夏の始まり その二十八
一輝は自分の部屋で黒の服へ着替えるとベッドで横になり、疲れを取る為に軽く休憩しようと決めた。
フカフカの白い枕に頭を乗せ、全面が焦茶色の加工された木材で出来た天井を眺めながらボーっとしていると、津太郎の家で見た母親のブログの内容や二人で話し合った事を思い出す。
「あの時は思わず泣いちゃったけど……ブログを読めたのは嬉しかったな。 まさかまた読める日が来るだなんて思わなかったし」
もしも運が悪ければ、向こうの世界で命を落としていれば、こちらの世界へ帰る事が出来なかったならば、二度と見れなかったであろう母親のブログ。 それを七年ぶりに自分の目で見れたという事実が今頃になって一輝の中で実感として湧いてくる。
「それにブログを読めたって事は、ほんの少しだけでも母さんに近付いたって考えてもいいんだよね。 今度行ったらまた頼んで別の日記も……読んでみたいな」
一歩でも母親へ近付けた、母親との思い出に触れる事が出来たという自信が、一輝は自分でも気付かない内に考えを前向きにしていた。
──それから三十分後。
「よしっ、皆に今日あった事を話さなきゃ」
気分転換の出来た一輝はベッドから立ちあがって廊下に出ると一階へ降りる。
誰かいないか周りを見渡していたらコルトが食堂の椅子に座っていたので全員に話があるからと、二人で手分けして他の四人を食堂に呼ぶ事にした。
この後、一輝がアトリエにいる金髪ツーサイドアップで黄色のワンピース姿のカナリアと、銀髪ショートボブが特徴のゴスロリ服を着たリノを呼んで二人と手を繋いだまま一緒に食堂まで向かう。
すると既に白の寝間着に着替えたクリムとツインテールの髪型に戻ったリノウがテーブルにある椅子に座っていた。
コルトに話を聞けば、どうやら一輝がアトリエに行っている間にクリムは脱衣場から出ていて、リノウは空腹のあまり部屋から食堂へ向かって何か食べ物はないか漁っていたらしい。
「おやおやおや~? いきなり手を繋いでるとか早速イッキ君に甘えちゃってるねぇ、甘えん坊ちゃんでちゅねぇ、おチビちゃんじゃなくて甘々(あまあま)ちゃんに名前変更しましょうかねぇ」
一輝と手を繋いで満足気なイノに対し、片手にパンを持ったリノウはからかうような発言をする。
「この家で一番誰かに甘えていて、誰よりも甘ったれた暮らしをしている貴方にだけは『甘い』だの『甘えん坊』だの言われたくないわ」
リノウの意見をまともに受け取ってしまったイノは、一輝の腕にしがみついて睨み付けながら言う。
「ぐぬぬ……! ボ、ボクだって明日からはまともな生活送るって決めたも~ん! だからおチビちゃんの言葉は効きませ~ん!」
「そういう言い方こそお子様じゃないの!」
「見た目がお子様なキミにだけは言われたくないね!」
お互いが一歩も引かず睨み合っていたその時、
「──またお二人はあの時のように仲良くお掃除でもしたいのでしょうか? 今度は部屋ではなく一階全体を。 勿論、間に合わなければ夕食は抜きという条件付きで」
コルトが二人の間に割り込んでくる。 しかしこの時の表情にいつものような穏やかさは無く、二人共を鋭い目線で見つめていた。
「それだけは勘弁してよー! パン一個で一日過ごせとかボクに餓死させたいのー!?」
「フフッ、一日中ずっとここにいて身体を動かしていないのだから蓄えた脂肪を減らす為にも丁度いいのではないか?」
近くに座っているクリムが今度はリノウをからかう。
「えっ!? 太った!? もしかしてボク太った!?」
「う~ん、たしかにリノウおねぇちゃん、ちょっとおなかがプヨプヨになったかも~」
カナリアが一輝から離れると、慌てふためくリノウのお腹を指で突く。
「そんなぁ! このままブクブク太るなんてイヤだよぉ!」
お腹の次は現実を突き付けられたリノウは余程ショックだったのかテーブルに身体を伏せてしまう。
それからも一輝とイノを除いた四人は主にリノウいじりを中心とした話題で盛り上がっていた。
「ごめんねお兄さま。 せっかくお話があると言ってたのに私と──『アレ』のせいで変な雰囲気になっちゃって」
抱きついたままのイノは一輝に向かって顔を見上げながら申し訳なさそうに言う。 アレ、と言う時だけやたら強調していたのはリノウの方が悪いと印象付けたかったのだろうか。
「僕なら別に大丈夫だよ」
一輝はイノに微笑む。
「それに……皆がこうやって楽しんでる所を見てると、僕も楽しいしね」
目の前にいる仲間が幸せそうにしている姿を見ているだけでその幸せをお裾分けしてもらったような感覚に陥り、出来るならいつまでも眺めていたい一輝であった。
◇ ◇ ◇
