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もしも異世界に憧れる人達が増えたら  作者: テリオス
三章

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遭遇 その8

 六月の貴重な梅雨晴つゆばれの朝。


「暑い……」

 

 普段ならもう少しだけ寝れる時間帯なのだが、教見津太郎きょうみ しんたろうは暑さに耐えきれず起きてしまう。 

 

 横になってもどうせ寝れないとさっした津太郎は、今度の休日に雨が降ってなかったら扇風機とエアコンの掃除をしようと考えつつ部屋から出て、朝食用に作っているハムを焼く時に出る音や香りを堪能しながら一階へ降りる。

 

 そして洗面所で汗掻いて気持ち悪い身体をタオルで拭いてからリビングへ行くと、津太郎の父である教見巌男きょうみ いわおが食卓にある椅子に座っており、白い湯気立つブラックコーヒーが入った白いコップを片手に今日の新聞をまだ何も置いていない食卓へ広げて読んでいた。


「おはよう、父さん」


 津太郎が何気なく挨拶を交わすと巌男は読んでいた新聞を閉じ、津太郎の方へと顔を向ける。


「おはよう津太郎、今日はいつもより早いじゃないか」


 低めで落ち着きのある声で津太郎に挨拶をした教見巌男は、黒の短髪で全体的に堀の深い渋みのある顔をしており、鋭い目にはどこか厳しさや威厳のようなものを感じる。

 年齢は四十で、ほうれい線には少しシワも見えるがそれもまた男としては渋みが増す。


 身長は津太郎よりも大きく百八〇センチはあり、職業はサラリーマンなので紺色こんいろのスーツを着ている──しかし、筋肉質かつ骨太の体格のせいでサラリーマンというよりボディガードにしか見えない。


「ただ部屋の中が暑過ぎて寝れないから仕方なく起きただけなんだけど……」


 津太郎は巌男が持っている熱々のコーヒーを見るだけでまた汗が噴き出しそうになる。


「父さんは暑くないの?」


 一階も朝からエアコンを付けておらず、二階の部屋よりはマシだが暑いことには変わりない。

 それでも巌男は夏の暑さもコーヒーの熱さも何とも思わないのか額にも汗一つ掻いておらず、涼しげな顔をしている。


「なに、真夏の山で道なき道を登る時に比べたら大した事ないさ──暑さに慣れたいなら今度の休日、久しぶりに山にでも行くか?」


 山に行く──その言葉を聞いてゴールデンウイーク以来、一度も行っていないのを思い出す。

 

 何かトラブルに巻き込まれた時、いざ頼りになるのは己の身体一つだ──しかし運動場の時は頭がパニックのせいで上手く身体を動かせず、誰よりも遅かったのは津太郎にとって苦い記憶だった。

 あの時以上に間違いなく訛っている身体に喝を入れるには丁度良いのかもしれないが、今はタイミングが悪い。


「暑さに関しては多分、父さんみたいに慣れる事は出来なさそう。 それに来月は期末テストあるから今は無理かな……流石に勉強しないと」


「──そうか、もうすぐ期末試験の時期だったか。 そんな大切な時に山へ連れて行ったらわたしがお母さんに怒られてしまうな」


 津太郎としては勉強よりは山へ行く方がまだマシだったのだが、山に行きたいなんて言ったらすぐ近くの台所で朝食を作っている教見美咲きょうみ みさきに何を言われるか分からない。


「そうよ、お父さん。 津太郎はもうすぐテストがあるんだから山なんて行く余裕は一切ありません──ちゃんと勉強していて元から点数が良ければ何も言う事はなかったけどねぇ……」


 美咲が出来た朝食の皿を食卓に置きながら言う──美咲からの睨みつけるような視線を津太郎は痛いほど感じてしまうが何も言い返せなかった。


「お母さんにそう言われたら私はもう言う事が何もないな。 今は目の前の壁に向かってひたすら勉学に励むしかないぞ、津太郎」


 巌男はそう言うと、もう朝食という事でコーヒーを一気に飲み干してからのカップを台所へ持っていく。


「う、うん……赤点は取らないように頑張る……」


 口は災いの元というべきか、津太郎は自分がきっかけとはいえ朝から憂鬱になりそうな話をした後に津太郎と巌男は朝食を頂く。

 今日の朝食は白飯に厚めで大きなハム三枚に中身が半熟そうなオムレツ、それに新鮮な緑野菜を使ったサラダと洋食風である。


 美咲は皿を置いた後、台所の料理へ使った器具を洗う前にリビングにある黒色のリモコンを使ってテレビを点けた。

 

