光で闇を拭い、丹念に探索を進めても、やはり逃亡者の姿は見当たらなかった。追いかけているはずの仲間たちの姿も。

「先遣隊は魔力探知が得意な連中だろう?」

「ああ、そのはずなんだが……」

 魔法師たちにじわじわと不安が広がっていく。

「司祭、もう間もなく神殿の入り口ですが如何いたしますか?」

「無論中へ入る」

 彼は事もなげに言った。

「しかし逃亡中に観光ツアーに参加するなど、どう考えても不自然です。そうと見せかけて首都へ向かったのでは? あるいは他の都市に潜んでいる可能性も……」

「いや、おそらくここだ」

 ステンマルクは何やら確信しているようだ。

「我らの手が届かぬところへの逃亡が目的ではない、と?」

「さぁな、真意は分からん」

 そもそも魔法師界のエリートであった彼女がなぜ反社会的存在である闇烏に組するようになったのか、その理由は憶測の域を出ない。

「孤児院の子供の死がきっかけらしいが、どういった甘言に乗って惑わされたのか詳しく知る者はいないからな」

「上層部にも知る人はいないのですか」

「そのようだ。だが、もし何らかの理由で逆恨みをして我らを攻撃しているのであれば、ある程度行動の予測はつく」

 見ろ、と彼は門前に設置されたライブ映像用のカメラを指さした。

「この辺りには神殿を囲む道と門前、玉座の間以外にカメラは設置されていない。潜んでいる仲間と落ち合うことも可能だろう。街中は最近攻撃魔法を取り締まるガーディアンの数が増えているし、夜中でも邪魔が多い。その点ここは観光地でも夜中になればこの通り、ほぼ無人となる。警備ロボットもさほど多くはない。目立たない逃走ルートの確保も簡単だ。我々を待ち伏せて襲うには絶好の場所だと思わないか?」

「なっ……」

 つまりこの人は罠だと見越した上で動いているというのか。

「さすがに危険では?」

「何を言うか。もとよりアレと対峙して粛清するのが我らの役目だろう」

「確かにそうですが……」

 闇烏たちは危険度の高い魔法をよく使うと言われている。人々の死や町の破壊が目的だからだ。それでも魔法の実力自体が乏しければ対処は可能なのだが。

「ここならば我らも一般人を巻き込むことなく魔法を行使することができる」

「そう上手くいくでしょうか」

 果たして元A級であるマリアを易々と粛清できるのか。

「案ずることはない。あいつの得意技は精神攻撃魔法。俺はあらゆる精神支配を防御するため、複数の術式を身につけている。揃えたメンツも精神攻撃に耐性のある連中だ。ベルマー、おまえもそうだろう?」

「……はい」

「ならば心配は無用だ。小手先の罠など看破して、裏切り者を探し出せ」

 ステンマルクが自信満々なのは常のことだが、今回はまた別の理由がある。

 マリア・エヴァレットはかつて神聖魔法の第一人者と言われた人物。つまり神の御業と崇められる治癒や精神操作によって人々に安らぎを与える魔法、人の感情や思考を読み取ることで未来を予見する魔法などが得意だったと言われている。どちらかというと奇跡やまじないに近い印象を与えるものだが、もちろんそれらにも設計図となる術式が存在し、それを会得している者だけが扱える魔法だ。ベルマーにとってはかなり上位の存在なので直接面識はなかったが、彼女はいわゆる一般的な攻撃魔法よりもそうしたヒーリング効果を与える魔法の専門家としてつとに有名だった。

 そのためルーシェント派から抜け、率いていた修道議会を脱退した後に闇烏たちと行動を共にするようになったと噂で耳にしたときも、誰もがすぐには信じることができず、連れ去られたのではないかと捜索隊が組まれたほどだ。

 ところが足取りを追う者たちが次々と葬り去られ、これは裏切りに間違いないと悪名が広まった。聖女のごとき魔法師が悪に染まって堕ち、魔女になったのだと。

 だが元々は戦闘系ではなくヒーリング専門の魔法師。心にダメージを与えたり、操って行動を狂わせる類の精神攻撃を防ぐことができれば問題ないとステンマルクは読んでいるのだろう。

 確かに同じA級でも攻撃魔法では彼の方が一枚も二枚も上手に違いない。

「ですが……」

(本当にそれだけで勝てるのだろうか?)

