命は花火のように儚い その二十九
九月一日。 この日は学生にとって最も辛い日だ。 理由は当然──、
「鬱だ……」
夏休みが終了し、学生としての本分である学業が始まるからだ。 蝉の鳴き声が鳴り響く早朝、スマートフォンの目覚ましと共に津太郎は目を覚ますも、最初に発した言葉は明らかに後ろ向きな内容だった。
「夢じゃ……ないんだよな……」
仰向けのままスマートフォンを掴み、液晶画面を見て日付を確認するが間違いなく九月と表示されている。 実はまだ八月かもしれないという現実逃避はさせなかった。
「はぁ……このままボーっとしてても母さんに怒鳴られるし、起きるか……」
今日から学校という現実を素直に受け止め、身体を起こしてベッドから離れる。 立ち上がった後、革製の黒い学生カバンを持って部屋から出て行く時の足取りが重そうだったのは、夏休みという名の楽園をまだ引き摺っている可能性が高い。
何とか夏休み前の感覚を思い出しながら身支度を整え、白の半袖仕様のカッターシャツに黒のスラックス、白の靴下に着替えてからリビングまで歩く。
「……おはよう」
リビングに入って真っ先に目に映ったのは台所へ立って朝食の準備をしている美咲だった。 挨拶をするが、その四文字には魂が籠っていなかった。
「おはよう───って明らかにテンションが低いわね……まぁ理由は分かってるけど」
白シャツに青のジーパン、黒のエプロンを着用をした美咲は準備の手を止めて挨拶を返す。
「夏休み明けなんて殆どの人がこんなもんでしょ……逆にテンション高い人がいたら会ってみたいよ……」
津太郎は溜め息を吐きながら台所へ向かい、自分のお茶や箸を用意する。 その間に美咲が朝食の白飯や味噌汁、おかずを食卓へ運んでいた。
「そういえば父さんは? まさかもう仕事に行ったってわけじゃないよね?」
「お父さんなら時間に余裕があるからって庭の草刈りしてるわよ」
気持ちを切り替えて朝食のウインナーを飲み込んでから訊ねると、美咲は巌男の分の食器を洗いながら質問に答えた。
「えぇ……仕事前なのに体力使って大丈──いや、父さんなら何も問題無いか」
八月のキャンプで誰よりも動いていたのに息切れ一つせず、汗も掻かずに平然としていた巌男が草刈り程度で疲れなんて感じる訳がないとすぐに気付いた。 むしろ一体どうしたら疲れを見せてくれるのか知りたいぐらいだ。
「津太郎もお父さんを見習って草刈りでもしてきたら? シャキっとしてきっと目が覚めるんじゃない?」
「仮に目が覚めても学校で眠くなりそうだから遠慮しとく──あっ」
草刈りへの誘導を避け、白飯に手を付けようとした箸の動きが止まる。 そして後ろにいる美咲の方へ身体を向けた。
「あ、あの~……か、母さん……九月になったからお小遣いを……貰っても……」
急に食事を止めたかと思うと、非常にぎこちない作り笑顔と苦笑いをしながら美咲へ今月分の小遣いを要求し始めた。 夏休み明けを意識し過ぎて頭の中から消えていたが、今日は月に一度の小遣い日だというのを思い出したようだ。
「何でこんな朝早くから小遣い──って、そういえばお祭りの時に全部使い切ったんだっけ? お父さんがあげた分も含めて」
夏祭りのあの日、栄子と小織に贈ったシルバーアクセサリーは一つ千五百円で、二人分だから三千円。 買う前に持っていたのも三千円。 つまり最後に向かった屋台で財布の中は空になっていた。 当然、二人に所持金が無くなったとは口が裂けても言わなかったが。
「いやいや全部じゃないって、一応二千円は部屋の中に残してるし。 でもたったこれだけじゃ不安だから欲しいんだけど……駄目?」
「駄目」
食器を洗い終わった美咲は食卓へ移動しながら津太郎の懇願を即座に却下した。
「はっや!」
「お金が無いからって別に今すぐ必要というわけでもないでしょうが」
美咲はそう言いながら津太郎の真正面に座る。
「喉が渇いた時に飲み物買えないじゃん」
「水筒にお茶を入れていけば無料よ無料」
「それは……まぁそうだけど……」
