五話 それぞれの一歩 その一
二〇XX年 七月下旬。
夏休みが始まってから数日経った日曜日の昼間。 久しぶりの雨が二日に渡って続き、ようやく雨自体は収まったものの雨雲は未だ浮かんでいて青空は一切見えていない。 ただ、そのおかげで気温はいつもより低下しており、この雨は打ち水として最高の役割を果たしてくれただろう。
しかし現在夏休み中の教見津太郎にとっては晴れてようが雨が降ろうが生活に支障が出ない為、全く気にしないでいた。 ちなみに津太郎の首元まで伸ばした髪は茶色に染めていて、整った顔をしているが若干ながらツリ目になっている。 身長は百七十五センチメートルと良くも悪くも平均的だ。
外に出る予定も無いので個人的には服を着替えなくていいと思っていたのだが寝間着のままだと親に怒られる可能性があるという理由で、とりあえず色々な英語の書かれた白のTシャツと黒の短パンに着替えている。
今は昼食の素麵を食べた後、ゲームの休憩も兼ねて一階のリビングにある白のソファーに横になってテレビを見ていた。
ここだけ見ると夏休みが原因で怠けているようにしか思えないが、夏休み初日は朝からスマートフォンやノートパソコンを使って異世界から帰って来た東仙一輝の過去の遭難事件について調べていた。
しかしニュースサイトの内容は書き方は違っても中身は夏休み前日に見たのと似たようなもので、あまり参考にはならなかったという。
動画でなら新情報を得られるかと考え、世界で一番使われている動画配信サイトで検索するも、出て来るのは当時のニュースや個人が勝手に推測で事件について語る動画ぐらいしか見つからず、成果は今一つだった。
ただ、ニュースの動画を通して一輝が遭難した山の一部を見る事が出来たのは、今まで山の中を想像するしかなかった津太郎にとって凄く参考になった。
しかし動画越しに見た足元が見えない程に生い茂る草、通るのを阻むように倒れている木々、体力があっという間に削られそうな急坂──と、大人でさえ歩くので精一杯な場所だというのに、この過酷な山にまだ小学生だった頃の一輝がいたという事実が、津太郎をやるせない気持ちにさせてしまう。
気を取り直して調べ事を再開するも、特に何も収穫がないまま時間だけが経ち、その日はとりあえず遭難事件に関する情報を探すのを中断する。
次の日からも夏休みを楽しんでる合間に調べたりはしてたのだが、見つからないままあっという間に時間は経ち、今に至る。
(もう限界かもしれないな……)
先程もテレビを見る前にスマートフォンを使って軽く調べてはいたのだが、やはり新しい情報は見つからずインターネットはもう手詰まりじゃないかと思い始めてきた。
(七年前から何も進展していないし、捜索が打ち切られて誰も何もしてないんじゃ情報自体が少ないのは仕方ないか……ネットは万能かと思ってたけどやっぱ甘くないな)
インターネットを使えば遭難事件について何でも全て分かると思っていたが、現実は厳しかった。
(かといって一輝本人に当時の事を聞くとか絶対駄目だ、それはもう人として終わってる)
真相を知りたければ今度来た時に教えてもらうのが一番手っ取り早いだろう。
しかしそれは「お前は山の中で一体どうやって死んだの? 頼むから教えてくれよ」と聞くようなもので、津太郎にそんな一輝の奥底に眠っている心の傷を抉るような真似を出来る筈がなかった。
(とりあえず──もうこの件に関しては終わりにしておこう。 一輝の過去について少し知る事が出来ただけでも上等だしな)
いつまでも同じ事に執着しても仕方ない、今は一輝が来るまでゆっくりしようと決めた津太郎は気持ちを切り替えて身体を勢いよく起こすと思いっきり背伸びをした。
「ん~~~~っ!──ほんと、今年はいつもより暑いもんな……梅雨が急に終わったのも異常気象のせいなら納得する」
