遭遇 その7
東仙一輝達がこの名も無き野山に来てから十日が経つ。
だがこの間、六人は何もせず家に居た訳ではない。
雨が降っていない日は魔法で出したドアの辺り一帯で好き放題に伸びた草を綺麗に抜き取ったり、枯れてへし折れている大きい木々や、生えすぎて邪魔な木を処分して少しでも日を差し込ませる。
おかげで家の中に置いておいた物干し竿のセットを外に置く事が出来るようになり、洗った衣服やタオルを干せるようにもなった。
他には野生動物が掘ったり荒らした地面を平らに美しく整備をしたり、万が一誰かに発見されないよう傍から見た人にとっては荒れたままの土地と錯覚させる結界を張る対策も施す。
こうして家の中だけでなく外の世界でも多少なりとも生活できるよう色々と下準備をして過ごしていた。
──そして十日目の夜、外の世界は月が辛うじて見える程の雨雲が空を覆い、晴れていれば見えていた綺麗な星々が今は全く見えていない。
本来なら湿気のせいでジメジメとした暑さが、今日は丁度いい風が吹いてくれるおかげで心地よさの方が圧倒的に勝っている。
一輝は降ってた雨でぬかるんだ土を踏まないようドアから少し離れた所まで移動し、空を見上げてのんびりしていた。
景色そのものは雨雲のせいで台無しだが、今の一輝には景色よりも心を落ち着かせる方が大事だったのでそこまで気にならない。
何よりも自然の中に包まれた静けさに良い心地よさを感じて、いつまでもこうしていたい気持ちだった。
しかし──。
「こんな所で何をしていらっしゃるのですか? イッキ様」
「~~~~っ!?」
後ろにあるドアの方からあまりにも突然に声が聞こえてきた為、一輝は心の底から驚くあまり声が出ず、肩が跳ね上がる。
恐る恐る後ろを振り向くと、そこには青い髪の女性が立っていた──顔は平然としているが、心なしか肩で小刻みに呼吸をしていようにも見える。
「なんだコルトかぁ……いや本当にびっくりしたよ~」」
幽霊かと思った一輝は胸をなでおろす。
「驚かせてしまった事は申し訳ございません。 ただこのコルトルト・ブルーイズ──イッキ様が何処にもいない為、何かあったのかと心配になったもので……」
自分の事をコルトルト・ブルーイズと語る女性の臀部まで伸ばした長い髪は、深海のような神秘性と絢爛さを兼ね備えていて、月夜に照らされた光がより一層深みを増す。
安らぎと落ち着きに満ちた碧色の瞳に健康的な色の肌、薄紅色の唇をした大人びた端麗な顔立ちで、身長は一輝より少し高く百七〇センチはあり、体格は全体的に細く無駄のない脚線美は誰しもが羨むだろう。
その淑やかな言動や立ち振る舞いは正にメイドとして相応しいが、今は綿で作られた青の長袖で腰から下は長さが足首辺りまであるドレス状のネグリジェを着ており、靴は黒色のメイドシューズを履いている。
「ご、ごめんねコルト……ただちょっと気分転換に夜風に当たってただけだから心配ないよ」
どうやら親しみのある人達からは『コルト』と呼ばれているらしい。
「そうでしたか……それなら良いのですが」
安心したコルトは胸に手を当てホッと一息つく。
「でも何で僕が外にいるって分かったの?」
クリム以外の誰とも会っていない、誰にも外へ行くと言っていないのにこうしてコルトに知られていた事を疑問に思うのは当然だった。
「それは……まず誰かの足音が私の部屋の前から聞こえてきたのが始まりでした──私の部屋は階段に一番近いですから、続いて階段を降りる時の音もハッキリと……」
(音を立てずに歩いてたつもりだったのに意味なかった……)
コルトが音に敏感だからなのか、それとも一輝の忍び足が雑だったからなのかは分からないが結果的にバレていたらしい。
「ただ水を飲みに行っただけなら、すぐに戻ってくると思って気にする事はありませんでした──しかしなかなか二階に上がってこないので不思議に思い、どうしたのかと私も廊下に出てみると一階からイッキ様とクリムの話し声が耳に届いて──あっ! 盗み聞きは本当にしてませんから! 本当ですよ!?」
