[2] 隣国宰相に求婚された我が国のミス・スキャンダルだけど、そうじゃない、あなたの相手は我が国にいる
1.
ここは、国王の執務室に近い、ある一室。
壁面は古いものから新しいものまで、様々な蔵書で覆われている。革表紙の本ばかりで、自然と部屋が暗く重苦しく見える。重厚な造りの机と椅子が置かれていたが、その机は書類や手紙類が山積みだ。窓からは柔らかな陽の光が差し込んでいるが、少しも落ち着けないのは、堅苦しすぎる雰囲気のせいだろう。
この部屋は、若きアラン・クローブス伯爵の執務室だ。国王の側近たちの末席に並ぶ部屋で、この部屋を賜ったのは、国王の信頼の証だ。
そして、今、アランはこの部屋で頭を悩ませていた。新しい仕事である。
国王陛下から、『西方のウェスタンバレー国がここ最近、軍事演習を活発化させているから、近々、対応について王宮で話し合いたい。根回しよろしく』と言いつかっていたのだ。
西方の国……。ここ数十年は諍いはないが、念のため有事になることも考えて対策をしなければならない。しかし、軍事演習だけでは有事に繋がらないとたかを括っている高官もいるし、うちの王宮も一枚岩ではない。根回しには時間がかかりそうだった。
アランはため息をついて、頭を抱えた。どこから攻略すべきだろう。
アランはふーっと大きな息を吐いた。
そんな時、「失礼します」と声がして、使いの者が入ってきた。王太子レイモンドから呼び出しらしい。
アランは顔を顰めた。忙しいのに!
しかし相手は王太子。アランは、時計をチラリと見た。それから、「まあ休憩ってことでいいか」と思い直すと、レイモンドの部屋へと出向くことにした。歳も近いし、話せば気晴らしになるだろうから、行って帰ってくる頃には、何かいい案が浮かんでいるかもしれない。
レイモンドの居室は、少し離れたところにある。アランが部屋にたどり着くと、秘書役の者がレイモンドの部屋から出てくるところだった。その男はアランにお辞儀をしてから、顎で部屋の扉を示した。追い出されました、といった仕草だった。
アランは苦笑して、レイモンドの部屋をノックした。
「レイモンド様、急な呼び出しとはどうしましたか?」
「アラン、来てくれたのか」
レイモンド王太子は窶れた顔をしていた。
「どうしました!? ひどく疲れた顔をしていらっしゃいますね」
とアランは驚いた。
「あ、いや、これは……夜が、眠れなくて」
レイモンドはこめかみを押さえた。
「え? 体調悪いんですか?」
「違う……」
レイモンドはうんざりといった顔をした。
「サマンサが子供が欲しいって言うんだ」
アランは、責任感の強い王太子妃サマンサの顔を思い浮かべた。
「ああ、なるほど。それは是非とも頑張ってください」
アランは大事ではなさそうだったので、ほっとした。
すると、レイモンドが急に声を荒げた。
「軽々しく頑張ってとか言わない方がいいよ、アラン!」
「ええっ、どうしたんです、急に!」
穏和なレイモンドが声を荒げたので、アランは驚いた。それほど辛いのか?
「一日おきなんだよ! 毎月これくらいの時期になると、一日おきに3回!」
急にレイモンドは生々しいことを言い出した。
「はあ……レイモンド様はまだお若いんですから全然いけるでしょ」
「いけるか! 3回目なんて地獄だよ……。二日おきでもいいはずなんだけど!」
レイモンドは手で顔を覆った。
「もう、R18になるんでやめてください。ってゆーか、サマンサ様はしごく真面目にお子様を欲しがっておいでなんでしょうから、そんなこと、思うのも失礼ですよ!」
とアランは嗜めた。
アランは、サマンサの何にでも真っ直ぐな美しい眼差しを思い浮かべた。こんな夫で気の毒に……。
「そりゃ分かってるよ! だから応じてるだろ! でも、毎日毎日牡蠣食べさせられて、精をつけてくださいねって笑顔で言われて、俺だってしんどいんだよ」
レイモンドは精神的にまいっていて、だいぶイライラしているようだった。
アランは、「サマンサ様なりに気を遣ってのことだろうに」とため息をついた。
「そうは言っても、お子さん作るには頑張るしかないじゃないですか。それにお子さんのことに関しては国の大事でもありますから、悪いですけど、サマンサ様の方が正しいとしか」
とアランは諭した。
「そんなことは分かってるってば。でも、今俺が話してることは、それとは別の話だろ!」
「別の話?」
アランは首を傾げた。
「おまえも男なら分かるだろ? ああ……レネーとなら何回でもできたのに。毎日でも、一日2回でも5回でも」
「はあ、そりゃお盛んで」
アランは冷たく言った。
レネー・エリンソン伯爵令嬢。レイモンド王太子の、昔の『不義の恋人』。以前、レイモンド王太子を廃嫡しようという事件があった時に、駆け落ちを偽装してまでレイモンド王太子の命を守った女性だ。騒動後、レイモンドとレネーは強制的に別れさせられて、レイモンドはサマンサとすぐに結婚させられた、という経緯がある。(騒動は俺が片づけさせられた……。)
アランは大きなため息をついた。
「やりたい女と義務の女ってことですか? 本当最低ですね! 心から軽蔑しますよ」
「おまえうるさいよ。ああ、またレネーとしたい……」
そうレイモンドが呟いたので、アランは思わず「立場わかってんのか!」と怒鳴りそうになったのを、ぐっと堪えた。
あんたは、そのレネー・エリンソン伯爵令嬢と『王太子が駆け落ち』とかいう前代未聞のスキャンダルをやったんだぞ!
