命は花火のように儚い その二十六
──花火が打ちあがる十分前。
一輝とコルトは既に祭りの会場を出て、神越高校の前にいた。 周りには人の気配は一切無い。 時折吹く夜風の音しか聞こえず、先程までの賑やかさが嘘のようだった。
祭りの会場から歩いて十分以上は掛かる神越高校にどうして既に移動しているのかというと、実は一番奥まで歩いた後、一周せずに別の道から引き返していたからだ。 その道は何処か、それは建物の屋上へ跳躍するのに向かった歩道。 この道なら人もおらず、戻るには丁度いいと考えたのだろう。
せっかく祭りに来たのに一周もしないまま会場から出たのは、長く居過ぎるとそれだけ帰る人も増える──つまり会場へ向かう時同様に公園の前を通る人が続出して拠点へ戻りにくくなるからとの事らしい。
(今なら誰もいなさそうだし、運動場をちょっと覗くぐらいなら出来そうな気もするけど……)
校門の前で一輝は立ち尽くす。 目の前にある黒に染められた校舎を眺めながら。
(──ってそれじゃ不法侵入になっちゃうか)
これではクリムと考えている事が一緒だ。 すぐに気付いた一輝はもしかしたら訪れるかもしれないその時まで待つ事にした。
「あの、イッキ様……本日は誠にありがとうございました」
もうそろそろ校門から立ち去ろうとした時、隣にいるコルトが呼びかけてくると、続けて両手をスカートの手前の部分に重ねるようにして置き、浅すぎず、深すぎずの美しい角度でお辞儀をする。
「イッキ様のおかげでこの世界ならではの経験が出来て、とても有意義な時間を過ごせました」
頭を上げた時の表情はとても安らかだった。 三ヵ月ぶりの外出、未知の出来事による知的好奇心の刺激、何より一輝との二人きりでのお出かけ──とても満足という言葉では片付けられなさそうだ。
「僕は特に何もしてないと思うけど……でも楽しく過ごせたのなら良かった──あっ……」
一輝は急に何かを思い出したかのように口が開きっ放しになる。
「どうなされました?」
「お祭りに夢中になり過ぎてて会場の周りは何があるのか確認するの忘れてた……」
「心配には及びません。 何処にどういう建物があるのか、どういう分かれ道があるのかは把握済みです。 なのでご安心を」
こちらの世界での祭りを楽しみ過ぎたのが原因で本来の目的を忘れてしまい、青ざめた表情になってしまった一輝にコルトが安心させる言葉を優しく掛ける。
「あ、ありがとうコルト、助かったよ……!」
ただでさえ帰るのが遅くなった上にやるべき事もやらず遊び惚けた事をクリムに知られたら怒声を浴びせられるのでは、と考えていた一輝は深く息を吐く程に安堵していた。
「イッキ様の手助けが出来て何よりです」
「でもほんと凄いなぁコルトは。 あれだけ沢山の人や屋台とか飾りとかあったのにそこまで目配りしてただなんて」
ハンバーガーショップでは周りからの好奇な視線が苦痛に感じて余裕なんか一切無かったというのに、祭りの会場では逆に周りを見渡せる程の余裕が生まれていた。 これは最早克服したと言ってもいいと良さそうだ。
「いえ、イッキ様が悪しき暴漢を食い止めた事に比べたら全然大した事ではありません」
コルトは首を横に振る。 恐らく自分にとってはただ成すべき事を成しただけ、と思っているのだろう。
「もしもここにいるのが私ではなくクリムでしたら『これぞ正に騎士道精神っ! よくやった』とイッキ様を褒めていたでしょう。 その時の光景が容易に想像出来ます」
ふとコルトの中でクリムと一輝がこの場所にいる場面を思い浮かべたのか、話題として振ってくる。
「いやいや、クリムだったら騒動が起こった直後に我先にと人混みの中へ入り込んで泥棒を捕まえてるから、褒められるどころか『人の悲鳴が聞こえたら考えるより先に動かんか!』って怒られてるよ」
「……確かに」
神妙な面持ちで思考すること数秒、コルトは否定する事無く頷き、納得した。
「私もクリムとは長いお付き合いですが、イッキ様の方がクリムの事を理解していそうですね」
「うーん、それは無いんじゃないかな。 クリムの小さい頃とかあまり知らないし」
「そういう事ではなく……何と言えば良いのでしょう。 お互いの心が通じ合っている──と言うのでしょうか」
「そ、そうかなぁ……?」