盗み聞きをしてない事を信じてほしいコルトは取り乱すぐらい必死だった。
「だ、大丈夫っ! 信じるから!──って別に聞かれてマズいような話してないよ!?」
基本的に音が一切何も無い空間、更に皆が寝静まって生活音も無いからか、話す時の声が二階にも筒抜けになっていたのかもしれない。
軽く一呼吸置いて落ち着いたコルトが再び話し出す。
「──理由が分かったので自分の部屋に戻ると、クリムらしき少し重そうな足取りや音がその後に階段を上っているのは分かったのですが……」
(何か微妙にクリムへ対して失礼な事を言ってるような……)
そう思ったがとりあえず黙ってコルトの話に専念する。
「イッキ様の足音だけは聞こえないまま時間だけが経過し、流石におかしいと思い一階に降りて何処を探してもいなかったのこうして外へ出てきたのです──もう本当に心配しましたよ……」
一輝が家の中にいなかった事が本当に不安だったのだろう。 もしかしたら一人で勝手にどこかへ消えたかと思ったのかもしれない。
(だからさっき僕を見つけた時にホッとしてたんだ……それにさっき少しだけ息が荒そうにしてたのは家の中で僕を探してたから……)
クリム以外の皆は寝てると思って一人で外に出ても大丈夫と考えた結果、コルトに心配かけさせてしまった事に罪悪感のようなものを抱く。
「……君に余計な不安や心配させたお詫びに、何か僕に出来る事はないかな」
一輝はコルトの側へ歩み寄り、そして少しでも罪滅ぼしになればと思い、優しく問いかける。
「そ、そのような事を言われましても……! 私としてはイッキ様の──そのお気持ちだけで十分ですから……」
メイド服を着ていなくとも心は常に御主人様に仕えるメイドという事だろうか。相手の心配はしても同情の要求には応えないようにしている。
「うーん……でもそれじゃあ何か申し訳ないし……」
一輝は少し頭を悩ませるポーズを取った後に口を開く。
「えーっと……この世界について何か聞きたい事沢山あるんじゃないかな? こっちに来てから色々とやる事あったし、コルトにとってもいい機会だと思うんだ」
苦肉の策という言い方は大げさだが、あの短い時間で思いついたのはこれしかなかった。
「そ、それは……確かに気になっている事は無いと言えば嘘になります……」
「うん、例えば?」
一輝もちゃんと聞かれた事に確実に答えれるかどうか若干自信が無かった為、顔には出していないが少しだけ緊張していた。
「その……例えばここへ来てから雨の止まない日が続くのは何故なのでしょう? イッキ様はこの現象が何なのかご存じ……なのでしょうか」
やはりメイドというだけあって洗濯や庭の手入れ等、仕事に影響のある天候への疑問は持たれて当然かもしれない。
「現象って言う程大げさではないんだけど、こっちでは今『梅雨』と言って──まぁ単純に長い間、雨が降り続ける時期なんだ」
一輝は家に繋がるドアの近くにいるコルトの隣に行くと空に人差し指を向け、顔を上げたまま質問に答える。
「なるほど……この時期はツユと仰るんですね。 このツユを知ると知らないとでは気持ちも違いますから、とてもありがたいです」
コルトは知的好奇心が強いのか新しい知識を得る事が出来た事に喜びを感じて段々乗り気になってきた。
思わず横にいる一輝に顔を向けて嬉しそうに微笑む。
「う、うん……喜んでくれて僕も嬉しいよ」
しかし、言葉とは裏腹に一輝は不安で一杯だった。何故なら──。
(梅雨だからこんなに雨が降ってるんだよ……ね? 少なくともこっちに来てから昼間は暑くて夜も寒くないから十月とか十一月っていうのは考えにくいし……)
というように一輝はまだ西暦も今日が何月何日かというのも把握できていない為、本当に梅雨で合ってるのかどうか分からないからである。
