それぞれの一歩 その三十一
「おいっ……! こんな所でその言葉を口にするなってっ……! 誰かに聞かれたらどうすんだ……!」
先輩と呼ばれている成人男性が恐らく後輩であろう人物に若干焦った様子で呟いている。 恐らく周りに伝わらないよう相当声を絞っているのだろうが、津太郎にだけは辛うじで聞こえていた。 ただ、隣の席に耳を意識を集中させないといけないが。
「気にし過ぎですって~。 こんなに騒がしいんですから小さい声で喋れば周りに聞こえませんよー」
確かに後輩の言う通り、このレストランは繁盛しているおかげで中には相当数の客が居座っており、その人の数の分だけ話し声がするという事もあって賑やかなのは間違いではなく、周りには聞こえないという思考になるのも分かる──だがこの後輩にとって一つだけ予想外だったのは、まさか後ろにいる一人の男子高校生にこの会話が聞こえてしまった事だろう。
(あの二人ってさっき言ってた夫婦の事か……? その二人が異世界に行くって……それは一体どういう……?)
その言葉だけでは理解出来る筈が無かった津太郎は真正面に向きながらも耳を、視覚を、意識を、背後に集中させる。
「そういう問題じゃねぇんだよ……! もしこの事が誰かに知られて、それが俺らのせいだとバレたらどうなると思う? もしかしたら消されちまう可能性だってあるかもしれねぇんだぞ……!」
先輩が必死に訴えかけている。 津太郎から表情は見えないが険しそうにしているのではないかという想像は何となく出来た。
「くっくくくっ……! バっ、バレたら消されるだなんて……! そっ、そんなっ……! そんな漫画やドラマみたいな展開ある訳無いじゃないですかっ……!」
だが後輩は笑いを堪えるのに必死で、先輩の訴えを真に受けていないのは明らかだった。
「ふぅ……というか怪しまれたくないなら怖い顔するの止めた方がいいですよ~? はいはい笑顔で笑顔でリラックスゥ♪」
そして一度深呼吸をした後、落ち着いた後輩は先輩へ逆に周りから不信感を抱かれないような指導をする。
「こっちは真面目に言ってんのに……お前のそのビビらなさは尋常でない度胸の持ち主なのか、それとも自分だけは大丈夫と思ってる現実逃避野郎なのか……」
「さぁ? 自分でもよく分からないですねー。 前者だったらいいなぁ、アハハハッ」
先輩の呆れた発言に対し後輩は相変わらず良く言えば明るく、悪く言えばお気楽な態度を取っていた。
(知られたら消される……? 何なんだこの人達は……)
一方で津太郎は創作物でしか出てこないような言葉を実際に耳にし、より一層この二人が一体何者なのか分からなくなってしまう。
(それにさっきから明るく話している人──上手く言えないけど……感情が無いように思えて何か不気味だ……)
そして何処までが本気で何処までが冗談なのか掴めない後輩に得体の知れない恐怖すら覚えそうになり、もう家電専門店で見た面白そうな二人組という印象は完全に消え去っていた。
「……っと! ちょっとっ!」
「うおっ!?」
急に小織に呼ばれた津太郎が我に返ると、テーブルの目の前にはメニュー表が置かれていた。 恐らく二人が何を注文するか決まった後、津太郎の方へメニュー表を持って行ったのに全くの無反応だったせいで何度も声を掛けたのだろう。
「一体どうしたのよ? 急に魂が抜けたみたいにボーっとして」
小織が不思議そうに津太郎を見つめる。 向こうからすれば先程まで話していたのに突然何も言葉を発するどころか反応しなくなるのは変に思われても仕方ない。
「あっ、いや、えーっと、俺もちょっと疲れてたのかもな。 座って楽になったからすっかり気が抜けてたよ」
「魂でも気でも抜けたのはどっちでもいいですけど~、早く選んだ方がいいですよー? いつまでも決めないでいるなんてお店側にも迷惑でしょうから~」
「あっ、あぁ、分かったよ」
愁に説得された津太郎はとにかく早く決めようと慌ててメニュー表の適当なページを開くと、真っ先にカレーが目に付いてもうこれにしようと決める。 心に余裕があればもっと色々と見たかったが、後ろの二人に気付かれていないか、今はどういう話をしているのか気になって堪らない津太郎にそんな遊び心は無かった。
