異世界からの来訪者達 その2
魔法陣──それは創作物の中でしか存在しない物であり、視聴者や読者を盛り上げる為の舞台装置に過ぎない。
教見津太郎も僅か数秒前まではそう考えていた。
しかし、今は違う──何故なら目の前にはその、実在しないと思っていた筈の物がこうして実在しているからだ。
廊下の窓から見上げるだけでは全体を把握出来ない程に巨大で赤い円。
その中には一つの六芒星の印が円に無駄なく当てはまるよう赤い線で描かれている。
六芒星の周りにはこの世界で見た事がないような文字が羅列されており、禍々しさの中にも神秘性があるようにも思えた。
(なんで俺は、こんなヤバそうなのをずっとまた見たいと思ってたんだ……)
退屈な日常の中、急に現れた非現実的な存在は津太郎にとって魅力的に見えてしまったのだろうか。
確かにもう一度見たいという願いは叶った。
しかし、それと同時に憧れは恐怖の象徴へと考えは変わってしまう。
「教見! 何をやっているんだ!」
茫然と魔法陣を見続けていた津太郎が我に帰ると、それまで教室で生徒を宥めていた中年の男性教師が、教室の入り口から大声を出してくる。
勝手に教室から飛び出したのだから、怒られて当然だろう。
幸いにも他の生徒が津太郎は逃げ出したと勘違いし、同じような行動を取らなかっただけまだマシかもしれない。
「こ、これは……その……!」
魔法陣を間近で見た衝撃や恐怖で思考が全く働かず、言葉が全く出てこない。
「いいから早く教室に戻るんだ!」
教師はこちらへ来るようにと、全力で手を振る。
「わ、分かりました……!」
指示通りに動こうと窓から背を向け、歩き出そうとした瞬間だった。
上空にある魔法陣の方から凄まじく鈍い衝撃音が伝わってくると同時に、巨大なステンドグラスに亀裂が入ったような音が聞こえ始める。
突然の出来事に怯えてしまった教師は自分だけ教室の中へ入ってしまう。
津太郎もまた恐怖で身動きが取れず、近くで雷が落ちた時のように心臓まで響いた衝撃は思わず息が詰まらせる。
(心臓が止まるかと思った……!)
何が起こったのか分からない津太郎は急いで窓を見上げる。
その両眼でハッキリと分かるのは、魔法陣の中心から全体へ広がるようにヒビが入っており、こうしてる間にも崩れ落ちそうな状態になっているという事だ。
学校全体が少しだけ落ち着きを取り戻したのも束の間だった。
何が起こっているのか分からない恐怖で学校からは再び生徒達の叫び声が聞こえ始める──その有り様は正に、この世の終わりといえよう。
◇ ◇ ◇
──その頃、清水栄子や月下小織がいる教室の中では誰も大人しく席には座っていなかった。
何処かに身を隠したい──本能がそう訴えかけているのか、机の下やカーテンの中、更には教壇の中にまで隠れている生徒もいる。
栄子と小織は教室の隅に座り込み、お互い寄り添って抱きしめ合っていた。
小織は目を瞑り、身体を震わせている栄子の恐怖心を和らげようと必死である──しかし小織もまた下唇を噛みしめて恐怖を誤魔化すのが精一杯の状態であり、余裕は微塵もない。
(こ、怖い……今すぐ泣き喚きたい……)
小織は心の中で密かに思う──しかし栄子を目の前にしてそんな不安を誘うような行為は絶対に出来なかった。
そしてこれまでの何気ない日常が、平和が、自分達にとってどれだけ恵まれた環境だったのかを身に染みて実感する。
(アタシって実はこんなにビビりだったのね……)
今まで怖い者なしと思っていた事に対して、恥ずかしさと情けなさが入り混じった感情がゴチャゴチャになり、落ち込みそうになった時、
「小織ちゃんは……凄いね。 こ、こんな状況でも自分よりも他の人の事を優先出来るだなんて……」
栄子は小織にだけ聞こえるよう囁くが、その言葉は震えていた。
「アタシは──強くなんてないわ……こうやって栄子を抱きしめてるのも、この状況で一人なのが嫌なだけかもしれない……」
今、本当に思っている事を正直に話す。しかし『怖い』という単語は口にはしない。
「それでも……私にとっては心強いよ……ありがとう」
栄子の身体の震えが少し治ったような気がする。
小織もまた、栄子の言葉に恐怖心が和らぎ気持ちが少しだけ楽になった。
「──どういたしまして」
その返事の中には小織なりの感謝の気持ちも篭っていた。
栄子と小織が落ち着きを取り戻してから間もなく、一人の男子生徒が誰しもが疑問に思っている事を口にする。
「どうして誰も助けに来てくれないんだっ! こんな大騒ぎになってるのに来ないとかおかしいだろっ!!」
「知らねえよっ! 来たところでこんなの何とかなるわけねえだろっ!」
最初に声を出した男子生徒の苛立ちが他の生徒にも感染してしまい、こういう状況にも関わらず今にも喧嘩が始まりそうな雰囲気になってしまう。
「うっせぇなっ! そんでもやらないよりマシだろうがっ!」
お互いが怒鳴り、そして睨み合う。近くにいる女子達の何人かは完全に怯えきっていた。
「やだぁ……ほんとにイヤだぁ……怖いよぉ……」
とうとう泣き出してしまう女子生徒まで出てきてしまう。
「もうやめてよ! 言い争ってる場合じゃないでしょ!」
そんな二人に一人の勇敢そうな女子生徒が大声を上げて止めに掛かるとようやく静かになる──が、重たい空気に包まれて教室の雰囲気は最悪であった。
これだけ学校中が大騒ぎになっているにも関わらず、学校の外からは誰も騒いでるような雰囲気も無い。
更に警察が出動している時に鳴るパトカーのサイレン音も聞こえてくる気配が微塵も感じずにいた。
まるで自分達だけこの世界から隔離されたかのような錯覚に陥りそうになる。
「そうだ! 携帯で助けを呼べば──」
「駄目だよ……」
沈黙を打ち破った男子生徒の閃きの声はすぐに妨げられてしまい、カーテンの中に隠れていた女子生徒が出てきてスマートフォンの液晶画面を耳に当てた状態のまま話しかけてきた。
「さっきからやってるけど全然繋がらない……電波が届かないって……」
「で、電波が届かないってさっきまで普通に使えたのに……なんで……」
女子生徒の言葉は僅かな希望すら奪ってしまい、生徒達を絶望へ叩き落す──それと同時にすぐ近くで雷が落ちたような轟音が聞こえてきて、学校中から悲鳴が響く。
二度目の衝撃に限界を迎えて耐えられなくなったのか、魔法陣の中央辺りには大きな穴が空く所を津太郎は目撃する。
六芒星の印を破壊されて持続する効果を無効化された魔法陣は粉々に砕け、散りばめられた紅の結晶が青の空に舞い上がりながら緩やかに消滅していく。
その光景は、まるで寒緋桜の花吹雪のように幻想的であった。




