命は花火のように儚い その十六
その後、若干暴走気味な女性店員との接客を何とか済ませた二人は左側の壁辺りで待っていると、別の女性店員が商品の置かれた緑色のトレーを持ってくる。 一輝はこのトレーを受け取ってから軽く頭を下げ、最初は一階に座ろうとしたが目に見えて人が多い。 だが一階が賑わってるだけで二階はそこまで人がいないかもしれない。 そう願ってレジより右側にある階段を上る。
(良かった、こっちは人が少なかった)
二階にも人はいたが、一階に比べて遥かに席は空いていた。 ただ、日差しの強い窓際の席には誰もおらず、全員が日陰の席に座っている。 一輝達もわざわざ暑い思いをする窓際には行かずに左側の壁際、一番隅の見通りの良い二人用のテーブルへ移動した。
「じゃあここに座ろうか」
「分かりました」
二人は黄色の長方形テーブルを挟んで黒のソファー型の椅子に座る。 疲れてはいない筈なのに脳が休息に気持ちを切り替えさせようとしているのか、「ふぅ……」と溜め息が勝手に漏れた。
「まぁ色々と話したいことはあると思うけど……とりあえず飲んでからにしようよ。 気が抜けたらちょっと喉が渇いてきたし」
「はい──しかしこの細い筒はどうやって使うのでしょうか?」
トレーの上に置かれているのはジュースの入った白の紙コップ。 だがコップの縁全体を覆うように透明の蓋が付いていて、その中央の穴には白のストローが刺さっている。
コルトもジュースを飲むのにストローが必要なのは即座に理解したらしいが、使い方がよく分かってないらしい。
「これはもう単純にこうやって吸うだけだよ」
実際に紙コップを片手で持ち上げてからストローの先を口に咥え、メロン味の炭酸ジュースを吸う動作をコルトに見せる。
「なるほど、そのようにして使うのですね。 私も試してみます」
コルトも一輝の真似するように紙コップを両手で持つと左手で底の裏を、右手は側面を支えながらストローの先端を優しく唇で挟む。 そしてゆっくり吸うとブドウ味の炭酸ジュースがストローを通じて口の中に入る。 同じ事をしているのにやたら上品に感じるのは雰囲気が違うのか、それともメイドとしての振る舞いが出てしまっているのか。
「あ、美味しい……」
前に津太郎から貰った物とは別の炭酸ジュースを初めて口にし、その美味につい頬が緩む。 その言葉を聞いた一輝は口に合って良かったと安心していた。
「──でもさっきは何事も無く済んで本当に良かったよ」
二人がジュースを堪能して一段落した後、一輝は周りに人がいない事をこの目で確認してからレジでの出来事について話し始める。
「はい……一時は一体どうなることかと思いましたが……」
何もしていないのに見知らぬ人達から奇妙な視線を感じるのは本人としてはあまり心地の良いものではない。 原因不明なら猶更だ。
「しかし、まさか店員の方にあのような事を言われるとは……」
レジ担当の女性からのべた褒め。 しかも一度だけでなく二度も。 あの目、態度、そして口から出た言葉。 誰がどう見てもお世辞や社交辞令でないのは明らかだった。
「流石にあれはビックリしたね……だけどあの店員さんのおかげで注目されてたのにとある仮説が一つ浮かび上がったのもまた事実だし、それには感謝しないと」
「仮説……ですか?」
「うん、あれだけ沢山の人に見られたり店員さんが驚いてたのはコルトに存在感があるから──っていう仮説」
「わ、私に存在感……!? 私なんて何処にでもいる只のメイドですのに……」
自分はあくまでもメイド。 主より、客人より、他の従業員より目立ってはいけない陰の存在。 それはコルト自身が一番心得ているからこそ、存在感なんてものはあってはならないのもまた理解していた。
「そのメイドだからこそじゃないかな」
「それはどういう……?」
「えっと……立ち振る舞いって言うのかな……言葉遣い、声の発し方、立ち姿、歩き方とかそういった一つ一つの動作がコルトからすれば何処にでもいる只のメイドの行動と考えていても、この世界の人達からしたら心奪われるような気品のある立ち回りに映るんじゃないかって思ったんだ」
一輝の答えは半分だけ当たっていた。 コルトのメイドとして長年培ってきた動作は、何も知らない人達からすれば舞踏会に訪れたお姫様のように見えていたに違いない。 ただ、残りの半分が美貌だというのはクリムの時同様に気付かなかったようだ。
「立ち振る舞い──なるほど、イッキさんの仰りたい事は分かりました。 しかし、まさか私としては当たり前のようにしている仕草が、この世界の方々の目にはそういう風に映るだなんて考えもしませんでしたね……」
コルトが予想だにしないのも無理もない。 この世界の住人は創作の中のメイドした見た事が無いのだ。 その者達の前に本物のメイドが現れるという事は、創作の中のメイドが現実に姿を現したに等しい。 目を奪われるのも同然だ。
「でもまぁこれだっていう根拠も無いし、あくまでもパッと思い付いた仮説だから、そこまで鵜呑みにしてもらわなくてもいいからね」
一輝の中ではコルトの気が少しでも紛れたらいいぐらいの感覚でいたのだろう。 しかし──、
「──いえ、何も分からず不安でいた私にとって、この仮説は暗夜に差し込む一筋の光です。 有難く、胸の奥に仕舞っておきます」
合っているか合っていないかなんて関係なかった。 この答えは一輝が自分の為に考えてくれた贈り物。 それがコルトにとって何よりも心の救いだった。
「そこまで大層なものじゃないと思うんだけどなぁ……」
ただ、幸せそうに微笑むコルトに対し、言った張本人はどうして大事そうにするのか理解出来ていなかったようだが。
それから二人はジュースを飲みながら雑談をする。 他愛ない話ではあるが話題は尽きない。 何故なら話題はここから目に映る物全て、至る所に転がっているからだ。 コルトにはテーブル、椅子といった当たり前に置かれてある物まで興味の対象となる。 これまでにない新鮮さにこの世界へ来てから今が一番心躍っているのは間違いない。
──十分後、想定よりも雑談が盛り上がっていた所、それまでは居なかった近くの席に家族連れや男女のカップルが座り始める。
一輝もまた周りに人が集まってきた事に気付き、そろそろ混む時間帯かもしれないから店を出ようと決め、二人は席を立つ。 そして一輝が空の紙コップが置かれたトレーを持つと一階へと下りると、レジカウンターの側にあるゴミ箱へ向かう。 紙コップを捨て、トレーをゴミ箱の上に何重にも重なった同じ物の一番上に置く為だ。
外へ出る前に行う最後の作業を終わらせると、二人はようやく店を後にしたのだ──が、
「うわっ、何これ……!」
日が暮れて空が黒に染まりつつある頃、外に出た二人が見た光景は溢れんばかりの人の行列だった。 店へ入る前は通行人なんて簡単に数えられる程しかいなかったのに、今はとてもじゃないが不可能だ。
「イッキさん、これは一体……?」
「ご、ごめん、僕も何が何だか……」
困惑するコルトが訊ねてくるも何も分からない一輝に答えられる訳が無く、正直に話すしかなかった。
(あれ? でも浴衣姿の人が多いような……)
一輝から見て右側に次々と進んでいく人混みの中には、浴衣を着た男女の姿が至る所で見受けられる。
(これってもしかして──)
人だかり、浴衣、夏、そして夕方という時間帯──これらの手掛かりから思い付くのは一つだろう。
(何処かで夏祭りでもやってるのかな)
そう、この時期で一番盛り上がる行事、夏祭りだ。