「残念ですが、殿下はもうレネー様とは、話すことも禁止されてますからね」
「あー、そこをなんとかならないかなあ」
「なりませんよ。サマンサ様をきちんと大切にして、義務でもなんでもサマンサ様(と国民)のためにお子様を授けて差し上げてください」
「アラン、冷たいよ」
レイモンドはしゅんとした。
そこでレイモンドはいい考えを思いついた。
「そうだ、おまえも俺と同じ苦しみを味わえ。サマンサの妹が婚約者を探してる。おまえも婚約者とかいないんだろう? ちょうどいいじゃないか!」
「全然よくありません。私はまだそういうのは結構です。お断りいたします」
「はあ? おまえだって健全な男だろ?」
「それとこれとは別って、殿下が仰ったんじゃないですか。殿下がお辛いと愚痴るなら、尚のことまだ結構です」
アランは冷たく言い返した。
レイモンドはごくりと唾を呑み込んだ。
「……も、もしかして、おまえ恋人できたのか?」
「なんでそうなるんですか!」
「まさか、レネー!? レネーだけは絶対にダメだよ!」
「私からも願い下げですよ」
アランはうんざりした。
「ね、願い下げっておまえ! レネーのどこが不服だ!?」
「はあ? 殿下がレネー様はダメだって仰ったんでしょう、たった今!」
アランは声を張り上げた。
アランの大きな声に驚いて、レイモンドは一瞬黙った。
しかし、声を落として、
「でもさあ、おまえは俺とレネーをあの廃嫡事件から助けてくれた張本人だろ? 今だっておまえ、なんかレネーの監視人みたいになってるし。レネーとすげー仲良さそうだし。俺は少し妬いてんだよ」
とレイモンドは呟いた。
「どこが仲良しなんですか。そりゃまた何か問題が起こってはいけませんから、レネー様の様子をちょくちょく見に行ってはいますが。でも、私とレネー様は、顔を合わせば罵り合いしかしてませんよ」
とアランは言った。
そう。私だって本当は、レネー様と罵り合いたいわけではないのに。
アランの言葉に、レイモンドはふっと悲しそうに笑った。「それすら羨ましい」といった様子だった。
アランははっとした。それで少しトーンダウンした。
「……レイモンド様はまだレネー様のことが好きなんですか」
「好きだよ。だって自分の身を顧みず駆け落ちしてくれたんだぜ。そりゃ、サマンサのことも大事に思ってはいるんだけど」
レイモンドは呟いた。
アランは胸がずきっとした。
私もレネー様のこととなると、胸が苦しくなる時があるのだ。
レネー様に誑かされた男たちをたくさん見てきて、軽蔑しているはずなのに。
レイモンドは、アランの気持ちに気づかず、しゅんとした顔で続ける。
「俺もう結婚しちゃったし、レネーとは接近禁止令出てるし、報われない想いだってのは分かってるんだけどね。本当は側妃とかでいいからレネーが欲しいんだ」
「無理ですね」
アランはわざと、さらっと言った。
「無理とか言うなよ」
レイモンドが涙目になる。
「サマンサ様も、そのご実家のローレンツ侯爵も許さないですよ」
「サマンサに子供ができたら違うかもしれないだろ?」
「? 違わないと思いますけど?」
「そうかなあ? 子供ができればサマンサの立場は揺るぎないものになるからさあ、レネーの一人くらい許してくれないかな」
レイモンドのクズ発言に、アランは頭が痛くなった。サマンサ様が気の毒過ぎる。
「駆け落ちスキャンダルの相手を側妃にとかあり得ませんけど。でも、少しでもそれを信じるなら尚のこと、子作り頑張るしかないじゃないですか」
アランは突き放した言い方をした。
「そっかあ……」
レイモンドはため息をついた。
「あーあ、今日のご飯も牡蠣、かな」
牡蠣ぐらい食えっ!とアランは心の中で思った。
こっちは、国防の件で、すっごくすっごく忙しいんだ!
「で、殿下のお子様作りの件はよく分かりましたから、本当の用件を教えてください」
アランはゴホンっと咳払いして言った。
「ああ、そうだっけね……。実はそっちもレネーなんだよ」
レイモンドは言った。
アランはがっくりした。
「またレネー様? もう、どんだけレネー様なんですか」
アランは声を上げた。
「いや、違う違う。なんか、誤解。南方のサザンフィールド国の誰それが、レネーのこと問い合わせてきた。俺、どーしたらいい?」
レイモンドは慌てて言った。
「は? え? 問い合わせ?」
アランは寝耳に水で、呆気に取られた。
「俺も経緯がよく分からん。でもなんか、国境に接する地域でたぶんレネーを見かけたらしくて、誰ですかって問い合わせ」
「はああ〜?」
アランは思わず素っ頓狂な声を出した。
「あいつ、何やってんだ! 隣国から問い合わせされるとか、普通じゃないぞ」
思わず、独り言が口から出てしまう。
「そうなんだよ。レネー、国境沿いのファレル男爵領で何やってるんだと思う?」
レイモンドはまた涙目になった。
「いや、待ってください。レネー様じゃないかもしれないですよ」
アランは冷静になって言った。
「でも、この手紙の場所って、どう考えてもファレル男爵領だよね? 問い合わせの女の風貌はレネーそっくりだし……」
レイモンドから手紙を受け取ったアランは、ざっと一読して、
「ああ、これはレネー様ですね……」
と頷いた。
「で、なんでファレル男爵じゃなくてレイモンド様に問い合わせが来たんです?」
レイモンドはアランを見つめ返した。
「元恋人さんですかって。そんな言い方ひどくないかい? まだ俺の女だよ」
「レイモンド様、それは違います」
「ええっ!」
「変な幻を見ないでください。レネー様はもうとっくにレイモンド様とは別れてますよ」
アランは手紙をバンっと机に叩きつけながら言った。
2.
