夏の始まり その六
「言われてみれば久しぶり──か。 廊下でぶつかりそうになった時以来だっけ」
教見津太郎はライトノベルを借りようとして図書室に向かっている途中で急ぐあまり、美術室から帰ろうとしていた加賀愁と特別校舎の出入り口で危うく衝突しそうになった事を思い出す。
「そうですよぉ。 今思えば一番最初に出会った時もそうでしたし、自分達って廊下に何か縁があるのかもしれませんっ! そうと決まれば次はパンを口に咥えて廊下でぶつかるようにするんで、宜しくお願いしますね~♪」
愁は両手を頬に当てて目を瞑り、腰を左右に回転させるように振っている。
どことなく少女漫画に出てくる恋する乙女のような雰囲気を出しているように見えなくもないが、言っている事は物騒だった。
「ぶつかるのは本当に危ないから止めてくれ……後、二回目は本当に偶然だけど最初と今回は明らかに加賀の方から来たから縁も何もないような気がするぞ」
だが、津太郎の面白みのない発言によってその雰囲気は打ち消されて動きも止まる。
「そういう細かい所は気にしないで再会出来たことをもっと喜びましょうよ~」
痛い所を突かれたのか話を軽く逸らされてしまう。
「いや、気にするだろ……というより俺に何か用があるんじゃないのか?」
愁の事だから顔を見たい、会いたい、といった単純な理由でここへ来たんじゃないのは流石の津太郎でも分かっている。
万が一にもそうだとしたら今まで何回もここへ来ている可能性もあったが、愁が積極的に津太郎の教室へ訪れる事は一度もなかった──なのにホームルームがもうすぐ始まる時間帯にわざわざこうして現れたという事は、ほぼ間違いなく何か重大な目的があるのだろう。
「……う~ん、ほんとはもう少し話をしてリフレッシュしたかったんですけど、時間もありませんし本題に入りましょうか」
そう言った後、愁は軽く深呼吸をしてから口を開ける。
「自分が聞きたいことは運動場に現れた人が一度でも教見先輩の所に来たかどうかなんですけど、あれからどうですか? 来ましたか? 自分の中のイメージとしては急に目の前に現れたみたいなドラマチックかつ盛り上がりがすっごいのを期待してるんですが、もし出会えたなら是非とも一から十まで何から何まで隅から隅までぜ~んぶ隠さず教えてくださいな!」
愁は一度も息を吸わず言いたい事を全て早口で吐き出した。 ただその割にはちゃんと何を言っているのか聞き取れて内容も綺麗にまとまっている。
「……は?」
「あれ? 話を詰め込み過ぎましたか? ならもう一度言い直しますけど」
「悪い、もう一回頼む──それと今度はもうちょっとゆっくり話してもらえると助かるんだが」
津太郎がお願いすると、愁は同じ内容の説明を丁寧に始める──しかし理解出来ていなかったのは嘘であり、ちゃんと把握していたが少しでも考える時間が欲しくてわざと分かっていないフリをしていた。
(運動場に現れたって一輝の事だよな──いやどう考えても会ったとか正直に言える訳ないじゃないか……! 加賀には申し訳ないけど、会ってないとハッキリ伝えて帰ってもらおう……)
考えがまとまった津太郎は愁が言い終わるのをじっと待つ。
「──ということなんですが、今度は分かってもらえました?」
二度目の説明が終わると、津太郎は少しだけ間を置いてから話しかける。 期待の籠った眼差しで見つめられているというのに嘘をつくのは少し罪悪感あるが仕方ない。
「あ、あぁ……言ってる事は分かったけど一輝とはまだ……その──」
「そう……ですか。 それは残念です──ん?」
『会っていない』とまだ言っていないのに早とちりしてガッカリした愁は頭を軽く下げるが、その瞬間に何か気付いたのか身体をピクっと反応させる。
「期待に応えられなくてすまないな──あっ」
津太郎もまた謝った後に何かやらかした事に気付いたのか身体が硬直してしまう。
一瞬の沈黙の後、先に話しかけたのは愁だった。
「今……なんか人の名前を言ってませんでした? 言ってましたよね! 明らかに『いっき』って聞こえましたもん! やっぱり会ってたんじゃないですか!?」
まるで何時間も糸を垂らしてようやく魚が餌に食いついた釣り人のように興奮している愁は津太郎にぐいぐい迫ってくる。
近付き過ぎて身体が今にも密着しそうになるこの光景は他の人に見られたら間違いなく誤解されていただろう──しかし幸いにも今は二人以外誰もおらず変な噂をされる可能性は無い。
どうなんですか、と顔を上に向けて目で訴えかけてくる愁に対して津太郎はどうしようか非常に困っている。
もしかしたら津太郎自身も本当にしばらく東仙一輝と出会っていないのと噓をつく罪悪感から無意識の内に本音を漏らしてしまったのかもしれないが、何で言ってしまったんだという後悔もあって複雑な心境だ。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ……! さっきのは加賀が休まずに一息で言ってたから『一気に』という意味であって名前ではないぞ……!」
