夏の始まり その十五
──時間は二人が再会した時より約一時間程前にまで遡る。
教見津太郎の住む地方都市から遠く離れた所には名も無き野山がある。
そこは普通の人ならまともに歩くことすら出来ないぐらい道は荒れ果てていて、木や草が好き放題に生えているせいで視界は遮られて最悪な状態だ。
危なくて誰も近寄らないような野山の頂上付近の平地は草一つ生えていない程に整備されており、中央辺りには何故か洋風のドアがポツンと立っている。
そのドアをくぐると見えるのは全て白で作られた空間──だが、ドアから少し離れた所には二階建てで立派なレンガ造りの大きな屋敷ともいえる家が存在していて、中には六人の若者が暮らしている。
この時、東仙一輝はというと、二階にある自分の部屋で津太郎の家に行く為の準備をしていた。
「一応このお金は持って行った方がいいのかな……」
一輝は六月に新田浩二から貰った千円札と五千円札を手にして色々と悩んだ結果、結局念の為に持っていこうと決めた。
「それと津太郎君が喜びそうな物は……うーん、何がいいんだろ」
何も持たずに行くのは失礼と思った一輝は次に手土産としてどれがいいのか部屋の端に置いてある、見た目は正方形で鉄製の大きな収納箱を見ながら考え始めた。
中には向こうの世界で入手した鉱石、毛皮、植物といった素材をごちゃごちゃにならないよう種類ごとに分けて、痛んだり腐ったりしない特製の袋に詰めている。
ここにあるのはあくまでも一輝が個人的に取った物で、本格的な倉庫はカナリア・フラソールが入り浸っているアトリエの中にある。
だがよく考えてみると鉱石や毛皮なんて貰っても嬉しいのだろうかという疑問が出てきた一輝は、箱を閉めると次に白のベッドの隣にある洋風のクローゼットを開ける。
一輝よりも高さのあるクローゼットの中には私服や装備、装飾品が入っていて何か良い物は無いかと探していた時、手首に付ける黒のリストバンドを見つけた。
「あ──これなら実用性もありそうだし喜んでくれそう……うん、これにしよう」
そう決めた一輝はリストバンドを手に取ろうとしたその時、誰かが木製のドアをノックしてきた。 二回軽く叩いた後、ドアの向こう側から誰かが一輝を呼び掛けてくる。
「お兄さま、入ってもいい?」
弱々しい雰囲気を漂わせた幼げな声が聞こえてくる。 特に断る理由も無いので一輝は部屋に入れる事にした。
「うん、入ってきてもいいよ」
一輝がクローゼットの前で立ったまま返事すると一秒でも早く顔を見たいのか相手は躊躇せずドアを開けた。
「えへへっ、お兄さまを一人じめ♪」
一輝の顔を見た瞬間に満面の笑みを浮かべたのはイノ・シィルヴァという少女だ。
年齢は十歳と六人の中では最年少で身長は百三十五センチメートルと非常に小さい。
髪型は耳が隠れ、首に掛かる長さのショートボブ。 髪の色は美しく輝かしい白銀色。
目つきは僅かに細めたジト目であり、瞳の色は銀よりも濃い白金色だ。
小さい唇の色は薄っすら紅く、肌は普通の人と比べると少しだけ白いその姿は西洋にある人形を連想させる可愛らしい少女である。
服装は至る所にフリルやレースとリボンが付けられ、綺麗なドレスや大きいスカートが特徴のいわゆるゴスロリと言われる物であり、ベースは黒であるが長袖の部分や膝下まであるスカートのフリルは白くしていて、高級感も相まって非常に美しい雰囲気を纏っている。
そして足に履いているのは膝上まで隠れる程に長い黒のハイソックスと子供用の革靴で、スカートのおかげもあってか白い肌は見えていない。
イノは小走りで一輝の元へ駆け寄った後、手に持っている白のシャツを見せてきた。
「あのね、これをコルトお姉さまから渡してきてって言われたの。 今日も外は暑いから、このシャツを着た方がいいって」
「あー、確かに外は暑いもんね。 持ってきてくれてありがとうリノ」
一輝はイノからシャツを受け取ると同時に一つの疑問が浮かんだ。
「あれ? でもコルトはどうしたの?」
メイドのコルトルト・ブルーイズがこの場に来ていないのが意外だった。 コルトなら自分の手で渡すイメージがあったからだ。
「コルトお姉さまなら他の五人分のシャツを製作中なんだって。 少しでも力になりたくて私が持ってきたんだ」
「こ、これを残り五人分……家を出る前にお礼を言っておかないと」
衣服を作った事の無い一輝だが、一人一人のサイズに合わせて作るのは間違いなく大変だろう。
「それなんだけど、作るのに集中したいから部屋に入らないで欲しいって言われちゃった」
「え? そう……なんだ。 でもコルトがそうして欲しいなら言う事聞いた方がいいか」
一輝はお礼をするのは夕方頃にしようと決め、コルトの伝言に従う事にする。
「──きっとコルトお姉さまはお礼なんて言われたら嬉しくて集中出来なくなっちゃうから、予め私に頼んだんだろうな……いいなぁ、私も裁縫が出来たらお兄さまが喜んでくれる服を作れるのに……」
イノは軽く俯いて自分にしか聞こえない程度の声で呟いた。 自分に出来ない事で喜んでいる一輝の姿を見て羨ましく思ってしまう。
