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もしも異世界に憧れる人達が増えたら  作者: テリオス
六章

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過去と現在 その四十一

 一輝は平地を引きずるような重い足取りで後にする。 まだ一分も歩いていないのに肩で息をする程に呼吸は荒く、視界は霞んで目の前すらろくに見えていない。

 この状態で下山をするのは無謀としか言えなかった。 だが無謀と分かっていてもしなければならないのは、自分に残された時間が無いのを嫌でも感じたのもあったが、何よりも母親との約束を守る為だった。


「……キャンプ方面に……歩けば……大丈夫……」


 酸欠気味で思考力が低下している中、生きたいという強い気持ちのおかげで薄っすらと思い浮かんだ方法は、この平地から来た道を戻るようにして抜けた後、山を一周するような形で歩いてキャンプ場方面を真正面に向け、そのままなるべく一直線に歩くというものだ。

 無論、この方法が上手くいくとは限らない。 むしろ満身創痍のせいで上手くいく確率の方が圧倒的に低い。 しかし誰も助けがこない以上、生き残るにはこの方法に賭けるしかなかった。


「……」


 平地と下り坂の境目さかいめで立ち止まると、斜面を黙って見つめる。 子供でも平気な程に緩い坂なのだが、一度でも倒れてしまえば終わりの一輝にはこういう大したことの無い坂でも非常に危険で、一歩を出すのにも慎重になってしまうのは仕方なかった。


「──怖がってちゃ駄目だ……行こう……」


 だがこうしてる間にも体力や体内の血は失っていき、時間は無くなってくる。 いつまでも立ち止まってはいられないと感じた一輝は恐怖を乗り越えるように境目をまたぐ。


 それから緩い下り坂を一歩ずつ確実に進む。 木がすぐ側にある時は太い枝を手で掴みながら歩き、何も無い所では足を地面に擦り付けながら前進し、転ぶ確率を少しでも減らす。 しかし一輝にとって大きな誤算が一つあった。


「下りる方が楽……だと思ってたのに……凄い……疲れる……」


 それは下山に体力を想像以上に奪われる事だった。 登りも足に負担が掛かるのは事実だ。 とはいえ仮に転んでもその場に倒れるだけで済むからそこまで足に意識をしない。 だが下りは滑らせないように、転げ落ちないようにと無意識の内に足へ体重を掛けてしまい、必要以上の筋力と体力を使ってしまっていた。


「滑りや……すいから……気を付け……ないと……」


 更に二日前に降っていた雨のせいで土や草は濡れて非常に滑りやすくなっており、一歩を進めるだけでも神経を擦り減らしてしまうのも消耗の原因の一つだった。


「はぁ……はぁ……苦しい……それに……寒い……気持ち悪い……」


 一輝の顔は青白く、目が虚ろになっていた。 既に水分も失われている筈なのに冷や汗は止まらず、身体を動かしているというのに寒気が襲い掛かり、吐き気も込み上げてくる。

 

「ゔっ!」

 

 必死に吐き気を堪えながら歩くも胃の中の内容物が逆流し始め、喉元まで迫ってきてしまう。


「──かはっ! おぇぇぇえっ!」


 近くの木にしがみついて歯を食いしばり、息を止めて嘔吐するのを何とか我慢していたが耐え切れず吐瀉物としゃぶつを口と鼻から排出してしまった。 地面には胃液と水分の入り混じった汚物が撒き散らされ、口の中は胃酸の臭いで充満している。

 一輝は口内に残っている汚物を吐き出すと、鼻水と胃液を血塗れの左手で拭う。 今の一輝には手がどれだけ汚物が付着しようが、手が汚くなろうが微塵も気にならなかった。 


「ゴホッゴホッ……はぁはぁ……何とか……収まった……」


 胃の中の物を吐き出して気持ち悪さと吐き気だけは落ち着く。 ただ、嘔吐のせいで貴重な体力と水分が失われてしまい、木にしがみついたまま動けない。 


「頭が……ボーっとして……きた……」


 脳に酸素が行かなくなり、頭が頷くように何度も揺れ、瞬きの回数が異常なまでに増える。 少しでも気を抜くと意識が途絶えてしまいそうだ。


「まずい……早く……行かなきゃ……行かなきゃ……」


 このままでは気絶する、本能がそう感じ取った一輝は木から離れて下山を再開した。





   ◇ ◇ ◇





──五分後、彷徨うように歩き続けた結果、目の前にあったのはキャンプ場ではなく崖だった。

 とはいっても行き止まりというわけではなく、斜面が抉れるように崩れて出来た崖で、上からは更に奥深くへと下り坂が広がっているのが確認出来る。 そして左右には一人ずつなら歩ける幅の狭い数メートルの細い道があり、その先には下りる事が可能な緩い坂がある。 


 一輝は落ちないよう慎重に崖の下を覗くと、高さは六から七メートルぐらいだろうか。 崖下には上から落ちてきたと思われる大きな石が幾つも転がっており、いくら思考が回らない一輝でも一目見て危険だというのは感じ取れた。