それからメニュー表置きの手前に設置されてある呼び出しボタンを押して女性店員に三人がそれぞれ注文した後、小織と愁が健斗について話し合っている最中に今の内だと感じた津太郎は再び後方に集中する。
(でもさっきみたいにずっと後ろの話を聞くのは無理か……また抜けてるとか思われたら今度は言い訳するの難しそうだし)
二度目の注意となると不信感が増し、もう後ろにいる二人の話を聞くどころの問題では無いだろう。 後ろの話を聞きつつ前の二人にも時には意識をしなければならないが、これ以上怪しまれない為にはこうするしかなかった。
「──じゃあ自分はアイスココアにしよっかな~。 先輩は何にしますか?」
「俺はアイスコーヒーにすっかな」
しかし話は既に別の話題へと変わっていて、津太郎が気になっていた異世界については終わっていた。
「ほんとコーヒー好きですよねぇ──でも早見さん夫婦の家で絶対また出されるのにここで飲んでていいんですかー? 飲み過ぎてトイレ近くなっても知りませんよー?」
「別に問題ねぇって。 行きたくなったらトイレ借りればいい話だしよ」
(な、何かさっきと比べて普通の雑談になったな──って……ん? 早見?……さっき早見って言ってたよな?──確か亡くなった三年生の人も早見だけど……たまたま同じ名字なだけ──か?)
さりげなくだが唐突に出てきた『早見』という名前が津太郎は少しだけ気になった。 まさかここで約二ヵ月前にマンションから飛び降りて命を絶ってしまった上級生の名前を聞く事になるとは思わなかったからだ。
「まぁそう言われればそうですね。 でもやっぱり何度も行ってるだけあってもう気軽にトイレを借りれるだけの仲になっちゃいましたねぇ」
「それだけあの夫婦もすっかり俺らに気が緩んだって事さ。 後、ちょっと前に娘さんが亡くなって二人きりになったから寂しくて家に来てくれるだけで嬉しいんだろ」
(ちょっと前に亡くなった……!? しかも娘って──やっぱりそうなんじゃないのか……!?)
そしてさりげなく、しかし思わぬ所から飛び出した発言によって津太郎が抱いた疑問は確信へと近付く。
「先輩は背も低くて童顔だから息子さんみたいに思われてたりして」
「息子扱いとか気持ち悪ぃから本気で止めてくれ──さて、喋ってたら喉渇いたし注文するか」
この後、二人が店員に注文している間に津太郎は、表情を崩さず何とか保ったまま意識を前に戻す。
(……もし、もしもだけど──さっき聞いた話をまとめると……もうすぐ俺の知ってる三年生の親である早見夫婦が異世界へ行くって事で合ってるよな……?)
そして頭の中で今までの話を整理し、自信は全く無いが自分なりに何とか答えを絞り出した。
(いや、合ってたとしてもどういう意味なんだよこれ……何でこの人達が異世界に行くんだよ……それとも異世界ってのは何かの隠語で俺が思っているのとは違うのか?)
しかし答えを導き出せたとしても、一体どういう流れでそういう事になったのか津太郎には全く分からない為、謎が謎を呼ぶ展開となってしまう。
(でもそのままの意味だとしたらそれって──)
「もしもーし! さっきからずーっと黙ってますけどー! もっと会話に入ってきて下さいよー!」
津太郎が真剣に考え事をしていたら愁が大声を出して呼んでくる。 何も発言しない事に気を遣って話を振ってくれたのだろうが、今の津太郎はそれどころではなかった。
「あっ、いやー、二人の会話の邪魔をしたら悪いと思ってさ。 別に俺は聞いてるだけでいいから気にしないでくれ」
「それじゃあ一緒の席に座ってる意味が無いじゃないですかー!?──というかさっきからずっと上の空っぽいようにも見えましたけど……なーんか怪しいなぁ……」
「そ、そうか……?」
愁が不信そうな目で見つめてくるが余裕の無い津太郎に上手く返す事は出来ず、単純な言葉しか出てこなかった。
「うーん──はっ! もしかして自分達の話がつまらないからって他の席の話を盗み聞きしてたとかっ!?」
「なっ!?」
まさか当てられるとは思わなかった津太郎は驚きの反応を抑えられず、つい周りに聞こえてしまう程の声が漏れてしまう。
そしてその瞬間──後ろからの話し声が聞こえなくなった。