「ん? どうしたんだい?」
一輝からすれば急に黙り込んだように見えたのだろうか。 不思議に思い、膝を立てるようにして座ると目線を同じ所に合わせ声を掛ける。
「え?……ふぇっ!? 近いっ! 近いよお兄さまっ!」
すぐ目の前に一輝がいる事に驚いたイノは反射的に下がろうとした──が、この時バランスを崩して後ろ向きに倒れそうになる。
「あ──」
「危ないっ!」
その瞬間、一輝は座った状態から足に力を入れて前方に踏み込むと、何とか倒れる寸前だったイノを両手で抱え込む事に成功する。
幸いにも二人がすぐ近くにいた事、そして一輝が咄嗟に動いた事──この二つが重なって頭から倒れて怪我をせずに済んだ。
「ふぅ……ギリギリだけど間に合ってよかった」
小さい身体をまだ抱きしめたままだった一輝はそう言うとイノから離れる。
「えっと……た、助けてくれてありがとう……お兄さま」
まさか抱きしめられるなんて思いもしなかったイノは顔が耳まで真っ赤に、頭は真っ白になりそうだった。
「ごめんね、驚かせちゃって……でもイノが無事で本当に良かったよ」
一輝は立ち上がった後に微笑みながら言う。 十歳の少女にはこれだけでも破壊力抜群だろう。
「~~~~っ! えっ、あっ、わ、わたし──そっ、そとでまってるからぁ~」
嬉しい事の連続で目が回りそうになるぐらい余裕が無くなったイノは、これ以上何か言われると脳が耐え切れないと思って部屋を出る。 だがその足取りは若干フラフラしていた。
ドアを閉めた後、隣の壁にイノがもたれかかると左胸の位置に右手を添える。
(うぅ~……すごいドキドキしてる──でも、でも……!)
あまりの嬉しさに身体が震えが止まらない。
(まさかお兄さまに抱きしめられるなんて……!)
目を瞑り、両手で頬を抑えながら身体を左右に動かし幸せを噛み締めている。 衝動はそれだけじゃ収まらず、今度は軽くピョンピョン飛び跳ね始める。
「やったやった! えへへへへっ♪ もう幸せだよぉ……!」
誰もいない廊下で一人、一輝の次は幸福に包まれるイノであった。
◇ ◇ ◇
──それから数分後、準備の出来た一輝が部屋から出てきた。 コルトから頂いた服に着替え、腰には革製のポーチを身に付けていて、この中には津太郎へのお土産やお金が入っている。
「おまたせ、じゃあ行こうか」
「うん♪」
とても機嫌の良いイノは満面の笑みを浮かべながら頷く。
ちなみに他の三人はというと、クリム・クレンゾンは身体が怠けないように鍛錬として山の中を歩いている。
リノウ・ショウカはやる事もないから朝食を済ませた後にまた部屋で寝ており、カナリアは相変わらずアトリエで調合に没頭中だ。
「今から少し前にお話したり飲み物を貰った男の人の家に行くんだよね?」
二人が階段を降りている間にイノが話しかけてくる。
「うん、そうだよ。 多分、その人の家に行けば何か母さんを探す手がかりを見つけれるかもしれないから……」
「こっちの世界ではそんな便利な物があるんだ。 それって次元の眼よりも凄い物なの?」
「いや、流石に次元の眼の方が圧倒的に凄いんじゃないかな。 あれは別の世界を丸ごと見れる物だし」
「えへへ、そうなんだ。 そう言われると何か嬉しいな」
階段を降りたイノは自分の世界の物がこちらの世界よりも優れている事を知って喜んでいる。
「でもそれなら次元の眼をこっちにも持ってこれたら良かったのにね」
「うーん、でもそれは駄目だって神様に言われたから仕方ないよ」
一輝が階段を降りると二人はそのまま雑談をしながら家を出て白の異空間を歩く。
「あーあ、お兄さまと別れるの寂しいなぁ」
イノが後ろに手を組んだまま言う。 少しでも長く居たいのか急に歩く速度が遅くなった気がする。
「僕じゃなくても他の仲間がいるし……それに話相手なら寝てるリノウを起こしても──」
「それは絶対に嫌」
即答だった。 そこまで拒絶するのであれば一輝はそれ以上何も言えなかった。
そして現実世界と異空間を繋ぐドアの前まで来ると二人は立ち止まる。 ドアの向こう側には生い茂る木々や見てるだけで暑さを感じる日差しが確認出来た。
「外は暑いからイノはここまでで大丈夫だよ」
「う、うん……それじゃあ怪我とかしないでね、具合悪くならないようにしてね──それから、それから……!」
イノは一輝が自分の側から離れるのが不安で堪らないのか心配する声が止まらない。
「僕なら大丈夫だから、そんなに心配しないで」
一輝はイノを安心させるように再び微笑みかける。
「……そんな笑顔見せられたらこれ以上引き止められないよ……じゃあ最後にこれだけ言わせて──気を付けて行ってらっしゃい、お兄さま」
イノもまた後ろで組んでいた手を目の前で組み直し、一輝の無事を祈るよう微笑みかけた。
「うん、それじゃあ行ってくるね」
そう言うと軽く手を振ってから一輝はドアを抜け、広場の中央部分で転移魔法を発動させるとその場から見えなくなった。




