遭遇 その2
全校集会が終わって生徒達が下校を始める。
天気は体育館の中にいた時みたく叩き付けるような大雨ではなく小雨になっており、帰るには楽ではある。しかし気分は重たいままの生徒がほとんどだろう。
教見津太郎は雨に濡れないよう持っていた黒色の傘を差し、地面の色々な所に雨で出来た水溜まりを避けつつ清水栄子と帰り道を歩いていた。
津太郎は体育館で見た生徒が膝から崩れ落ちる姿、泣き叫ぶ声が頭にこびりついて離れない。
人があんなに感情をさらけ出す光景を目の当たりにしたのだ。忘れろという方が無理というものである。
しかし、少しでも気を紛らわせようと栄子に話しかけようとするが話題が全く出てこない。
一週間以上休みがあったんだから話すネタなんていくらでもあると思っていたが、思い返してみると最初の一日だけネットで調べ事をして後はゲームばかりと特に何もやってないことに気付いた。
(もうちょい充実した休日過ごせよと我ながら思う……)
だから今すぐ口を開けば出てくるのは確実に体育館での出来事だった。
しかしそれでは意味が無いと何か話題がないか考えていると栄子の方から話しかけてくる。
「──あのね」
その声のトーンは気持ちが重い時の雰囲気は特に感じず、いつも通りの可愛らしい声だ。
「ど、どうしたんだ?」
唐突な発言に内心少しだけ焦りはしたが、何事もないような態度をとる。
「この長い休みの間にね、私の家に小織ちゃんが来てくれたんだ」
「そっか。 あの時に彩おばさんと約束してたもんな。 楽しかったか?」
「うん、凄く楽しかったよ。 三人で沢山おしゃべりして、お母さんに色々教えてもらいながらお菓子作ってみたりして──本当に幸せだった」
「いい思い出が出来て良かったな。 月下にも感謝しないと」
「でも……」
急に栄子の声から元気が無くなる。津太郎もそれにはすぐ気が付いた。
「栄子?」
「その人と楽しい思い出がたくさん出来てもこの世からいなくなったら──残された人にとっては──思い出す度にそれは……悲しい思い出に……塗り替えられちゃうのかな……」
体育館で三年生が悲しむ姿を見た栄子もまた頭で悩み、心を苦しみ胸が締め付けられる思いをしているのだろう。
その気持ちが痛いほど分かる津太郎だからこそ、生半可な返答が出来ないまま二人の間に沈黙が続く。
「ご、ごめんね。 なんか変なこと言っちゃって……さっきのはつい勢い余って言っちゃっただけだけで忘れてもらっても全然大丈夫だから……」
自分のせいで困らせてしまったと思ったのか急に謝ってくる栄子に対し津太郎は口を開く。
「楽しかった思い出が悲しい思い出になるのは人よっては避けられない……と思う。 でも大事なのは思い出そのものを忘れないことじゃないか?」
「忘れない……?」
「忘れてしまったら……亡くなったその人との繋がり自体が薄くなったり無かった事になってしまうような気がしてならないし、思い出もまた立派な生きた証なんだからさ──時々でも、悲しくても、文字通り思い出して忘れないようにするのが大事なんだと──俺は考える」
津太郎は普段しないような発言をしたからか、急に恥ずかしくなって照れ隠すような態度をとる。
「──って我ながら何を言いたいんだって気分になってきた……もうちょい上手くまとめたりビシッと格好良く決めれたら良かったんだが……すまん」
津太郎の言った事に対して栄子は顔を横に振る。
「うぅん、私なんかの為に一生懸命になってくれたのが凄い伝わってきたよ……それに──大切な人との思い出や、その人自身を忘れ去られた方が……悲しいよね」
この時、空はまだ黒いままだが数日振りに雨が止んでいた。
その事に気付いた二人は傘を閉じると、栄子は何かを決意したのか和やかな微笑みを津太郎に見せつける。
「だから私ね、忘れないようこれからもクラスメートの人達に辻君や小織ちゃん──それに教見君とも……沢山の思い出を作っていきたいな」
栄子から発したその声からは落ち着きの中にも信念のようなものを感じる。
「これから体育祭に文化祭、修学旅行なんて大型イベントが沢山あるんだから数えきれないほど作れるさ──あ、でも健斗とは別に作らなくてもいいぞ。 あいつとの思い出なんてまともじゃないのは目に見えるからな」
「もー! 辻君だってそんな事言われたら悲しんじゃうかもしれないから駄目だよ!」
「健斗はこれぐらいじゃ一切へこたれないから大丈夫大丈夫。 俺が保証する」
「辻君だけ蚊帳の外なんて可哀想だよぉ……」
こういう些細なやり取りの積み重ねもまた、一つの『思い出』になるというのを二人はまだ気付かない。
◇ ◇ ◇
それから栄子を家まで送った後、津太郎自身も難なく家まで辿り着く。
学校で行われたのが全校集会だけということもあり、まだ時刻は午前十時ぐらいだろうか。
「ただいまー」
玄関を開けつつ帰宅時の挨拶をするも家中を響かせている機械の騒音が津太郎の声をかき消す。
(掃除機の音で聞こえてないか)
玄関のドアを閉めて靴を脱ぎ、家に上がろうとした時にリビングの入り口辺りから教見美咲が『吸引力が変わらない』事が有名なコードレスの掃除機を持った状態で出てきた。
玄関先にいる津太郎に気付いた美咲は掃除機の音が迷惑と思ったのかすぐにスイッチを切る。
「玄関のドアが閉まる音がしたから誰かな? と思ってたら津太郎だったのね、おかえり」
