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もしも異世界に憧れる人達が増えたら  作者: テリオス
三章

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遭遇 その11

 日中の暑さがようやく和らぎ、空一面には久しく見れなかった無数の輝く星々が散りばめられたダイヤモンドのように美しく見える安らぎに満ちた夜。


 音の聞こえない冷たい風が教見津太郎きょうみ しんたろうの部屋の開けた網戸から入っていくと、窓の内側にある緑色のカーテンをなびかせながら、風呂上がりの火照った身体に直接触れていく。


 心すら清らかになりそうな気持ちの良い風で全身が丁度いい具合に冷えていく──それと同時に気分も落ち着いてきた津太郎は机の上に置いていた『あなたは異世界を信じますか?』という本を手に取り、ベッドまで移動すると仰向けの状態で読み始める。




   ◇ ◇ ◇




 オムニバス形式で進んでいくこの作品は、大学受験に向けて勉強に明け暮れる日々を送るも親からの圧力や受験に対するプレッシャーに耐えきれず限界に来た男子高校生から始まる。


──時期は十二月二十四日の夕方、もう大学受験まで残り僅かの受験生の彼にクリスマスなんてものは無かった。

 

 「もしサンタが目の前に現れたら、志望校の合格通知を今年に入ってほとんど使っていないお小遣い全てを入れた封筒を渡してでも頼み込むのに……」


 そんな叶いもしない夢や絵空事えそらごとで現実逃避してしまうぐらい彼は疲れていた。

 目の下には酷く黒いクマ。ペンを持ちすぎて痛い指。同じ姿勢で長時間いる事による血行不良──いつ倒れてもおかしくないようにも見える。

 

 しかしもう時間が無い受験生に休む暇などない──二階の自分の部屋にある椅子に座り、勉強机に向かって参考書を片手に黙々と勉強するしかなかった。


「お前なら出来る。 私達の息子なのだから」


「頑張ってねぇ、応援してるわよ~」


 親からの励ましの言葉も最初は力強かった。

 だが今はそのような言葉を聞くたびに胸が苦しくなり、重圧がのしかかる。

 彼はもう親と顔を合わせるのも辛くなって部屋に引きこもる事が多くなるが、肝心の親は凄い勉強熱心になったと勘違いして喜んでいた。


 何の為に勉強しているのだろう。何の為に受験を受けるのだろう。何の為に頑張っているのだろう。何の為に生きているのだろう。何の為に何の為に何の為に何の為に──。


 ご飯を食べる時も、風呂に入ってる時も、ベッドの中で目を瞑ってる時も、こういった自問自答が無限に続く。安らぐ時はない。


 気付けば外は夜になっていた。


「そういえば今日ってクリスマスだっけ……あ、さっきサンタがどーのこーの言ってたよね……疲れてるのかなぁ。 あー、ということは受験まで後一ヶ月かぁ」


 彼は自分でも何を言っているのかよく分からなくなっている事に気付き、流石に少しだけ休憩を挟む事にする。


 不安で食欲もない為、ろくに食事も取っておらず飲んでいるのは安物の栄養ドリンクと水。

 そんな状態で数時間ぶりに立ち上がると当然の事ながら足元がおぼつかず、立ち眩みも酷い。


「せっかくのクリスマスだし、少しぐらい外に出てもいいよね……うん、いいよね」


 面倒だから部屋着の状態のまま厚手のコートを羽織る。

 危うく階段から足を踏み外しそうになりながらも外へ出て、街の方へと歩き出す。


 頭がボーっとしながらもしばらく歩いていると、家族みんなで仲良くしている姿や初々しいカップルの姿が確認出来る。

 無計画に家を出て、誰にも連絡を取らず、予定を組んでいないのだから当たり前なのだが、彼は一人だった。

 分かっていても何か悲しくなる。どうして外に出たのだろうと後悔する。


「はぁ……帰って勉強しよう。 僕にはそれしかないんだから」


 そう決めると、まだ街に着いてすらないのに引き返す事にした。


(あーあ、何か余計に疲れてきた……寒いし身体は重いしボーっとするし……最悪なクリスマスだよ)


 寝不足で目がかすみ、空腹や疲れで頭が働かないまま歩き続ける──その時だった。


 突然、横から何か巨大な物が体に衝突し、今まで味わった事の無い凄まじい衝撃が走ると同時に吹き飛ばされて、そのままコンクリートに転がり込む。


(え?)


