それぞれの一歩 その三十三
女性店員が全員分の食事を持ってきた後に三人は夏休みは一体何をしていたか等、学生ならではの話題の雑談をしながら食事を楽しむ。
津太郎は時々少し前までいた成人男性二人の事を無意識の内に思い出して不安な気持ちになるが、中辛カレーの味や辛み、そして雑談に集中して無理矢理にでも意識しないよう努力をしていた。
──二十分後、食事を終えてお腹が満たされた三人は会計を済ませて店の外へと出た。
ちなみに津太郎が他の二人の分もお金を出そうかと思っていたのだが、小織からは「自分で払うからいいわ」と言われ、愁に至っては「先輩! 男女平等のこの時代に男が奢るなんて考えはもう古いですよ!」と説得されてしまい、結局それぞれ別々に支払う事になったという。
そしてこのショッピングモールでの用事も全て終わった三人はそのまま外に出る。 すると熱の帯びた地面や強い日差し、心地よくない熱風によって嫌でも感じる熱気が全身に纏わりつき、今がまだ真夏だという事を思い出してしまう。
しかも長時間に渡って冷房の効いた場所にいたというだけあって暑さに対する耐性が無くなっており、思わず冷房を求めてまたショッピングモールの中に引き返したくなってしまいそうだ。
「あっつーいっ! どうして夏ってこんなに暑いんですかーっ!」
「そりゃ夏だからとしか言いようがないぞ……」
愁があまりの暑さにショッピングモールを出てから駐車場に向かって大声を出すと、右にいた津太郎が反応する──ただ、熱気のせいで早くも辛そうにしていたが。
「それは回答としてどうなの?」
津太郎の左にいる小織が呆れた表情で言う。 だがどうやら三人の中で一番暑さに耐性があるようで、とても涼しげな顔をしている。
「はぁ……こういう時こそ雪が降るぐらい寒くなって欲しい……そうすればこんな暑い思いしなくて済むのに──あ、タクシー呼ばないと」
肩を撫でおろす勢いで溜め息を吐きながら愚痴を言った後、愁はスマートフォンを黒のバッグから取り出して何か操作をし始めた。
「もし本当にそうなったら今度は夏の暑さを求めそうだけどな」
「さっきの試着室でも思いましたが教見先輩って本当にビックリするぐらい現実主義者ですよねー。 もし先輩の口からファンタジーとかロマンチックな言葉が出てきたら心臓が跳ね上がるぐらい驚きそう」
愁はスマートフォンの液晶画面を右手で触りながら話している。
「いやいやそこまで現実主義じゃ──」
「あっ! タクシー捕まりました! 後五分ぐらいで来るみたいです!」
すぐ来てくれるタクシーが見つかった愁は驚きのあまり、津太郎が話しているにも関わらず割り込んでくる。
「あら良かったわね。 じゃあタクシーが来る前にあっちへ行かないと」
小織は車が出入りする道路の方へ指を差す。
「そ、そうですね──そうだ! 月下先輩! 途中まで一緒に乗りません!?」
スマートフォンをバッグの中に片付けた愁は急に小織の傍へ寄り、今にも両手を掴みそうな勢いで頼み込む。
「えっ? どうしたの急に?」
「えーっと、一人で帰るのは寂──じゃなくて、退屈なんですよね~。 家に着くまでスマホいじるぐらいしかする事ありませんし、月下先輩が話相手になってくれると凄く助かるというか嬉しいというか」
愁は足と足を擦り合わせたり、顔を上下左右に軽く動かしたりと少し落ち着かない様子で事情を話す。
「そう言ってもらえるのは嬉しいし一緒に帰るのは全然いいんだけど……タダ乗りするのは申し訳ないから降りる所までの分だけでもお金を──」
「いやいやいいですいいですっ! お願いしてるのは自分なんですからお金なんて出さないで下さい!」
「でも……」
小織がバッグから財布を取り出そうとした所で愁がその手を慌てて止める。
「まぁこう話してる間にもタクシーが来るかもしれないしさ、今日は加賀の言う通りにした方がいいんじゃないか? また今度何かあった時に今日の借りを返せばそれで一件落着だろ?」
お互いが遠慮してこのままでは埒が明かないと思った津太郎は小織を説得しようと話しかける。
