それぞれの一歩 その三十二
(……!?)
津太郎は異変に気付く。 自分が声を出した途端、それまで世間話をしていた後ろの二人が急に何も声を出さなくなったという異変に。
(警戒──してるのか……?)
出来るものなら後ろを向きたい。 この席から立って後ろの席を確認したい。 後ろの二人がどう思っているのかこの目で確かめたい──だが津太郎には出来なかった。 確かに小織と愁を前にして妙な動きをし、二人に怪しまれたくないという気持ちもある。
しかしそれ以上の理由があった、それは──、
(何故かは分からないけど……嫌な感じがする……まるでこっちをずっと見ているかのような……)
後ろから威圧、または殺気ともいえる視線を送られているように感じたからだ。 仕切りの向こう側にいる男性二人が一体どのような表情、態度をしているのか見えていないのだから分かる訳が無い。 ただ一つ分かるのは、この不気味な感覚が勘違いや気のせいではないという事だ。
「あれー? もしかして図星だからずっと黙ってるんですかー?」
津太郎が焦っている最中にも愁が笑顔で指を突き付けながら言ってくる。
(しまった……! 後ろばかり気にして前を意識してなかった……! いや待てそんな事よりもここで言葉間違えたら月下と加賀も危ないんじゃ……!)
今の津太郎に意識をするのを忘れていたなんてのは本当にどうでもよかった。 何故ならそれよりも大事なのは目の前にいる二人だけでもどうにかして危険を晒さないようにする事だからだ。
しかし男性二人が真っ先に津太郎達のテーブルに詰め寄ってこないのは不幸中の幸いだった。 もしかすると様子見をしているだけなのかもしれないが、思考出来る時間を与えてくれるだけまだマシといえるだろう。
「──よく分かったな。 実は二人の後ろのグループの話をずっと聞いてたんだ」
津太郎は出来るだけ自然に、そしてわざと男性二人組にも聞かせるよう少しだけ大きな声で言う。 確かに津太郎から見て前の席の方からは男女四人の盛り上がっている話し声がしており、嫌でも耳の中に音は入ってきていた。 後ろの男性二人組の話を聞くのに集中し過ぎてどういう内容なのかは全く把握出来ていないが。
「まぁ聞こえるのは仕方ないけど、あまり盗み聞きしようとするのは良くないわよ」
小織が若いグループに気を遣ってか少し前かがみになって小声で話しかけてくる。
「そういう趣味があるんですね……ちょっと意外です。 もしかして学──」
「わっ、悪い悪いっ! 今度から気を付けるっ!」
愁が『学校』という単語を言いそうになったのを察し、慌てて割り込むような形で謝罪をした。 どうして無理矢理にでもこうしたかというと、自分達の情報を出来るだけ漏洩するのは避けたかったからだ。
(これは……まだ疑ってる感じか……!?)
何とかして男性二人組を誤魔化そうとした──だが後ろの席は未だ沈黙が続いており、あまりの静けさに恐怖すら感じてしまいそうだった。
(頼むから何か話してくれよ……! もういっそのことトイレとか言って確認でも──だがこのタイミングで抜けてもし月下と加賀に何かあったらまずいよな……)
津太郎は次はどうすべきか再び考え始める。 この時点で注文をしてから数分経過していたのだが、今の津太郎は頼んだ物を待つ楽しみは完全に消えており、どうすればいいのかという事で頭の中は一杯であった。
(そうだ……! そういえばこの二人さっき飲み物を注文してたし、店員さんに話しかけられた時の対応で今どんな感じなのか少しでも分かるんじゃないか……!?)
とりあえず飲み物が来るまで様子見をしようと決めたその直後、後ろから革靴で地面を踏む音や衣服とソファーが擦れ合う音が耳の中に入ってくる。
(えっ? いや、ちょっと待てよ? もしかして立ち上がろうとしてないかこれ……?)
津太郎の嫌な予想は当たっていた。 後ろの二人は注文した飲み物がまだ届いていないにも関わらず、立ち上がる為にソファーから座ったまま横へと移動していたのだ。
(まさかこっちに来るつもり──なのか……?)