 放送されているのはどの局も朝はニュース番組で出演する人やコメンテーターも同じ人ばかりで新鮮味はない。

 しかし、数日前と明らかに違うのは世間やテレビ関係者、マスコミはもう別の報道に興味や関心を持ち始め、前みたいに朝から運動場の件だけを報道する事は無くなり、女子生徒の自殺も軽く流す程度に終わっていた事だ。


「何かすっかりいつも通りって感じになったわねぇ。 でもこれで余計な注目を浴びる事も無くなって学校としても良かったんじゃないかしら」


 美咲は立ったまま色々な話題を軽く掘り下げつつ進行しているニュースを見ながら言う。


 学校側としては今まで休む暇なくテレビへの取材やマスコミや保護者への対応等々、本当ならしなくてもよかった負担を強いられて大変な思いをしていたに違いない。


津太郎は昨日テレビで見た校長のやつれ果てた顔を思い出す。


「校長先生とか本当に見てられないぐらい顔がヤバかったし、色々な意味でギリギリだったんじゃないかな」


「何、校長先生はそこまで心身共に疲れ果てているのか」


 巌男は津太郎の言葉に心配そうな声を出す。

 学校で一番上に立つ者が限界に来ていると聞いて、我が子を預ける親としては少々不安に感じるのも仕方ない。


「あれホント別人みたいになってて昨日見た時はすっごく驚いたんだから! 録画してたらお父さんにも見せれたのに」


──このまま校長や学校について三人で朝食を取りながら話していると時間があっという間に過ぎていた。


「──さてと、そろそろ会社へ行く時間だ」


 津太郎より前に朝食を済ませた巌男は革製の黒いビジネスバッグを手に持ち玄関へ向かい、そんな巌男を美咲は仕事へ向かうのを見送る為に玄関へ付いていく。


「それじゃあお父さん、今日もお仕事頑張ってね」


 玄関からは美咲の優しく応援するような声が聞こえてくる。


「あぁ、行ってくる」


 巌男が普段と変わらない口調で美咲に返事をした後、玄関のドアを開け閉めする音が聞こえる。


 長年の夫婦だけあって必要以上の無駄な愛情表現はしておらず、数少ない言葉でお互いを信用出来ているようにも感じる。

 津太郎はのんびりしてたせいでまだ食べ終わっていないのと、二人の邪魔をしないよう気を遣って玄関には行っていない。


(夫婦か……俺もいつかはあの二人みたいに誰かと付き合ったり結婚とかするんだろうか?)


 玄関先から聞こえる二人のやり取りから普段は全く考えない事が何となく頭に浮かぶ。


(栄子は──そういう対象としては見れないし、月下は相棒というか戦友みたいなもんだからな……まぁ、俺なんかに彼女なんて無縁むえんだよな、うん)


「津太郎! のんびりご飯食べてる暇なんてないわよ!」


 玄関から戻ってきた美咲が津太郎に向かって(あせ)らすような声を出す。


「え? でもまだ時間に余裕はあるんじゃ──」


「何言ってるの! まだ何も準備を済ませてないのに余裕とかあるわけないじゃない!」


 この時、津太郎は身だしなみを整えておらず自分がまだ制服にも着替えてない上に、学生カバンを部屋に置きっぱなしな事に気付く──そして壁にある時計を見ると家を出る時間に近付いていた。


本気まじかよ……!」


 昨日よりも危機的状況な事に今度は冷や汗が噴出してくる。

 それから美咲が怒鳴るように何かを言っていたが無我夢中で準備をしていた津太郎の耳にはあまり届かない──結局いつもより遅れてしまったものの、何とか支度を済ませて家を出る事が出来た。