アランはすぐに、レネーに会いにファレル男爵領を訪れることにした。
本当はこんなことしている場合ではない。今朝だって西方のウェスタンバレー国が兵士の駐屯地を新規に設定した、と聞く。アランは寝不足だった。
だが、レネーと聞いては、なぜか落ち着かない。後見みたいなものだし、自分が行くしかないと思った。
レネー・エリンソン伯爵令嬢は、実家のエリンソン伯爵家には居づらくなっていた。偽装駆け落ち騒動の際に多大な迷惑をかけたからだ。なので、今は、彼女の遠い親戚のファレル男爵領にいる。ファレル男爵家の長男ウォルターが、レネーの身を引き受けていた。
レネーはウォルターと仲が良い。
そしてウォルターもまんざらではなかった。
それがアランには気持ち良くない。
さらには、騒動を片づけた責任者として、アランも実はレネーに邸を提供しようとしたのだが、レネーに断られていた。
なぜ私じゃダメで、ウォルターなのだ?
頭から振り払うように、アランはウォルターの邸の呼び鈴を鳴らす。
執事に部屋に案内されると、そこにはウォルターだけがいた。
「あ、遠いところわざわざご苦労様です、アラン様」
ウォルターが丁寧に挨拶した。
「ウォルター様、お久しぶりです。レネー様は?」
アランはまず聞いた。
「それが出かけてしまっているようなんです。アラン様がお見えになることは伝えたんですけれども」
ウォルターは申し訳なさそうな顔をした。
「私に会いたくなかったのかな……」
アランは呟いた。
ウォルターは驚いた。
「アラン様? なんかアラン様らしくない気弱な発言ですね。そんなことは決してないと思いますよ。レネー様は今でもアラン様のことを恩人と、心から感謝申し上げています」
ではなぜ、私の邸は拒否したのだ?
アランは心の中で思った。
「それで今日の案件は?」
ウォルターが聞いた。
アランはレイモンドが受け取った手紙の写しをウォルターに見せた。
「これは……」
ウォルターは絶句した。
「何か心当たりはありますか?」
アランは険しい目でウォルターを見る。
「いえ全く……」
ウォルターは肩身の狭そうな素振りを見せた。
「レネー様の身を預かる者として、こんなことも把握していないとは、本当に申し訳なく思います」
「そうですね。この手紙の内容が本当だとしたら、またいらない問題が起こりそうなので、私の方でレネー様の身柄を預かろうと思うのですが」
アランは言い切った。
するとその時
「あら、そんなこと嫌だわ!」
と言う声がした。
ちょうどレネーが部屋に入ってきたところだった。
アランは「出たな」と思った。が、顔には出さず、
「これは、レネー様。お久しぶりです」
と丁寧に挨拶した。
「なんで私がアラン様のお邸に移動しなければならないの」
レネーは膨れて聞いた。
「それはこちらを見てもらえれば。今にも問題が起こりそうなんでね」
とアランは例の手紙を見せた。
アランはレネーがどんな反応するのかじっと見ていたが、レネーは「ふーん?」と言っただけで反応が薄くて、逆に拍子抜けした。
「あの? 心当たりは?」
アランは聞いた。
「ああ、なくはないかしらね。あの人かなぁって思う人はいる」
とレネーはさらっと答えた。
なくはない? あの人かなあ? どんだけ候補がいるんだよ!?
アランは頭が痛くなった。
「つかぬことを伺いますが、今あなたの異性関係はどうなってるんですか?」
「異性関係? 別にどうもなってませんけど」
「どうもなってない、の意味が分かりません。恋人はいるんですか?」
「いませんよ!」
レネーはムッとして言った。
「じゃあ、言い寄ってくる男の人は?」
「あーそれはー」
「いるんですね」
アランは呆れた目でレネーを見てから、ウォルターの方もチラリと見た。把握してましたか?
「何か言ってくる人はいっぱいいるけど、いちいち顔も覚えてないわよ」
ムッとした態度のレネーを見て、アランはため息をついた。
「それで? この手紙の男はどんな男なんです? 隣国の男ってどうやって会ってるんですか?」
「うーん、国境付近の山岳地帯なのでよく解りません?」
「は?」
「だって野山に国境線なんて見えませんもの。たまたまそこで遊んでいた時に声をかけられただけですわ。やめろと言うのならもう会いませんから」
レネーは悪びれず言った。
アランはムッとした。
「で、その方との関係は? どういったところまで?」
「やだ、セクハラ!」
「セクハラになるようなこともされてるんですか」
レネーは何も答えずに、ぷいっと他所を向いた。
アランは腹が立った。私はこの人のこういうところに振り回され続けている。
苛立ちながらも、状況を知るために、聞きたくもないことを聞かねばならない。
「この人はどんなつもりで問い合わせてきたのか、教えてもらえませんか?」
「さぁ? 一緒になりたいとかなんとかは言ってたかしらね?」
レネーは首を傾げた。
一緒に!? 結婚か?