 ただ人の心を惑わして、逃げ回っているにしては犠牲者の数が多すぎる。上層部は何か隠しているのではないかという不安が拭えない。だが、それを口にして良いものかと迷って言葉を濁していると、ステンマルクが鼻で嗤った。

「ああ、そういえばおまえも攻撃魔法が不得手だったな」

「はい」

 その通り、ベルマー自身も治癒魔法と精神操作魔法に関して高いスキルを持っているためB級資格を保持しているが、攻撃や防御魔法に関しては威力もコントロールもC級すれすれのレベルなのだ。こういった場面であまり役に立たない人材という自覚がある。

「ならばこれを貸してやろう」

 ステンマルクが懐から取り出したブローチに魔力を込めると、それは立派な一振りの剣に変貌した。魔法の杖と同様に、魔力によって作られた特殊な武具は別の形に変えて持ち歩くことができるが、一定以上の魔力とスキルが必要なのですべての魔法師にできるわけではない。ベルマーには到底無理な技だ。

「そいつには防御と攻撃の刻印が刻んである。単調な攻撃しかできないが、威力はそこそこだ。照準も自動で微調整する。いざというときは使え」

「よ、よろしいので?」

「魔女を撃ち滅ぼすためだ。臆するなよ」

「はっ」

 ベルマーは右手に杖、左手に剣を携え、ステンマルクの後に続いた。

 巨大な像が二体並ぶ正門を抜け、壁画とレリーフで装飾された長い廊下を進む。周辺に人の気配はないが、門を抜けたときにわずかな魔力の揺らぎを感じたので、どこかに潜んでいる者がいるのだろう。

(やはりいるのか、ここに……)

 魔力探知に集中しながら、広い神殿内を魔法の光で満たして闇を暴いていく。控えの間らしき小部屋、謁見の間と目されている場所、大広間の跡。展示品の台の裏や案内板の陰まで覗き、慎重に探りながら歩き進めて。

 六角形に仕切られた祈りの間に足を踏み入れたとき――――突然それは始まった。

 何の前触れもなく、六本の柱の陰から広間中央に向かって一斉に魔力の砲弾が飛んできたのだ。

(来た!)

 身構えていたベルマーたちは、攻撃魔法の発動を感知した瞬間に防御魔法を全面展開した。そして攻撃が飛来するまでのわずかな隙に、卵の殻のように防御の膜で全身を覆って攻撃を凌いだのである。

「掛かったな」

 直後にステンマルクが右手を高く掲げ、頭上に夥しい数の光の矢を出現させた。

「滅せよ!」

 放たれた光の矢は四方八方に飛び、空を切り裂いて柱の裏側までも回り込み、陰に身を潜めていた者たちを刺し貫いた。

「ぎゃっ!」

「ひぃっ」

 あちこちで悲鳴が上がる。

(さすが、素早い)

 瞬間的な防御魔法の展開は基礎として叩き込まれるので、C級以上の魔法師ならばできて当然だが、その厚みや持続時間には当然個人差がある。ましてや防御と同時に強い攻撃魔法を繰り出すには魔力操作の技術が必要だし、目の前の敵にぶつけるだけならともかく、障害物を避けながら六ヶ所すべてに命中させようと思うと難易度はさらに上がる。それをほぼノータイムでやってのけたのだから、やはりA級ともなると別格だ。

 ベルマーはたった一撃のカウンターで敵を一掃したステンマルクに内心で称賛を送ったが、血を流して床に倒れ込んでいる者たちのようすにわずかに違和感を覚えた。全員がどう見てもごく普通の観光客にしか見えなかったからだ。

 もちろん姿を装っているだけの可能性もある。闇魔法師と一目で分かる漆黒のローブをわざわざ羽織ってきたりはしないだろう。だが。

 床に転がる死体の一つに見覚えがあることに気がついた。

(こいつは……あのときの?)