 何が起こったか分からない彼は、気付いた時には道路に横になっていて、身体を動かそうとしてもピクリとも動けない。

 横向きで微かに見える視界から、一台の車がまるで逃げるかのように去っていくのを辛うじて理解した。


(あーそっか……僕、車とぶつかったんだ……)


 親、友達、知人に心の中でお別れも出来ず、悲しみも感じる事も出来ず、後悔する事も出来ず、何も成す事無く彼の人生は幕を閉じる。


──はずだった。




   ◇ ◇ ◇



──次に彼が目を覚ますと、木材で作られた天井が目の前にあった。

 身体を起こし、周りを見渡すとあらゆる家具や家そのものが木造である事は確認出来たが、どうして自分がここにいるのか状況を把握できずにいる。


「あれ? 僕は車に轢かれて……そのまま死んだかと思ってたのに」


 彼はこのままじっとしていても何も始まらないと思い、とにかく立ち上がると突然木造のドアの外側から誰かが力強くノックしてくる。


「おーい! 今日はちゃんと起きてる~? 入るよー!」


 向こう側からノックをしたと思われる活発そうな女の子の声が聞こえてくる。

 彼はまだ心構えも出来ていないのに、彼女は問答無用でドアを開けて入ってきた。


「おー! いっつも私が起こすまで寝てるのに今日はちゃんと起きてるー! しかも既に立ってるだなんて奇跡だよ奇跡! 明日は大雨かもね!」


 驚きながらも笑顔ではしゃいでいる茶髪のショートヘアーの美少女は、これから作業をするのか頭には布のバンダナを巻いていて、私服の上に作業用の赤いエプロンを身に着けている。


 初対面の筈なのに前から知ってるかのように話しかけてくる彼女に対して、恐る恐る聞いてみる事にした。


「えっと……すみません、ここはどこでしょうか? それに貴方は……?」


 この質問をした途端、彼女の表情や態度が驚きや混乱といったものに一変する。


「……!? どどどどうしたの!? もしかしてベッドから落ちて頭でも打った!? それともお風呂で滑って頭でも打った!? あーもうどうしよう!……ちょっとお父さん呼んでくるー!」


 そう言うと彼女は家から慌てて飛び出してしまった。

 外から何か叫んでいる声が聞こえるが今は他人を気にしている余裕はない。


 もう何が何やら訳が分からずパニックになりそうだった彼は、冷静になる為に顔を洗おうと洗面所を探すと、そこまで広くない家のおかげですぐ見つける事が出来た──だが……。


「……!?」


 彼は洗面所に置いてある鏡を見ると、そこに映っている自分の姿が茶髪に青い目で整った顔と、全くの別人になっている事に絶句する。


「お父さん呼んできたよー!」


 頭が真っ白になりそうな時に心配してくれている彼女の声が聞こえてきた。

 

 とりあえず頭を打って軽い記憶喪失という事にして彼女の父という渋い顔立ちの男性に色々聞くと、この世界の名前はルズエク・オブペリアというらしく、ここは日本じゃないどころかまず地球の何処かですらない事を知る。

 そして男性の隣で不安そうな表情をしている彼女とは昔からの幼馴染みで、この家は昔から住んでる家ということだ。


 男性から今日は仕事を休んでゆっくりするよう言われて一人きりになると、彼はベッドで座り込み落ち着いて考え始める事にする。

 今まで聞いた事もない世界にいる上に見た目も全くの別人になっているのが、夢でもVRでもなく現実だとすれば、心当たりがあるのは──。


「まさかこれって俗にいう異世界転生……? あっちの世界で死んだから、ここの世界に魂だけ転生してこの人の身体に入ってしまった……みたいな?」


 そうだとしたら彼は一度試してみたい事があった。

 一応それっぽい雰囲気を出す為に右手を前に突き出して口を開く。


「ス、ステータスオープン……!」


 少々恥ずかしさと緊張が混じりながら発した言葉は、彼が日本にいた時に流行っていた『異世界モノ』では定番の単語であり、言うと必ず目の前には四角いモニターのようなものが出てきて自分の能力やスキルといった文字通りステータスが表示される──そして予想通り、目の前にはアニメや漫画で見たのと同じ光景が広がっていた。