「とにかく、小遣いは学校から帰ってきてからよ。 今日は水筒でも持っていきなさい」
「はーい」
美咲に言い包められ、仕方なく諦めようとした──その瞬間だった。
「えー、続いてのニュースです。 昨夜、午後十時過ぎ──」
リビングに置かれた点けっぱなしのテレビから流れるニュースの内容に意識が向かってしまう。 どうしてなのか、それは男性アナウンサーの緊迫した声で発した県名と町名が津太郎達の住んでいる所だったからだ。
「──お住まいの五階建てのマンションの一室で、男女二人の遺体が発見されました」
そして男性アナウンサーがニュースを続けると、その内容に驚いた二人はすぐに席から立ち上がった。
「事件!?」
「嘘でしょ!?」
二人がリビングへ移動している間にもニュース自体は進行しており、テレビには現場と思われるマンションの映像が映し出されていた。
「ここって前に娘さんが亡くなったところじゃない……! また誰かが亡くなったなんて物騒ねぇ……」
あれから三ヵ月以上も経つというのに、美咲は亜希が命を絶った事を覚えていたらしい。 運動場の騒動による長期休暇明け前に掛かってきた電話は、それ程までに強烈な出来事だったのだろうか。
(まさか……いや、そんな筈は……)
津太郎はこのマンションを見た直後、過去のとある記憶が蘇る。 ショッピングモールのレストランで耳にしてしまった話の内容──早見夫婦が『異世界』へ行くと男性達が言っていた事を。
偶然であって欲しかった、気のせいであって欲しかった、人違いであって欲しかった。 しかし──、
「早見達夫さんの仕事の同僚が早見さんが一週間前から仕事にも来なくなり、連絡も取れなくなったという事で仕事帰りに家へ向かうもインターホンを鳴らしても出てこない。 これはおかしいと思い管理人にお願いをして鍵を開けてもらったところ、風呂場で二人が倒れているのを発見し、事件が発覚しました」
淡々と原稿を読む男性アナウンサーの説明により、この二人の遺体が早見夫婦であるのが確定してしまった。 ニュースとしてはまだ本当に事実であるかどうか分からない為、遺体の名前を公表していないが、間違いないと言っても過言ではないだろう。
「遺体は死後数日が経過しており、警察は身元の確認を急ぐと共に、司法解剖して死因を調べています」
では次のニュースです──という言葉と共に番組の中では全く違う報道が始まるも、津太郎と美咲は切り替えなんて出来ているわけがなかった。
「いやー、まさかこんなことになるなんてねぇ……九月に入ったばかりなのに縁起が悪いというか何というか……」
「う、うん……ビックリしたよ」
津太郎の返事の歯切れもリビングの空気も悪い。 この町で死人が、それもこの家から然程遠くない所で出たのだから気が重くなるのも仕方ないが。
「──さっ! そろそろ朝ご飯食べてちょうだい! 早くしないと遅刻しちゃうわよ!」
空気の流れを変えるべく美咲は両手を叩いて音を鳴らし、強制的に気持ちを切り替えさせる。 ただ、家を出るまでの時間があまり残されていないのは事実だった。
「さっきのであんまり食欲が……」
「ちゃんと食べて行きなさい! しっかり食べとかないと後が辛いんだから!」
「わ、分かったよ……」
美咲に背中を軽く押された津太郎は食卓へ戻って朝食を再開する。 何とか味噌汁の味は感じる──だが食べている間も早見夫婦、そして男性二人組へ対する思考は止まらなかった。
(あの時……レストランにいた時はどういう意味か分からなかったが……もしかして異世界へ行くって……命を絶たせることなんじゃないのか……?)
津太郎は辿り着いてしまう。 想像もしたくない、一つの答えに。
(だが何の為に……? それにあの話し方だと二人だけじゃなく、他にも何人も──もしかしたら何十、何百人もいるかもしれない……一体……何が起こっているんだ……)
八月が終われば九月が始まる。 夏休みが終われば二学期が始まる。 何かが終われば何かが始まる。 だが謎は──深まるばかりだった。
七話 命は花火のように儚い 終