 ステンマルクに命じられてゲート付近で出入りする人間をチェックし始めたとき、ちょうど目の前を通った男だ。顔立ちや年齢、背格好が自分の叔父によく似ていたので印象に残っていた。相手から魔力が一切感じ取れなかったことも含めて。

(どういう……ことだ!?)

 事実、目の前の死体からは魔力の残滓を感じ取れない。とすれば、先程の攻撃も別の者がしたことになる。そもそも同じ列車に乗っている相手とわざわざ地上で落ち合う必要はないはずだ。

「司祭、やはりこれは何かの罠では」

「だろうな」

 別の死体に近づいて確かめていたステンマルクに駆け寄って伝えると、彼は屈んでいた身を起こして言った。

「こいつらには魔力がない」

「それは、つまり……」

「操り人形にされた哀れな生贄ってことだ」

(……マリアだ。あの女の仕業に違いない)

 ベルマーはたちまち冷たい手で背中を撫でられたような心地がして、ゾクリと身を震わせた。思わず剣の鞘を持つ手に力がこもる。

「いい加減隠れるのに飽きただろう。そろそろ出てきたらどうだ?」

 ステンマルクが注意深く周囲を見渡しながら敵に向かって呼びかけた。すると廊下に繋がる暗がりからコツコツとゆっくり近づいてくる靴音が響き、やがて魔法師たちが灯す光の下に一人の女が姿を現した。

 美しい顔で嫣然と微笑みながら。

「こんばんは。皆様こんな時間までお仕事熱心ですこと」

「……マリア・エヴァレットか?」

「ええ」

(この女が……)

 女は上流階級のご婦人が好みそうな上品なスーツを身に纏っていた。歳の頃は三十代半ばぐらいだろうか。ゆるくウェーブしたセミロングの金の髪を髪飾りで纏めている。背格好だけならツアーに紛れていても何の違和感もない。銀河鉄道の他の乗客たちと大差ないだろう。

 ただ、全身からじわじわと溢れ出ている魔力が何とも言えぬ邪悪な気配を纏い、異様なほどの威圧感を漂わせていることを除けば、だが。

(なんだ…………いったい何だ、この魔力は……)

 重たく濁った、真っ黒な澱が全身に纏わりついているかのように見える。

 その不快さと怖ろしさにベルマーは息を呑んだ。

 だがA級魔法師にとっては、この不気味な相手も恐怖の対象ではないのだろうか。

「ルーシェント派所属のA級魔法師ヴィルヘルム・ステンマルクだ。おまえを討伐しに来た」

 よく通る声で言い放つと、ステンマルクは再び頭上に光の矢を出現させた。十、二十、三十……ベルマーたちがすかさず補助魔法で彼の魔力を一時的に増幅させると、その数はますます増えていった。

「あらあら、怖いお顔だこと。ひとまず、その武器をしまっていただけないかしら」

「問答無用」

 宣言と共に、百を超える光の矢がマリア目がけて一斉に放たれた。

 瞬殺だ。さすがにこれではひとたまりもないだろう。彼の矢は一本でもベルマーたちの盾を砕くほどの威力だ。相手がどれほど堅い盾を出そうと、この数を防ぎきれるはずがない。そう思われたのだが。

(――――まさか)

 攻撃が終わったその場所に、女は平然と立っていた。傷一つ負わずに。

(そんなバカな)

「……ほぅ、あれをすべて防ぐとはな。いったいどうやって捌いたんだ?」

「あら、特別なことなど何もしておりませんよ。何かおかしなことでもございまして?」

 ふふふっと笑みを漏らした女の姿が大きく揺らいだかと思うと、四人、八人、そのまた倍と、トランプのカードを横にずらしながら広げていくときのように瞬く間に増え、魔法師たちをぐるりと取り囲んでいった。

(分身? いくらA級とはいえ、この数を? それともこれは幻影……意識操作か?)