津太郎が言っているのは放送しているテレビについてだった。 テレビを見る人なら誰もが知っている超大物芸能人が司会の番組で、出演している五人のゲストはスーツを着た年配の男性や四十代の女性等々、基本的に高齢の人が多い。 中には一人だけ若い男性もいるが年の差があり過ぎて浮いて見える。
テレビの中では進行の女性含め七人で今年の異常気象について熱く討論していたのだが、急に終了の合図となる鐘の音が鳴ると話題が変わり、VTRが始まった。
「いよいよ本格的に始まった夏! これからは休日に海、山といったレジャー施設へ行く家族も沢山いるだろう! どちらも行けば楽しい思い出が出来るのは間違いない!」
重低音で落ち着きのある非常に聞きやすいナレーションの声と、海や山のロケーションの映像が流れている。 だがここで画面が『しかしっ!』という大きな白い文字と黒い背景に切り替わった。
「しかしっ! 楽しさの裏には危険が潜んでいるっ!」
それから海の映像と共に水の危険性や海の中にいる危険生物について説明をした後、今度は山に関する映像が始まった。
「山──それは自然の集合体ともいえる場所。 仕事や人間関係を忘れ、澄んだ空気や緑溢れる景色といったあらゆる自然を楽しむには正にうってつけだ」
この台詞と同時に緑に覆われた山が画面に映し出される。 勿論、これで終わりではない。
「山を登る際、熱中症、脱水症状、足の疲れから来る転倒も確かに気を付ける必要はあるが、最も警戒すべき事がある。 それは──遭難だ」
津太郎は『遭難』の言葉を聞いた瞬間、今まで半分眠っていた脳が一気に目を覚ますような感覚に襲われ、右手に持っていたスマートフォンをソファーの上に置いてテレビに集中する。
「近年、登山をする人が急増している中、それに伴って山の中で遭難してしまう人も増加傾向にあるという。 遭難する理由は様々ではあるが、最も多いのは気付かない内に間違っている道を歩き続けて迷ってしまうケースだ」
山の中で若い男性が迷っているイメージ映像がテレビで流れている最中、津太郎は一輝もこんな感じで迷っていたのかと嫌な想像をしてしまった。
「なら数人で行けば問題ない──そう考えた人も多いのではないだろうか。 だが過去には八人で登山したにも関わらず全員が遭難してしまった一例もあり、決して複数で行けば安全という事ではない。 ここ最近では一年前に親子で登山をしている時に遭難してしまい、そのまま命を落とすという最悪な事件が起こったのは記憶に新しいだろう」
「この事件が発生してからもう一年以上経つのか……早いな」
津太郎が呟いた出来事というのは、一年前の春頃に三十代の父親と小学六年生の女の子がそこまで高くない初心者向けの山で遭難した事件だ。 崖の下の川辺に二人が倒れていた所を発見されたという事から、足を滑らせての転落だと推測されており、見つかったのは捜索願いが出されてから二日後だという。
だがこの事件に関しては二人同時に同じ場所で足を滑らせるなんてあり得るのか、山頂まで歩きやすいよう道が作られた山で迷う事はあるのか──と、疑問に思う点がいくつかあり、何かしら事件性があるのでは? と当時のニュースで議論されていた。 だが証拠も無く証人もいない事から最終的に不幸の事故という結論で幕を閉じた。
それから山の危険さ、遭難した時はどうすればいいのかについてナレーションによる説明があった後、
「仕事や人付き合いの疲れを癒す為に自然を求めるのはとてもいい事だが、その自然が時に牙を剥くという事を忘れてはならない」
──と言った所でVTRが終わる。
「こういうの見ると山登りをして今まで一度も遭難しなかったのは父さんが何かしてるからなんだろうか……登ってる時は疲れて余裕無いから無我夢中で父さんの後を付いていくだけだったけど、きっと父さんは歩いている間も色々と考えてるんだろうな」
とても自分には真似出来ない思った津太郎は改めて父親の凄さを痛感した後、そろそろ二階に上がろうとソファーから立ち上がる──しかしその直後、インターホンのチャイム音が家中に鳴り響く。




