過去と現在 その五十一
誰も言葉を発さないまま山を下りた後、時間が一秒でも惜しい管理人はすぐに警察へ電話をした。 すると山の中に血塗れの現場、小学生の遭難という明らかに事件を匂わせる内容だけあって、すぐにこのキャンプ場へ警察と山岳救助隊が来てくれる事になった。
「ふぅ……じゃあ管理棟へ戻ろうか……」
キャンプ場の経営を開始してから初めての救助要請の連絡、そして重苦しく緊張感のあるやり取りをしたせいか電話を切ったと同時に溜め息を漏らす。 しかし休む間もなく歩き回り、更に山を上り下りしたのもあって体力は相当消耗していた筈なのに、疲れを顔に出してはいなかった。
スタッフ全員が疲れ気味に「はい……」と返事すると、体力を少しでも回復させる為に管理棟まで歩いて戻る。 だがここでも誰も声を掛けない。 本当ならここで管理人が気を紛らわせる事を言わなくてはならないのだろうが、今は警察にどう説明すべきか、その後はどうするのか、先の事を考えるので頭が一杯だった。
管理棟に戻った後、憔悴し切った翔子を関係者以外立ち入り禁止の休憩室の中に入れて休ませ、管理人達は受付辺りで大人しく待っていると、二十分後に遠くからパトカー特有のサイレン音が外から鳴り響いてくる。
やっと来てくれた、これでもう大丈夫──そう思った管理人は一人で駐車場へと向かうと、そこにはパトカー四台と赤の細長いランプを屋根に付けた緑色のワゴン車が二台、管理棟へ一番近い所へ止まっていた。
管理人がその場で頭を深々と下げるとパトカーから制服を着た警察官男女二人ずつ、鑑識の男性四人。 ワゴン車からはオレンジ色の救助服を着た屈強な男性六人が降りてくる。
警察官の男性二人は中年と若手で女性二人は翔子と同じぐらいの年齢だろうか。 そして山岳救助隊は全員が三十代から四十代の熟練者ともいえる雰囲気を纏っている。
互いに軽く挨拶を済ませた後、管理棟へ歩きながら電話越しでは雑にしか出来なかった状況について詳しく説明した。
説明が終わった直後に管理棟の中へ入ると、女性警官二人が翔子に色々と話を聞く為に休憩室に入っていいかどうか訊ねてくる。 内心、また山の時みたいに暴走しないか不安だったがここで断るのも何かおかしいと思い、「はい、大丈夫です」と立ち入る許可を出す。
(ずっと静かだけど……何も起きてないよね……?)
──五分後、スタッフと警察官、山岳救助隊の全員で話し合ってどうすべきか決まった際、管理人はふと休憩室に視線を向ける。
(にしてもさっきはビックリしたなぁ……まさかあんな人が変わったみたいに叫んだり暴言吐きまくったりするなんて……)
この僅かに出来た空き時間で翔子について振り返っていた。 初めて顔を合わせて会話をした時は落ち着いた女性の印象が強かったものの、一輝が失踪してからの態度や圧力を目の前で見てからは恐怖心が芽生えそうにすらなってしまう。
(いや、でも自分の大事な子供がいなくなって、しかも下手すれば血だらけの状態で山の中にいるかもしれないとなると不安になって取り乱すのも無理ないよね……うん、そうだよ、あの時は怖くてついあんな態度を取っただけさ)
まだこれから翔子と関わりを持たなければならないのに、このままだと苦手意識が生まれかねない。 そう感じた管理人は仕方なく、一時だけ、誰でもこうなる──と、心に言い聞かせて自分の中の翔子に対する印象や見方を悪い方へ向けないよう努力していた。
「あっ」
気持ちの整理をした途端、休憩室のドアが開いて中から翔子と女性警察官の二人が出てくる──が、気のせいでなければ翔子の顔や雰囲気が山の中にいる時と比べて多少落ち着いているように見えた。 すると一人の女性警察官が管理人の元へ向かってくる。
「東仙さん、とても落ち込んでいましたがお話をしている内に少しだけ胸のつっかえが取れたみたいです。 なので今なら話しかけても大丈夫かと」
目の前に来ると、翔子や周りの人の耳に入らないよう小声で話しかけてきた。 どうやら女性二人は休憩室の中で翔子のメンタルケアに務めていたらしい。 恐らく子供が行方不明になった、この情報から精神的に相当参っていると察し、同性同士の方が話しやすいという事で女性に来てもらったのだろう。
「あ、ありがとうございます……助かりました……」
この『助かりました』にはメンタルケア以外にもあったが、詳細を言えるわけもなく喉から出そうになるのを全力で堪える。