ほんとにこの人は。私の気持ちも知らないで。
アランは思わず言葉が出そうになったのを、ぐっと堪えた。
その時ウォルターが穏やかな口調で嗜めた。
「レネー様、結婚とかはいけませんよ」
「あら、ウォルター様どうして?」
「レイモンド様とアラン様が嫉妬で狂います」
「あらやだ! また面白い冗談を!」
レネーはケラケラと笑った。
「ほんとに冗談が過ぎますよ、ウォルター様!」
アランも慌てて言った。
「そうですか? アラン様」
ウォルターは疑いの目を向ける。
アランは無視して続けた。
「問題なのはね、レネー様。この手紙の主が、南方のサザンフィールド国の宰相さんってところなんですけど」
「あー。あの人、そんなことも言ってたわね。若くして宰相になったとかなんとか」
「なんでそんな大物が、こんな女に引っかかるんだよ!? この男ったらしめ!」
アランは宙を仰いだ。
レネーは手紙をまた丁寧に畳み直して、アランに返しながら言った。
「こんなもの、本気に取る方が間違ってますわ。確かにレイモンド様との事は面白おかしくお話ししたりはしましたけど、だからこそ余計に私みたいな女を所望するような事は決してありませんわ。だって宰相さんなんでしょ? 普通に考えてスキャンダルな私とか国の恥じゃないですか」
「もし本気で誑かされてたら、男の方はそんなこと思ってないと思いますけど」
ウォルターはポツンと呟いた。
レネーは笑った。
「こんなの遊びですわ、遊び。ちょっと口説いて口説かれて。男性なんてそんなもんでしょ」
「一括りにしないでください!」
アランとウォルターは同時に声を上げた。
「とにかく、その男性とはお別れして下さい。それから、私の邸に引っ越ししてもらいますからね。私には監視の責任があるんですよ。ここじゃ私の目が届かないと思って!」
「ええ〜! アラン様のお邸は絶対嫌!」
レネーは口を尖らせる。
アランは拳を握った。
「何で嫌なんですか! 前もそう言いましたけど、今回はちゃんと説明してくれますか!?」
レネーはふいっと顔を背けた。
「それは言わない」
「はあ!?」
アランは怒気を強めた。
「まあまあ、アラン様。レネー様が嫌だと言ってるんですから。私が責任持って別れさせますから、今回のことは穏便に……」
ウォルターが間に入って嗜めた。
「それからレネー様も、アラン様にわざとそんな態度を取られませんよう。その男性のことも、レネー様のことですから、どうせ何か会う理由があるんでしょう? 後でゆっくり聞きますよ」
ウォルターは穏やかに言った。
アランは目を上げた。
「ちょっと、なんですか、その会う理由ってのは」
「アラン様、それはこれから私がレネー様から聞きますから。今日のところはこれで引き取って下さい」
3.
「って感じで、別れなさいって言われちゃったんだけど、何でレイモンド殿下に手紙とか出すかなあ?」
レネーは、南方のサザンフィールドの若い宰相、ジェイダに言った。
二人は国境沿いの緑の丘の上に敷物を広げて、ピクニックを楽しんでいた。ここは山岳地帯の裾野の方。遠くに緑色の美しい山々を眺めることができる。
たくさんの布類が敷かれ、屋外なのにふかふかだ。二人はゆったりと座って、寛いでいた。食べ物も豊富に準備されていて、ゆっくりと過ごせるようになっている。
全て準備をしたのはジェイダだ。ジェイダは下人たちに準備をさせた後、完全に人払をして、レネーとゆっくり過ごそうと思っていた。
それなのに、会って早々レネーに苦情を言われたので、ジェイダはムッとして無視をした。
「こら、無視しないでよ」
レネーはジェイダの腕をつねった。
痛っ、とジェイダは顔を顰めて腕を押さえた。
「手紙を出したのは本気だからだ。本気であなたをうちの国に迎えるつもりなんだから、あなたに咎められる筋合いはないね」
とジェイダは拗ねて言った。
「またそんなこと言って。宰相さんなんだから、こんな女はやめときなさいな」
レネーは苦笑する。
「あのさ、いつも全然本気にしてくれないのはなんでなんだ?」
「だってみんなそう言うし」
「みんな!?」
「うん、みんなそう言って、みんな去っていくの」
レネーは笑った。
「みんなじゃないよ。俺は違うから」
ジェイダは言った。
「ばかねえ。『俺は違うから』もみんな言うのよ」
レネーはジェイダの頬を指で撫でた。
ジェイダはそのレネーの手を掴んで、レネーの目を覗き込んだ。
「でも、本当に違うから。忙しい合間をぬってこうして会いに来てるんだ。意地悪を言わないでくれ」
「あはは、そうねえ。宰相とか言うのにこんなとこまで会いにきてるもんだから、私、あなたが宰相だってこと嘘だと思ってたわ」
レネーの言葉にジェイダはガクッと首を垂れた。
「そう。言わせてもらうけど、あなたがいつもそういう態度だから、男が不安になって去っただけだと思うね。なんだよ、自分ばっかり余裕ぶって、男には不自由してませんて顔してさあ」
ジェイダはそのままレネーを引き寄せるとキスをした。
レネーもジェイダに身を委す。
しかしレネーは、頭の中では別のことを考えていた。
何よ、この人、恋愛マスターか何かなの? 『余裕ぶって』ですって? どんなに私がギリギリで踏ん張ってたか分かる? だってレイモンドは婚約者もいた王太子。だからいつも本気になっちゃいけないって思ってたわ。遊びのふりするしかないじゃない。それなのに、あの日、レイモンドの殺害計画を知ったときの私の気持ち、想像できる? 遊び相手だからと見捨てるわけにはいかなかった、駆け落ちとかいう泥舟に乗った私の気持ち、分かる?
