遭遇 その12
教見津太郎が読書を始めた頃──。
遠く離れた誰も近寄らない野山の高い所にはポツンとドアが置いてあり、その中には白の異空間が存在している。
そしてその異空間の中には屋敷といっても過言ではない大きな家が堂々と建っていた。
この家には六人が住んでおり、その中の唯一の男で黒のコートは着ていないものの、上下共に黒の無地服で黒のブーツを着ている東仙一輝は自分の部屋の高級そうな白のベッドに少し緊張気味な雰囲気を出しながら座っている。
「いよいよ……かぁ」
目を瞑り、肘を太ももに付いて手に頭を乗せたまま深く息を吸い、そして吐き出す。
「よし、いこ──」
「ヤッホー! リノウ・ショウカちゃんが迎えに来てあげたよー! ねぇねぇ嬉しい嬉しい? 嬉しいよね~♪」
一輝が覚悟を決めてベッドから立とうとした瞬間、勢いよく部屋のドアを開けてきたリノウ・ショウカと名乗る女の子が現れる。
何処か艶っぽさを漂わせる渋めの濃い紫色をした髪に、左右均等に分けて束ねても両肩が隠れてしまいそうな程に長いツインテール。
目を合わせた男性全てを魅了してしまいそうなクリっとした可愛らしい目つきに赤みを含んだ薄い紫の薄紅藤色の瞳は天然の魔性を秘めている。
その引っ張ったらお餅みたく伸びるんじゃないかと勘違いしかねない程に柔らかそうな頬に、潤いのある中紅の唇──年齢は恐らく一輝と同じぐらいで十五か六なのだろうが、全体的に幼げさが残る可愛らしい顔立ちだ。
身長は一輝よりも少しだけ低く百六十センチ。
しかし幼さが残る顔立ちや軽いノリの言動とは真逆に身体のスタイルは凄く、着ているチャイナドレスからはクッキリと胸の形が浮き出ており、スリットから見える肉付きの良い太ももは視線に困るだろう。
彼女の着ている赤みを含んだ薄い紫の淡紅藤色をしたチャイナドレスは動きやすさを優先する為にスリットの部分を短くしており、膝上まで丸見えである。
服の至る所に金色で煌びやかな開ききった花の刺繍が施されていて、美しさがより一層増す。
その艶艶しい紫の髪の結び目には髪色と被らないよう鮮やかな紫である菫色の細長い布でリボン結びをし、可愛らしさを強調させている。
履いているのは布製で先端が丸みを帯びているシンプルな黒色のカンフーシューズで、靴底は何十にも布を重ねて縫い合わせており、滑り止めの役割を果たしている為、非常に動きやすい。
「うわっ!?──ビックリしたぁ……ってダメだよリノウ、ちゃんと部屋に入る時はノックしないと」
リノウのいきなり過ぎる登場に驚きを隠せず、先程まで張り詰めていた一輝の緊張感が何処かへ消えてしまった。
「えー? ボクならさっきちゃーんとコンコンッってノックしたよー? イッキ君が聞こえなかっただけじゃないかな〜?」
リノウは不思議そうな表情ですぐ側にある木製の扉を右手で軽く叩く。
この音すら気付かない程に一輝は自分の世界に入り込んでいたのかもしれない。
「あっ、そうなんだ……ごめん、気付かなくて」
リノウは勘違いされた事を気にもしない様子で満面の笑みを浮かべながら一輝の隣まで移動し、ヨイショーと言いながらベッドに向かってお尻から飛び込むようにして座る。
「べっつにいいよいいよ~♪ まぁ数年ぶりの再会だもん、緊張しちゃうよね~」
リノウは一輝の顔を下の方から見上げるように身を乗り出して見つめる。
「まぁ、そうだね。 やっぱり緊張しちゃうかな、あはは……」
一輝は咄嗟に不安や緊張を誤魔化す苦笑いをしてしまう。
「──でもズルいなぁ。 クリムやコルトに比べたらそりゃ短いけどさぁ、それでも何年も一緒にいるボクには全然緊張してくれないのにぃ……」
今度は少し拗ねたような態度になり、リノウは手を使って更に身を寄せ一輝をじっと見つめる。その距離は今にもお互いの肩と肩、吐き出す息が当たりそうな程だ。
「えーっと、もう慣れちゃった……かも。 それに今は頭が他の事で一杯だし」
せっかく二人きりになれて貴重な機会を逃してはいけないと思ったリノウは自信のある魅力な身体で一輝に迫るも、全く通用しない事にショックを受けて勢いのまま感情をぶつける。
「ひっどーい!! せっかく久しぶりの二人きりでボクはこんなに緊張して頑張ってるのにー! イッキ君も男の子ならもっとドキドキしてよーー!!」
ベッドに全体重を乗せるよう仰向けになると手と足をバタバタと動かしながら大声を出す。その動きや態度に緊張感の欠片も無いように見える。
「お、落ち着こう……ね! 他のみんなにも迷惑になっちゃうから……!」
一輝はとりあえずリノウを冷静にさせようと優しく言葉を掛ける──だが全く収まる気配はない。
「おチビちゃん二人なら今ごろスヤスヤ寝てるから大丈夫だもん! クリムとコルトは外にいるし!」
動きは収まったが声の大きさは変わらず表情も怒り気味のままだ。
寝ている子供二人より子供のような態度を取るリノウにどうしようか迷っていた。
「でもそんな大声出してたら起きちゃうよ……えっと──じゃあ……よし」
一輝はほんの少しだけ考えると、突然リノウに向かってゆっくりと手を伸ばす。
「えっ?──ひゃんっ!?」
すると一輝はベッドで仰向けになっているリノウの頭をゆっくり丁寧に優しく撫で始める。
まさか頭を触るという予想外の行動に心構えが出来ていなかったのかリノウは思いっきり目を瞑り、変な声が出てしまう。
「ちょっ、ちょっとまって……! こ、こんなのされて喜ぶのはおチビちゃんぐらいなんだからぁ……大人のボ、ボクは全然うれしくなんてにゃいよぉ……えへへぇ」
リノウはそう言いつつも顔を真っ赤にし、若干ふにゃけた声を出しつつ恥ずかしがりながら至福ともいえる蕩けた笑顔を一輝に見せる。
「機嫌……良くなった?」
リノウの頭を撫でながら一輝は呟く──しかし笑顔のまま反応が無い。
「あのー? リノウさーん?」
一輝は頭に手を当てたまま動きを止め、もう一度言ってみる。
「だ、だって言っちゃったら撫でてくれるの止めちゃいそうなんだもん……でもイッキ君に嘘つくのはもっとイヤだし……だから──言わないっ」
リノウは今の顔を一輝に見られたくないのか両手で隠す。だが真っ赤になった耳までは隠せていなかった。
一輝としてもそんな事を言われたら止めようにも止められず、リノウが満足するまで頑張る事にする。
(でもどうしよう……僕から始めた事だけど、このままじゃいつ終わるか分からな──ん?)
