夏の始まり その十二
二〇XX年 七月下旬。
今日は公立神越高校、一学期終業式の日。 天気は相変わらず晴天のままだ。
終業式とはいえ平日という事には変わりない──しかし、教見津太郎は朝からずっと落ち着きのない態度でいた。
普段よりも早起きをし、普段よりも学校に向かう準備も素早く済ませたせいで、普段よりも時間を持て余しており、やる事が何も無いので朝食の準備を手伝っている。
「あのねぇ……小学生じゃないんだから少しは落ち着きなさいよ」
津太郎の隣にいる教見美咲はソワソワしている息子の姿をコンソメスープの入った鍋をお玉でかき回しながら少し呆れた様子で見ている。
「それは分かってるんだけど……」
終業式が終わるという事は、夏休みが始まるという事だ。 津太郎は美咲が調理するのに使った器具を洗いながら、学生なら誰しも楽しみにしている超大型休暇を意識せざるを得なかった。
テレビで放送されているニュース番組でも世の学生達に見てもらおうとしているのか、夏休み特集を組んでいてキャンプ中のVTRが流れている。
「まぁいいじゃないか。 何事も始まる直前というのは楽しみで仕方がないものさ」
スーツ姿の教見巌男は食卓の椅子に座って新聞を読みながらホットのブラックコーヒーを飲んでいる。
「お父さんはこう言ってるけど、今みたいに浮かれてる時が油断してて一番危ないんだから、学校の行き帰り──特に横断歩道には特に気を付けてよね。 この前誰かが車に轢かれそうになったって近所でもちょっとだけ噂になってたし」
美咲の『横断歩道』という言葉に津太郎は思わず肩が跳ね上がる程にビクッと反応する。
「……そ、それは確かに危ないな~。 俺も注意しないと」
数日前、津太郎が異世界に関して色々と考えていたせいで轢かれそうになった時の事は親に言っていない。 理由はこんな事を言ってあまり心配掛けさせたくなかったからだ。
清水栄子にも内緒にしておいて欲しいとお願いしたら「うん、分かった」と言ってくれた為、清水彩から情報が漏れない事に津太郎は安心していた。
「津太郎は嘘を付くのが苦手だな……」
巌男は新聞紙で顔を隠して微笑した後、とても小さな声で呟く。 先程の津太郎の声で見抜かれたのか、既に気付いていたのかは誰にも分からない。
──その後、朝食を家族三人でのんびり話しながら食べていると、先に終わった巌男は会社へ向かう為に家を出る。
次に食べ終わった津太郎はまだ時間に余裕があるからか二人分まとめて食器を洗い、歯磨きを済ませてから玄関まで歩く。
「じゃあ行ってきます」
弁当箱も勉強道具も入っていない学生カバンを持った津太郎はそのまま学校へ向かう。
「いってらっしゃい──って、あの事を言うの忘れてた……まぁ焦らなくてもいいし帰ってきた後にしようかしらね」
津太郎を見送った後に何かを思い出した美咲はそう決めると台所の方へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
津太郎と栄子が教室に着くと中は既にお祭り騒ぎだった。
「夏休みキター!」
「俺、今年こそ彼女作って夏の思い出作るんだ……」
「家族で旅行に行くんだ~、すっごい楽しみ~♪」
「今度一緒にプール行こうよ!」
等々、あらゆる所で夏休みはどうするか語り合っている。 中には部活のせいで憂鬱になっている生徒も何人かいたが入っていない生徒は一切気にしていなかった。
「あはは……何だか皆、凄く楽しそうだね」
栄子は後ろの入り口から教室を見渡して異常なまでの盛り上がりっぷりに少し引いている。
「まぁ明日から夏休みなんだ、こうなるのも無理はないさ」
「そ、その夏休みなんだけど……あの、来月に──」
栄子が何か津太郎に言おうとしたその時、
「WRYYYYYYYYYYYッッ!! 待っていたぞ津太郎ッ!」
黒板の前から変な大声を出していたのは辻健斗だった。 何故か背筋を反る勢いで伸ばし、腰に両手を当てて顔を少し上げたポーズを取っている。