それからリノウに関する話に区切りが付いてその場に落ち着きを取り戻した後、全員が高級木材で作られた長方形のテーブルの傍にある等間隔に置かれた椅子へと座ると、中央の席にいる一輝が口を開く。
「えっと、今日は前にも皆に言ってたように教見津太郎君の家に行ってたんだけど──」
「どーだったー!? シンタローの家でおかあさんについて何かわかったー!?」
一輝が話そうとした瞬間、向かい側にいるカナリアが手を勢いよく挙げて質問をしてくる。
「カナリアよ、そう割り込むと話が進まないぞ」
カナリアの隣に座っているクリムは背筋を伸ばしたまま腕を組んでどっしりと構えている。
「あっ! そうだったっ! それで、なにかわかったのっ!?」
「……クリムが言った事、本当に分かったのかな」
一輝の隣でカナリアを心配そうに見ているイノは小さい声で呟く。
「た、多分……」
少し不安ではあるが、とりあえず一輝は話を進める事にした。
「まぁ、結論から言えば──母さんの事は何も分からなかったよ」
どうやって調べた所から説明すると色々と質問責めにされると思った一輝は全てを省略し、仲間達には結果しか言わなかった。
「そう……だったのですか……先程は申し訳ございません、イッキ様が心苦しいと知らなかったとはいえ自分達だけはしゃいでしまって……」
カナリアの隣でコルトは辛そうな表情をしている。
「いやいや僕は本当に大丈夫だからっ! コルトも気にしないで!」
今は気持ち的にも平気なのは本当である──ただ、流石に津太郎の家で大泣きしたのだけは恥ずかしくて言えなかった。
「それでね、今度は僕のこっちの世界で住んでた家に行って、近くにいる人に話を聞こうと思ってるんだ」
そして雰囲気が暗くなる前に急いで一輝は次の案を出す。
「止めはしないが……本当に行っても大丈夫なのか? 自分の家に行くという事は、自分の生まれ育った家が跡形も無くなった光景をまた見ないといけないのだぞ」
クリムは一輝に警告のような発言をする。 厳しい現実を指摘しているようにも思えるが、それと共に一輝の心の心配もしているようだった。
「うん。 覚悟ならもう出来てるよ」
二人が目を合わせる。 この時の一輝の視線に迷いは一切見えなかった。
「フッ、そうか。 自分の中で覚悟を決めたのであれば我はもう何も言わん。 己の道を進むがよい」
一輝の目を見て納得した様子のクリムの表情は少し和らいでいるように見える。
「ありがとう、クリム」
以心伝心というべきか、遠回しに「頑張れ」と言っているのが一輝にも伝わってくる。
「も、もしかして明日には行っちゃうの? また離ればなれになるなんて嫌だよぉ……」
イノが椅子から身を乗り出し、寂しそうに訴えかける。
「なるべく早く行こうとは思ってるけど、明日はちょっと早過ぎるかな。 今は魔力を回復させる事を優先させないと」
津太郎の言う通り、夏休み中に行くとは決めているとはいえまだ時間は十分ある。 そこまで焦る必要半ないと考えた。
「よかったぁ……」
すぐには行かないと聞いてイノは胸を撫でおろす。
「あっ! すっごくうれしそう!」
「イノはイッキ様をとても慕ってますからね。 自宅に居られるのを心から喜んでおられるでしょう」
「えへへ……」
イノは指摘された事を特に否定する事もなく嬉しそうに微笑む。 指摘してきたのがリノウだったら先程のように言い争いになっていたかもしれないが、親しんでいるコルトとカナリアだからこそイノも素直に感情を表情に出すのだろう。
「それじゃあ僕の話も終わったし、家に行く事についてはまた今度話すとして、今日は解散──」
「ちょっとまったあああああああっ!!」
一輝の隣、イノとは真逆の席に座っていたリノウが大声を出しながら立ち上がる。 あまりにも突然過ぎて耳を塞ぐ者もいた。
「うるさい……うるさすぎる……珍しく静かにしていると思ってたら急に大きな声出すなんて一番最悪なんだけど……」
少し前までの上機嫌が一転、イノはまた不機嫌になってしまう。
「そこまで声を荒げるとは一体どうした」
五人の中で一番動じてないクリムがリノウに質問をする。
「いやー、イッキ君がさっき家の周りで話を聞きに行くって言った時からずーっと考えてたんだよね~」
「えぇ!? リノウおねぇちゃんがなにか考えるなんてめずらしー! あしたは雨がふるよ!」
「それは……ちょっと言い過ぎじゃないかな。 でも考えてたっていうのは?」
一輝も気になったかリノウの話を聞いてみる事にした。
「ふっふーん! よくぞ聞いてくれました!」
その後、リノウは一輝に対して指を差してから口を開ける。
「ずばりイッキ君! 今度家に行く時はボクも連れて行きたまえっ!」
リノウのドヤ顔から出た言葉はとんでもない内容だった。