「──そうね、じゃあ今日は愁ちゃんに甘えちゃおうかしら」
「はいっ! 甘えちゃってください!」
小織が納得した所でタクシーが来るまであまり時間が無いかもしれないと思った三人は、少し早歩きでショッピングモールを抜けて道路のすぐ横の歩道まで移動した。
「教見は別にここまで来なくて良かったのよ? 荷物抱えたままじゃ動きにくいんだから日陰でバス来るの待ってたらいいのに」
「バスが来るまで後二十分あって退屈だし、見送るまでなら付いていっても問題ないさ。 それにボディガードとして最後までエスコートしないとな」
「……?──あっ、その設定覚えてたのね、すっかり忘れてたわ」
「自分もです!」
小織は冗談ではなく素で忘れていたようで、津太郎の言葉を聞いて思い出したようだ。 そして言った張本人である愁も元気よく右手を上げながら堂々と言う。
「えぇ……マジか……」
津太郎は少し格好つけて言ったのを少しだけ後悔した。
──五分後、三人が強い日差しに照らされながら待っていると右側から黒塗りのタクシーが向かってくる。 そして運転手は歩道に立ち止まっている三人を見て察したのか、左のウインカーを付けた後に車を左側へ寄せ、近付いてから止めると次に左後方のドアが開く。
「今日は……その、楽しかったわ」
それから愁と中年男性の運転手が確認の会話をしている間に、小織が沈黙を破るような形で津太郎に話しかけてくる。 しかし真正面を向いたままで何故か顔を合わせようとはしない。
「ん? あぁ、俺も楽しかったよ。 もし月下と加賀と会わなかったら頼まれた物を買って帰るだけの退屈な買い物で終わってただろうしさ」
だが津太郎は小織の方に顔を向けて軽く微笑みながら言う。 その言葉を聞いた小織は少しだけ頬が緩んだような気がした。
「そっか──今日はその言葉が聞けただけでも満足よ」
「満足?」
「別に大した意味じゃないから気にしないで。 ただ唯一の不満は辻と遭遇した事ね、あのトラブルのせいでせっかくのデー……買い物の雰囲気が台無しになったし」
小織は途中で言葉を濁す。 当然だが津太郎には何て言っているのか聞き取れなかった。
「確かにあれは胃が痛くなりそうで大変だったな、あははっ」
「月下先輩! 話が済んだんでタクシーに乗りましょう!」
二人が話に夢中になっていると愁がドアの上の部分を掴んだ状態で小織を呼ぶ。
「えぇ、分かったわ」
小織が返事をした後、愁に続くようにしてタクシーの中へと入る。
「それじゃあ教見先輩! 今日はありがとうございました! また夏休み中に何処かで会えたらいいですね!」
津太郎がタクシーの邪魔にならない程度の距離を取ってからドアの真正面に立った後、愁が元気そうに別れの挨拶をする。
「こっちこそありがとな。 でも俺は基本的に家にいるから会うのは難しいと思うぞ」
「こういう時ぐらいもうちょっとキュンッとさせるような事を言ってくださいよ!」
津太郎から見て奥の方に座っている愁との会話が終わると、次は手前にいる小織が口を開ける。
「──じゃあ元気でね」
「あぁ、月下も体調崩さないようにな」
「勿論よ──運転手さんすみません、宜しくお願いします」
だが二人の会話は非常に短く淡泊に終わる。 そして小織がタクシーの運転手に出発するように声を掛けた。
「かしこまりました。 それでは、ドアを閉めます」
運転手がそう言うとドアが自動でゆっくりと動き始め、静かに閉まる。 その後にタクシーは一旦ショッピングモールへ入ってからすぐ引き返すように回り込み、来た道を戻っていった。
「でも良かったんですか? あんな短い会話で済ませちゃって。 ほんとはもっと話したかったんじゃ?」
目的地に出発してから愁が小織の方に向いて話しかける。
「うぅん、別にいいの。 運転手さんをずっと待たせる訳にもいかないし──それに……」
「それに?」
「もう、十分だから」
小織は言い終わった後に窓から青空を眺める。 ただその表情は雲一つない空のように澄み切っていた。




