聖告Ⅶ
『Mobius Cross_メビウスクロス徒然-聖告Ⅶ』
…夢であって欲しい…ただの悪夢で…何かの間違いであって…お願い…
…ランスは、まだ幼いの…滅びに立ち向かうには早過ぎる…
それに…
まだ…
私は天井を仰ぎ祈った。
薄ぼんやりとした蒼が、この小さな家に滲み込んでくる。刻は夜明け前と言ったところか。
…しかし私は知っている。祈るだけでは望みは叶わない。
…なんとかしなければ…
…なんとしても…
なんとか…!
私が!
決意の眼差しを聖親子に向ける。
彼らがまだ安寧の中に居る事を確かめたかった。私は何よりそれを守りたかった。
しかし、寝床の中から私を見上げる聖親子の目は、安寧とは程遠い、鋭い光を宿していた。
「オレ…恐い夢見た。。」
「俺もだ…くっそ…前半は良い夢だったのに…
ねえジブリエラ…何が起こる…?」
…眠ったままでいてくれたら…
そう願っていたが、残念ながら、流石は聖親子…
「大丈夫です。ただの夢ですよ。天使が突然目の前に現れるくらいの、泡沫の夢です」
ヤリマは訝る表情で躰を起こしながら言った。
「詩的な表現はやめてよ。子供の前よ」
ランスも呆れた表情で起きながら言った。
「オレ生まれた時から天使といっしょなんだけど…」
「バカちげーよ」
「…?」
「生まれる前からいっしょでしょ?」
「そっかごめん」
「で? ジブリエラ。何が起こるの? 俺でも感じたんだ、お前ならもっとわかるんでしょ?」
そう言ったヤリマの、不安と熱い信頼が籠った瞳に、ジブリエラは ホウと溜め息をつき覚悟を決めた!
「…わかりませんッ☆!!」
告知天使渾身のわかりま宣言。ジト目聖親子。
ジブリエラは続けた。
「取り敢えず帝都に戻ります! 神の子を守りつつ、災厄を退けるにはそれしかありません…!」
「根拠は?」
「女の勘です☆!」
「そーいうの好き★!」
どこか吹っ切れたようなその顔を見て、ヤリマはジブリエラの事がもっと好きになった。
ドタバタと旅支度をする聖家族。
水を汲み、食料や衣類を纏めるジブリエラ。工具や調理器具を風呂敷に包むランス。赤い服に愛用の腰帯をキュッと締め、青いマントヴェールを羽織るヤリマ。
水筒どっさりジブリエラ!
「準備はできましたね!」
風呂敷担ぎランス!
「おう!」
手ぶらヤリマ!
「バッチリ!」
「では二人共、手を…!」
ジブリエラが親指を立てた拳を突き出し、ランスもヤリマも同様にグーサインを突き合わせて三角陣を組む。それは、「生に祈と感謝」のポーズ! 出発の儀式だ!
「ヤリマ、私と貴女で何があってもランスを守りますよ!」
「あったりまえでしょ?」
「ランス、例えこの先何があっても、私についてきてください!」
「あったりめーだ!」
「では!
…予定より随分早いのですが…
人類救済の旅…スタートです!」
「 「 「おー!!!」 」 」
親子と天使が気合いの掛け声を響かせる。
誰もが「何も起こらなければいい」と思いつつも、「何が起こっても守ってみせる」と考えていたその時。
荒野の彼方から射し込む朝陽を遮って『それ』は現れた。
ドガッシャァン!!
と
ドアが内向きにひしゃげて家の中に飛び込んで来た!
ランスが作った丈夫なドアが…サイが激突したってああはならない…。
さらに驚くべき事に…
ドアがあった場所…外光が塗り潰すその空間に“拳”が覗いているのだ。人間型だが…その色、質感、何よりその巨大さが人間のそれとは一線を画している。
その巨拳が入り口の縁を掴む。ヌゥ…と頭と思しき影が覗いて来ると…
「ヤリマ! ランス! 目を閉じて!」
ジブリエラが叫んだ!
襲撃者の顔も見えぬ間に、ジブリエラは天使力によってその体から旭日昇天の光を放つ!