「急ぎなさーーーーーい!!」


 その声で津太郎は栄子の家に向かって走り出す。

 仕方がないとはいえ、美咲が玄関で見送る声が巌男の時とは違い厳しさに満ち溢れていた。




   ◇ ◇ ◇




 それから三分後、朝から全力に近い速度で走って息切れと横腹を痛めながらも栄子の家の前にある、アルミ型材かたざい門扉もんぴに辿り着く。


 肩で息をしながら急いで黒のインターホンのボタンを押すと、既に待ち構えていたと思うぐらい休む暇なくマイクの部分から清水彩しみず あやの音声が流れてくる。


「あらあら~♪ おはようしんちゃん!──って大丈夫? 何か凄い疲れてるように見えるけど……」


 インターホンのカメラ越しに津太郎の疲れてる姿を見たと思われる彩は心配そうに声を掛ける。


「だっ──大丈夫です……! ただ急いで走っ────来た……もんですから……!」


 朝食を済ませてそこまで時間も経ってない状態で走ったせいか横腹も痛く、息も切れて話しづらい。


「何か急がせて申し訳ないわね~……あ、そうだ! お詫びに今度の休日は栄子と一緒にお出かけでもしちゃう? きっと喜ぶ──」


「またお母さんってば……もうっ! なんでいっつも教見君を困らせるような事を言うの!」


 どうやら栄子もすぐ近くにいたらしく、当然だが彩の言っていた事も丸聞こえであった。

 ただ、津太郎はマイク越しでも聞こえるいつものやり取りに実家のような安心感を得る。


「ご、ごめんね教見君。 お母さんがまた変な事言っちゃって……」


 栄子がマイクを通して津太郎へ謝ると、二人が仲の良いやり取りをしている間に何とか呼吸を整えた津太郎は一息ついて軽快に返事をする。


「──いいっていいって。 俺も二人の冗談を交えた会話を見てると落ち着くし」


「うぅ……指摘されるとそれはそれで何か恥ずかしいような……」


 数えきれないほど見ている津太郎としては凄い今更な気がするが、更に指摘すると栄子が可哀想な気がするので止めておく。

 まだ時間に多少は余裕があるものの、とりあえず栄子に家を出るようにお願いをすると軽く返事をした後にインターホンを切ったのか何も聞こえなくなった。


 それから間もなく栄子が家から出てくるが、何故か彩も白の割烹着の服装のまま付いてきており、二人が横に並んで津太郎の方へと向かってくる。


「あれ? 彩おばさんも一緒に出てくるなんて珍しいような」


 二人が門扉の前で立ち止まると、彩は栄子の為にさく状の扉を開けながら津太郎に話しかける。


「う~ん、まぁ特に深い意味はないんだけどね」


 扉を開けた後、彩と栄子は二人揃って門扉を抜け出し見慣れた通学路の方へ移動する。


「いっつもインターホン越しっていうのも味気ないし、たまにはこうして顔を合わせないと♪」


 彩が首をかしげたまま右手を頬に当て津太郎に対しニッコリと見つめるその姿は、割烹着の姿も相まって可愛さの中にも母性的なものが溢れているような気がした。


「俺も彩おばさんの顔が見れて嬉しいですよ」


 傍から見れば口説き文句のような台詞だが、津太郎は特に意識せず自然な笑顔でサラっと言う。


「あらあらまぁまぁ! 津ちゃんったらいつの間にか女の子を落としちゃうような事を言えるようになっちゃって! もし結婚してなかったら今の一言でコロっと落ちてたかも♪」


 彩は気分が高揚したのか興奮気味に津太郎の肩を三回ほど軽く叩く。


「あはは……冗談がまたお上手で」


 栄子の前でその冗談を言われるのは津太郎も流石に少し困った反応をしてしまう。

──もうそろそろ出ないといけない時間と思いスマートフォンで確認すると、予想より少しだけ遅れていた事に気付く。


「すみません、もう行かないと」


「あら、もうそんな時間なのね~──それじゃあ栄子、津ちゃんがいるから大丈夫とは思うけど気を付けて学校へ行ってらっしゃい」


 彩の雰囲気がさっきとガラリと変わって一気に母親らしい落ち着きを取り戻す。


「うん、行ってくるね」


「では失礼します」


 栄子と津太郎が彩に軽く挨拶を交わすと二人は学校へ向かって歩き出す。


「焦らなくてもいいからね~! 怪我や事故しないことが最優先よ~!」


 歩き始めた二人に対し彩は人目を気にせず後ろから大声を出す。

 二人は振り返ると津太郎は軽く会釈えしゃくをし、栄子は少し恥ずかしそうに右手を上げた後に再び歩き始める。


「貴方達が無事に帰ってきてくれるのが、私にとって何よりの幸せなんだから……」


 彩は一人静かに呟く。


 

 

 母にすぐ会える者もいれば、会いたくても会えない者もいる。

 会える者はそれがどれだけの幸福か、会えない者はそれがどれだけの不幸か。

『子』がその両方に気付くのは、『母』という存在を失った時である。

 

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