それぞれの一歩 その四
大人達がいなくなり、栄子と二人きりになってしまった津太郎は最初はどうしようか少しだけ焦ったが、今なら丁度いい機会と思って気になっていた事を質問してみる。
「ちょっと聞きたいんだけどさ、どうして今年になって急にキャンプへ行く事になったんだ? 今まで一度もそうやって何処か遠出するなんて一度も無かったのに」
座ったままの津太郎が真正面のソファーにいる栄子に聞いたのは今度行くキャンプについてだった。 もしかすると津太郎が知らない頃に旅行にでも行っていたかもしれないが、少なくとも栄子と知り合ってからはそういう話は聞いた事が無い。
栄子は津太郎に見つめられて再び僅かに緊張するが、質問に答える為にも必死に抑えて口を開ける。
「えっとね、来年はもう受験生だから家族で何か出来るとすれば今年が最後だと思うし、一度くらいちょっとした冒険をしてみないかい?──みたいな事をお父さんに言われたんだ。 それで家族で話し合って、近場のキャンプ場なら大丈夫なんじゃないかって」
「なるほどな。 じゃあ俺らを呼んだのは父さんみたいな経験者の人手が欲しかったとか?」
次の質問を津太郎がしてきた瞬間、栄子は顔を下に向けた後に身体を小刻みに揺らし始め、明らかに落ち着きが無くなっているように見えた。
「そっ、それも確かにあるんだけど……最後かもしれないから一緒に行きたい、何か思い出を作りたい……と思って……私が呼ぼうって提案したの……」
栄子の言葉に津太郎は内心驚いていた。 自分達をキャンプに呼ぶと決めたのはてっきり孝也か母親の彩とずっと思っていて、まさか栄子だとは想像すらしていなかったからだ。
「でも……やっぱり迷惑──だったかな……?」
顔を上げた栄子は申し訳なさそうな表情で言う。
「いやいや迷惑なんて事は無いっ! 絶対無い! それだけは断言出来る!」
胡坐の姿勢だった津太郎は、目の前にあるテーブルに当たりそうな勢いで前のめりになって否定する。
「そ、そうなの……?」
「ああ。 むしろ栄子には感謝してるぐらいだ」
津太郎は頷いた後に笑顔になる。
「ほ、本当? 良かったぁ……」
栄子はその言葉を聞いて深く溜め息を吐き、胸に手を当てる。 その後、安心して喉が渇いたのかアイスココアを飲み始めた。
(栄子のおかげで一輝が七年前に行っていたキャンプ場に足を運ぶ事が出来るから──とは言えないよな……いや、栄子とキャンプへ行けるのが嬉しいのも本当だけどさ)
津太郎が栄子に感謝しているのは本当だ。 ただ、キャンプに行きたかった一番の理由が一輝関連だという事に少々罪悪感を覚えてしまう。
(でも一輝の事ばかり意識してたらせっかく誘ってくれた栄子や、キャンピングカーを用意してくれた孝也おじさんにも失礼だし──楽しむ事も忘れないようにしないとな)
そう決めた津太郎はアイスココアを飲んで一息ついている栄子に向かって話しかける。
「栄子、本当にありがとう」
「えっ!? ど、どうしたの急に?」
津太郎としては単純に今のありのままの思いを伝えただけなのだが、あまりにも唐突なお礼に栄子は驚きを隠せないでいた。
「あ、いや、なんていうか──栄子が一緒に行きたいって言ってくれたから俺達もキャンプに行ける事になったわけだしさ、やっぱりこうやってきちんとお礼を言わないとって思ったんだ」
「お礼だなんてそんな……私の方こそ自分の我が儘のせいで本当は迷惑掛けてるんじゃないかってずっと不安だったから、さっき絶対無いとか言ってくれて凄く安心したんだ──だから、お礼をしなきゃいけないのは私の方だよ」
ありがとう、と言わんばかりに栄子は微笑む。 その姿を見た津太郎は必ず栄子にとって最高のキャンプにすると心に決めた。
「今度のキャンプで沢山楽しい思い出、作ろうな」
「うん……!」
それから緊張の解けた栄子と夏休みの宿題はどれだけ終わったか、夏休みは何をしていたか等、他愛ない会話をする。 この流れで津太郎が彩はどうして一緒に来ていないのか尋ねてみると、どうやらスーパーでの特売を思い出したらしく、買い物の方を優先にしたそうだ。
五分程経つと、二階の倉庫の整理や掃除を軽く済ませた美咲が「あそこは冷房が全然効いてないから暑いわねぇ……」と言いながら戻って来る。 美咲が台所で手を洗ってから三人でキャンプの昼食についてどうするか話し合い、結果的に夏らしくカレーに決まった。
するとここでキャンプの道具を確認し終わった父親二人がリビングに来る。 どうやら孝也曰く倉庫と巌男の部屋にキャンプに必要な道具は殆ど揃っており、長年使っておらずいつ壊れるか分からないキャンピングチェアと安全面を配慮して新しいガスバーナーを念の為に買い替えるぐらいで済むらしい。
──ようやくキャンプについての話が一段落した後、孝也が置かれたお菓子を食べてから教見親子に話しかける。
「そういえば僕がいない間、この町は色々と大変だったみたいだね」
「大変?」
リビングのテーブルを囲うようにして置いてある一人用の白いソファーに座った美咲が聞き返す。 位置としては孝也と栄子の座っているソファーから台所へ向けて斜めである。