二人がキャンプ場が見える斜面まで移動すると──。
四つの車輪で動く鉄の塊の事を『車』
麓にある不吉そうな黒色の道を『道路』
そしてその道路を照らす魔法の光は『街灯』
等、少しの間ではあるがコルトに教える事が出来た。大分時間も経ってしまった為、今日はこのぐらいで終わるらしい。
「──まさかこうしてイッキ様に色々と教えてもらうだなんて思ってもおりませんでした。 向こうでは私が知識や常識を教える側でしたのに、ここではすっかり立場が逆転してしまいましたね」
新しい知識を得る勉強をしてすっかりリラックスしたコルトは先程までの堅苦しい態度から一変し、表情も柔らかくなる。
「僕の方こそコルトの役に立ててよかったよ。 いっつも家の事でお世話になってるから何か出来る事はないかなって前から思ってたんだ」
一輝もまた、結果的にとはいえ迷惑を掛けたコルトを喜ばせる事が出来て安心していた。
話してる間にも雨雲は徐々に月から遠ざかり、上には夜空が見えてくる──少しの沈黙の後、コルトが口を開けた。
「なんだか不思議な気持ちです……全く違う世界にこうしてイッキ様と一緒にいるだなんて」
周りの木々を揺らす程に吹く風が、青く美しい長髪をなびかせる。
闇夜を照らす満月の輝かしい光を背に、至福の微笑みを見せるその姿は正しく女神のようだ。
「…………」
コルトに見入り過ぎて一輝は言葉が出てこない。
「……イッキ様?」
硬直状態で返事がない一輝をコルトは不思議そうな顔で見ている。
「……はっ!? あ、いや、ご、ごめん……なんでもないよ!」
いつもと違う服、雰囲気、一緒にいる時間帯、場所──何もかも普段とは別のせいか、見慣れている筈のコルトの顔や仕草を意識し、緊張してしまう。
目を閉じて深呼吸をし、緊張を少しでも落ち着かせた一輝は気持ちを切り替える。
「──もう夜も大分遅くなったと思うし、そろそろ寝ようか」
「かしこまりました、イッキ様──ですが、あの……また機会があればこの世界の事を教えていただけますでしょうか」
コルトは遠慮気味に躊躇った様子で一輝にお願いをする。
「うん、勿論!」
「本当ですか! でしたら今度また夜に──」
一輝の即答に喜ぶコルトは早速次の約束をしようとしたその時──。
「でも今度はコルトだけじゃなく他のみんなも一緒に教える事にするよ!……ってあれ? なんかガッカリしてるような気が……」
コルトにとって予想外の発言に一輝の前で頭を抱え、困惑の表情を隠せないでいた。
「い、いえ……何でもございませんのでお気になさらず──そうですね、他の方々とご一緒にお勉強した方が効率も良さそうですし、次はそうしましょう」
そう決まると、二人は異空間に繋がっているドアの方へと歩いていく。
「はぁ……イッキ様と二人でお勉強したかったな」
前を歩いている一輝を見ながら、コルトはつい自分にしか聞こえないような小声で本音を漏らす。
ただ、自分は主に仕える身としてこれ以上は求めていけないと緩んでしまった気持ちを引き締める。
白の異空間の中にある家に入ると、他の四人にバレないよう出来るだけ音を立てずに歩いて階段を上り、小声で挨拶を済ませたら一番近いコルトから先に部屋へ入っていく。
一輝はコルトが部屋に入るのを見送ると油断せず慎重に移動し、何とか部屋に辿り着いた。
見慣れた部屋に入って一息ついたのと、悪夢のせいで眠りが浅かったのが原因で急に眠くなってきた一輝は靴を脱ぎ、フカフカのベッドに横になる。
起きてから体感的に一時間。
最初はまた寝れるかどうか不安だったがクリムやコルトと二人きりで楽しく話している内に気も紛れ、リラックス出来た一輝は丁度良い具合に睡魔が襲ってくる。
(もし僕一人でここに来てたらずっと悪夢に悩まされてたのかな……本当に皆が来てくれて良かった──)
仲間の大切さを心の中で改めて噛み締めながら眠りに落ちる一輝の寝顔は、とても安らかであった。