 本当なら引き返した方がいいのだろう──しかし今の一輝に来た道を戻るだけの体力も無く、仮に戻れたとしても今度はどの方向に行けばいいのか分からなくなる。 もう一刻の猶予も無い一輝には、危ういと理解していてもこの細道を歩くという選択肢しか残されていなかった。


 何も言葉を発さないまま左右に分かれた道の左側を恐怖と疲労で震えた足で歩き出す。 すぐ側の斜面に掴める木の枝があれば鷲掴みする勢いで握り締め、焦りたい気持ちを抑えて一歩ずつ確実に前へ行く。

 

 普通に歩けば数秒で終わる距離を何十秒、何分も掛けて進み、


(もう少し……後もう少し……)


 心の中でそう呟きながら細道を歩き、緩い坂の目の前まで辿り着く。 後二歩か三歩で細道を抜ける事が出来る。


「え」


──が、その瞬間、一輝は時が止まったかのような感覚を味わった。 何故か身体が宙へと浮いていたのだ。 どうしてこうなったかは分からないが、気付けば青空が見えていた。 キャンプ場へ来た時と何も変わらない青空が。 このまま空が飛べたなら母親の元まで帰りたかった。





   ◇ ◇ ◇





「な、何でここにいるんだろ? さっきまで山にいた筈なのに」


 一度目を閉じて、次に目を開けると一輝は自分達のテントの前にいた。 視線の先には今まで上り下りしていた山が見える。


「突っ立ったままボーっとしてるけど、どうしたの?」


 後ろから聞こえる声に反応して振り向くと、そこには普段と変わりない翔子が立っていた。


「え、あ、あれ? お母さん? 何でそこに?」


 唐突な出来事の連続に一輝は頭の整理が追い付かない。 つい数秒前までは山の中にいた筈なのに突如としてテントにまで戻っていたのだ、混乱して当然ともいえる。


「何でそこにって、さっきからずっとここにいるじゃない」


「そ、そうだっけ」


「フフッ、初めてのキャンプだからって浮かれてるのかしら」


「うーん、そう……なのかな?」


「きっとそうよ。 だって行くと決まった時からずっとソワソワしてたんだもの。 それより管理棟に行こうと思ってるんだけど一輝も来る?」


「何でこうなったのかよくわかんないけど……ま、いっか──うん! 一緒に行く!」


 一輝は首を傾げながら呟くと、気にするだけ無駄と気持ちを切り替えて翔子の後ろを付いていく。 その二人の姿は正に幸せな親子そのものだった。

 




   ◇ ◇ ◇





「な……にが……お……き……て……」


 一輝が目を覚ますと木々の間から青空が見えていた。 だがどうしてここにいるのか、何が起こったのか理解出来ていなかった。


「うご……け……な……」


 とりあえず身体を動かそうとするが、手も足も金縛りに遭ったかのように動かせない。 自分の身体の筈なのに、自分の身体ではないような感覚に襲われる。 それから何度も試してはみたが結果は同じで、とうとう諦めてしまう。


「ぼ……く……たお……れ……て……」


 何もしないまま虚ろな目で青空を眺め、しばらく経ってからようやく一輝は仰向けになっている事に気付いた。


 そう、実際は違っていた。 落下していたというのが現実だった。 実は右足を踏み込んだ直後、雨で脆くなったのが原因で地面が突如として崩れ、身体は均衡を保てず宙へ放り出されてしまったのだ。

 その後、崖の下まで僅か一秒足らずで落ちて全身を叩き付けられた一輝は凄まじい衝撃により意識を失い、翔子とテントで再会する夢を見ていたら目覚め、今に至る。


「なん……おき……れ……な……」

 

 意識はある、立ち上がりたいという気力もある、だがどうしても身体が動かないのには理由があった。 全身を強く打ったのが原因で身体の至る所から血は溢れ、骨が折れ、もう肉体として機能していなかったからだ。

 特に右足は落下している最中に大きな石と全体重が乗っかった状態で衝突してしまい、膝から下が有り得ない方向へと曲がっている。 もう立つという願いが叶うことは無いだろう。


「も……だめ……か……」


 全身の感覚が無くなっていく。 意識が薄れていく。 今度こそ本当に限界だと感じ、死を悟る。


「くっ……! うぅ……!」


 後悔、無念、悲痛といった様々な負の感情、そして迫りくる死への恐怖により一輝の目から涙が零れる。 本当なら大声で泣き叫びたかった。 喚きたかった。 だがもうそれすら出来ない程に身体は言う事を聞いてくれなかった。


「おか……さん……ごめ……ん……さ……い……」


 掠れた声で翔子に謝罪をする。 聞こえていないと分かっていても、すぐ側にいないと分かっていても、やらなければならなかった。 それが一輝に出来る──最後の行いだったから。


「し……に……」


 これ以降、一輝は何も言わなくなる。 口を動かさなくなる。 瞬きをしなくなる。 呼吸が止まる。 心音が聞こえなくなる。 そして──、


 生命の灯が、消える。 

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