「ほら、五月の後半に神越高校が大騒ぎになってた時の事だよ」
孝也がその言葉を口にした瞬間、津太郎は運動場で一輝達が現れた時の事を思い出す。 恐らく、ではなく間違いなくその事だろう。 まさかここでこの話が出るとは思わなかったが。
「あー、そういえばそんな出来事もあったわね~」
しかし美咲の口から出たのは明らかに過去の出来事、既に過ぎ去った事として捉えていた発言だった。 だがこう思われていても仕方のないことかもしれない。 津太郎の中では全ての始まりであったとしても、他の者にとってはただ印象に残っただけの騒動に過ぎないのだから。
「今でこそ僕もそんな感じだけどー、その日の夜に仕事から出張先のウィークリーマンションに帰ってきた直後に彩から何が起こったか電話で聞かされた時はもう流石に焦って焦って心配で一杯だったよー」
「自分だけ遠くにいるから余計に心配するのも仕方ないわよー。 栄子ちゃんもその時にお父さんと電話したの?」
「は、はい。 お父さんが励ましてくれてはいたんですけど、ずっと喋りっぱなしで私は殆ど相槌しか出来なかったです」
「うんうん、孝也さんらしいわねぇ」
(俺は電話に出なかっただけで母さんに怒られたのに……なんだこの差は)
しかしここで追求すると後が怖いと思った津太郎は黙っておく。
「でも後で聞いたんだけど、あの事件からしばらくはテレビ局やマスコミの人が町の中をウロウロして歩いてる人に話しかけてたらしいのよね~。 特に学校近辺はもう夏祭りの時みたいに人が密集してて近所に住んでる人は生きてる心地が全くしなかったとか」
「それは災難としか言いようがないなぁ──あ、そうそう! 夏祭りという言葉を聞いて思い出したんだけど、津太郎君は誰かと行く予定とかはあるのかな?」
「えっ、お、俺ですか?」
あまりにも唐突な話題変更に津太郎は少々戸惑う──が、栄子は更に焦てているようで、何も言わないが表情に思いっきり出ている。
「い、一応今のところは栄子と月下と行くつもりです。 終業式の日に約束したんで」
津太郎は栄子と目を合わせた後に孝也へ報告する。 この言葉を聞いた栄子は覚えていてくれた事にホッとしているようだ。
「あら、もう約束してたなんて知らなかったんだけど」
しかし何も聞かされてなかった美咲は不満げに津太郎を見つめてくる。
「いやー……今は言う必要は無いかなと思ってさ」
津太郎は美咲と合わせた目を逸らしたくなるが何とか堪えて返事をした。
「内緒にされてたなんて辛いなぁ……お父さん寂しいよ……」
孝也は天井を見上げながら言う。 その声に覇気は無かった。
「ち、違うよっ! 隠してたとかそういうのじゃなくて、まだずっと先の事だし急に予定が変わるかもしれないからいつ言おうか悩んでただけで……!」
「──なーんて冗談だよ冗談。 いやー、慌てた栄子も可愛いなぁ」
孝也は栄子の頭を右手で撫でながら言う。
「じょ、冗談なら良かったけど──他の人がいる前でこういう事されるの恥ずかしいよぉ……」
栄子は顔を真っ赤にしている。 ただ、恥ずかしそうにはしているが、嫌そうにはしていなかった。
──それからも楽しく雑談をしていたのだが、時間が経つにつれて明らかに雲行きが怪しくなってきた為、清水親子は雨が降る前に帰る事となった。
「もうちょっと持つと思ったんだけどな~」
玄関先で靴を履いた孝也が見送りに来た三人に言う。
「多分まだ雨は降らないと思うけど──栄子ちゃん、帰り道は気を付けてね」
「はい、ありがとうございます。 それとココアご馳走様でした」
美咲の心遣いに対し、栄子は飲み物のお礼と兼ねて頭を下げる。
「では巌男さん、キャンプの道具に関してはお願いします。 本当なら僕も休日に行って手入れの手伝いでもしたいんだけど、よく分からないから……」
「なに、気にしなくても構わないさ。 手入れするのも趣味の一環なのでね」
孝也の申し訳なさそうな態度に巌男が冗談っぽく返す。
「それじゃ、また今度な」
「うん、またね」
津太郎と栄子の間で交わした会話は非常に単純だった。 だが二人の態度は非常に自然体で、玄関で迎え入れた時のぎこちない態度とは真逆になっている。 その事にただ一人気付いた孝也は何処か満足気であった。
そして別れの挨拶を済ませた後、清水親子は玄関のドアを開けて外に行き、自分の家へと帰っていく。 きっと帰りの道中は親子で楽しく会話をしているだろう──津太郎はそう思いつつ部屋に向かおうとしていた……が、
「よし、じゃあ物置の整理とか掃除を再開するから津太郎も手伝って。 どうせこの後ゲームするだけなんでしょ?」
客人がいなくなった途端、急に美咲は後ろから左肩を右手で掴んでくる。 津太郎から顔は見えていないが笑っているのは想像出来た。
「じゃあ父さんも……」
「私も本当ならそうしたいのだが、道具の手入れをしなければならないんだ。 中には重たい物もあってお母さん一人じゃ大変だろうから津太郎が手伝ってあげてくれ」
津太郎もそう言われてしまうと何も言い返せなかった。
「それじゃ、宜しく頼むわね」
「……はい」
この後、物置は何とか綺麗になったが終わったのは夕方頃だった。