「うん、ただいま」
やはり聞こえてなかったらしいが、余計な事は何も言わずに二度目の挨拶をする。
「まぁ学校でどんな話を聞いたかは後で知るとして、とりあえず手洗いうがいして服を着替えてらっしゃい」
そう言い残すと美咲は再び掃除機のスイッチを入れて廊下を綺麗にしていく。津太郎は特に拒む理由も無いので言われた通りに従うことにした。
──数分後、上下共に黒のジャージの私服に着替えを済ませた津太郎が、リビングにある真っ白で数人はまとめて座れる上に正方形の枕がいくつも並べてある大きなソファーに座って一休みをしているとようやく掃除機の音が止まり、家の中が美咲の歩いている足音しかしなくなる。
(静かだなぁ……)
家中が静まり返るのもそれはそれで少し落ち着かない津太郎は真正面にあるテレビを点けるとニュース番組が放送されていて、画面には報道フロアと女性アナウンサーが見える。
報道フロアはテレビ関係者の人が仕事をしている所をなるべく見せない為か、後ろのアクリル板は完全に透明ではなく薄っすらと靄が懸かったように白い。
更に灰色で四角の形をした模様が不規則にいくつも並んでおり、これもまた背景を隠し視線をアナウンサーの方へ集中させるのに成功している。
そのアクリル板の前に茶髪のロングヘアーで無地の黒い長袖を着た大人びた女性が上半身だけ見えるようにカメラに映っていて、目を全く下の方へと向けずに視線を前にしたままニュースの原稿を読んでいた。
しかし、よりにもよってそのニュースの内容は昨日の朝に命を落とした女子生徒の事であった。
ただでさえ注目を浴びている神越高校で、更に生徒が亡くなったとなればマスコミやニュース関係者が再び目を付けるのは当然の事かもしれない。
女性アナウンサーが原稿を読み終えて映像が映り替わると、マンションの入り口らしき場所で亡くなった生徒の父親が顔を見せないよう身体だけを映す。
声はモザイク加工が成されていて、画面の下側には『生徒の父親』というテロップが貼られてある状態で取材を受けているVTRが流される。
「色々と……その、複雑な気持ちです。 動画を上げたのがきっかけで沢山の人に迷惑を掛けたというのは本人も自覚していましたし……後悔もしてました……それを止める事が出来なかった私達夫婦にも責任はあります。 ですが命を絶つなんて行為だけはして欲しくなかった……生きていればきっと家族みんなで何か出来た筈なのに……」
ここでVTRは終わって映像が再び報道フロアの方へと変わると──
「それでは、続いてのニュースです」
何事もなかったかのように次のニュースが始まった事に津太郎は何とも言えない気持ちになった。
「はぁ……親としてこういう内容のニュース見るのは慣れない上にしんどいわねぇ……」
掃除機を片付けた美咲が白のティーカップに薄っすらと白い湯気が立っているホットのブラックコーヒーを淹れて津太郎の後ろへ立っていた。
「俺もしんどいよ……今日のは特に」
「忘れたい?」
美咲の質問に津太郎はハッキリと答える。
「いや、それはない」
「へぇ、珍しく堂々と言うじゃないのよ……学校で何かあったのかしら?」
津太郎が迷いもせず言い切った事へ美咲は感心と驚きが入り混じったような顔を見せた後、ふと何か思い出したのか休む間もなく話しかけてくる。
「──ってそういえば学校はどうだったのか聞くのすっかり忘れてたわ」
美咲がそう言いつつソファーへ座ると、津太郎は全校集会で教頭が女子生徒の遺書を読み上げた事やその内容、そして三年生の人達が辛そうに泣いていた事を語る。
終わった後に美咲は中途半端に残っていたコーヒーを一気に飲み干すと、カップを手に持ったまま話し出す。
「コーヒーが苦く感じるなんていつ以来かしらねぇ……」
後味の悪い話に美咲が冴えない表情でつい溜め息を漏らす。
「──親としては、やっぱり生きていて欲しいって気持ちになるのは当たり前よ。 でも子供はそれを拒んだ……想いが届かなかったというのは辛いわね」
「何とか……ならなかったのかな」
「それはまた難しい話よねぇ。 自分が悪いと分かっていて心を完全に閉ざしているわけだから、誰が何を言っても心を開くことはなかったかもしれないわけだし──親が子供の異変に気付いた時にはもう限界に来てたかもしれないわ」
「……」
親として、大人としての現実的な意見を聞いた津太郎は何も言い返せないのと同時に何も思いつかない自分に無力さを感じる。
「──さて、この辺りで話も終わりにしましょ。 津太郎……気にするのは仕方ないけど、あまり思い詰めるのもよくないわよ」
そう言うと美咲は立ち上がって持っているティーカップを洗いに台所へ向かおうとする──が途中で立ち止まり、色々悩んで疲れてそうな津太郎に声を掛ける。
「全く……あんたは一人であーだこーだ考え過ぎ。 身体は大きくなっても中身はまだまだ子供なんだから、もっと親を頼りなさい──分かった?」
やはり長年育ててきた親だけあって津太郎の悪い癖を見抜かれていて、痛い所を指摘されてしまう。
しかし母親の優しい問いかけに対して気持ちは楽になった気がするが、思春期真っ最中の津太郎にとっては少々照れくさい。
「えーっと……迷惑じゃない?」
「何言ってんの──別にいいのよ、親なんだから」
言いたい事を全部伝えた美咲が台所へ向かうのを静かに見ていた津太郎は、親の偉大さを痛感させられた。




