七話 命は花火のように儚い その一
八月下旬。 世間でいう長期休暇が終わりを告げ、学生にとっては夏休みが終わるのを嫌でも意識してしまう時期。 まだ日は落ちる雰囲気を微塵も見せる事無く昇っており、強い日差しは休む事を知らない。
そんな真っ昼間から神越高校二年生、教見津太郎は上下黒の半袖半ズボンの格好でエアコンの効いた自分の部屋にいた。 だが普段ならゲームをしている時間だというのに珍しく勉強机に向かっている。
「何でこんな日に宿題をしてるんだ俺は……」
何故ならまだ宿題が残っていたからだ。 とはいえ全く手を出して無かったというわけではなく、むしろ殆ど済ませていて残り僅かだったという方が正しい。
「でも今の内に終わらせないと明日になって急に風邪とか引いたら後で泣くことになるからなぁ……」
だがどうして急いでやっているかというと、もう夏休み終了間近だというのに体調を崩してしまっては間に合わなくなる可能性がある。 どうしてもそれだけは避けたい衝動が事の発端のようだ。
「──ん? あれ? ここのプリント何処にいったんだ?」
宿題のプリントが一枚抜けている事に気付き、勉強机の一番上の引き出しを開ける。 するとそこには一輝と異世界に関する白い紙のメモ用紙が入っていた。
「あ……」
メモが目に入ると、現実逃避ではないが何となく手に取って黒のシャーペンで雑に書いた内容を眺める。 ちなみに五月から書き始めたメモ用紙の一枚目は裏表が文字で埋め尽くされており、二枚目に突入している。
「この前来た時にカラコン渡したけど上手くいったんだろうか……」
実はキャンプに行ってから今日までの間に異空間の中で約束した通り、一輝が津太郎の家へ来ていた。 この時に月下小織から頂いたカラーコンタクトを渡し、そして翔子にどうやって一輝の存在を知らせるかについて、『配信』という方法が閃いた事を教える。
しかしまだ思い付いただけで何も準備は出来ていない、仮に準備完了したとしても無名な高校生が配信をしたところで誰も見ないから意味が無いのを伝えた後、一応有名な配信者に心当たりがあるものの、二学期になるまで話せないから九月まで待って欲しいとお願いした。
それから津太郎は配信に映っていいかどうか念の為に確認を取ると、「勿論!」と即座に承諾してくれた。
二つの話に一区切りついた後、津太郎は遭難のきっかけを作った男の子二人がどうなったか話題を切り出す。 キャンプ場の管理人から話を聞かせてもらい、男の子二人は一輝が山の中で発見してからすぐに運良く下りる事が出来た──までは正直に教えたのだが、その後に関しては口にして出さないまま話を終わらせる。
最初から話すつもりが無かったのも確かにあるが、一輝が知りたいのはあくまでも男の子達の安否であって真相ではない。 それと無事だった事を知らせた時の一輝の安堵した顔を見るとその後に見放したなんて言えるわけがなかった。
「あのカラコンを見本に自分達のをカナリアちゃんが作るんだろうけど、見ただけでどういう素材が必要なのかとか分かるものなんだろうか……? まぁ一輝の話を聞く限り、天才の中の天才みたいだし直感とかそういうので分かるんだろうな……」
メモ用紙を掴み、カナリアに関する内容を見つつ何となく自分なりの答えを見つけて納得する。
「──ってしまった! 宿題のプリントを探すんだった! えーっと、何処だ何処だ……」
その後、本来の目的を思い出した津太郎はプリントを見つけてから改めて宿題を再開した。 そして黙々と没頭し続けて三時間──、
「おっ、終わったぁ……疲れた……本気で……」
日が若干傾き、空が薄っすらオレンジ色になりつつある時間帯にようやく夏休みの宿題が終わる。 燃え尽きて魂が抜けそうになり、プリントやら問題集が散らばっている机の上に全体重を掛けて伏せたい気持ちが強かったが、一度やってしまうともう身体を起こすのが嫌になりそうだと感じて必死に堪えた。
「~~~~っ! さて……と、片付けでもするか……」
次の行動を起こす前に全力で背伸びをし、息を吐き切ってから解放感に満たされつつ宿題や筆記用具を勉強机の中に入れ始める。
「──よし、片付け終了……時間も丁度いいぐらいだな、そろそろ着替えとこう」