それからというものの、話も纏まって関係者が全員揃ったという事もあり、早急に山へと向かい始める。 歩いている最中、大所帯に加えて警察やら山岳救助隊の格好もあってか周りからは相当目立っていて、当然だがすれ違うキャンプ客からは注目の的になっていた。
◇ ◇ ◇
「これは酷いな……」
一輝を探す時と同じような道のりを通って現場地点に辿り着くと中年警察官が唾を飲む。
「どうしてこんなことが……」
「だからそれを今から考えるんだろうが」
中年警察官に指摘された若手警察官は「そ、そうですよね、すみません」と苦笑いしながら返す。
「まずは誰かにここで襲われたと考えるのが普通だが──事前に聞いた話でキャンプ場で一輝君を探している時に山の中で助けを呼ぶ声がしたといった意見が全く無かったということは、その点は薄そうだな」
鑑識の人達が現場検証をしている最中、中年警察官は鋭い目付きで見回しながら自分なりの推理を開始する。
「なら何か予期せぬトラブルが起こってこうなったんですか?」
「あぁ、そっちの方が可能性としては高い。 例えば高い所から転げ落ちた、または転倒して運悪くあの石に当たって出血したとかな」
中年警察官は出っ張った石を指差しながら説明をすると、そこにいる誰もが指の先にある方向へ視線が移動する。
「確か一輝君の服装は半袖にショートパンツ……それなら素肌の部分を強く打って切れたっていうパターンもあり得ますけど、これだけの血が出てるとなると相当酷いような……」
「だから仮にこの血が一輝君のだとすると、早く見つけないと危険だ。 ここから何か手掛かりが見つかればいいんだが──」
これはあくまでも仮説だが、時間が無いのはまごう事無き事実だ。 急いで子供を見つけなければ、と色々な所に目を配らせていた──すると……、
「んんっ!?」
現場の左側にいる草むらを搔き分けた鑑識の男性がしゃがみ込んだまま驚きの声を上げる。
「どうした!?」
「けっ、血痕がっ! この先にも血痕が続いていますっ!」
「何っ!?」
中年警察官が鑑識の傍に近付き、搔き分けられた草むらの奥をよく見ると、地面に垂れ落ちた血が道標のように何滴も付着している。 ここから考えられる答えは一つだった。
「向こうに歩いていったのか……」
これだけ血を流したというのに、何故か来た道を戻らず先へ進んだという事だ。 しかし今はその原因を解明する暇は無い。 中年警察官はすぐさま山岳救助隊へこの血痕を頼りに先を捜索してもらうよう頼み込む。
(これで僕らの役目も終わりかな……)
鑑識の作業、警察官同士の会話、それぞれのやり取りをただじっと眺めていただけの管理人は、捜索についてもう自分達に出来る事は無いと肩の荷が下りていた。
(とりあえず東仙さんの荷物を回収するついでに貸したテントは戻して、今日のところは少し離れた所にあるコテージに泊まってもらおう)
ただ、別の事で少しでも翔子の手助けをするべく山から下りた後の一連の流れを頭の中で組み立てていた──のだが、
「と、通してもらっていいですか……!」
最後尾の方に女性警察官と共にいた翔子がスタッフや管理人の隙間に身体を無理矢理にでもねじ込んで、最前列まで割り込んでくる。
(ま、またさっきみたいな事が起こるんじゃ……)
管理人の脳裏に蘇る苦い記憶。 翔子が今から行う事を止めようなんて出来るわけがなく、黙って見つめるしかなかった。
「お願いしますっ! 私も捜索に連れていってくださいっ!」
だが管理人の予想は外れた。 翔子の口から出た言葉は山岳救助隊への懇願だったからだ。 とはいえこの急な頼み事に山岳救助隊の人達は軽く困惑する。
「もし一輝が……一輝がこの血を流していると思うと──もう何もしないでいるなんて嫌なんですっ! 決して足手まといになんてなりませんっ!」
翔子は頭を地面に着く勢いで思いっきり下げる。 このままでは土下座すらしかねない、そういう雰囲気すら出てしまっていた。
「……分かりました、ですが無理はしないで疲れを感じたらすぐに他の人達と引き返して下さい」
数秒後、山岳救助隊のリーダー格の人が承諾する。
「……! ありがとうございます! ありがとうございます!」
翔子は何度も頭を下げる。 だが途中で引き返すなんて事はしないと、何となく管理人は感じていた。
「では行くぞ!」
山岳救助隊のリーダーがそう言うと管理人とスタッフ、そして鑑識を除いた全員が山の更に奥へと入っていく。 この光景を「お気を付けて」と声を掛けて見送るしか管理人には出来なかった。




