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ソビエト軍少女兵戦記  作者: Kateryna Sheremska
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第6回・女子飛行連隊の少女達・第4部


タマラやリサが活躍していた頃、同じ女子戦闘機連隊のガリナもメッサーシュミットbf109戦闘機を始めて撃墜しました。


世界最大のクルスク戦車戦。

ドイツ軍3000両、ソ連軍5000両という史上最大の戦車戦もさることながら、上空ではドイツ空軍2100機対ソ連空軍3500機という凄まじい空中戦が行われていました。

そんな中、女子戦闘機連隊の女子達もドイツ空軍相手に活躍していたのです。


クルスク会戦に参加したガリア・プルディナはこんな風に回想しています。


恐ろしいほど狭い空間に多くの戦闘機が入り乱れていました。

わたしは乱闘の輪からちょっと離れ、高度を上げて下の方を眺めました。


「メッサーシュミットだわ!」(わたし)


「わたしの獲物よ!」


敵はわたしの事など全く気付いていませんでした。

それだけ激しい乱戦状態だったのです。

わたしは急降下して、メッサーシュミットの下に潜り込みました。

そして敵の腹に短く機関砲を撃ち込んだんです。


「思い知るがいいわ!」

「それっ!」


“ドドドドドッ!”


敵機はほんの一撃で火の玉になりました。


「やったわ!」


たった今、敵機を火だるまにしたわたしの右手は、無意識の内に親指を突き立てていました。


「最高の気分!」

「やったね!」


炎上しながら黒煙を噴き出して墜落していくメッサーシュミット。

敵のパイロットは炎に包まれていたから、すでに戦死していたんだと思います。

わたしは、これまでに爆撃機と輸送機を1機づつ撃墜していましたが、戦闘機は初めてでした。

敵機を撃墜した時の高揚感と爽快感は例えようもないくらいとってもいい気分になります。

特に対等な相手である敵戦闘機ならなおさらその喜びは格別でした。

わたしは、わたしが殺した男に対して可哀想だなんていう感覚はありません。

でも、敵の爆撃機を攻撃している時に機銃手の顔立ちがはっきりと見えたんです。

わたしの撃ち込んだ銃弾で血しぶきを飛ばしながら絶命する敵の機銃手。

その時わたしは、わたしが銃弾を撃ち込んでいる相手も人間なんだと強く感じました。

だからわたしは、敵のパイロットの顔をあまり見ないように努めていました。


挿絵(By みてみん)

メッサーシュミット戦闘機を一撃で撃墜したガリア・プルディナさん。

当時25歳の彼女は大戦中3機の敵機を撃墜しました。

大戦を生き抜いた彼女はその後アエロフロート航空のパイロットを務めました。


第586女子戦闘機連隊の戦果は4419回出撃し125回の空中戦を行い合計38機のドイツ軍機を撃墜しました。

これにリリア(12機撃墜)とブダノワ(11機撃墜)の23機を合わせると61機撃墜でした。

地上への掃射攻撃でドイツ軍に与えた損害は計り知れないものだった事でしょう。


リリアさんとブダノワさんは共に大戦中に戦死しています。


挿絵(By みてみん)

第586女子戦闘機連隊で使用されていたYAK1型戦闘機



さて、女子の爆撃機隊はどうだったのでしょう。


第587女子急降下爆撃機連隊は昼間の爆撃任務についていました。

爆撃目標は主にドイツ軍地上部隊の集結地点や駅、弾薬庫、港、砲兵陣地などでした。

昼間の爆撃でしたので戦闘機の護衛付きでの任務でした。

こちらの部隊は1134回出撃し980トンの爆弾を投下し、数多くのドイツ軍施設を破壊しました。彼女達によって破壊・撃破されたドイツ軍地上部隊は戦車16両、大砲82門、貨車45両と記録されています。また数多くの兵員輸送トラックや戦闘車両が破壊され、歩兵部隊に与えた損害は数千人に及んでいました。また機銃手の射撃によってドイツ軍戦闘機を6機撃墜しました。

しかしこの連隊は終戦までに15機が撃墜され21人の女子が戦死しています。


この第587女子急降下爆撃機連隊に所属していた女子ナビゲーター、アントニーナ・ズブコワさんの回想より


わたしは1943年4月からスターリングラード防衛戦に従軍しました。

わたしはまだ23歳でした。

わたしはモスクワの大学で勉強しながら、機関銃コースを選択して従軍に備えていたんです。

そしてその後、航法士のコースを終了しナビゲーターとしてこの爆撃機連隊にやってきました。


「わたしの手でナチスの奴等を叩き潰してやるわ!」(わたし)


そんな風に思っていたわたし。

でも、戦闘はとても熾烈でした。

今日は敵の陣地を爆撃する任務でした。

同僚の女子パイロット達に向かってげきを飛ばすわたし。


「いいこと、今日はナチの陣地を徹底的に痛めつけてやるのよ!」(わたし)


出撃したわたし達はすぐにドイツ軍の地上部隊の集結地点を見つけました。


「いるいる、集結中のドイツ軍だわ。」(わたし)

敵の車列や歩兵部隊に向かって急降下を始めたわたし達。


「いまだっ!」(わたし)

「投下!」


爆弾の投下レバーを引くわたし。


“ズッヴォーン!!”

“ズッドーン!”


わたし達の眼下にいたドイツ軍部隊の中央付近で爆発が起こりました。


「やった!」(わたし)


輸送トラックと装甲車両が炎上しているのが見えました。

周囲にいたドイツ兵達も十数名が吹き飛ばされて辺り一面に転がっています。


「よ~し!」(わたし)

「今度は機銃掃射よ!」


一旦上昇し再び攻撃態勢に入るわたし達。

今度はやや水平に飛びながら機関銃の照準を敵の歩兵部隊に合わせるわたし。


「喰らいなさい!」


“ズドドドドドドドドッ!”


わたしの機関銃が火を噴き、目の前に展開していたドイツ兵どもがバタバタと薙ぎ倒されていきました。


「まだまだよ!」

“ズドドドドドドドドッ!”

“プシュップシュップシュップシュッ!”


わたしの右手の人差し指が、引き金をグイっと引き続けると、凄まじい爆音とともに無数の機銃弾が発射されて前方の地上は地獄と化していました。

一斉に土煙が上がり、周りにいた大勢のドイツ軍兵士達が逃げる間もなく撃ち殺されていくんです。

このわたしによって・・。


わたしは1945年5月の戦争終結まで闘い続けました。

Pe-2急降下爆撃機で68回出撃し、50トンの爆弾を投下しました。

そして敵の弾薬庫を3ヵ所爆破し、100両以上の敵車両を破壊炎上させ、数百人のドイツ兵を撃ち殺しました。



戦後、彼女はモスクワの大学を卒業し空軍アカデミーで教師になりました。

モスクワ議会議員に選出された才能ある彼女でしたが、1950年11月13日に自殺してその生涯を閉じました。

彼女の戦闘日誌には次のように記されています。

“わたしはあなた達(ドイツ軍)に爆弾を投げつけます。それはわたし達にとって必要な事だからです。侵略者を根絶やしにするまでわたしは闘い続けます!”


挿絵(By みてみん)

1920年生まれのアントニーナ・ズブコワさん

初めて大勢の敵を撃ち殺したのは23歳の時でした。

挿絵(By みてみん)

制服姿のズブコワさん

挿絵(By みてみん)

少女ナビゲーターのズブコワさん

敵を殺すことに容赦しなかった彼女。

残念ながら30歳の若さでこの世を去りました。


第5部につづく・・。

(次回の更新は8月13日0:00になります。)

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