遭遇 その22
六月下旬。
本来であればまだ梅雨の時期だというのに、今年は数日前からいきなり日本を覆う梅雨前線が急に影も形も無くなってしまい突然の梅雨明けとなってしまっていた。
この今まで聞いた事の無い前代未聞の異常現象は朝から様々なニュースで取り上げられ、コメンテーターの人達が色々な説を唱えるが、原因は全くの不明のままである。
ただ、全国的に晴れ晴れとした天気になった事は長続きする雨に困っていた主婦達にとってはありがたかったかもしれない。
「最近は何かとニュースのネタが尽きないわねぇ」
教見津太郎の母、教見美咲もその中の一人だった。
唐突に来た梅雨明けのおかげで朝から布団や枕のシーツを張り切って洗濯し、庭と二階のベランダにある物干し竿に干している。
朝の家事はもうほとんど終わった美咲は津太郎が朝食を済ませるのを待ってる間、ソファーに座ってブラックコーヒーを飲みながらニュースを見ていた。
「でも前にあった三年生の人が亡くなったニュースを連日放送されてた時に比べたら全然マシだと思うよ」
あれから十日、もう神越高校に関するニュースは一切報道する事は無くなり、良い意味で見向きもされなくなった。
「あー、あの事件ねぇ。 最初に学校から連絡が来た時の衝撃が懐かしいわ」
しかしそれは人々の記憶から忘れ去られてしまい、過去の出来事になってしまうということでもある。
それは今回の件も例外ではない。実際に美咲自身も津太郎から言われてみて過去の思い出話みたく語っている。
「俺は母さんがいきなり大声を出したのが凄い印象に残ってるよ」
津太郎は朝食の何等分かに切って焼いた魚肉ソーセージを食べながら答える。
「あのねぇ、お母さんも人間なんだから驚く時は驚くわよ。 しかもあんな連絡、今まで来た事なかったし」
「まぁ……確かに」
納得した所で津太郎が湯気の立った白飯の入っている茶碗を持った時だった。
美咲のすぐ隣にあるスマートフォンから着信音が鳴り始め、カップを目の前にあるテーブルに置いてから誰なのかと確認すると、
「あら、彩ちゃんだわ。 一体どうしたのかしら」
津太郎はこのタイミングで鳴り始めたせいでまた何か学校で問題でもあったのかとドキッとしたが、栄子の母親である清水彩からだった為、一安心した。
「はいもしもし~、こんな朝からどうしたの~?──えっ? うんうんっ、あーそうなのー。 それは大変ねぇ」
美咲が津太郎の前では決して出さないような高い声と笑顔で彩と話し始める。
「分かったー、じゃあ津太郎に伝えとくね。 うん、じゃあね~」
どんな内容かは全く分からないが、長話になる前に意外とあっさり電話は終了した。
スマートフォンを再びソファーへ置いた後、津太郎の方へと顔を向いて美咲は口を開く。
「栄子ちゃん、熱出したから今日は学校休むって」
「えっ……」
突然の事に津太郎は言葉を詰まらせる。
どうやら美咲によると清水栄子は朝起きた時から顔色が悪そうだったらしく、熱を計らせてみると三十七度台の微熱があったらしい。
栄子が津太郎に心配かけたくなくて「私は大丈夫だから」と無理して学校へ行こうとしたところ、彩が引き止めて休ませる事にし、美咲へ電話を掛けたという。
「そういうわけだけど~、熱出したって聞いてやっぱり栄子ちゃんのこと心配になった?」
美咲は津太郎をニヤニヤしながら見つめている。
「心配じゃない──と言えば嘘になるけどさ……」
津太郎は動揺しているのか明らかにソワソワしていた。
「今のあんたの発言や動きを栄子ちゃんに見せたら喜ぶでしょうねぇ」
美咲はまたスマートフォンを持ち、津太郎を撮影するかのような構えを取る。
「いやいや、ほんとやめてよ。 なんか恥ずかしいし……ていうかなんで栄子が喜ぶのか全く分からないんだけど……」
思わず手で顔を隠す素振りをしてしまう。
こんな姿なんか見せても栄子は失望するだけだ、津太郎は本当にそう思っていた。
その後も美咲にイジられながらも朝食を済ませて学校へ行く準備をする。
◇ ◇ ◇
気持ちの良い日差しの中、津太郎が学校へ向かっていると栄子の家が見えてくる。
今日は素通りしていい筈なのに、無意識の内にインターホンのボタンを押しそうになっていた。
(あっぶねぇ……つい癖で押す所だった……! やっぱ栄子がどんな具合か気になるし、彩おばさんに少しぐらい聞いてもよさそうなもんだが──あーでも寝てたら迷惑だよな……)
人差し指を構えたまま数秒による思考の末、津太郎は栄子の体調を優先させてインターホンを押す事を止めて学校へ歩き出す。
──数分後、通学路を黙々と進み続けていた津太郎の前に普段なら見られない人だかりが出来ている。
それは遠くからでも一目で分かるぐらい明らかだった。
住宅街の中にあり、津太郎から見て左側にある五階建てのマンションは全体的に黒塗りとなっていて、目立った特徴は無い。
その為、どうしてマンションの前に津太郎と同じ学生や社会人、お年寄りまで様々な人が通り道を阻めてしまう程に集まっているのが謎だった。
(……? こんな朝早くから一体どうしたんだ?)
