夏の始まり その七
朝から男女関係無くクラスメート達の質問責めにあった教見津太郎は加賀愁と親しい関係でもなく、告白されたわけでもないと言って誤解を解いている最中にいきなり後ろから出入り口のドアが開く。
「ふぅ~、ギリギリセーフ!──ってウボァー!? なんじゃこりゃああああああっ!」
額に汗掻いた状態で現れた辻健斗は入り口付近に密集している生徒達を見て驚いていた。
「──ハッ! まさかみんな俺が遅刻寸前だからって心配してくれてたのぉ!? 健斗、感激ィィ! 今日の晩飯はカレーだぜ!」
しかし何を思ったのか完全に勘違いの筈なのに健斗は一人で呑気に盛り上がっている。 そんな様子を見た周りのクラスメートから軽いノリの野次が飛んできた。
「んな訳ねえだろう!」
「辻君、少し頭……冷やそうか」
「お前今日だけじゃなくいっつも遅刻しそうじゃねえか!」
等々、健斗への野次は津太郎への質問責めと同じぐらいの盛り上がりとなっていたが、終わりを知らせるかのように学校のチャイムが鳴り始める。
朝から騒いで楽しんだクラスメート達は満足してそれぞれ自分の席へと戻っていく中、津太郎もまた席へ座ろうとしていた所に健斗が後ろから小声で話しかけてきた。
「津太郎さんよ~、さっき色々質問されまくってて大変だったな~。 皆の声が廊下まで丸聞こえだったからどうしたのかと思ったぞ」
その言葉に反応した津太郎は健斗の方へ向く。
「なんでそれを知って──お前まさか……」
この瞬間、津太郎は健斗が教室の中へ入って来た時にいつもよりも大袈裟に振る舞っていたのは自分から気を逸す為だったのではないかと察した。
結論から言うと津太郎の予想通りだった。
遅刻寸前の時間帯に学校へ来たのは普段通りなのだが、教室の前まで着くと中から盛り上がっている声が聞こえてきた健斗は何事かと思って少し耳を澄ませる。
すると教室から漏れている声によって延々と質問するクラスメートに弱気な返答をしていて困っている津太郎の姿を容易に想像し、仕方ないから助けてやろうと教室のドアを開けて、あの叫び声に至るのであった。
「お昼休みにジュース一本奢ってくれよな~」
こういう経緯があったがそこは語らず、健斗は軽く手を振りつつ軽いノリで頼み事をしてから一番後ろにある自分の席へと座る。
(まさか健斗に助けられるとはな)
津太郎からすればどうして助けてくれたのかは分からない。 しかし助けてくれたという事実は変わらない。
口に出してお礼を言うのは何か照れくさくて出来ず、健斗の後ろを通り過ぎる時もお互い無言のままだったが、ちゃんと約束は果たそうと誓った。
◇ ◇ ◇
その日の昼休み、清水栄子と月下小織が昼食前に飲み物を買いに行くと聞いて、津太郎も約束を果たす為に付いていく事にした。
ちなみに愁との関係性についての話題はもう誰からも追及される事は無くなり、あのキャンプファイヤーのような盛り上がりは一体なんだったのか謎のまま終わりを迎える。
ただ津太郎としては当然だが話題にされない方が気が楽でありがたい為、本当にホッとしていた。
「朝は色々と大変だったわね」
三人で廊下に出た後、真っ先に小織が話しかけてくる。
本当ならホームルームが終わった後にこの話題について語りたかったのだろう。
しかしようやく落ち着いた所なのに再び話を持ち出すと、また津太郎に迷惑掛けると思って出来なかったのかもしれない。
「あれはマジで辛かった……」
津太郎は思い出すだけで胃が痛くなりそうになる。 芸能人の記者会見を見る目が次から変わりそうだった。
「廊下に来てた後輩って愁ちゃんの事でしょ?」
小織は二人より先に階段を降りながら栄子の隣にいる津太郎へ聞く。
「あ、あぁ。 よく分かったな」
「教見と関わりあるなんて愁ちゃんしかいないでしょ。 部活も委員会も入っていないのに誰か接点あるなんて聞いたことないし」
「まぁ……確かに」
言われてみて関わりのある後輩が本当にいないなと実感してしまう。 今更気にしても手遅れかつ仕方ないが。
「でもどうして今頃になって来たのかしら?」
不思議に思った小織に津太郎は愁が何の用で来たのかを簡単に説明した。