アラン様が現れ反レイモンド派を片付けてくれて、私を泥沼から引き揚げてくれなければ、私は自分のことが嫌いすぎて死んでしまっていたかもしれない。そう、アラン様が助けてくれた。アラン様が……。
「何を考えてるの」
ジェイダが急にキスをやめて、レネーの体を離した。
「あ、別に」
レネーは慌てて言った。
「キス中に他のこと考えるのやめてくれないか」
「ごめんなさい」
レネーは口先だけで謝ると、ジェイダの髪を撫でた。
「……ねえ。私があなたと一緒になったら、あなたの国はこの国と同盟を結んでくれる?」
「なんだ、そんなことを考えていたのか」
ジェイダはほっとしたように言った。
「何だと思ってたの」
「他の男のことだったら許さない、と思ってた」
レネーはジェイダの言葉に一瞬ぎくっとなった。
ジェイダはレネーの体を敷布の上に押し倒すと、ずいっとレネーの上に跨った。
ジェイダの目が、上からレネーの目を射止める。
「いいよ、同盟ね。西方のウェスタンバレー国が最近軍事演習を活発化させたって話だろう?」
「そう」
「それであなたが手に入るなら格安だ」
ジェイダの目は熱っぽい。
そのままかがみ込むと、またレネーにキスをしようとした。
レネーは思わずふっと目を背けた。
格安? 嘘つき。
ジェイダの国からしたらウェスタンバレー国なんて他所ごとでしょ。それなのに、こんな簡単に、一方的な同盟を結んでくれるというの? 私を騙してる? それとも本気?
「え、レネー?」
ジェイダが不安そうに呟く。
レネーはハッとした。
「あ、ご、ごめんなさい」
レネーは取り繕うように、自分からジェイダにキスをした。そのまま腕をジェイダの背に回し、ぎゅっと抱きしめる。
ジェイダの身体が熱くなって、手がレネーの太腿に触れようとした。
「ちょっと、ジェイダ、だめ」
レネーがその手をそっと振り払った。
ジェイダが残念そうにため息を吐くと、レネーから体を剥がした。
「早く、あなたをうちに貰い受けたい。知ってるんだからね。あなたに言い寄ってる男が他にもいるってこと」
「何それ。誰が私なんかを……」
「例えばレイモンド王太子、例えばアラン・クローブス伯爵……」
「ちょっとちょっと! なんでそこでアラン様の名前が出てくるの!」
「違う? 本当に?」
ジェイダは真剣な顔をしてレネーの目を覗き込んだ。
レネーは思わず目を逸らしたくなったが、グッと堪えてジェイダの目を見返した。
「アラン様はあり得ませんわ」
「そう、なら……いいけど」
しかしジェイダの顔は晴れなかった。
「でも、レネー。ちゃんと俺のこと好きになってくれてるんだろうね? レイモンド殿下のことはもう忘れてるんだろうね?」
「何を言ってるの、当たり前でしょ。向こうはもう結婚してるのよ」
レネーは冷や汗をかきながらも、微笑んで見せた。
ジェイダは本気かもしれない。
この人がそこまでの覚悟を見せてくれるなら、私もついに腹を括らなくちゃ。この人と一緒になったら、ちゃんと大切にする。レイモンド様のことも、アラン様のことも忘れて、ジェイダ様だけを見ることにする。
「でも、ジェイダ、本当にいいの? あなたの家族は。いきなりこんな女連れてきて、文句言わないの?」
「言わせないよ。あなたはゴシップ女王だって言うけど、所詮隣国での噂話だし、母や弟妹たちにもきちんと説明する」
「そう。ならいいのよ」
レネーは言った。
ジェイダは体を起こした。
「さて、やる気になったぞ。全部うまくやってみせるから、安心して嫁いでおいで」
そしてにっこりレネーに微笑みかけた。
レネーも笑顔を返した。
同盟が成れば、レイモンド様もアラン様も助かるはず。西方のウェスタンバレー国はギラギラした将軍が就任ちずいぶん本気だって、西方から来た旅の楽士が言っていたもの。
あー、そういえばあの楽士、今頃元気にやってるかしら。ここを発つ時「離れたくない」ってだいぶ泣いてたけど……。
4.