机の整理整頓を済ませてから机上に置いていたスマートフォンで何時か確認すると、今度は立ち上がって着ていた服を脱ぐ。 次にベッドの上にある青のジーパンと白のシャツ、薄い生地で緑の半袖ジャケット、白の靴下に着替える。
その後に一階へ降りようとした瞬間、電話の着信音が鳴り響くので誰だと液晶画面を見たらそこには『月下』と書かれていた。
「もしもし、どうした?」
「もうすぐお祭り始まるけど、こっち来てる?」
どうしてこの時間帯に津太郎が服を着替えていたのか、それは一学期の終業式で約束していた夏祭りへ行く約束をしていたからだった。 小織が電話を掛けて来た目的は津太郎が家を出たかどうかの確認だろう。
「いや、まだ家だけどそろそろ出ようかと思ってたところだ──もしかして月下はもうお祭り会場にいるのか?」
「そんなわけないでしょ。 アタシは今、栄子の家にいるわ」
「栄子の家? ん? 昨日は現地集合って言ってたのにいつの間に変更してたのか。 でもそれならそれで事前に伝えておいてくれよ」
「言うのが遅くなったのは悪かったわよ。 でもアタシだって最初は現地集合のつもりだったのに彩さんがどうしても家に来て欲しいって言うから行って、ちょっと色々あってなかなか連絡する暇が無かったの」
「あー、なるほど、彩おばさんが原因なら仕方ない……だけど色々って?」
「……! そ、そんなことは気にしなくていいから……!」
津太郎の『色々』という言葉に何故か動揺しているらしく、隠せてないのが裏返りそうな声から伝わってくる。
「え? お、おう……まぁいいや、それじゃ今からそっちに行くよ。 じゃ、また」
「え、えぇ……分かったわ、それじゃ……」
小織がぎこちなくそう言うとすぐに通話は切れた。
「彩おばさんのことだから──まぁ何かあったんだろうな」
津太郎はスマートフォンの液晶画面を見ながら呟く。 具体的には不明だが彩に何かされた、または頼まれたのだろうという事だけは察した。
「さてと、月下とも約束したし早く行かないと」
スマートフォンをジーパンの右ポケットに入れた後、お金の入った長財布を左ポケットに突っ込んでからエアコンのスイッチを切り、道路側にある窓を開けて網戸の状態にしてから部屋を出る。
「あら? もう出掛けるの?」
津太郎の階段を下りる音で一階に来たのが分かったのか、リビングから母親の教見美咲が出てきた。 服装は上が白シャツに下は黒ジャージとラフな格好だ。
「うん」
美咲の問いに津太郎は玄関前のフローリングに座り、白のスニーカーを履きながら返事をする。
「楽しんでくるのはいいけど、あまり遅くならないようにね。 栄子ちゃんもいるんだから」
「花火が終わったらすぐ帰るって予め決めてあるから大丈夫だよ」
津太郎は履き終わると立ち上がって美咲の方へと顔を向けた。
「それならまぁ問題は無さそうね──じゃあ、はいこれ」
納得した美咲がジャージのポケットから取り出したのは折り畳んだ千円札三枚だった。 そしてこの三千円を津太郎に差し出す。
「えっ……!? いっ、いいの……!」
学生にとって三千円は大金だ。 その大金を目の前にした津太郎は目を見開く。
「せっかくのお祭りなのに手持ちが少なかったら頼りないだろうっていうことで、お父さんからのお小遣いだから遠慮なく受け取りなさい」
「あ、ありがとう……!」
財布の中には一応四千円は入っていたが、祭りでどれだけ使うか分からないだけに確かに心細く、ここでの臨時収入はとても有り難かった。 津太郎は感謝の気持ちを述べつつ貰い、財布に入れる。
(でも何で俺の財布の中身が少ないの知ってるんだろう……またいつもの勘かな……)
ふとそんな考えが頭をよぎったが、今は気にしない事にした。
「それじゃ、行ってくるね」
「はい、いってらっしゃい」
学校に行く時と同じ感覚で挨拶を済ませると、津太郎は玄関のドアを開けて外へ出る。 すると当然だが強い日差しと地面に帯びた熱による暑さが襲ってきた。
「うっわ、暑いな……」
暑さが苦手な津太郎にはこの熱気は辛かった──だがそれ以上にお祭りへの期待が強く、栄子の家へ向かうその足取りは軽く見えた。