 一般的な幻覚魔法の発動は感知していない。

 精神攻撃を受けているという感覚もない。

(攻撃と認識できないほどに精緻で高度な術だと言うのか?)

 ベルマーはすぐ近くに立っているステンマルクをちらりと見遣った。

(我々だけならともかく、彼にも見抜けないほどの……?)

 彼は高慢で扱いづらい男だが、実力もないのに偉ぶるほど愚かではない。先程の攻撃の手腕で分かる通り、彼の魔法はお世辞抜きに一級品だ。つまりマリアはそれを上回る能力の持ち主ということになる。

(やはり……もっと慎重になるべきだったのだ)

 ひとまず杖を手放し、剣を抜いて構えてみたものの、どれが本物なのかまったく見分けがつかない。このままでは彼らの命は風前の灯火だ。ぐらりと足下が大きく傾き、崩れていくような気がした。

 ステンマルクが攻撃魔法を周囲に向かって放ったのはその直後だ。鋭い光の矢が彼らを取り囲んでいる女の身体に突き刺さる。

(やったか!?)

 だが、淡い期待はすぐに泡と消え失せた。バタバタと倒れる瞬間、女の姿が仲間の魔法師たちの姿に変わったのだ。

「な……んだと!?」

 さすがのステンマルクも驚愕に目を見開き、固まっている。

 治癒魔法を施す暇もなく、仲間たちは胸や腹を貫かれて息絶えていた。そして彼らの死と同時に周囲の光も消え失せ、絶望と共に暗闇が押し寄せてきた。

(ああ……ダメだ……やはり敵わない)

 自分がまだ血を流さずに立っているのが不思議だった。

 ふと、握りしめたままの剣に視線を落とす。手放した杖は足元に転がっているはずだが、この暗がりではすぐに見つけられない。

(こんな剣など持っていても、結局わたしには何も…………何もできない)


『そんなことありませんよ』

 頭の中で、誰かの声が響いた気がした。


「ぐっ……うぅ」

 不意に手元に伝わってくる奇妙な感覚。

 聞き慣れない不快な音と、微かな人の呻き声。

「な、にを……っ」

「え?」

 刃先からつたう水が床にぼたぼたと零れ落ちる。

 いや、水とは感触が違う。もっとぬるぬるしたものだ。そう、例えば……

「――――血?」

 ハッと気づいた瞬間、ステンマルクの身体が倒れ込んできてベルマーは腰を抜かした。

「う、わぁぁぁっ!」

 床を這うように後退って、その場から逃れようとする。

 落ちている杖を拾おうと必死で闇に目を凝らし、キョロキョロと視線を巡らせていると、唐突にまた灯りが点った。

「ご苦労様でした」

 背後から響いてきた女の声と、軽やかな靴音に戦々恐々としつつ振り返る。

「…………いったい何が……」

 にこやかに微笑んでいるマリアを見上げて、喘ぐように口にしたベルマーはゆっくりと視線を戻した先に血を流して倒れ込んでいるステンマルクの姿と、その背中に深々と刺さった剣を見て、心臓が止まりそうになった。

「……わ、たし、が……?」

「ええ、あなたが。彼はわたしばかり警戒して、あなたに対しては無防備に背中を見せていたので」

「そんな…………まさか」

 狼狽の吐息が震える唇から漏れる。

 あれだけ用心していたのに、まんまと操られたというのか。

「……いったいいつから?」

「最初からよ」

 マリアは迷える子羊たちを導いていたころと同じ慈悲深い笑みを浮かべて、ベルマーを見つめ返した。

「わたしの姿を見かけたと報告させたのはわざとだもの。彼の噂は耳にしていたから、きっと罠だと知っていても食いついてくるだろうと思ったの。自分の魔力に自信がある人はだいたいそう。必ず勝てると思っている。だから警戒心が薄くて、罠に嵌めるのも簡単なの」

