それぞれの一歩 その五十八
「でもさっきはごめんな。 すぐに出れなくてさ」
家に入り、部屋へ向かう途中の廊下で津太郎が一輝に話しかけた。 それとこれは余談だが、家に誰もいない事は靴を脱いでいる最中に軽く説明してある。
「いいよいいよ! 僕だって連絡も無しに押しかけてきた訳だし、いきなり鳴らされたら出れなくても仕方ないよ」
津太郎の後ろにいる一輝が付いていきながら言う。 顔は見えてないが負の感情が籠っていない落ち着いた声を聞くに、どうやら本気で何とも思っていないようだ。
「だけどホッとしたかも。 もしかしたら今日は家に誰もいないかと思ってたから」
「あー、まぁ普通は二回も鳴らして全く反応無かったらそう考えるよな──あれ? そういや一回目と二回目の間に数分ぐらい時間差があったけど一体どうしたんだ?」
二階へ繋がる階段を登ろうとした瞬間、ふと気になった津太郎は足を止めて振り返り、一輝へ質問をする。 確認の為なら数秒待ってまた押せばいいのに数分も間があったのは確かに不思議だ。 それに部屋の窓から覗いた時、玄関先にいなかったのも今思えばどうしてだという疑問が津太郎の頭に浮かぶ。
「うーん、遅くなったのはそこまで大した理由じゃないんだけど……最初に鳴らしてから少し待った後、実はちょっとその場から離れてたんだよね」
津太郎に合わせて止まった一輝が顔を合わせて言う。
「離れてたって……どうして?」
「待ってる最中に何人か僕の後ろを通り過ぎたんだけど、時々何か嫌というか変な視線を感じたんだよ。 それで下手すると僕って周りから泥棒や不審者かと勘違いされてるんじゃないかと思って、大事になる前に距離を取ろうって決めたんだ」
「なるほど、それで間があんなにもあったのか。 教えてくれてありがとな」
一輝の説明を聞き、部屋から見た時に誰もいなかった時の事について納得がいった津太郎は礼を言って部屋に向かって歩き始める。
(くっそ……今思えば何でインターホンが鳴ったぐらいであんなにビビってたんだ……あーもう情けねぇ……俺の馬鹿みたいな思い過ごしのせいで一輝にも迷惑掛けちまったし……ほんと最悪だ)
廊下を歩いている間、津太郎は先程までの自分の怯えっぷりに苛立ちや情けなさを感じずにはいられなかった。 そして次からは鳴っても男性二人組を意識しないと心に誓ったという。
◇ ◇ ◇
二人が部屋に入ってからというものの、津太郎は一輝を座椅子へ座らすと喉が渇いただろうと思い、氷と麦茶をたっぷり入れた透明のグラスを自分の分も合わせて二つ持ってきて渡す。 そして一輝と向かい合わせになるよう、テレビの前へと座った。
「自分の家の周りで話を聞いたんだよな? どうだった?」
すると津太郎は世間話を一切する事無く本題に入る。
「一応二回だけ行ったんだけど──結果から言うと思うようにはいかなくて……行方については進展なしって感じかな」
「そうか……やっぱ厳しいか…………」
津太郎としては近所の人に話を聞くのだから多少なりとも情報を得られるだろうと思っていたが、本人の口から成果無しという言葉を耳にし、改めて人を探すという事の難しさを思い知る。
「俺もネットで翔子さんについて調べてはみたんだが、一輝にとって役立つような情報がこれといって無くてさ……」
その後、津太郎もスマートフォンを使って調べた事を報告する。
(でも調べたのが原因で一輝がキャンプ場で行方不明になった事を知ったのは──言わない方がいいよな)
一輝の人生が一変したであろう行方不明事件。 これに関しては聞かれたくない、踏み込まれたくない、知られたくない筈だろう。 下手に言えば傷付く可能性だってある。 それに話が変な方向に進んでいくのも否定出来ない。 こういった様々な理由から言わないでおこうと決めた。
「あ、でもね! 母さんについて色々と知る事は出来たんだ!」
それから一輝は最初にイノと一緒に出掛け、女性から教えてもらった事。 次にクリムと向かい、千秋から聞いた話を津太郎に伝える。 ただ、全てを話していては時間がいくらあっても足りないと思った一輝は余計な事を一切言わず、あくまでも翔子の事だけを語る。
(……こ、これはどういう反応すればいいんだ……?)