心の鼓動が急に早くなる。 呼吸は浅く、それでいて短時間で何度も何度も繰り返す。 背中からは冷や汗が止まらない。 足は今にも震えそうだ。
(嘘だろ……)
津太郎が焦っていたのは事実だが、何処か心の中では『大丈夫』『何とかなるだろ』という気持ちもあったのだろう。 しかしその何の根拠も無い自信がいとも容易く崩されてしまい、気持ちは、心は、今にも折れそうになっていた。
その直後、真後ろではなく左斜め後ろから足音がしてきた。 恐らく男性二人組がソファーから立ち上がり、歩き始めたのだと思われる。
(……!)
──二秒後、津太郎の横に白のシャツと黒のスラックスを着用した成人男性二人が姿を現す。 当然、津太郎も二人には気付いていた──が、顔を横に向ける事なんて出来る訳が無く、何事も無い表情を保ちつつ真っ直ぐ見つめるだけで精一杯だった。
(えっ……?)
だが男性二人は津太郎にも、小織にも、愁にも話しかける事なく通り過ぎていく。 何もしてこない事に津太郎は思わず表情を崩してしまいそうになるが歯を食いしばって何とか堪え、そのまま出入り口の方へ歩いていくのを一瞬だけ目を横に向けて確認する。
(助かった……のか? それとも俺が神経質になってただけで──あの人達は別に気にしてなかった……?)
それから一分後に津太郎は慎重に顔を出入り口へと向ける──すると何処にも男性二人は見えなかった。
(いない……という事は、この店から出て行ったんだよな……)
一応この後に全体を見渡した津太郎は、男性二人が本当に店からいなくなったのを確認する事が出来て心から安堵する。 脱力した勢いで頭をテーブルに乗せたかったが流石に店の中、そして目の前にいる二人から変な目で見られたくないので止めておく事にした。
「さっきから向こうばっかり見てるけど、どうしたの?」
ずっと横を向いてる津太郎が気になったのか、小織が話しかけてくる。
「えっ? あー、ちょっと……その色々──」
だがすっかり気が抜けてしまった津太郎はいきなり話しかけられても中々どう返せばいいか思い付かず、言葉が詰まってしまう。
「きっとあれですよ、注文したカレーはまだかなー、店員さん早く来ないかなーっと思いながら見てたんですよ。 自分もお腹ペコペコなんでその気持ち、すっごく分かります♪」
「そっ、そうそう! こういうレストランのカレーって家のとは何が違うんだろうって凄い気になっててさ!」
愁の言葉に乗っかり、何とかその場しのぎではあるが言い訳を言う事が出来た。
「な、何か小学生みたいに張り切ってるわね……それにしてもボーっとしてたかと思ったら次はよそ見、今度は急にテンション上がるとかさっきから落ち着きが無さ過ぎじゃない?」
だが津太郎の今までの一連の動きに違和感を抱かれたのか、小織に何か変だと疑われてしまう。
「わ、悪い悪い。 だけどもう大丈夫だから」
しかし津太郎は変に言い訳をせず素直に謝る。 そして脅威は去ったという意味を込めて小織へ安心させるような発言をする。
「……? 何が大丈夫なのかサッパリなんだけど」
「まぁまぁ俺の事は別にいいじゃないか」
これ以上追求されない為にも、とりあえずこの話題を終わらせようとした。
「そうですよ! 教見先輩の事なんかよりもっと他に楽しい話題で盛り上がりましょうよ!」
「流石にそこまで言われると軽く傷付くんだが……」
それから三人は他愛ない話をしながら注文した物が来るまで待っていた。 そしてようやく両手に料理を持った女性店員が来た際、津太郎が皿を受け取ろうと通路の方へ向いた時に──ふと、一つの疑問が浮かび上がる。
(あれ? あの人達って席へ向かう時は出入り口から最短距離で来たのに、何で出て行く時は通り道をわざわざぐるりと回り込むようにして歩いてたんだ? 俺に用が無いのなら別に遠回りする必要無かったよな……?)
疑問は確かに出てきてしまったが現時点で悩んでも仕方ないと思い、今は考えるのを止める事にした。