「しかし我々は精神攻撃魔法を察知できなかった。いったいいつから……最初に柱の陰から攻撃されたとき?」

 攻撃の衝撃に紛れて誤魔化されたのかと思ったのだが、彼女は首を横に振った。

「いいえ、もっと前。この遺跡に足を踏み入れたときから」

「……あっ」

 門をくぐったとき、ほんの一瞬だけ感じた揺らぎのようなものを思い出す。

「そう、あなただけは気づいたわよね。ほんの少しの違和感に」

 確かにそうだ。なのに見過ごしてしまった。

「わたしが扱うのはただの精神操作魔法。そう聞かされているのでしょう? その通りよ。本当に得意なの。相手に違和感を抱かせず直接魂に触れることができる。それが最良の癒し手と呼ばれた所以だもの。その気になれば、よほど敏感な相手以外は感知されずに支配できるわ。もっとも修道院を離れるまでは自分でも知らなかったことだけど」

 かつては神聖魔法の第一人者と謳われ、修道院議会を率いていた女の力量はそれほどにずば抜けていたのか。

「しかもあなたたちは分かりやすい攻撃の波動に気を取られすぎていた。だから精神に干渉する波動にも気づかず、まんまと幻惑されたのよ。静かに、ゆっくりと侵食していく幻に魂を喰われて」

「聖なる魔法を神から与えられておいて、そんな使い方をするとは…………あなたは本当に悪魔に魅入られてしまったのですね」

「暗黒の魔女、ですもの」

 歯噛みする想いで告げた言葉をマリアは嗤った。口の端で。

「でもご存知? 闇は光があるところにしか生まれないのよ」

「……どういう意味だ?」

 美しい唇に冷笑を刻んだマリアはそれ以上答えてくれる気はないようで、廊下に向かって「もういいわ」と声をかけた。すると芝居の幕が下りるのを待ちかねていたかのように、闇の奥から数人の男女が姿を現した。戦闘用のスーツに身を包んだ、明らかに観光客や施設の人間とは異なる者たちだ。おそらく闇烏のメンバーだろう。

「その男、幹部の一人だったのでしょう? 殺してしまってよかったのですか」

 敵の一人がステンマルクの亡骸を見下ろしてマリアに尋ねた。

「他に使い道があったのでは?」

「操り人形には不向きだから仕方ないわ」

 彼女は事もなげに言い捨てると、戦闘服姿の女を一人手招きで呼び寄せ、斃れている女性のそばに屈み込んで何やら呪文を唱え始めた。聞いたことのない言語だ。

(……何だ? いったい何を始める気だ?)

 呆然と見守るしかないベルマーの背筋に、またしてもうすら寒いものが走る。

 女性の亡骸がぼんやりとした青白い光に包まれると、マリアは仲間の女に向かって魔力を注ぎ込んだ。胸のあたりに術式の輪が浮かび上がる。するとその女はコピーでもしたかのように、斃れている観光客の女性と瓜二つの姿に変化した。黒髪から栗毛へ、化粧っ気のない痩身の二十代からふっくらした体型の四十代マダムへ。もう完全に別人だ。

「な…………それは、何という魔法なんだ……?」

「幻影魔法の一種よ」

「バカな」

 確かに心理操作による幻影で見た目を誤認させるものはあるが、見る者の能力によって効果に差が出る魔法だ。精神操作に対して高い免疫力のあるベルマーが見て、これほど完璧に他人の姿になりきれるほどの効力はない。そして無論、実体を持たないぼんやりした幻とも異なっている。