「レネー様は全然別れてないじゃないですか!」
アランはドンっと机を叩いて、持っていた手紙を投げ出した。
ウォルターがわざわざ王宮のアランの元を訪ね、隣国からの手紙を見せにきたのだった。
「アラン様、私も一応レネー様を説得したんですけどね。まさか、相手の男からうち宛にこんな手紙が来るとは」
ウォルターは、アランが投げ出した手紙を拾いながら言った。
アランは頭を掻きむしる。
「レネー様と結婚してもいいよねって、何なんですかね、この手紙。危うく破り捨てるところでしたよ! しかも、厄介なことに、同盟結んでやろうって」
「そうなんですよ。身元引き受けのファレル男爵家としては、別に好き同士なら勝手に一緒になってくれて構わないって感じだったんですが。いやー、何分『同盟』ってあったから、国王陛下に報告しないといけないなってなりまして」
ウォルターはため息を吐いた。
「で、まずは、アラン様にね」
「わざわざありがとうございます、ウォルター様。しかし……同盟って」
アランは呻いた。
「西方のウェスタンバレー国の件、ですよね」
ウォルターも呟いた。
「ほんと、足元見る感じの手紙でムカつきますね」
アランもため息をついた。
「レネー様はただのスキャンダルまみれのしがない貴族の令嬢なんだから、同盟の駒になんかなるもんですか。おんなじ手紙で書いて来るなんてやらしいですよ!」
「やらしい?」
「まるでレネー様と同盟が引き換えのような言い方をしている」
「まあ、それは先方さんとしては、引き換えなんでしょうけど」
ウォルターはそっと言った。
「なんで引き換えになるんです?」
アランはムッとした。
「どうせレネー様が言ったんでしょう。結婚したいなら同盟結べ、とか」
「は? なんでレネー様から提案するんですか。同盟なんて、レネー様になんか得がありますか?」
「そこはレネー様のいじらしいところですよね。レイモンド様とかあなたのためになるんじゃないかって考えたんじゃないですか? 逆にあなた方が激怒するとは思わずに」
ウォルターが苦笑した。
「まあ、ファレル家では対処しかねる案件なんで、王宮の方で対処していただけたらありがたいです。でも、今この時期の同盟の提案は、正直ありがたいですね」
アランはウォルターを睨みつけた。
「田舎貴族の分際で、わかった口を聞かないでください」
「おっと、これは、アラン様。失礼しました」
ウォルターはアランの毒舌にも慣れっこで、平気な顔して謝った。
「しかし、うちに宛ててくるなんて、絶妙ですね」
アランもそれには心の内で同意した。
先方はこちらの足元を見て、『同盟』を匂わせば、こちらが正式な対応を検討することを見越し、ファレル家宛てに書いてきたのだ。
「実際、レネー様はなんて言ってるんですか」
アランはレネーの様子を尋ねた。
「それはまたレネー様に今度直接聞いてください。私が聞いても、『同盟が成るなら嫁ぎます』と答えるだけで」
ウォルターの言葉に、アランはおでこを押さえた。
また、レネー様の悪い病気が始まった。レイモンド様のためになると信じたら、ご自分のことなど二の次になってしまわれる。
「それって、対して相手のこと好きじゃないんじゃないですか……」
アランは呟いた。
「それは、私も最初からそう思ってます。どうせ言い寄って来る男の一人かと」
ウォルターも頷いた。
「どうします? 同盟はたぶんありがたいことなんだと思うんですが、でもレネー様がこんな状態では、私なら手放しに喜べませんけど」
アランはふうっと大きな息を吐いた。
「国王陛下は、レネー様の個人的な感情などどうでもいいでしょうね」
「では、レネー様は隣国に嫁がれるということですか? アラン様はそれでいいんですか?」
ウォルターは確認するように聞いた。
「……私には分かりません。公私混同と言われそうだ」
アランは下を向いた。
「アラン様、嫌だって思ってらっしゃるんですよね。私は、今のレネー様があるのはアラン様のおかげですので、アラン様はレネー様の後見人だと思っていますよ。アラン様がお嫌なら、やはりこの話はやめさせるべきだと思うんですが」
ウォルターは真摯な言葉でアランを説得した。
「そう、でしょうか」
アランは目を上げた。
「はい。お手伝い致しますよ」
ウォルターは微笑んだ。
アラン様だからこそ、私は身を引いたというのに。鳶に油揚げを掻っ攫われるのは、私も嫌です。
「では……」
しばらく考えていたアランは、ようやく口を開いた。
「そうですね、レネー様が結婚しなくていいように頑張ります」
ウォルターは、アランの真面目な表情を見て、微笑んだ。
アラン様はやると決めたらやる男だ。きっと大丈夫。
5.
国王は、ファレル男爵から隣国のサザンフィールド国との『同盟』の話を聞いて目を輝かせた。
「それは名案だ! いい抑止力になるじゃないか。そのレネーという娘は例のレイモンドと駆け落ちした娘だろう。この国に残っても、たいして良い縁談は見込めないだろうから、そのサザンフィールド王国の宰相殿なんて、最高の縁談に違いない!」
それから、隣で怒りで震えているレイモンドを見て、
「こいつの頭を冷やすにも、その娘がどこかに嫁いだ方が良さそうだしな」
と呟いた。