四、五分程の説明が終わった後、津太郎は困っていた。 いくら一輝を見つけたいとはいえ目的の為には手段を選ばない執着心、尋常でない忍耐力、周りの者が恐怖すら覚える凶暴性──本音を言えば自分の想像していた翔子とはかけ離れていた。
「──やっぱり今の話だけ聞くとビックリしちゃうよね」
ほんの二、三秒だけの沈黙が訪れた後、一輝の方から話しかけてくる。
「でもそれが全然普通だと思うよ。 僕も仲間の皆もこの話を聞いた時はすごく驚いてたから」
「まぁ正直言うと……驚いた……」
一輝の意見を聞いて少し気が楽になった津太郎は正直に思っていた事を申し訳なさそうに打ち明ける。
「だ、だけどさ、逆に言えばそれぐらい一生懸命だったって事だよな?」
だがそれだけだと失礼だと感じ、津太郎なりの励ましの言葉を掛ける。
「もしそうだったら嬉しい……かな。 それに……僕がこの世界にいた頃の母さんは確かに厳しい時もたまにあったけど、いつもは優しかったし僕が寂しくならないよう家の中では明るく振る舞ってくれたおかげで、一緒にいると本当に幸せだったんだ」
一輝が翔子について幸せそうに語る姿を見て、何だか津太郎もまた『喜』の気持ちをお裾分けしてもらったような感覚になり、つい頬が少し柔らかくなってしまう。
「なら、その幸せをまた掴まないとな。 今度はもう二度と離さないように」
津太郎は一輝に右手を見せ、力強く握り締めながら言う。
「うん。 いつかきっと掴んでみせるよ。 幸せも──そして、母さんの手も」
一輝もまた左手を津太郎に見せ、優しく握りながら誓いを立てる。
「──って、こんなの普段やらないから何か恥ずかしくなってきたぞ……よし、とりあえずあれだ! 乾杯しよう乾杯!」
慣れない発言や行動を取った事に時間差で照れ臭くなってきた津太郎は誤魔化すように、そして息抜きとして話題を変える。
「えっ、か、乾杯?」
突然の話題変更に一輝は戸惑いを隠し切れないでいた。
「ほらっ、これからどうするか決める前にちょっと気合い入れようぜっていう意味合いも込めてやるんだよ。 気分が上がった方が何かとやる気も出るだろ?」
津太郎はグラスを手に持ち、一輝の方へ差し出しながら言う。 ただ、こういうやり取りも手慣れていないのか僅かに頬が赤くなっていた。
「それはまぁ……一理あるかも」
何となく納得した一輝もグラスを掴み、津太郎へ向けて手を伸ばす。 確かに暗い雰囲気よりは明るい雰囲気の方が色々とやりやすいのは事実で、そういう意味では理にかなっている。
「──覚えてるか? 俺らが道端で再会した時も同じ事をしたの」
そして二人のグラスが今にも当たりそうな程に接近した時、津太郎が二ヵ月前に偶然出会った出来事を話し出す。
「勿論覚えてるよ。 あの時は殆ど初対面みたいなものだったから仕方ないけどお互い敬語だったね」
「おまけに気を遣い過ぎて話し方も相当ぎこちなくてさ、今じゃ考えらえないよな」
「でもそれだけ仲良くなれたって事だから凄く嬉しいな」
「確かに──じゃあ親睦が深まった事と改めて宜しくっていうのを含めて乾杯しようぜ」
「うん、分かった。 それじゃあ──」
「「乾杯っ!」」
事前に打ち合わせをしたわけでもないのに同時に声を出し、二人はグラスを当てる。 するとガラスの心地良い音が部屋全体に響き渡った。