「対象物を鏡に反射させるように映す『反射(リフレクション)』」

「古代魔術による影の投影? しかし、あれは誰も成功した者がいないと……」

「そう、公ではね。でも魔法協会は解明されていない古代魔術のうち何種類かを密かに研究していたの」

「密かに? 協会がなぜ!?」

「魔法学発展のため、と言われたわ。これは幻覚を見せる魔法が土台だから協力して欲しいと打診されて、わたしは喜んで研究していたわ。政治的に、あるいは戦闘において強い影響を及ぼしそうな魔術を欲しているだなんて思わずに」

「えっ……」

 マリアは赤点を取った生徒を見る担任教師のような面持ちで、混乱するベルマーを一瞥すると、遺体からリストバンドを引っぺがして、姿を変えた仲間に放った。

 その女が腕に付けたバンドを操作して身分証を表示し、声に出して読み上げる。

「ブリジット・グリーン、四十一歳、既婚者。フューツェ在住」

 続いて、空中に銀河鉄道のパスをポップアップで映し出した。

「一等室の乗客ね。これなら使えるわ」

(まさか……)

 乗客になりすまして列車に仲間を潜り込ませるために、仕組んだことなのか。いや、そもそもマリア自身が逃亡する際にも、この方法を用いて別人になりすましていたのではないか。だとしたら追手を出しても毎回すぐに巻かれてしまい、なかなか尻尾がつかめなかったのも頷ける。

(ああ、いったいどうしたら…………夜が明けるまでには、まだ少し間がある。増援も望めまい。このままではラインフェルト様に報せることもできない)

 ベルマーは痺れた頭の片隅で、どこか他人事のように考えていた。ずっと警鐘が鳴り響いているのに、手足は力が抜けたまま、まったく動いてくれない。

「……どうしてこんな手の込んだことを?」

「普通の人間にこの術は見破れないけど、さすがにルーシェント派の人間があまり大勢列車内をうろついていると邪魔なのよ。あなたのように微細な魔力の揺らぎでも探知してしまう人もいるし」

 だから早めに仕掛けることにしたの、と語る女の紅い唇に視線が吸い寄せられていく。

「ああ、心配しないで。あなたにはちゃんと別の使い道を用意してあげる」

 不吉なセリフに続いて、マリアが再び聞いたことのない言葉で詠唱を始めた。すると、眩いほどだった室内の明かりがみるみるうちに陰りだし、消えていく。

(まずい。何とかして逃れなくては……早く出口へ!)

 這ってでも外へ出ようとしたが、四方が闇に閉ざされ、すぐに方向感覚を失ってしまった。夜の森で、月が雲間に隠れてしまったときのように――――――頭上を覆った暗闇がどんどん視界を塗り潰していく。


 どんどん…………暗く?

(いや、違う)


 トーマス・ベルマーは唐突に悟った。これは精神支配だ。

 ようやく感知できたが、対抗手段が思いつかない。

 閉ざされていくのは視界ではなく全体の空間、彼が認識できる領域そのものが端から黒く塗りつぶされて消されていくような感じだ。暗闇が壁となって、じわじわと押し迫ってくる恐怖に喉がヒリつく。

「ごめんなさいね。自我は必要ないので消させてもらうわ」

 冷酷な女の囁きがやさしく耳朶をくすぐる。

(もしや『暗黒の魔女』というのは単なる比喩ではなく――――)

 ああ、何ということだろう。

 憑依どころか、相手の精神を完全に押し潰して支配するなんて。まさしく悪魔の所業、禁忌としか言いようのない無慈悲なやり方ではないか。

 しかし今さら気づいたところで手遅れだ。

(もう、逃げられない)

 永劫の闇に閉じ込められる。

「……神、よ……」


 彼の祈りは暗黒の淵に沈み、誰にも届くことなく消えた。




読んでくださってありがとうございます。

続きも何卒よろしくお願いいたします。

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