それぞれの一歩 その四十六
「──まず、あの日の朝は授業が始まる前に生徒全員が体育館へ行って校長先生の話を聞いたんだ。 内容はやっぱりその……一輝君がいなくなった事だったんだけど……」
千秋は気持ちを切り替える為に深呼吸をしてから七年前の事を語り始める。 一輝についての話が終わった後、校長は「きっと見つかる」「諦めては駄目」「今頃、誰かに見つけてもらっているかもしれない」といった慰めの言葉を掛け、手短に全校集会は終わったらしい。
「とっくにニュースで見て知ってたから大丈夫と思ってたのに──校長先生から改めて聞かされると夢とか嘘とかドッキリじゃなく本当なんだと分かって辛かったなぁ」
今こそ一輝に微笑みながら言っているが、当時は恐らく胸が締め付けられる程に苦しかっただろう。 ほんの数日前まで数年間ずっと一緒にいた人が突然いなくなったのだ、辛いと感じるのは何もおかしくない。
「……」
一輝も千秋の言葉を聞き、何とも言えない気持ちになる。 自分が山で行方不明になったせいで沢山の人に心配や迷惑を掛けてしまったという事を自覚したからだ。
「──なるほど、それ程辛かったのであればイッキと出会えた時に泣いてしまうのも無理はない」
何も反応出来ない一輝の代わりにクリムが返事をする。
「あれは思わず気が昂っちゃったというか……あはは、何か今思い返すと人通りで大泣きするなんて恥ずかしいです」
少し顔が赤くなった千秋は恥ずかしさを隠すように照れ笑いをした。 だがこれで一輝から気を逸らす事は出来たみたいだ。
「──っと、話を遮ってしまったな。 すまないが続きを話してくれるか?」
「あ、はい、分かりました。 それでね──」
クリムに言われた千秋は一輝と目を合わせると昔話を再開する。
◇ ◇ ◇
二〇XX年 今から七年前、ゴールデンウイーク明けの木崎小学校。
体育館での全校集会が終わり、生徒達はそれぞれ教室へ戻っていく。 それは一輝がいた五年一組も変わりなかった。
だが唯一違っていたのは、他の学年は生徒同士で雑談をしていたのに対し誰一人として会話をしていなかった事である。 中には泣いている者もおり、手で涙を拭いながら歩く姿は周りから見てとても胸が痛くなる光景だ。
約三十人いる五年一組の生徒全員が教室へ入るも沈黙は続いた状態であり、聞こえてくるのは泣いている生徒のすすり声だけであった。
(一輝君……どうして……)
窓辺の一番前の席にいる当時まだ十歳だった千秋もまた悲しみに浸っていた。 今はただ顔を俯け、下唇を噛み締めながら泣くのを堪えている。 ちなみに服装は上が黒のシャツで下が膝辺りまでのショートデニムだ。
(やだよ……! もうこのまま会えなくなるなんて絶対やだ……!)
しかし時間が経てば経つ程、『悲』の感情は風船のように膨れ上がり、いつ破裂してもおかしくない所まで溜まり込んでいた。
そして目が潤い、今にも涙が溢れそうになったその時、放送室からのチャイムが鳴り始める。
(……? どうしたんだろ?)
千秋は無意識の内に黒板の上にある白の四角いスピーカーへと顔を向けた。 すると男性教師の「今からとある方による大事なお話があるので、皆さん静かに聞いて下さい」という声が流れてきて、数秒の間が空いた後に女性の咳払いのような音が耳に入ってきた。
他の教室の生徒が突然の出来事でざわつく中、五年一組だけは誰も声を発する事無く全員がスピーカーの方へ意識を集中していると、
「──皆さん初めまして」
スピーカー越しに女性の落ち着いた声が聞こえてくる。 それと同時に学校中から騒ぎ声は一斉に消えた。
「私の名前は東仙翔子と申します。 五年一組、東仙一輝の母です」
生徒達へ自己紹介をしたのは翔子だった。 確かに落ち着きは保っているものの、こういう所で話すのに慣れていないのか緊張が言葉を通じて伝わってくる。
(一輝君のお母さん……!? キャンプ場から戻って来てたんだ……)
ゴールデンウイーク中、ニュースがきっかけで心配になった千秋は急いで一輝の家に向かっていた。 しかし家の近辺まで行くと門扉の前にはマスコミ関係や野次馬といった人で溢れかえっており、結局訪ねるどころか近寄る事も出来なかったという。 ただ、状況から見て家に翔子が戻っていない事は察したらしい。
「皆様もニュースや校長先生からのお話を聞いてご存知かとは思いますが、私の息子の一輝がゴールデンウイーク中にキャンプ場のすぐ近くにある山に行ったきり、行方が分からなくなってしまいました。 今もなお、キャンプ場付近を捜索隊の人やボランティアで駆けつけて来てくれた人達が一輝を一生懸命、探してくれています」
翔子が淡々と現場となったキャンプ場ではどうなっているのか生徒達に現状を伝えてくる。
「ですが山の中は道が一切整備されていないせいで非常に歩きづらく、探す時間に限度があるというのもあってか一日掛けて少し進むのが精一杯で捜索は思うように出来ていません」
だがどうやら山の中は想像以上に険しく、身軽な子供と違って大人は登るだけでも非常に困難なようだ。 更に広大な山で何処にいるのか見当も付かない一人の子供を探すという非常に神経を使う作業を行いながらというのだから、思うように進まないのも仕方ない。
「わ、私達が早く見つけてあげないせいで……こうしてる間にも息子が山の何処かで一人寂しく……空腹で辛い思いをしてるのかと考えるだけで──もう胸が……! 苦しくて……ほんとに苦しくて張り裂けそうです……!」
今まで冷静だった翔子が徐々に感情を出し始める。 顔が見えないというのに感情の籠った声を聞くだけで歯を食いしばり、泣きそうになっている表情が容易に想像出来そうだ。
(一輝君のお母さん、すごく辛そう……さっき普通に話してたからもう平気なのかとちょっと思っちゃったけど、やっぱり大丈夫なわけないよね……)
千秋は翔子の言葉が心に響き、胸が締め付けられそうな感覚に陥る──が、どうやら周りの生徒達も何人かが同じ心情になっているようで、中には涙を流している女子生徒もいた。 もしかすると他の教室でも似たような現象が起こっているとしたら、それ程までに翔子の発する言葉には聞いている者の心を揺さぶる力でもあるのかもしれない。
それからすぐ近くにいた男性教師が「ゆっくりでいいですからね、自分のペースで話してください」と落ち着かせる事を言ってから数秒後、沈黙を破るように声を出す。
「──先程はすみませんでした……少し興奮してしまって、ついあのような事を……えっと、では気を取り直してですね、ここにいる生徒さんの皆さんに──私から一つお願いがあるのですが……」
冷静さを取り戻した翔子は軽く謝罪をした後、突如として学校にいる全員に何か訴えかけてくる。
(お願い……?)
突然の事に若干の戸惑いを感じつつも、千秋を含め全校生徒全員が何も言わずにスピーカーへ耳を傾ける。
「もし宜しければ、皆さんのご両親──つまりお父さん、お母さんにボランティアへ一日でもいいから来てもらうよう頼んで頂けないでしょうか」
翔子は生徒達へまるで母親が自分の子供の友達に接するような雰囲気で優しく話しかける。 だがその内容はとてもじゃないが尋常ではなかった。