健斗の近くには古羽田護と安道武もいたが流石に健斗と同じようなポーズはしていない。 護は津太郎の隣にいる栄子を見た途端、視線を何処へ合わせたらいいか迷っていて外の方へ顔ごと向ける。
普段ならチャイムが鳴る少し前に教室へ入ってくるのだが、今日は非常に珍しく二人よりも先に来ていた。
そして津太郎の顔を見るなり手に腰を当てたまま早歩きで近づいてくると、栄子には「おっはー!」と笑顔で挨拶をする。
「歩き方が最高に気持ち悪いな……何で今日は早いんだよ」
「今日だからだッ!」
急に態度を変えた健斗は目の前で何の迷いも無く堂々と言ったが津太郎には意味不明だった。 恐らく終業式だからと言いたいのだろう。
「──よかったな、じゃあ俺達はもう行くから……あ、そういえば栄子さっき何か言おうとしてたんだ?」
三人の間に一瞬の沈黙が出来た後、面倒くさくなった津太郎はそう言うとさっさとこの場から立ち去ろうと思ったが、その前に栄子が言おうとしてたのか気になった。
「あ、えっと……うぅん、やっぱりなんでもないから気にしないで」
だが決心が鈍ってしまったのか栄子は言うのを躊躇ってしまう。 結局そのまま津太郎と健斗に軽く手を振った後に前の入り口付近にある席まで歩いていった。
「……? そ、そうか」
言いにくいのに問い詰めるのも悪いと思った津太郎はこれ以上聞かない事にして自分の席へ行こうとした──が、健斗の横を通り過ぎようとした時に右手で肩を掴んでくる。
「待てッ! 何処へ行くんだ津太郎ッ! お前もハイになってるんだろ? ん? さぁ言おうじゃあないかッ! いくぞッ! 最高に『ハイッ』ってヤツだァァァッッ!!──うッ! 動かんッ!?」
健斗は左手の人差し指で頭の左側を力強く押し付けようとした瞬間、急に手の動きが止まる。
「津太郎ッ! 貴様ァッーー!!」
「いや俺は何もしてないんだが。 てかそんなの見たら分かるだろ」
振り返った津太郎は健斗の目の前で立っているだけで言葉通り何もしていない。 だが、目線は健斗の後ろに向けていた。
「辻、お前の声が特に廊下まで響き渡ってるぞ」
健斗の真後ろにいたのは高身長で眼鏡を掛けている全体的に細身の担任だった。 真顔で健斗の左腕を手で掴むと身動きを取らせないでいる。
「……先生おはようございます。 いつもより来るのが早いですね」
三秒だけまるで時が停止したかのように健斗はピクリとも動いていなかったが、その後は手を掴まれたまま何事もなかったかのように話しだす。
「しばらく皆と会えなくなるからな、今日は出来るだけ早くここへ来たんだ」
担任が手を離すと健斗は真正面になるよう身体を向けた。
「浮かれる気持ちは分かるが、あまり羽目を外し過ぎないようにな。 教見もちゃんと見張っといてくれよ」
「はぁ……わ、分かりました」
津太郎は不満そうに返事をした後、担任は二人の肩をポンと叩くと教壇の方へと歩いていく。
担任が近づいてきた女子生徒達を話を始めたのを確認した健斗は早速、
「WRYYYYYYYYYYYッ!」
と、腰を後ろに倒れる勢いで反ると同時に叫び始めた──が。
「朝からこんな所で何やってんのよ……」
健斗が全力で腰を反ったその先に見えたのは後ろの出入り口に立っている月下小織だった。
何故か同じ姿勢をキープしたまま直さずにいるが、その光景は小織からすれば夢に出てきそうなほどに不気味である。
「えーっと……あれですよ、エクソシストごっこ。 今からブリッジしようかと思って」
「首を正反対に曲げてもいいかしら」
「オーメンッ! っていうかゴーメンッ!」
「──やれやれだぜ……」
今からまた二人の間を割ってこの場を収拾しないといけないのかと考えただけで、津太郎は思わず愚痴を吐き出す。
結局、一学期最後の朝はチャイムが鳴るまで教室が静かになる事は一度も無かった。




