現在と過去 その五十七
津太郎が管理棟を出た後、真っ先に行ったのは背伸びだった。 横を通り過ぎる人が何人かいたものの、特に視線を気にしなかった。 今はとにかく終わった後の解放感を朝特有の空気と共に味わいたかった。
「ふぅ……疲れた……慣れないことはするもんじゃないな」
両手を脱力するかの如く真下へ下ろし、背中を少しだけ丸めて硬直していた身体を柔らかくする。 いくら事情を知りたいとはいえ、ほぼ初対面といっていい人と二人きりで立ち入り禁止の部屋で向かい合わせになって重い話をしていたのだ。 様々な原因が重なって全身が石のように固くなっていてもおかしくはない。
「──にしても電話番号については残念だった、まさか解約してるとは……」
背筋を元に戻した後、頭に浮かんだのは翔子の携帯番号のやり取りについてだった。 声を聞くだけでもいいという願望すら叶わないまま終わってしまったのは落胆という言葉でしか片付かない。
「そりゃ逆に考えれば昔の電話番号は解約してるっていう情報が手に入ったけども……役に立つかどうかと言われれば……全くだよな……」
一輝にこの事を教えたら「そ、そうなんだ……」と微妙そうな反応されそうなのが目に浮かぶ。 後日会った時に伝えるかどうかはまた今度にしようと決めた。
「……とりあえず戻ろ」
まだ完全に頭の中で整理が完了したわけではないが、ここでもうやる事は無く、ずっと立ったままいても仕方ないと感じてテントへ帰る事にする。
そして自分のテントのあるフリーサイトへ着いた時、津太郎は遠くにある野山が目に入ってしまう。
(過去の……七年前の一輝もこうやって現在の俺みたいにあの山を眺めてたんだろうな……)
最初に見た時は探求心の方が強かったのに遭難事件の真相を一輝側、管理人側の両方から知ってしまったせいか、今は切なさとやるせなさの方が勝ってしまう。 ただ、偶然なのか因果なのか、津太郎が立っているその場所は七年前に一輝が立っていた場所と全く同じだった。
(この件は誰が悪いとかじゃなく、不運が重なった結果として生まれてしまった悲劇……としか言いようがない……)
津太郎としても管理人から話を聞いて何とも言えない気持ちになったのは事実だ。 だが子供達も決して一輝を罠に嵌めようと狙って行ったわけではない。 それどころかまさか大怪我をし、行方不明になる事すら想像していなかった筈だ。
一つ一つの行動が悪い方へと向かっていった結果があのような結末になったのであって、子供達が全て悪い訳ではないと津太郎は自分の中で解釈する。
(だから──その悲劇を喜劇に変える為に、一日でも早く一輝と翔子さんを再会させたいな……)
いつまでも過去を気にしても前には進めない。 過去は常に後ろにあり、未来は常に前にしか無いのだ。 希望ある未来を掴むのに必要なのは後ろを振り向かず、前に進み続ける事。 津太郎は遭難事件の全ての真相を知る唯一の人間として、そして一輝の友人として力になりたいと改めて誓い、足を前へ出す。
◇ ◇ ◇
津太郎がキャンピングカーまで戻ってくると、管理棟へ向かう時より大分時間が経過していたのか既に全員が起きていて、テントを片付けたり必要の無い荷物を整理したりと早めの帰る準備をしていた。
この光景を見た津太郎は特に考えも無しに朝の挨拶をした──が、巌男を除いた四人が何故か驚きの様子を隠せずにいる。 どうやら他の者達はまだ津太郎が寝ていると思っていたらしい。
とりあえずテントからいなくなってた理由として、つい早起きをしてしまい何だか寝れなくなったので散歩していたと語ると、キャンプ場として違和感の無い説明だったのか全員が納得してくれた。
その後、津太郎がテントを片付けたと同時に清水一家が管理棟の購買で買ってきたパンやおにぎり、ペットボトルの飲み物で朝食を済ませ、最低限の物以外の荷物を全てキャンピングカーの中に入れる。
それから日が完全に登り、時間がしばらく経過した後──、
「さてと、そろそろ帰るとしましょうか」
声を発したのは白のレジャーシートに座ってスマートフォンを眺めていた美咲だった。
「え、もう?」
美咲の言葉に草原で横になり、日向ぼっこをしていた津太郎が身体を起こして反応する。
「昼前だと今日来たキャンプ客と今日帰るキャンプ客とで混雑するからな。 空いている今の内にここを出た方がいいのさ」
「それに荷物の後片付けとかもあるからね~。 いつ終わるのか分からないから早めに帰っておきたいんだよー」
巌男が山を眺めながら説明をした後、レジャーシートに座っていた孝也が続けて理由を話す。