国王のお墨付きとあって、王宮は一気に同盟歓迎ムードになった。皆ほっとした。西方のウェスタンバレー国への準備で、一気に国が緊張することを心配していたのだ。
国王は笑顔になった。
「同盟が成った暁には、エリンソン伯爵家もファレル男爵家も厚遇しよう!」
ファレル男爵は顔を輝かせた。
息子のウォルターがミス・スキャンダルを匿うと言い出してから、なんて厄介なとずっと思っていた。それが、こんな幸運をもたらすことになるとは。
「それにしてもレネーという娘はやり手だなあ。隣国の宰相なんて、どうやって口説き落とすのか、見本を見せてもらいたいものだよ」
と国王はほくほくしている。
そのとき、国王の執務室へアランがやって来た。
「国王陛下、失礼いたします。少しお話しよろしいでしょうか」
「ん? どうした、アラン。根回しは済んだのか? それに関して、ファレル男爵からよい話を聞いたぞ」
国王は上機嫌だ。
アランは軽く頷いて見せた。
「その内容は存じております。同盟のお話でお間違いなかったでしょうか」
「お、さすがだな、アラン。話が早い!」
国王は頼もしげにアランを見た。
「その同盟の件なんですけれども、サザンフィールド国の国王から、我が国の第二王子ブラッドリー殿下を婿に迎えたいと打診がございました」
アランは重々しい口振りで、勿体ぶって言った。
「は? なんと!?」
国王は驚いた。
「ファレル男爵領の娘が嫁ぐのではなかったか?」
国王はファレル男爵に目をやり、「どういうことだ」と顎で確認した。
ファレル男爵も「分かりません」と首を横に振る。
アランはお辞儀をしながら、
「その件ですが、レネー・エリンソン伯爵令嬢のことは、先方の国王様は全く初耳で、『そんな利のない同盟はごめんだ』と仰っておられました。そのお気持ちは私も良く分かります。レネー嬢はうちの王家と何の繋がりもございませんので。それどころか王太子と駆け落ち未遂した傷物ですので」
と述べた。
レイモンドは目を見開いて、アランを見ていた。
国王はごくりと喉を鳴らしてから、ファレル男爵に、
「ええっと、さっきの手紙は誰からのものだったかな?」
と確認した。
「サザンフィールド王国の宰相さんですね」
ファレル男爵は手紙の署名を確認しながら答えた。
「ふむ? 向こうの国王殿と宰相殿が揉めているということかね?」
国王は首を傾げた。
「揉めてるってほどではなく、意思疎通がいってないだけかと思いますね」
アランは訂正した。
国王は頷いた。
「で? 向こうの国王は何と言っているか、詳しく説明してくれないか?」
「はい。私は、国王様に同盟は悪くない旨、先方に説明いたしました。我が国は資源や技術に恵まれておりますので、同盟が成れば、優先的に輸出するよう便宜を図りますと。その代わり、西方のウェスタンバレー国との有事が起こった際の後方支援をお願いしました。まあ、同盟が成れば、迂闊にウェスタンバレー国も手を出しては来ないと思いますが」
アランは説明した。
「同盟の暁には、先方も国防費が最大10%削減できると説明したら、喜んでおられました。平和的な国王様です」
国王はまた肯いた。
「おまえの理屈なら、経済面も考えたらもっとプラスだろうな。そしてそれはうちの国の経済も回してくれそうだ」
「そうですね」
アランも肯いた。
「で、ちょうど、先方に男系の後継がおられなかったので、我が国のブラッドリー王子の名前が上がりました。婿入りはいかがかと。ブラッドリー王子は今は婚約者がおられないでしょう?」
国王は「ふむ」と思案した。
「ブラッドリーが人質のような扱いにならぬかが心配だが」
「もちろん100パーセントないとは言えませんが、平和的な国王様ですので……」
アランは畏まって言った。
「そうか」
国王はそう言うと、また黙って、何かを考えていた。
アランは気持ちが良くわかった。息子が隣国サザンフィールド王国に行くと言うのは心配だろう。
「国王陛下。返事は後でも」
アランは言った。
「いや、構わん」
国王は顔を上げた。
「おまえの提案の通りでいこう」
と国王は言った。
アランは「さすが決断の国王だ」と感心した。
「はっ。では、まずは先方に簡易的な返事をさせていただきます。後日、正式な書状を用意いたしますので」
アランは一礼をして立ち去ろうとした。
その時国王が、冷静な声で、
「おまえの同盟内容の方が、サザンフィールドの宰相殿よりよっぽど堅実だ。うちのレイモンドと浮名を流したレネー嬢では失礼に値するというものだ。その宰相は公私を混同しているな」
と言った。
「はい」
とアランは小さく頷いた。
国王の横では、レイモンドがガッツポーズをしている。レネーの結婚、なくなった!
アランはレイモンドを軽く睨むと、いそいそと部屋を後にした。
6.
それから数日後のウォルターの邸でのことだった。
「レネー様。私の邸に移動していただきます。私はあなたがこれ以上問題を起こさないように見張る責任があります。もう文句を言っても聞きませんからね」
アランはレネーにビシッと言った。
「え……でも……」
レネーは躊躇う。
「ご存知ですよね? もうあなたが隣国に嫁ぐ必要は無くなったんですよ」
アランはイライラして言った。
なぜ素直には「はい」と言わない!?