遠くからでは分からなかった事だらけでも近付くに連れ、徐々に声が聞こえ始めて来た事により津太郎は何かを察する。
(こんなこと前にもあったな……)
それはあの運動場の件が終わった後に起こった校門での出来事だった。
あの時も校舎から出ると学校の外が大騒ぎになっていて、一難去ってまた一難という状況だったのを思い出す。
だが、聞こえてくる声の内容は津太郎の時とは全く違っていた。
「おいっ! 早まるなっ! 落ち着けっ!」
「誰も警察呼んでないのっ!? 早く呼んでよっ!!」
「家族が悲しむぞっ! 深呼吸して冷静になれってっ!」
「駄目だよ絶対っ! そんなことしても意味なんてないよっ!」
沢山の人が一生懸命マンションの最上階へ向かって大声を出している。
しかし中にはスマートフォンを上に向けている者もいて、何か撮影しているように思えた。
何か嫌な予感がした津太郎もマンションを見上げると、遠くからでは手前の壁が邪魔で見えなかった最上階のベランダには中年男性がいた。
津太郎が見た時にはもう既にガラスで出来た背の低い柵に足を跨いでいる姿勢になっており、バランスでも崩したら今すぐ落下してもおかしくない程に危険である。
言葉は発していない──だが尋常じゃない目力と、肩で息をしている程の極度の興奮と緊張が入り混じったその状態は誰が見ても異常だった。
「ここで一体何があったんですか!?」
津太郎が人だかりの中の一人のサラリーマンらしき男性に、周りの大声に負けない程度の大声を出して聞く。
「そんな事言われてもこっちだって何がなんやら……!」
人だかりに足止めを食らってる事、または朝から物騒な事に巻き込まれてしまったのが嫌だったのか頭を掻き始め、苛立っているように感じる。
「す、すみません……! そうですよね……!」
津太郎と同じくどういう状況なのか把握出来ていないらしい。恐らくこの男性だけでなくここにいる全員がそうなのだろう。
その中でも必死に叫んで飛び降りを止めようとする者。
興味本位で野次馬となり、この状況を楽しんでいる者。
誰かが何とかするだろうと、ただ傍観する者。
大半は傍観しているだけで、津太郎もその一人だった。
好きで見ているんじゃない、何もやれる事が無いから見るしか出来ないんだ──と、周りの人に言いたい気持ちでいっぱいだった。
(俺なんかがいても意味ないよな……)
ここにいても無力な自分に虚しくなるだけと思った津太郎は、人だかりから離れて学校へ歩き出そうとした──その時だった。
「俺は異世界に行くんだああああああああああああ!!!! 離せええええええええええっ!!!!」
ベランダから中年男性の叫ぶ声が聞こえ始める。
慌てて津太郎は声の方へ顔を向けると飛び降りようとしていた人を、正義感強そうな男三人が後ろから身動き出来ないよう抱きつくように密着してそのままベランダから引き離した。
「邪魔するなああああああああっ!! 邪魔するんじゃねえええええええっ!!」
「何考えてんだっ! 命を粗末にするなっ!!」
「手と足を抑えろっ!!」
「落ち着け!! 落ち着けってっ!!」
上からは飛び降りを食い止めた人達と飛び降りようとした人の必死になっている大声が丸聞こえだった。
その直後、既に誰かが連絡していたのか数台ものパトカーのサイレン音が聞こえ始めた。
数分も掛からない内にマンションの近くへ三台のパトカーが到着すると、すぐに三人の警察官が入り口から階段を駆け上がっていく。
残りの警察官は近くにいる人に色々と話を聞いたりしていたが、津太郎含め現場付近にいた学生に対し早く学校へ行くように言われてしまった為、指示に従う事にする。
朝からとんでもないトラブルに遭遇してしまい、津太郎は後悔していた。
「インターホンを鳴らせばよかった……」
彩と話をしていれば、もしかすると津太郎がマンションの横を通る時にはあの飛び降り未遂の事件はもう終わっていたかもしれない。
それでもまだパトカーは止まっていただろうが、何があったんだろう程度の認識で済んでいただろう。
唯一の救いといえば、栄子が休んでいた事だった。
未遂とはいえ人が飛び降りそうになっている所を栄子には見せられなかった。もしあの光景を見せていたら怯えてしまっていたかもしれない。
「──にしても……異世界に行きたいって理由で自殺しようとか何考えてんだ……」
津太郎自身も異世界に興味は抱きつつはある──だが、その為だけに命を絶つなんて行為だけは全く理解出来なかった。
今回で今年最後の投稿となります。
来年からまたよろしくお願いします。よいお年を!