「ブヴォオオオオオ"!!!」
襲撃者の不快感を帯びた咆哮!
ヤリマとランスも眩しさから目を伏せる中、ジブリエラが二人の手を引き、窓から
這い出る。
その間も襲撃者の絶叫と、暴れまわる破壊音に恐怖しながら、なんとかその場を離れた聖家族。
走って逃げながら目を慣らし、ヤリマが訊く。
「いきなりなんだ!? ナニが来た?!」
そう言って皆で家の方を見ると…
ドコーーーーーン…
と、元自分達の家…の天井、屋根だった物が天高くオモチャのように投げ出されていた…。それがガランカランと地面に跳ねる様を見送った後、元家だった瓦礫の中心で暴れている襲撃者の容姿を遠巻きに確認する。
大きい…並の人間の倍くらいのサイズの…人型のナニか…しかし身体バランスとしては特に、肩幅がヤバイ。しかも遠目からでも匂い立つ、品性や慈悲など持ち合わせてはいないであろう醜悪な顔立ち。
「あれは…オーク…!!
神にさえ歯向かう災厄の魔物です! 絶対に勝てません…!!」
ジブリエラのそんな解説を聞くまでもなく、ヤリマには理解る。
脳筋聖母の名に誓ってもいい。あれは、脳筋カーストの最上位に君臨する圧倒的危険生物。人間が挑むなど、トカゲがゾウに喧嘩を売るようなものだ。
聖家族は必死に走った。遠くのオークは、ひとしきり暴れたあと視力が復活したらしく、こちらに首を向けて一瞬静止した。
直後!
絶叫怒号と共にこっちに向かって来る…!
…速い…ッッ!!
ヤリマが先頭で広場を駆け抜け、まだ開いていない商店の角を曲がって一旦見えなくなるオーク。
しかし次の瞬間には、その店など無い物かのごとく爆散させながらぶち抜いてショートカットを決めてくる…!
…逃げ切れない…ジブリエラとランスが遅い…!
ヤリマはジブリエラに訊く。
「ジブリエラ飛べる?」
「ハァッ…ハッ…二人を抱えては無理です!;」
「ランス頼んだ。」
「え…?ヤリマまさか…!!」
ヤリマは走りながら、自身の腕輪に鍵を挿し、解錠!
ジブリエラを解き放つ!
「ここは俺に任せてイケッ!」
鍵を投げ渡して自身はザッと踏み止まる。
「! ヤリマ…!」「お袋…!?」
「止まるなッ!!」
足を止めそうになるランスだがジブリエラに手を引かれ、二人は遠ざかっていく…
そして迫る怪物を前に立ちはだかる小さな聖母。フッッ…と気合いの息を吐き、半身に構える。
…カッコつけたけど全身が震える。
…化け物の咆哮に心臓が縮みあがる。
生物とは言わずもがな、脅威から逃げる事を優先して造られている…いや正確には、逃げる事が上手くなければ、どんなに強かろうと生き遺る事ができないように出来ている。遺伝子が知っている。逃走本能は闘争本能に勝る。
そしてヤリマは人一倍、痛みや恐怖といった危機に敏感で素直だ。それこそ、陣痛の恐怖に耐えかねて家を飛び出してしまうような、猫じみた非合理な習性すら持つ。
そんな彼女が、ここにきて身を挺さんとする理由は二つある。
一つは非常に合理的な解釈である。襲来した化け物の脅威のレベルが、一個人ないし複数の人命を脅かすに留まらない事を察知したのだ。不思議なもので、種の存亡に関わる程の脅威を前にした時、種の中には逃走本能さえ凌駕する あるモノに目醒め、ソレに行動を支配させる者が顕れる。
ソレは眼前の災厄に将来対抗しうる存在を、何を犠牲にしても守護するという自身に課された“運命”。
もう一つは
「うるせぇ!!! 息子だけは…死んでも俺が守るッ!!」
全人類中最強の“意志”
オークはさらなる怒号を伴って、走りながらその巨拳をヤリマに向けて放った。空気ごと潰れるその轟音は、触れた生き物がどうなるか子供の想像力でもわかる程だった。
ズボウッ…!!