「うわっ!?……本当に出てきた……じゃあここって僕が居た世界とはやっぱり違うんだ……」


 少しずつではあるが、彼は自分の置かれている状況について分かってくる──すると不安や恐怖しかない後ろ向きな考えだった最初に比べて、徐々に期待や興奮といった前向きな考えに変わっていく。


「受験や勉強から解放されて何だか気持ちが凄い楽だなぁ……それに死んだと思ったら異世界に来たとか選ばれし者って感じがしてワクワクが止まらなくなってきた」


 呪縛ともいうべき様々な重圧が一気に無くなった上に、創作物でしか存在しないと思っていた異世界の地に立っている。

 そして何もかもが違う新しい生活が始まると思うと彼の高揚感は最高潮に達した。


「……よし! 今日から異世界での人生を頑張るか! 最高のクリスマスプレゼントをありがとう!」


 こうして彼の異世界での新しい人生が幕を開ける。




   ◇ ◇ ◇




 津太郎は更にページをめくり続け、慣れない小説に少し時間が掛かったが何とか高校生の話を読み終える──しかしここで小説を読む手を止める事は無かった。


 二番目は休みも無く残業に次ぐ残業で帰るのが日をまたぐのは当たり前の疲労困憊、中年男性サラリーマン。


 三番目は就職活動が全く上手くいかず、精神的に参ってしまい自暴自棄になりそうな大学生。


 四番目は今まで適当に生きてきた結果、これからの人生に先が全く見えてこない事に絶望を感じているフリーター。


 津太郎は休憩せず一気に残りの三人の物語も読み終え、本を閉じた後にスマートフォンの時計を見たら三時間も過ぎていた。


「~~~~っ! 疲れた~っ……こんな集中して本読んだのなんて初めてかもしれないな」


 ベッドの上で思いっきり背伸びをした後に目を瞑り、心地よい疲労感を味わいつつ本の内容を振り返る。


(個人的には満足な出来だった……人生のドン底から大逆転勝ちのハッピーエンドは読んでて気持ち良かったし……異世界に行けて羨ましいとちょっと思ってしまった──いやまだ死にたくないけど)


 最初は読んだ後の率直な感想だった。


(やたら精神的に追い詰められた人をピックアップしてたけど……リアルで疲れてる人にこれ読ませたらヤバそうな気がする──異世界を信じて同じ事した人とかいない……よな?)


 しかし次に抱いた印象はこれだった。

 主人公四人の設定があまりにも生々しくて、読む人によっては『まるで自分の事だ』と思い込みそうな危険性があるように感じてしまう。

 表紙のイラストと読み始めた時のギャップの差が激しすぎて驚く人も少なくなさそうだ。


(ただ、話の流れが四つとも似たような感じだったのはちょっと残念だったかなぁ……)


 登場人物や舞台設定、死因は違うものの物語の構成自体は四人共一緒で最後のフリーター編になると『あー、またか』といった感覚が強くなって話の展開が読めてしまった。


 全体的に楽しめはしたが、影響を受けやすい人や精神的に余裕がない人にはあまりお薦めしない方がよさそうな作品──というのが津太郎の中での評価である。


「あなたは異世界を信じますか……か」


 読み終わった本の表紙を見ながら呟いた後、机の上に置いて部屋の窓から外を覗く。

 そこにあるのは昔から見慣れた景色──周りに他の家があるだけで特徴はないが、津太郎にとっては本の世界という、ある種の異世界ともいえる場所から現実へ戻るのに一番効果的だった。


(まぁ……あの人に、東仙一輝とうせん いっきさんに会えばあるかどうかハッキリするんだろうけど……あの時に『また会いましょう』とか言ってたのに全然現れないな)


 津太郎が眺めているこの夜空の光景──これを一輝もまた、別の場所で眺めていた。

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