我ながら苦し紛れな言い訳をしてると津太郎は思う。 でも今はこれで押し通すしかなかった。
「じゃあ『一気とはまだ』ってどういう意味なんです!?」
当たり前だが愁もまた粘り強く追及してくる。 ようやく手に入るかもしれない貴重な情報を逃がすわけにはいかないのだろう。
「それは──あれだ、『一気とはまた……!』と本当は言いたかったんだよ。 あんな長い言葉を休まず噛まず、しかもハキハキと聞き取りやすいように言えるなんて中々──その、普通の人には出来ないし凄いと思う。 少なくとも俺には無理だ」
もう何言ってるのか自分でも分からないが、話を逸らす為にとりあえず褒めてみた。
「えっ!? そ、そうですか……!?」
褒められた事に反応した愁は急に態度が激変し、何としても聞き出そうという雰囲気は消えたようにも感じる。
「──あっ、すみません……こうやってストレートに褒め言葉を頂くなんて……その、久しぶりだったんでちょっと戸惑ってしまいました。 ま、まぁ発声練習は毎日やってますし? 配信中もずっと喋ってるから滑舌とか自然と鍛えられてるのかもしれませんね」
愁の戸惑いを隠せていない様子は動きにも出ており、急に両手の人差し指同士をツンツンと当て始めつつ顔を右、左、右、左と何度も横に振って落ち着きが無くなっていた。
「毎日やってるとか凄いじゃないか。 そういう所が自信に繋がるのかもしれないな」
「自信──ですか……」
その瞬間、慌ただしかった動きが止まってしまう。
「加賀……?」
急に元気が無くなる愁の姿を見て津太郎は少し不安になる。
「──最近、自分の配信を見てくれる人が前よりどんどん減っていっちゃって……自信なんてすっかり無くなっちゃいました。 だからここに来たんですよ、先輩が例の人と会ったお話を聞けたら他の誰も持っていない唯一の武器が手に入って自信も付くかなと思って」
愁は後ろに振り向いて津太郎から少し離れた後、鉄の小柱で支えてある階段の手摺まで移動すると改めて前を向く。
「なのでもう一度だけ聞きます。 本当に会っては……いないんですね?」
真剣に見つめてくる姿に津太郎は愁が今どれだけ必死なのかが心に伝わって来る。
こうやって事情を知ると少しでも力になりたい気持ちになってしまう──しかし、
「あぁ」
津太郎は愁の期待に応える事は出来なかった。
ここで一時の感情に身を任せて言ってしまうのは簡単だが、愁が配信を通じて言う事によってもしかしたら学校に再び混乱を招いてしまう可能性もある。
それだけは絶対に避けなくてはならなかった。 一輝の為にも、学校の為にも──それに愁の為にも。
「分かりました。 じゃあもうそろそろホームルーム始まっちゃうんで教室に戻りますね」
そう言ってあっさりと引き下がる愁の顔が少し寂しげのようにも見えた津太郎は胸が痛くなる。
「ちょっと待ってくれっ」
帰ろうとしていた愁をつい引き止めてしまう。
「はい、なんでしょう」
愁は階段前で後ろを向いたまま返事をする。
「例の人に関しては力になれなかったが、それ以外で何か俺に出来る事はないか?」
愁もただ、配信者として今の状況をどうにかしたくて必死なのだろう。 だから一輝以外の事であれば何か力になってあげたかった。
「それでしたら……」
そう言った後、愁はゆっくり振り向く。 しかしその動作が津太郎には美しく、そして輝かしく見えた。
「今度こそ自分のチャンネルの登録と高評価、宜しくお願いしますね、せーんぱい♪」
愁は見ている方も気持ちよくなれそうな笑顔を見せつつ手慣れた様子で左目をウインクさせ、右手のピースサインをおでこに当てたポーズを取って津太郎にお願いをしてくる。
「分かった、約束する」
津太郎の返事に満足したのか愁は最後に手を振ると階段から降りていく。 見送ろうとしたが既にいなくなっていて、一階の方から走っている足音だけが聞こえてきた。
(加賀に運動場と言われて気付いたけど、あれからもう二ヵ月ぐらい経つのか……)
異世界なんて微塵も信じていなかったあの頃から二ヵ月経った今、実際にあると教えてもらったというのもあってか考え方が本当に大きく変わったと改めて実感する。
それだけに異世界の存在を知るという事は、価値観そのものを変える程に強烈な衝撃を与える出来事なのだろう。
用も済んだ津太郎は教室まで歩いて後ろのドアを開けた──すると、
「どうだった!? どうだった!? 何て言われたの!」
「後輩に呼ばれるなんて経験、俺も一度はしてみてえなぁ!」
「かぁ~! 卑しか男ばい!」
「やだもうキュンキュンしちゃう~!」
伝言を頼まれた女子生徒がやはり言いふらしたらしく、待ち構えていたクラスメートから担任が来るまで色々言われたり聞かれたりして散々な目に遭った津太郎であった。