窓の方から白一色の光景を眺めたり、扉の方を何回も見たりしながら撫でて一分も経たない内に、リノウの方から静かな寝息の音が聞こえてくる。
もしかして、と思い一輝がリノウの顔を見るとさっきまでの喜怒哀楽の激しさが嘘みたく、安らぎに満ちた表情で寝ていた。
普通に考えたら無防備すぎる行為ではあるが、一輝の事を本当に信じているから出来る事なのかもしれない。
(今日も一日ずっと場を盛り上げてくれたもんね。 本人は無意識の内にしてるかもしれないけど、やっぱり疲れてたのかな。 僕には出来ない芸当だからリノウには感謝しきれないよ)
起こさないよう心の中で感謝の気持ちを表した後、リノウを抱えて部屋に連れて行こうともしたが、仲間とはいえ流石に年頃の女の子の部屋へ入ったりするのはまずいと思って踏みとどまる。
何よりクリムとコルトにそんな所を見られたら変な勘違いされるのは間違いないだろう。そしてその誤解を解くのにも体力と時間を削られてしまうのだけは避けたい。
一輝は仕方なくリノウの靴を脱がし、自分のベッドの上に全身が収まるように慎重にお姫様抱っこをして移動させる。
持ち上げている途中で起きないか不安だったが杞憂に終わり、気持ちよく熟睡しているリノウを見た後、恐らくこのまま朝まで起きないと信じて部屋の扉をゆっくりと閉める。
「おぉイッキよ、ようやく出てきたか。 いつまでも外に来ないから何事かと思ったぞ」
一輝が廊下に出ると階段から二階に上がった所に立っている黒の寝間着状態のクリムと出くわした。
恐らく待ちくたびれて部屋にまで一輝を呼びに来たのだろう。
「キョウカが自分から迎えに行くと言って家の中に入っていったのだが──ってキョウカはどうした?」
迎えに行った筈のリノウが一輝と一緒にいない事はクリムにとって当然の疑問だろう。
「リノウなら僕の部屋で気持ちよさそうに寝てるよ。 疲れてたのかな?」
一輝はクリムに向かって涼しげな顔で言う。
「ね、寝てる? しかもイッキの部屋で?……一体どういう事かさっぱり分からんぞ……」
クリムは少しだけ呆気にとられた顔をしてしまうが、すぐ我に返ると右手を顎に当て、悩む表情をする。
いきなり自分の部屋で寝てるなんて言われたら戸惑うのも無理はない。
「あ、そっか。 クリムからすれば意味が分からないよね。 実は──」
一輝は部屋で起こった事を軽く説明した後、クリムと外へ移動しながら話を始める。
「ふむ、なるほど……どうしてキョウカが張り切ってイッキの部屋に向かったのか謎だったが──そういう事だったのか。 フフッ、騒ぐだけ騒いで最後はそこで寝るとはキョウカらしいな」
階段を降りながら理由を聞いたクリムは思わず軽く笑う。
「いやいや笑い事じゃないって……本当にどうしようか困ってたんだから──それにあんな近くに寄られたからちょっとドキドキしちゃったよ」
リノウに直接言ったらまた同じ事をされそうと思った一輝は黙っていたが、やはりああいう風に迫られて緊張していたらしい。
「まぁ今日一日ずっと気を張ってたイッキには丁度いい息抜きになっただろう」
クリムのその発言に一輝は少し驚き、思わず立ち止まる。
「え?……僕そんな風になってた?」
一足早く一階へ降りたクリムは一輝の方へ顔を向ける。
「誰が見ても明らかだったぞ。 まぁ当の本人が気付いていなかったらしいが」
「そうなんだ……リノウには──いや、皆には助けられてばっかりだね……僕は」
リノウ自身も狙ってやったわけではなく、ただの偶然である。しかし結果として一輝の心の手助けをしていた。
一輝自身、言われてみて部屋にいた時の緊張感は消えているのに気付き、今では気持ちも軽い。
立ち止まっていた足を再び踏み出し、階段を降りてクリムより先へ玄関の方へと歩みを止めない。
「我らもイッキには助けられているんだ、気にし過ぎる必要はない。 それよりもう準備は出来たのか?」
一輝はクリムの方へ向き、緊張感の無い無邪気な笑顔を見せる。
「クリムも本当にありがとう。 それじゃあ母さんの元へ行ってくるね!」
そう言いながら玄関を飛び出して行った一輝をクリムは静かに見送った。




