過去と現在 その三十三
〇〇年前、
「──けてっ! 誰かっ!」
聞こえる。 幼い女の子の声が。
「──てんだっ! テメェっ!」
聞こえる。 幼い男の子の声が。
「──チッ!」
聞こえる。 大人の舌打ちが。
「──かったよぉ! うえぇぇぇぇんっ!」
「──じょうぶだ。 もうだいじょうぶ」
姿が映る。 男の子が女の子を強く抱きしめる光景が。
ここでテレビの電源を落としたかのように映像は途切れる。
◇ ◇ ◇
(……今はこんな事を思い出してる場合じゃない……)
津太郎は脳裏に浮かんだ僅か五秒足らずの映像を無かった事にして気持ちを切り替えようとした──が、まだ心臓が痛い、苦しい、気を抜けば苦痛に歪んだ顔が出てきてしまいそうになる。 しかし歯を食いしばり、静かに鼻から息を出し、何とか耐える。
「うーん……いやー、そういう──」
そしてイノに聞かれてから五秒後、津太郎は腕を組んだまま首を軽く傾げ、思い悩んだ格好で返答をしようとしたその時、
「ちょっとちょっとおぉぉぉぉぉぉぉおっ!」
階段の方から大声が廊下全体に響き渡る。 三人が一斉に階段へ顔を向けると、リノウが何故か指を指したまま立ち止まっていた。
「げっ」
リノウの顔を見た途端、イノは眉間に皺を寄せ、苦虫を嚙み潰したような顔をする。 露骨なまでに嫌そうなのは誰が見ても明らかだ。
「いつまでダラダラダラダラ話してるのさぁぁぁあっ!」
イノの気持ちなんて知る由もなく、リノウは三人の元へと大声を出しながら物凄い勢いで駆け寄ってくる。 そしてあっという間にイノの部屋の前へ来ると、何故かまた指を突き出して三人に差す形で水平に動かす。
「もう待ちくたびれちゃったよ! 質問なんかパパっと言ってパパっと答えればパパっと終わるのにいつまで掛かってるんだよ!」
どうやらリノウは中々終わらず戻って来ない事へ痺れを切らし、ここへ来たようだ。
「ちょっとっ! せっかく私がキョウミに質問してる最中だったのに邪魔しないで貰える!?」
イノはリノウに敵視ともいえる鋭い目付きで睨み、今までとは別人みたく荒い口調で詰め寄る。
「じゃあボクがおチビちゃんの代わりに質問してあげまーす──シンタロウ君の好きな食べ物はなーにー?」
だがリノウは睨まれても全く動じず、それどころかイノを乗っ取る形で質問をしてくる。
「えっ、えーっと……肉を使った料理──ならどんな物でも……」
勢いに乗った突然の振りに、つい津太郎は反射的に答えてしまう。
「おーっ! 良いよねぇお肉っ! お米にもパンにも野菜にも合う大人から子供までみんな大好きお肉っ! シンタロウ君とは話が合うねぇ!」
好物が同じという事に対してリノウは嬉しがる。 料理、というよりはどちらかというと材料なのだが、リノウの中ではとりあえず当て嵌まれば特に問題無いのだろう。
「だから邪魔しないでってばぁ! 今は私の番なのっ!」
津太郎が愛想笑いをしていると、イノが怒りながら二人の間に割り込んできた。
「おチビちゃんの番はボクが代わりにやってあげたから終わりっ! それよりほらほら! 早く一階へ行こーよー! もうカナリアちゃんは呼んであるからさー!」
リノウはそう言いつつ一輝の右手を掴み、階段へ向かって走り出す。 一輝はというと、特に逆らいもせずに流されるがままにリノウへ付いていっていた。
「まっ! 待ってよお兄さまぁ!」
そしてイノもまた、ゴスロリという動きにくそうな服を物ともせず軽々と走って二人を追いかける。
(さっきのイノ、リノウと話してる時の態度が俺とじゃまるで別人みたいだったな……でもやっと年相応の姿を見れて何か安心した)
三人の後ろ姿を見送った後、津太郎はイノとリノウのやり取りを見た感想を心の中で呟く。
