過去と現在 その六
歩き始めて五分。 数メートルの高さもある木が歩道の横に数え切れないほど植えられ、日差しが殆ど遮られた日陰の道は思っていたよりも体力が消耗せず、通路を吹き抜ける心地良い風を浴びつつ津太郎と栄子は他愛ない会話をしつつのんびり歩いていた。
「そういえば教見君って夏休みの宿題は大丈夫? 夏休みが終わるまでに間に合いそう?」
一つ前のテレビに関する話題が終わった後、津太郎の左側にいる栄子が心配そうに聞いてくる。
「ぐっ!? まさかこのタイミングでその話題を振ってくるとは思わなかった……!」
決して宿題からの逃避ではなく心からキャンプを楽しみたい気持ちで一杯だった津太郎は不意打ちを食らい、急激に現実へ戻されたような気持ちになってしまう。
「もしかして全然やってない……とか?」
津太郎の反応から悪い予感を察した栄子は顔を伺う。
「いや、全くってわけじゃないぞ! うろ覚えだけど半分──ぐらいは終わってた……筈……」
顔を見られた津太郎は右手を横に振りながら否定するが、その後に自信が無くなって栄子から目を逸らしてしまった。
「残り半分なら何とかなりそう──なのかな?」
「だ、大丈夫だ、多分……時間的にもまだ二週間ちょっとあるし、間に合う……というか間に合わせないと母さんに怒られる……」
津太郎はもし夏休みの宿題が終わらなかった事を想像し、真夏だというのに寒気がして身震いもしてきた。
「──も、もし間に合わないかもしれないなら……わ、私が教見君の家に行って……て、手伝おうか……?」
不安そうな津太郎を見て栄子は俯き、両方の人差し指を何度も合わせながら小声で言う。
「いや、それはヤバい。 もし栄子に頼ってしまったらそれこそ母さんに後で何を言われるか……」
しかし津太郎は即座に栄子を制止するよう右の手の平を突き出し、そして今度は顔を左に逸らす。
「そ、そうなんだ……それなら仕方ないね」
「せっかく手伝おうとしてくれたのにごめんな。 でもその手伝いたいっていう気持ちは伝わったからさ、今の俺にはそれだけで十分だ」
断られて少し残念そうにしている栄子を津太郎は自分なりに気にしないよう励ます。
「それより栄子はもう宿題──」
そして空気が重くならないよう、すぐに話題を変えると二人の間の雰囲気はすぐに明るくなる。
(栄子にだけは迷惑や負担を掛けたくないからな。 頼るなんてそんなの出来る訳が無い。 もしそんな事してしまったら俺は──俺を許せなくなってしまう)
津太郎は歯を噛み締める。 決心が鈍らないように。 津太郎は右手で握り拳を作る。 決心を固めるように。
◇ ◇ ◇
それから二人が長い直線を歩き続けると、最初は遠すぎて見えなかった山の斜面部分が徐々に目に映ってくる。 だが──、
(ここら辺は……他の所と比べて手入れがあまりされていないような気がするな)
山へ近付くにつれ、砂利以外の所に雑草が至る所で生えていたり、へし折れた木々が地面に放置されていたり、誰かが捨てたペットボトルや酒の空き缶が捨ててあったりと、明らかに依然と見る景色が違っていて、管理されていないのが目に見えて分かる。
(確かに山の所で行き止まりだから何も無くて人通りが少ないのも分かるが、だからといってこのまま放置なんて普通しないだろ。 キャンプ客からすれば悪いイメージしか生まないぞこういうの)
津太郎としても大南川キャンプ場へ来た当初は立派な施設、整備された土地を見て好印象だったが、この荒れ具合を見て少々自分の中での評価が下がっていた。 栄子も今までとは違う空気を感じ取ったようで、周りを何度も見渡している。
(大丈夫とは思うが、もし先に行ってヤバそうだったら引き返そう)