ところがヤリマはまさかそれを受け流した! というより拳があたる寸前で半身を翻し、重心移動と力の方向を操作して体全体を回し受けさせたのだ!
ヤリマはその回転力を活かして体重を乗せた蹴りを見舞う! それはオークの軸足横膝に入る! 二足走行中の生き物にとっては急所以外の何物でもない…!
ミシ…
ヤリマの足がオークの足と触れた刹那、嫌な音と共に鉄柱でも蹴ったかのような重い痛みが駆け抜け、ヤリマの眉間を苦悶の皺が走った。
それでも尚ヤリマは足に力を込め蹴飛ばした。オークは膝を崩して転がり、ヤリマは弾き飛ばされながらも、受け身を取って体勢を立て直す。
両者の動きが止まり、一瞬睨み合って沈黙…
ズグリ…とオークのこめかみに血管が隆起すると、再び咆哮してヤリマに襲いかかった!
…普通の二足獣なら後遺症ものだったんだけどな…でも狙いは俺になった…狙い通り…!
さあ、初撃は誤魔化して問題はここからだ…2撃目…相変わらず拳を振りかぶって走り込む大振りパンチ…
注目は…学習能力の有無!
ドゴォッ!!
オークの拳が地面を砕く。
今度は大きく跳んで避けたヤリマ!
…学習能力無し! 変わらず繰り出された直線的な拳筋…さっきと同じカウンターでも一生入りそうだ…
しかしやはり問題なのは、攻撃したこっちの方がダメージがデカいっていうデカ過ぎるリスクか…これだから脳筋は最強なんだ…。
オークの出鱈目なラッシュ! ヤリマは尽くを躱しざまに、拾い上げた石で何度もオークの足を殴りつけた。
…効いてるかどうかは謎だ…あと無理して避けるたび、最初に蹴った足が痛む…こりゃあマズいな…
…まあ…
…それなりに時間は…稼げたよな…?
…ランス…
…ランスよ…
…お前の成長した姿が見たかったよ…
ズキィッ…
ヤリマは避け跳んだ着地で踏ん張りが効かなくなり、転んだ。
オークがそれに目を見開き、拳を振り上げた。
…お前の成長する未来に比べたら安いもんだけどな…
ゴシッ
ゴロッゴロン…
その時、オークの頭に大きな礫が当たり、地面に落ちた。
オークはよろめきもしなかったが、奇襲を受けてフリーズしている。衝撃を受けた額に手をやり確かめる。
オークは、ぬうっとその礫が飛んできた方向を見た。
「オレがお袋助ける!」
そこではランスが、ジブリエラの手を抜け、風呂敷を投石器のようにして礫を放っていた!
それを見たオークは血管ゴリ盛りで歯を軋らせる。
ランスが飛ばした最後の礫を軽く払い除け、三度怒叫を響かせるオーク!
ジブリエラがランスを抱き寄せて静止!
「ランス…! ダメです!」
走り出すオーク…!
「いぃや…?
…ナイスランス!!」
オークが一歩を踏み切ろうとした瞬間、ヤリマがその足を“獲った”。
獣の狩りの如く俊敏…両足をアギトに見立てて喰らい付き、全身で必死にしがみつくようでいて尚且、手足を絡ませ関節の可動を封じる明確な“攻撃的拘束”…
ッドッシィィィイン
オークは転けていた!!
「バレバレなんだよ単細胞が…! 死ね…!!」
ヤリマがオークの足首を脇でホールドし腕でロックし両足をオークの大腿に絡ませ全身の筋力をテコに乗せ捻る…!
「ッヌ"ァ"ッッッ!!!!!」
ヤリマが全霊の唸り声を奮わせた直後だった。
ビリ"ッ…ブチブチゴキャンッ!!
生物の身体から聞こえて欲しくはない断裂音が鳴り…
「ブギャオオオォッ…!!!!」
オークは拳を地面に何度も叩きつけている!
ボコボコと地が抉れその巨体も跳ね上がるが…
あれはつまり…
オークが痛みでのたうち回っている…!!
