夏の始まり その二十一
せっかくの熱々のピザが冷めると美味しくなくなるから──という理由で美咲が早々に部屋を出るとようやく津太郎は一安心した。
「──さっき絶対居心地悪かったよな、ほんとごめん。 まさか母さんがあそこまで食い下がるとは俺も思ってなかったからさ」
津太郎はテーブル越しに一輝へ軽く頭を下げて謝る。 ただ、幻滅されないよう一輝に前ではしっかりしていたかっただけに、ああいうみっともない姿は見せたくなかった。
「うぅん、僕なら全然大丈夫だから気にしないで」
一輝は本当に気にしていなかった。 何より津太郎のああいう姿を見れた事によって違う一面を知れて嬉しかった。
「でも羨ましかったなぁ……」
先程のやり取りをしている光景を頭の中で思い浮かべた一輝は、ついポツリと呟く。
「えっ?」
「──あ、いや何でもないよ!」
「……? そ、そうか。 とりあえずせっかく持ってきてくれたんだし、食べようぜ」
それから二人はタイミングは違えど手を合わせて「いただきます」と言った後に食べ始める。
直径二十センチメートルのピザは四等分に取りやすくカットされており、上には薄くスライスされた丸いカルパスが四つ置かれていて他には細かく刻まれた玉ねぎやピーマンが乗っている。
そしてトロトロに溶けたチーズとドロドロに溶かされたトマトソースがピザの生地の上を満遍なく覆っているこの光景を見て食欲をそそられない者はいないだろう。
津太郎がカットされたピザを一つ食べた後にお菓子の箱の天辺にくっ付いている蓋をシールを剥がすように引っ張って取る。
すると中には七センチメートル程の長さ、細い棒状の薄い小麦色で見た目からして固そうなじゃがいものフライが隙間なく詰められていた。
そのお菓子を津太郎が右手で一つ掴んで口の中に入れて噛むと、歯で砕かれる心地よい音が自分の耳を通して脳にまでよく伝わってくる。
お腹が空いていた津太郎は手が止まらずピザやお菓子が勢い良く減る一方で、一輝はその姿を見ながら少しずつ食べていく。
(あっ……)
この時、一輝は腰に付けている革製のショルダーバッグを見て津太郎への手土産を持ってきていた事を思い出した。
公園に転移してから先程まで色々な事があり過ぎて手土産どころではなかったが、昼食中ということもあって気持ち的にも落ち着いたから気付いたのかもしれない。
だがボタンのような金具を外して取ろうにも手が汚れていて触れずにいた為、津太郎に何か持ってきてもらおうと頼み事をする。
「あの、津太郎君。 何か手を拭く物はないかな?」
「ん? あぁ、ちょっと待ってくれ」
津太郎が手を使わず立ち上がると机の端に置いてあるアルコールのウェットティッシュが入ったプラスチックの丸い箱を持ってきた。
「はいよ」
「ありがとう、助かるよ」
箱を開けた状態で手渡された一輝は早速ティッシュを使って手を拭く。
(あれ? さっきのやり取り……前よりも自然っていうか、ぎこちなさが消えてたような……何だろう、凄く嬉しいや)
一輝は最初はお互い敬語で会話も全然出来ていなかったのに、今はこうやって気さくに頼み事が出来るぐらい打ち解けてきているのを実感した──ただ、一輝がそう思っているだけで津太郎はどうなのかは分からないが。
(──って今は浸ってる場合じゃなかった。 早く渡さなきゃ)
手が綺麗になった一輝は急いで金具を外してバッグを覆うように被せていたフタを開ける。
「……ん? 何してるんだ?」
津太郎はピザを食べながら質問をした。
「えっとね、津太郎君への手土産があって──良かったらこれ、受け取ってもらえるかな」
一輝がバッグから取り出して、津太郎の方へと手を差し出したのは見た目は何処にでも売ってありそうな黒のリストバンドだった。 二つあるのは片方だけだとバランスが悪いからだろうか。
「へっ? これを……俺に?」
「うん。 前にジュースを沢山貰ったからちょっとでも何かしたいと思ってて、それで……」
「別にジュースをあげたぐらいでそんな恩返しみたいな事しなくていいのに──でも、ありがとな。 大事にするよ」
せっかく持ってきてもらった物を「いらない」とか言って断るのもよくないと思った津太郎は手をウェットティッシュで素早く拭いた後に受け取る。
その黒のリストバンドは綿の素材を使っていて伸縮性もあるように見える。 長さは八センチメートルと平均的で特に変わった所は無さそうだ。
「これにする前はね、向こうの世界で取った鉱石とか魔物の毛皮、護身用のナイフにしようかなって考えてたんだけど──」
(異世界の鉱石とか魔物の毛皮なんてくっそ気になるんだが……ナイフとか一体どんな形してるのか見てみたかった……)
一輝にとっては恐らく見慣れ過ぎて何とも思わないのだろう。
しかし津太郎にとっては異世界の物は全てが未知に包まれているのだ。 少しでも見れる可能性があるというのであれば、興味が湧かないという方が無理かもしれない。