(──ってそういえば凄い待ってたとか言ってたがどれだけ時間経ってたんだろ……)
それから津太郎はスマートフォンを取り出して時計を確認すると一階の廊下で見た時より二十分以上が過ぎていた。
(これは確かに呼びに来るのも無理はないな……本当なら一輝の部屋に行って話し合いしたかったけど、また今度にしよう)
スマートフォンをポケットに戻し、イノの部屋の向かい側にある一輝の部屋のドアを見つめる。
「おーいっ! 何してるのーっ! シンタロウ君も早く早くーっ!」
階段の手前でリノウが手を振りながら呼んできた。 その声で我に返った津太郎は急いで三人の元へ走って向かう。
(……守っている人──か……)
イノに答える事が出来なかった問いを、胸に抱きながら。
◇ ◇ ◇
津太郎が三人と集合すると、一階へ下りていくのだがイノは色々と邪魔された鬱憤が溜まっているようで、リノウと横に並んだ状態で言い争いをしている。 とはいってもじゃれ合いのようなものであり、喧嘩とは程遠いが。
イノとリノウが前で言い争いに夢中になっている中、津太郎と一輝は一段だけ後ろに離れて話をしていたのだが、その内容は本来であれば全員と挨拶を済ませた後にする予定だった話し合いについてだった。
一輝としてもここまで時間が掛かったのは予想外らしく、今日はもう諦めようと提案してきたので津太郎も承諾する。
ただ、これだけは言っておこうと津太郎は「カラーコンタクトを一箱だけ入手したのと見つけてもらう方法は思い付いた。 だから夏休みの間にいつでもいいから俺の家に来てくれ」と伝えると、一輝は小声で「分かった」と承諾した。
「あっ! おかえりー!」
「お帰りなさいませ」
四人が食堂へ戻ると、椅子に座っていたカナリアが元気よく手を振りながら、既に立ち上がっていたコルトが静かに頭を下げながら出迎える。
「よし、これで全員揃ったな」
そう言ったのは津太郎達が出て行く前と同じ席にいたクリムだった。
「待たせてごめん。 イノと話し込んでたらつい……」
後ろにいた一輝が先頭に立ち、待たせた事に対する謝罪をする。
「えー、ほんとかなー? 実はおチビちゃんがシンタロウ君にぎこちない態度を取るから仲良くなるのに時間掛かって遅くなったんじゃないの〜?」
「は、はぁ!? ち、違うしっ! 私とキョウミは顔を合わせた時からすぐ仲良くなれたしっ! ね! そうだもんね!」
まるで出会った時の会話を覗いていたかのように図星を突かれたイノは動揺を全然隠す事が出来ず、何とかしようと津太郎に助けを求めてくる。
「へっ? あ、あぁ! いきなり意気投合し過ぎて怖いぐらいさ!」
急な振りに自分でも合っているかどうかよく分からない返しをしてしまう。
「フッ、どちらかが正しいかは置いといて親しくなる事が出来たのは事実のようだな」
クリムは二人のやり取りを見て嬉しそうに微笑む。 それにイノが津太郎に心を開いてくれた事に安堵しているようにも感じる。
「──さて、それでは行くとするか」
その後、満足気にクリムが立ち上がると同時に津太郎以外の全員は一斉に食堂から出て行く。
(……? 何処へ行くんだ?)
急に移動し始める事に困惑気味ではあったが、津太郎はとりあえず何も聞かず一番後ろから付いていく事にする。
食堂を抜け、先頭のクリムが向かったのは少し前に津太郎と一輝の二人で歩いたカナリアのアトリエへ繋がる通路だった。 そしてその通路の中央辺りで全員が足を止める。
(ここって確か……)
クリムの目の前にあるのは、一輝に教えてもらった会議室へ繋がる両開きの豪華なドアだった。
あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします!




