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もしも異世界に憧れる人達が増えたら  作者: テリオス
五章

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それぞれの一歩 その五十

「何っ? もう帰るだと?」


 まさかこのような事を言うとは想定外だったのかクリムは僅かながらに驚き、思わず一輝の方へと顔を向ける。 


「うん。 ここに来てから時間も結構経ったし、下手すると髪染めの薬の効果が切れるかもしれないからね。 髪が元の色に戻る前に空き地へ行かないと」


 一輝は真っ直ぐ向いたまま静かに頷いてから冷静に理由を語る。 決意は固めているのだろうが、その声は何処か寂しげであった。


「確かに時間は大分過ぎてしまったが、余裕はまだ多少あるだろう? 別に今すぐでなくとも問題無いと思うぞ」


「それはそうだけど、もしこの辺りにこれ以上居たせいで間に合わなかったら大変な事になりそうだからさ、出来れば今の内に戻っておきたいんだ」


 一輝としては、もしも周りに人がいる中で薬の効果が切れ、髪の色が元に戻っていく光景を目撃されてしまうのは非常に不味いと考えているのだろう。


 ただでさえクリムの真紅に輝く美しい髪は目立ってしまうのに、毛先から根元へ徐々に毛色が変化していくという創作物でしかあり得ないような出来事まで目の前にすれば、二重の意味で騒然とするのは必然ともいえる。


「──そこまで言うのであれば止めはしない。 ただ、本当に後悔はしないか?」


 一輝が説明を終え、数秒の間が空いた後にクリムが一つだけ質問をする。

 

「……うん」


 そう言いながら一輝は頷く。 返事自体は先程と変わらなかった──しかし声を出すまでに一瞬だけ躊躇いがあったように思える。


「……そうか、ではチアキがここへ来たら別れの挨拶を済ませよう」


 クリムは一輝の後悔するかもしれないという気持ちにすぐ気付いたものの、あえて触れず指示に従う事にする。


 それから間もなく、通話の終わった千秋が黒い屋根のある休憩所に駆け足気味で戻ってきた。


「またまたごめんね~。 今度はお父さんからの電話だったんだけど──って何かあった?」


 ただ、先程とは明らかに何か違う空気を感じ取った千秋は一体どうしたのか気になって尋ねる。


「いや、何でもない。 それより急ですまないが我らは──」 


「ちょっと待って。 ここからは僕に言わせてくれないかな」


 クリムが千秋に別れの言葉を告げようとした瞬間、一輝が止める。


「分かった──自分の口で告げた方が少しでも悔いが残らないかもしれないからな……」


 軽く頷いた後、クリムは一輝にしか聞こえない程度の声で呟く。 そしてもう邪魔をしないよう腕を組んで目を瞑る。


「えっ、えっ、どうしたの急に?」


 千秋は表情は何とか崩してないものの、心の中は不安で一杯になっていた。 この突然の空気の変わり様に困惑するのも無理はない。


「実は僕達、そろそろここから離れなきゃいけなくなったんだ。 だから千秋ちゃんとはもうお別れしなきゃいけなくて……」


 一輝は千秋に目線を離さずに言う。 何度か危うく外しそうになるが、必死に耐えた。


「……! そ、そうなんだ……」


 ここで別れる──そう言われた千秋は胸が苦しくなる。 本当なら『どうしてもうお別れなのか』『まだ一緒にいたい、離れたくない』と、勢いに任せて言いたくて言いたくて堪らなかった。 しかし何とか感情を抑え、追求しないよう心掛ける。


「いきなりで本当にごめん」


「うぅん、私は……その、大丈夫だから──あ、だったら今の内にスマホの連絡先でも……!」


 連絡先さえ知っておけば会えなくとも電話やメールで会話ぐらいは出来る。 そう思って千秋は教えてもらおうとした──が、


「……実は僕らスマホを持ってないんだ。 だから交換したくても無理というか……」


 断られてしまう。 一輝からすれば事実を言っているだけであり、仮に所持していれば誰にも言わないという約束をしてから教えていたかもしれないが、物理的に不可能なのだから仕方ない。 


「えっ!? 持って……ない……!?」


 この二人ぐらいの年齢なら持っていても全くおかしくない、というよりは持っているのが当たり前だと認識していた千秋は、まさか所持していない事に驚愕してしまう。


「うん……ちょっと色々と事情があって……」


 数え切れない程の事情があるのは本当なのだが、その理由を言えない一輝は言葉を濁す。


「そ、そっか……! それじゃあ仕方ないよね……あはは……」


 そう言われると教えてもらうのは諦めるしかなかった。 


「……! なら私の電話番号だけでも教えておくよ! それだったら固定電話とか公衆電話を使って通話出来るし!」


 だがこのまま何もしなければ完全に終わってしまう。 何としてもこの繋がりを断ち切りたくなかった千秋はせめて自分の番号だけでも伝える事にした。

 しかし勢いに身を任せて言ってしまってから書く物が何も無い事に気付く。 どうしようか少し悩んでから二人に「家で紙に書いてくるから十分だけ待って欲しい」と必死に頼み込み、一輝が承諾すると千秋は公園を抜けて学校とは正反対の方へと走っていった。

 

「やはりチアキと離れるのが名残惜しいのではないか? そうでなければ先程の頼みは断っているだろう」


 千秋の姿が完全に見えなくなってからクリムが一輝に話しかける。


「まぁ……そうだね。 もしかすると離れるのが嫌で千秋ちゃんの願い事が断れなかったのかも」 


 ここに来てようやく一輝は素直に心の内を明かす。


「そう思うのであれば今すぐ帰るという選択肢を選ばなくとも良かったというのに」


「ごめん。 でもクリムの正体が確実にバレないようにするにはああするしかないと思ったから」


「考えは変わらないのか?」


「──うん」


「全く……イッキは変な所で頑固気質だな」


 千秋との別れに心そのものは揺れ動いているにも関わらず、意見を変えないという決心は固めている一輝に何を言っても揺るがないと察したクリムは、これ以上は語らず黙っておく事にする。


──八分後、千秋が行きと同様に走って公園へと戻ってきた。 


「よっ、良かった……! まっ、まだここにいてくれた……!」


 ただ、肩が上がる程に息が切れ、話す言葉が途切れ途切れになってしまっている。 千秋がこんなに疲れてまで急いで来たのは、もしかすると自分がここへいない内に二人がこの公園からいなくなってしまう想像をしたからなのだろうか。


 そして息を整えつつ休憩所まで歩いてくると、左手に持っている白の小袋の中から折れ目が何ヵ所もある少し汚い白紙を取り出して一輝の目の前に差し出す。


「これっ……! 私の連絡先……!」


「う、うん……」


 一輝がぎこちなく受け取った白紙には千秋のスマートフォンの電話番号とメールアドレスが黒の文字で書かれていた。 


「えっと、いつでも待ってるから……!」


「もし──もしもだけど、いつか電話出来るようになったら必ず連絡するよ」


 わざわざ自分の為に家まで全力疾走し、連絡先を書いて持ってきてくれたのだ。 ここまでしてもらっておいて何もしない、連絡出来るかどうか分からない、と言える訳が無かった。

 本当にいつになるかは分からないが、どうにかして連絡手段を手に入れる事が出来れば千秋に電話をしようと決意する。


「……! うん、約束だからね!」


 連絡する──その言葉を聞き、繋がりを断たれる心配が無くなった千秋は安心したのか、顔にはまだ疲れが残っていたが、表情そのものは満面の笑みになっていた。 

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