「キャンプは楽しかったけど後片付けとか考えると鬱だわ~。 栄子は大丈夫? 疲れてない? 疲れてるなら家に帰ったらゆっくりしててもいいのよ?」
「ぐっすり寝れたから大丈夫だよ。 もう、お母さん心配し過ぎだって」
美咲や孝也同様にレジャーシートの上でゆっくりしている彩は隣にいる栄子の体調を心配しているようだ。 ただ、表情や声からして本当に疲れは無さそうに感じる。
「あら残念。 栄子が無理そうなら津ちゃんを家に来てもらおうかと思ってたのに~。 栄子も津ちゃんと一秒でも一緒にいたいでしょ?」
「いっ、いいからっ! 別にいいからっ! それに教見君だって家での後片付けあるんだし! 迷惑かけちゃ駄目だよ!」
いつもの冗談交じりの話し合いが終わった後、外に出していた物を全てキャンピングカーに入れて忘れ物をしてないか念の為に周りを色々と見て回る。 それから何も見落としが無いのを確認して全員がキャンピングカーに乗った。
「よーしっ! じゃあ帰るよー!」
運転席にいる孝也はそう言うと安全確認の為に前方を確認してからアクセルを優しく踏み、キャンピングカーを発進させる。 フリーサイトと砂利の通り道を抜け、駐車場で一度車を止めて教見夫婦がチェックアウトをしに向かう。
(ちょっと前まであの中にいたんだよな……)
行きと同じ席、運転席の後ろ側に座っている津太郎は窓から管理棟へ顔を向けていた。 壁のせいで管理棟は見えないが、この二日間で何度も往復したおかげで何となく位置は把握出来ていた。
(今思えばよくあんな過去の事を聞くなんて大胆な行動が出来たな俺……まぁ昨日からの一時のテンションに身を任せた結果なんだろうけど……)
冷静になってみると我ながら凄い事をしてしまったと今頃になって気付いたらしい。 昨日の一輝の話を聞いたのが原動力の原因なのは間違いないが、もう一度やれと言われたら今の津太郎には出来なさそうだ。
(管理人さんも普通に仕事があるのに長々と話をしてくれて……感謝しかないや……)
今もここのキャンプ場の管理人としての責務を果たしている事だろう。 この繁忙期で疲れも溜まっている筈だ。 それなのに嫌な顔をせず最後まで付き合ってくれた管理人に頭が上がらなかった。
こうしてる間にもチェックアウトを終えた教見夫婦がキャンピングカーに乗ると、再び発進させてキャンプ場から出た。
(ここともとうとうお別れか……)
キャンピングカーが国道を地元へ向けて走らせている中、津太郎はキャンプ場の方をじっと眺める。
(本当に──本当に色々あったな……)
実際にはまだキャンプ場に来てから二十四時間も経っていないというのに、その間には数え切れない程の出来事が津太郎の身には起こっていた。
(頭がパンクしそうなぐらい大変だったけど来て良かった)
早朝から深夜まで殆ど休まる暇も無いぐらい脳を稼働させた分、疲労も甚大ではなかった──が、それだけの価値がこのキャンプ場にはあった。 これは断言出来る。
(──さて、家に帰ったら後片付けをして……風呂とか入って一段落したら聞いた話とかをメモして……それで──)
キャンプ場が見えなくなった後、腕を組んだまま目を瞑って家に帰ってからの計画を立て始める。
「おーい! 津太郎くーん! キャンプは楽しかったかーい!?」
運転中の孝也が津太郎に声を掛けるも返事は無い。
「あれ? おーい?」
「しーっ! 孝也さん……! 静かにっ……!」
二度目の声掛けに反応したのは出入り口の隣のソファーに座っている彩だった。 孝也からは見えてないと分かっていても、人差し指を立てている。
「どうしたんだい? もしかして気分悪いとか?」
「いえ、寝てるのよ」
続いて孝也に教えたのは彩の隣にいる美咲だ。 そう、津太郎は考えている内に寝てしまっていた。 今まで気を張っていた分、抜けたと同時に眠気が襲ってきたのだと思われる。
「でも……凄く気持ち良さそう……」
津太郎の向かい側に座っている栄子は安らかな寝顔を見つめながら呟く。 その寝顔には何かやり遂げた安心感からの笑みが浮かんでいるように見える。
「まだ起きてからそんなに時間経ってないと思うけど……疲れが溜まってたのかな?」
「フフッ、もしかするとちょっとした冒険にでも出掛けてたのかもしれないね」
後ろの三人が寝ている津太郎を起こさないよう静かにする代わりに助手席の巌男が対応する。
「冒険? 冒険ってどういうこと?」
「なに、そこまで気にする必要は無いよ。 私の勘が──そう告げてるだけさ」
こうして津太郎にとって長いようで短い、それでいて濃密な一泊二日のキャンプは終わりを迎える。 生涯忘れる事の無い思い出や過去から現在に繋がる秘密を──大事に抱えて。
六章 過去と現在 終