一輝はコルトの言葉を不思議そうに感じているだけで、全く実感は湧いていなさそうだ。
「心とは見えないもの。 なので恐らく無意識の内に分かり合えるようになったのでしょう……ですが──羨ましいな……」
それまでは一輝と目を合わせて話せていたのに最後の一言だけは顔を背けてしまう。 その一言もメイドとしてではなく、一人の女性としての何か悔しさのようなものを感じられた。
「羨ましいって何が……?」
コルトとしては独り言のつもりで呟いたのかもしれないが、一輝の耳にも届いていたらしい。
「……イッキ様とクリムが分かり合えているのが……です」
聞かれてしまった──ならもういっその事、ありのままを打ち明けよう、そう感じたコルトは視線を合わせて本音を語る。
「イッキ様と私は主とメイド──ただの主従関係に過ぎませんが、クリムとは師弟関係を越え、互いに互いを理解しあえているような気がして……私もイッキ様と七年間ご一緒している筈なのに……」
一度語り始めたらこうも止まらないものか、内心では自分も驚く程にコルトの口は動き続ける。 メイドとしてあるまじき姿、人として情けない姿だとは自覚していても、止める事は出来なかった。
「確かにクリムは頼れるお姉さんみたいとは思ってるけど……互いを理解してるってちょっと大袈裟なような……」
「大袈裟ではございません。 前々から薄々と感じていましたが、シンタロウ様が屋敷へいらっしゃったあの日、クリムが七年前の出来事を語ったイッキ様を慰めになった時の光景を見て確信しました。 この二人には私には無い、確かな絆で結ばれていると」
「コルト……」
コルトの本音を聞くも、一輝は何も答える事無く時間だけが過ぎていく。 そして二人の間に永遠ともいえる沈黙が続くと思われた次の瞬間、突如として神越高校から見て左側から砲撃に似た破裂音が全身を震わせる。
「キャッ! い、イッキ様、あれは一体っ!」
「は、花火だ! うわぁ……懐かしいなぁ……」
二人が見つめる先、遥か先の上空には花火が打ち上がっていた。 それからも夜空には絶え間無く心地良い爆音と共に様々な色の火花が広がる。
「……とても綺麗……ですね……」
「うん……」
コルトは初めての、一輝は数年ぶりの花火に見惚れる。 一瞬しか映らないからこその儚く切ない輝きは、異世界の住人の目や心すらも奪っていた。
「ねぇ、コルト」
花火が打ち上がり始めてから五分後、一輝は眺めながらコルトへ話しかける。
「いかがなさいましたか、イッキ様」
声を掛けられたコルトは身体ごと一輝の方へ身体を向けた。
「さっきのことだけど──きっとコルトとも互いに分かり合えてはいるんだよ。 ただ、互いに気付くきっかけというのが今まで無かったっていうだけなんだ」
一輝もまた横を向き、花火ではなくコルトと目を合わせる。
「でも、さっきコルトがそのきっかけを作ってくれたんじゃないかな」
「私が……?」
「本音を打ち明けてくれたことだよ。 メイドとしてではなく、一人の人間のコルトルト・ブルーイズとしての本音を」
「ですが……クリムに比べて大した事ではないような……」
「出来事に大小の差なんて無いよ。 大事なのは、お互いを分かり合えているというのに気付くことなんだから」
花火の眩い光が二人を照らし、一輝の笑顔がコルトの瞳に映る。
「……っ!」
胸が締め付けられる。 心臓の鼓動が激しい。 頬が熱くなっているのが嫌でも分かる。 一輝を見つめていると苦しい──なのに見つめられずにはいられない。
「だから今日は色々あったけど、コルトとも分かり合えてよかったよ。 えっと……だから──これからもずっと宜しくね!」
「は、はい……私も……イッキ様と心を通じ合えたような……いえ、通じ合えて……う、嬉しく存じます……これからも末永く……宜しくお願い……致します……」
コルトは視線を逸らしそうになりながらも必死に堪え、花火の音に搔き消されない程度の声を何とか絞り出す。
(……? 何でこんなに緊張してるんだろ? 僕、何か変なこと言ったかな?)
ただ、コルトをそうさせた張本人は何も分かっていなかったようだ。
その後、二人は花火をじっくりと鑑賞して楽しむ。 他に誰もいない、正に異空間ともいえるこの空間で。