「──なるほどね。 でも仮に教見が例の男性と会ったとして、その話を聞けたとしても正直人気が出るかどうかは厳しそう」
「そ、そうなのか?」
小織は校舎の一階に降りると立ち止まって話し始める。
例の男性の正体は東仙一輝と分かっている津太郎にとって仮名を出されるだけでも心臓がドキッとしてしまう。
「だってあれから一ヵ月以上は経ってるじゃない。 この学校の生徒達でさえ話題にしてないのに配信や動画で語ったとしても、視聴者としては今更感がスゴくて盛り上がらない可能性の方が高いと思うわ」
「そうか……世間の人からすればもう運動場の件なんて過去の話に過ぎないのか」
話を聞いてすぐにこういう答えが出るのは流行りに敏感な小織だから成せる事なのだろうか。
余裕が無かったとはいえ少なくとも津太郎は愁から聞かされても思いつかなかった。
「私は動画や配信とかよく分からないけど、加賀さ──加賀ちゃんに三年生の人と同じような思いをして欲しくないから結果的に良かったんじゃないかな……こ、こんなこと本人の前で言ったら怒られるかもしれないけど」
栄子は視聴者が増える、人気が出る、盛り上がるとかではなく純粋に愁自身の心配をしていた。 もう誰かが辛く悲しい目に遭うのは本当に嫌なのだろう。
「三年生……そうだな、本当によかった……」
もしも津太郎が言った事によって愁もまた精神的に追い詰められていた可能性も十分にあり得た。 そう考えると言わなくて良かったと改めて思う。
「……? 教見君?」
栄子に言われた事に対して津太郎は一階の出入り口から外を眺めつつ思いにふけてしまっていた。
「あ、いや何でもない!──そうだ月下、加賀の配信チャンネルの名前を教えてくれないか?」
登録する約束もしていた津太郎は今のうちに聞いておく事にした。 小織は愁の配信についても詳しいから間違いなく知っているだろう。
「えっ……チャンネルを教えてくれとか図書室で勉強してた時は会うのも嫌がってたのに今はやたら肩入れするわね。 もしかして、ああいう子がタイプなの?」
小織は津太郎を軽蔑するように、とまではいかないが不審そうにジト目で見つめている。
確かにこの急な心変わりは怪しい目的があるのではないかと疑われても仕方ない。
「違う違うっ!──ただ約束したんだよ。 さっきの例の男性については力になれなかった代わりにチャンネルの登録をするって。 本当にそれだけで深い意味がない事だけは断言出来る」
津太郎は右手を振りながら急いで誤解を解くよう説明をする。
「私も明日から髪をこうやって結んだ方が……いい?」
栄子は長い黒髪を両手で掴み、おさげのような髪型を作った後に津太郎の方へと見つめる。
「栄子まで月下の悪ノリに乗ってそんなことしなくていいからさ、いつも通りでいてくれ……」
そう言いながら津太郎は手を合わせて頭を下げる。
「まぁそこまでハッキリ言うなら本当っぽいし安心したわ。 教えるのはいいけど、とりあえず飲み物を買って教室に戻ってからにしましょ」
三人が再び歩き始めると、そこからは特に何も問題なく五分足らずで自動販売機の近くにある購買に辿り着く。
小織がパンを買う為に学年や男女関係無く入り混じった人の波に飲まれていく中、津太郎と栄子は人のあまりいない自動販売機に移動すると何にしようか品定めをしていた。
(俺はまぁ適当でいいか。 健斗は……これが好きそうだな)
他の人の邪魔にならないようにさっさと決めた津太郎はリンゴ味の紙ジュースと紙のコーヒー牛乳を購入した。
「栄子は何にするんだ?」
「えっと……」
栄子は少し悩んだ後、横にいる津太郎が持っているリンゴ味のジュースをチラリと見た。
「じゃあ、これで」
自動販売機のボタンを押して出てきたのはリンゴ味のジュースだった。
「ん? 栄子はこれが好きなのか?」
「好き──なのもあるけど、教見君と同じジュースが飲みたくて……」
栄子は安物の紙ジュースを高級なシャンパンボトルのように大事そうに抱え込むと嬉しそうにしている。
「……?」
何で一緒のが良いのか津太郎にはイマイチ分からなかったが、その間に激戦区から小織が帰って来ると教室へ戻る事にした。