山へ行きたいという気持ちが強いのは変わらない。 だがあくまでもそれは身の危険を感じない、または栄子に不安を与えないというのが前提であり、もしどちらかが当てはまるのなら諦めるのは容易い。
しかし津太郎の予想とは裏腹にゴミが落ちているだけで野生動物が現れるとかそういう事は無く、危険性は無さそうだと安心して歩き続けて長い直線が終わり、山のすぐ手前までの右へ曲がる道に辿り着く。
「もうすぐ半分ぐらいか? 何か思ってたより早かったな」
「あっという間だったね。 もう一周回っても全然問題なさそう」
「流石に同じ景色をもう一度見せられるのは勘弁してくれ……そういうのは通学路だけで十分だ」
互いに冗談を言い合いながら曲がり道を抜けると、そこはとうとう津太郎の待ち望んでいた山がすぐ左手にあった。
(ここから一輝は山の中に入っていったのか……それにしても酷い荒れ具合だな……)
津太郎はその場で立ち止まって山をじっくりと眺める。 だがその山は伸びに伸びた雑草のせいで地面が全く見えず、斜面には枯れてへし折れた巨木が幾つも倒れ落ち、まだ枯れてない木によって支えられている状態で放置されていた。
(こんなのどうやって入っていった──あ、そうか。 七年前だからまだここまで荒れ果ててない可能性もあるんだよな。 だけどこんなの今じゃ大人だって入ろうとしないぞ)
あれから七年経ったからこれだけ荒れ果てた、という発想に至ったが、それは逆に考えると七年間そのまま放置されていたという事でもある。
「ずっと山を見てるけど、何か気になる事でもあるの……?」
栄子が不思議そうな表情で津太郎の顔を覗いてくる。
「あー、いや、せっかくキャンプ場は綺麗なのにこの山は荒れてるなーと思ってさ」
「それは私も思ったなぁ。 もしかしたら景色を台無しにしないように、この木で隠してるとか?」
「十分あり得るな。 わざわざこの山を整備するより、こうやって木で見せないようにする方が見栄えも良いし、丁度いい区切りにもなる。 まぁこれは俺が管理人だったらっていう考えだけど」
「きっとここの管理人さんも教見君と同じ考えだよ。 だって教見君の方法の方が効率良いと思うし」
「あはは、本当にそうだといいな」
話が落ち着いたところで、二人は再び歩き出した──が、その時、津太郎の頭には気になることが一つ浮かんでいた。
(隠す、か……もしかしてこの惨状の他にキャンプ場の客へ何か見せたくない物でもあったりしてな)
ただ、これに関しては何の根拠も無い完全な妄想なので、流石にそんなことないかと思った津太郎はすぐ無かった事にするが──四分後、
「ん? ロープと……看板かあれは?」
曲がった直後からは遠すぎて分からなかったが、山の斜面より少し手前の位置に二本の細い支柱に支えられた大きな看板。 次に通行禁止だと主張するように黄色と黒の捻じれたロープが遥か先にまで渡って張られていて、山の巨木に結ばれた状態で固定されているのが確認出来る。
「な、何か物騒だね……もしかして熊か何かいるのかな……」
固定されたロープ、雑に置かれた看板という明らかに不穏な物を見た栄子は少し不安を感じていた。
「ここら辺に熊はいないからその心配は無いと思うぞ。 ただ、ここまで来たら戻るより進んだ方がこの直線を早く抜けれるし、とりあえず看板の所まで行ってみよう」
「う、うん……」
不安を僅かでも減らす為、先程まで津太郎の左側にいた栄子を右側へ位置を変えると、看板の所まで向かう。 ただ、津太郎と違って栄子は何度も山の方を見ながら歩いていた。
そして何事もなく目的地に辿り着き、津太郎が白の看板を見るとそこには──、
『二〇XX年、五月に行方不明者が出た為、立ち入り禁止』
と、大きく赤文字で書かれていた。