「ナイフは確かこっちじゃ持ってると駄目だったような気がして止めたんだ。 後、素材なんか貰ったって使い道も無いから別に嬉しくないだろうし」
「そ、そうなのか。 でもちょっと気に──いやなんでもない!」
危うく本音が漏れる所だったが何とか堪える。
「……? それでね、そのリストバンドなんだけど実は特殊な力があるんだ」
「なっ!?」
特殊な力──その言葉を聞いた時、津太郎の心臓が締め付けられるような感覚に陥る。
まさかこの手に持っているリストバンドにそんな凄い力が秘められているとは思わなかった、というのもあるが何より自分がその特殊な力を手に入れた興奮が尋常ではなかったからだ。
これが通販番組や訪問販売で売りにきた商品だったら胡散臭すぎて信じる事は無かったが、実際に異世界から帰って来た一輝なら信じられる──津太郎は本当にそう思っていた。
「その能力って一体何なんだ!?」
興奮が収まらない津太郎は勢い余ってテーブルに身を乗り出す。 少し前まで頭の中によぎっていた鉱石やナイフの事はもう記憶の片隅に追いやられているだろう。
「えっ、えっと……その装飾品にはね、誰かを心の底から『護りたい』って強く想うと力が湧き出る特殊な能力が備わってるんだよ」
一輝は勢いのある津太郎に少し圧倒されながらも苦笑いしつつ説明をした。
話を聞いた後に津太郎が改めて確認するも、やはり普通のリストバンドにしか見えない。 ただ、仮に外で付けるとしたら確かにこちらの方が目立たないのでありがたいともいえる。 もしも派手な模様を施されていたら周りからの目が痛かっただろう。
「う~ん、何か……あれだな」
「やっぱり……ナイフとか格好いい方が──良かった?」
「あっ、いや違う違うっ! ガッカリとかそういうんじゃなくて、聞くだけだと凄そうってのは何となく分かるんだけど、あまりイメージ出来ないっていうかさ──ていうかその特殊能力って俺みたいな一般人でも発動するもんなのか?」
「そこは大丈夫だと思う、使うのは魔力じゃなく人なら誰でも持ってる想いの力だから。 でも両腕に付けないと発動しないからそこだけは気を付けて」
「わ、分かった……」
最初に聞いた時は嬉しかった筈なのに冷静になって考えてみると、目に見えない得体の知れない力を手に入れたのと変わりない事に気付いた津太郎は少しだけ怖くなってきた。 これもまた平然とした態度で黙々と説明をしている一輝とは正反対といえる。
そもそもこちらの世界の人間が付けても本当に発動するのかという根本的な疑問が浮かんできてしまう。
(……まぁ発動しなくても別にいいか、そんな状況にならないのが一番なんだし)
特殊能力云々は置いといて、手土産を持ってきてもらった事を感謝しよう──津太郎はそう思った。
「そういえばこれって名前はあるのか?」
「これは守護者の装身具っていう名前だよ。 向こうで一番お世話になった鍛冶屋さんの店に置いてあった品物なんだ」
「な、何か思ってたより凄い名前だな──ってこれ高かったんじゃ……!」
見た目との差が激しい事もそうだが、名前や効果からして本当は高級品なのではと察した。
「値段は──どうだったかな……多分そこまで高くなかったと思うんだけど」
「大して高くないなら……そこまで気を背負う事もないか」
津太郎にとっての『高くない』と一輝にとっての『高くない』は価値観の違いからして恐らく全くの別物だろう。 だがお互い、それに気付く事はなかった。
この後にもう一度津太郎が感謝のお礼を言ってリストバンドを机の上に置いて、二人は再び昼食を食べ始めた。
──そして十分後、食べ終えた二人は皿やお菓子の空箱と中身の無いペットボトルを一階に持っていって後処理をしてから二階へ戻る。 ついでに一階のキッチンで手を洗って汚れを完全に落としておいた。
二人が先程といつもと同じ場所へ座ると、本来の目的である一輝の母親に関してどうしたらいいのか考えようとした──が、その前に津太郎は一つ気になる事があった。
「あのさ、一輝のお母さんの名前って……教えてもらっていいか? 人探しするのに名前を知らないってのも何か変だろ?」
「うん、勿論だよ──でも名前なんて重要な事、本当なら真っ先に言うべきだったよね……」
「気にすんなって。 俺の方こそ先に聞いてれば良かったのに今更気付いたんだからお互い様さ」
津太郎は一輝を気楽にさせるよう微笑みかける。
「あ、ありがとう……慰めてくれて。 次からは気を付けるよ」
一輝はここでまた「でも」や「ごめんなさい」といった後ろ向きな事を繰り返してはいけないと思い、前向きな発言をした。
そしてこの後、一輝は軽く深呼吸をして再び口を開く。
「それで、名前なんだけど──僕の母さんは東仙翔子って言うんだ」