「そ、それはそうですけど……」
らレネーはモジモジしている。
「はい? あなた、あの隣国の宰相とかいう男のことが好きだったんですか?」
アランは冷たく言う。
「ちょっとアラン様! お言葉!」
ウォルターが慌てて嗜めた。
「私はあなたに、あの男と別れるよう言いましたよね。こういう、いらん問題が起きては面倒なんですよ!」
アランは怒りをぶちまける。
「それにね、なんですか、同盟って。なんであなたなんかが同盟の駒になると勘違いなさったんです!?」
「国王陛下は初めいい案だと喜んでおられたと聞きましたけど」
とウォルターはぼそっと呟く。
アランがギリっとウォルターに鋭い視線を向けた。
「すみません。西方のウェスタンバレー国は戦争をする気だと風の噂で聞きまして。私なりに何とかできないかと思って。幸い、サザンフィールド王国の宰相さんも私のこと好いてくれてたので……」
レネーは俯いた。
「あなたは、いっつもそうやって自分が我慢すればいいと思って……」
アランはため息をついた。
「怒らないで、アラン様」
レネーは悲しそうな目をした。
「怒らないでって。私はいっつもあなたの後始末をして回ってるんですからね」
アランはこめかみを押さえて目を瞑った。
怒らないで? なんで怒ってると思ってるんだ! 私はレネー様を守りたいと思っているだけなのに。
「後始末……」
レネーは呟いた。
「そうですよ」
アランはイライラと返した。
「私が不幸になりそうな時、いつもあなたが助けてくれるんだわ……」
レネーはまた呟いた。
「え?」
アランは、急にレネーが殊勝なことを言い出したので、少し戸惑った。
「なんですか、急に……」
「でも、あなたのお邸は嫌だわ」
レネーはキッパリと言った。
「ええ!? だから、なんで!?」
アランは声を荒げる。
レネーは、しっかりとアランの目を見ながら言った。
「だってあなたが私を好きになったら、私困るわ」
「はあっ!?」
アランは少し顔を赤くしながら叫んだ。
「何を言い出すんですか!?」
「だって、じゃあ、約束できる!? 私を好きにならないって」
レネーはアランを見つめたまま聞いた。
好きにならないって約束……。アランは、まいったな、と思った。
もう、好きになてしまっている。
アランの表情を見て、ウォルターが慌てて口を挟んだ。
「レネー様、何でそんなこと言い出すんですか? アラン様が、想定外質問過ぎて困ってるじゃないですか」
「だって……」
レネーはウォルターを見た。
そして、レネーはウォルターにすっと近付くと、何やら耳打ちした。
「〜〜〜〜」
ウォルターは、レネーの言葉を聞いて、ふっと微笑んだ。
そしてウォルターは、
「分かりました」
と柔らかい顔で言うと、アランに小さくウインクした。
「何ですか! 人の目の前で内緒話なんか」
アランが忌々しそうに口を歪める。
レネー様のこういうところだ、人の心を掻き乱す! 目の前で内緒話とかするか?
ウォルターはレネーの肩をぽんっと叩いた。
「レネー様、そういうことでしたら、もう私の邸には置いておけませんね。アラン様のお邸にお移りください」
「え! ちょっと、ウォルター様!?」
レネーが抗議の声を上げる。
すると、ウォルターがアランに近づこうとした。
「あ、ちょっとウォルター様、アラン様に何を言うつもり……?」
レネーが焦って言う。
ウォルターは、レネーににこりと笑顔を見せた後、アランの方を向き、耳元に寄ると、
「がんばって下さい。さっさとレネー様を孕ませればオッケーかと」
と小声で言った。
アランは顔を赤くした。
「はあっ!? 何を言ってるんだー!?」
「いいですか、一番の既成事実はお子さんです。ややこしい二人にはそれが一番」
ウォルターがアランの背中を叩く。
「だから……!」
アランがウォルターに「違う」と訴えかけるような顔をする。
ウォルターは笑顔を返した。
「精をつけるには、牡蠣がいいそうですよ」
「牡蠣……」
誰かも言っていたな、とアランは思った。で、一日おきにするんだっけか? いや、ちょっと、何考えてるんだ! 違う違う!
「それから、レイモンド様からは『レネーに会わせろ』と月一で連絡が来ますので、全部無視するように」
ウォルターは続けて注意事項を説明した。
「ウォルター様、あなたさっきから一体何を言ってるんですか……」
アランは、見るからに動揺している。
ウォルターはもう一度アランの耳元で言った。
「レネー様も、あなたが気になってるんですよ。でも、あなたが他の男の人みたいに、遊びで終わってしまうのを心配してるんですって」
「えっ!?」
アランは驚いて、頭の中が一瞬真っ白になった。
自分の中でモヤモヤしていた感情が、急に形を成して、アランの心を鷲掴みにした。
ずきっと胸が痛む。
ウォルターがアランの様子を見て「それみろ」と言った顔をする。
「レネー様を遊んで捨てたら、私が許しませんよ」
レネーは、ウォルターはアランに何を話したのかハラハラしていたが、その言葉は聞こえたようだった。
レネーは急に真っ赤になり、
「アラン様に、私はあり得ません! アラン様は国王陛下に重宝されている臣下の方ですよ!」
と思わず叫んだ。
ウォルターは何食わぬ顔をして微笑んだ。
「レイモンド殿下の廃嫡騒動を片付けたのはアラン様ですからね。責任とってレネー様を引き取ったってことで、問題なし」
ウォルターは太鼓判を押した。
心の中でウォルターは、違うことを思っていたけれど。
本当は、私がこのままレネー様と一緒になってもよかった。今レネー様の身元を引き受けているのは自分なのだから。
しかし、ウォルターは雑念を振り払うように首を振った。
実際に行動を起こしてレネー様を助けるのは、いつもアラン様だ。それに、アラン様とレネー様はお互い気になっていらっしゃるのだから。
「まあ、とりあえず引っ越しですかね」
とウォルターは言った。
全くこのややこしい二人は、私がいないと話がまとまりませんね。
心が定まらず青白い顔をしていたアランは、急にハッとして冷静な顔を取り繕った。
「と、とりあえず、そうです、そもそもの用件はそれでした。これ以上問題が起こっても嫌なんで、そう、私の邸に移っていただきます」
レネーもハッとして、平静な顔を取り繕った。
「わ、わかりましたわ。ええ。どうせ頭でっかちのアラン様では、レイモンド様の手前、私に手を出すはずがございませんし!」
レネーはそう早口で言うと、首をすくめるウォルターをキッと睨んだ。
「全くレネー様は。本当、遊び慣れた振りして、純情なんだから」
ウォルターはため息をついて苦笑した。
最後までお読みいただきありがとうございます!!!
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本作は過去作の後日談となります。
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