「す、すげぇ…お袋…!」
ちっぽけな人間が、あの巨人相手に一本取っている…! 自身は救世主などと呼ばれ、未だ力及ばずとも、その使命は承伏の至り…しかし、母はそれを超えるのかも知れない…! 少なくともこの救世主故の慧眼らしきを以ってしても、母より偉大に映る者を見た事が無い…!
ランスは希望に奮えながら応援した!
「頑張れッ! おふくr…」
__ポォン…
嘘みたいに軽く、藁人形みたいにクシャ…と宙を舞う母の姿が目に映った。
オークが母を掴んで放り投げた、というその事実を、終始見ているのに、信じるには時間が足りなかった。
「…ヤリマッ…!!」
ジブリエラが飛び出して、空中で受け止めるも、勢いを支えきれずランスの横に落下する。
結構な衝突だったが、ヤリマはすぐに体を起した。
…オークは…?! 悶絶中か…
っっぶね…あのまま落ちたら確実に死んでた…! 今助けたのジブリエラか? ありがとっ…
…?
そこまで口に出したところで、ヤリマは違和感に気づく。
…あれ…耳聞こえねぇな…それに片目が見えない……俺の顔今どうなってんだろ…?
…男抱けなくなっちゃうかな… (笑)?
…そんな虚栄心、もうとっくにふっ飛んでるわ!!
…ジブリエラとランスが服引っ張ってくる…何言ってるか聞こえねえし…
ヤリマは二人に顔を向けた。
…もう声出てんのかわかんないからテキトーに喋るね? …アイツの膝折るのにちょっと無茶した…俺も足ヤッたわこれ。だから…わかるよね?
ジブリエラには伝わったらしく、一瞬目を剥いたあと力強い表情で頷いてくれた。
…ありがてぇ…
「…! …ッ!」
対してランスは、ガキのくせに男らしい表情で何か啖呵切ってる。
…バカねぇ…お前はまだ、救世主である前に俺の子でしょ。んで俺は母親。小便臭い愛息子に守られるほど堕ちちゃいねーんだよ。黙って守られてな。
「ッ……ッ!」
ランスがまだ何か言ってる。
…一緒に闘おうっての? …仕方ない子ね…さっきはよくやった。おいで、ご褒美あげる。
ヤリマが頭を撫でようと手を出し、ランスがまんまと近付いたその時…
パコン
っと股間を蹴られ、倒れ込むランス。
股間を押さえ、見たことないくらいおなか痛そうに蹲っている。こっちも足痛ぇわ。
それを見たジブリエラが何か喚いてる。
どーせ“息子のムスコを蹴る母親がありますか”とか言ってんだろ (笑)
ランス。男ならナニをおいてもソコをまず鍛えろっつったろ…言ったっけ?…
………ランス…………
よく食ってよく寝てね
あんま無理しないでね
Happyに生きろ。
ヤリマは再び死地へと振り返る。
オークはいつまで経っても踏ん張りの利かない片足の回復をついに諦め、わざとゴシン…ゴシンと地面を殴りつけながら距離を詰めて来ているようだ…
ヤリマも鬼の形相で一歩踏み出す。
__…ッ…__
背中側から何かに掴まれた感触。小さくて弱々しくて必死な感触。
ヤリマの眉尻が瞬時に下がる…
…最後、これで最後…あと一回だけ…!
もうオーク来ちゃうから…!
ヤリマは自分に言い聞かせ、ふわっと振り返る。
母の腰帯を掴む息子のくしゃくしゃ涙の情けない顔。
…あーもうッかわいーなコイツ………よし! もう大丈夫! この子の為に頑張る!
前を向くヤリマと、ランスを抱きかかえて後ろに下がるジブリエラが離れるように動き出すと、聖母の腰帯は優しくほどけてランスの手に渡った。
手を伸ばしても、もう届くことはない母の背中。
ヤリマは親指を天に向ける。
グッバイランス! 世界で一番愛してる!!
聖母はそう息子に別れを告げた。
Please don't …
聖典では、救世主が生まれた後は聖母の記述が極端に減ります。せっかくなので、掘り起こした聖母最期の霊言とされる一文を教えましょう↓
_ 来いよ豚野郎 ケツの穴から手ぇ突っ込んで前立腺ガタガタ言わせてやんぜ _