蒼天無情 〜中国軍空戦録〜
用語について
殲撃機=戦闘機
轟炸機=爆撃機
いずれも中国語での名称です。
ポリカルポフ I-16
最大速度 : 455km/h
航続距離 : 650km 〜800km
武装 7.62mm機銃(機首及び主翼に2丁ずつ)
ソ連の『戦闘機設計の王』と呼ばれたニコライ・ポリカールポフが開発した戦闘機。
「高速性能を追求するなら、機体は短くすべき」というポリカールポフの持論に則り、機体は極端に寸詰まりの設計となったため、日本軍兵士からは『アブ』と呼ばれた。
加えて世界で初めて引き込み脚を採用し、導入された当初は世界最速を誇り、ドイツや日本の複葉戦闘機を圧倒した。
しかしアジアには驚異的な格闘能力を持つ九七式戦闘機が現れ、ドイツ軍は最新鋭のメッサーシュミットBf109を投入したため、劣勢に陥る。
それでも改良を施して奮闘を続け、幾人もの撃墜王を生んだ。
中国軍に配備された機体は、護衛戦闘機の随伴できない日本軍爆撃機の迎撃に当たり、戦果を挙げていたが……
……
編隊を組み、中国軍の本拠地・重慶を目指す、日本軍の九六式陸上攻撃機。
優れた航続距離と速度性能を持ち、日本の航空技術が欧米に劣らぬ事を証明した傑作機だ。
しかし……
「こちら趙、これより攻撃を開始する! 各機準備はいいか!?」
《是!》
数機の単発戦闘機が飛来する。
極度に機首の短いその機体は、中国軍がソ連から貸与されたI-16戦闘機だ。
その速度は九六式陸攻を上回る。
「油断するなよ、確実に仕留めろ!」
《了解!》
中国空軍大尉・趙天鴻は、陸攻に対し反航して、下方から攻撃をかける。
九六式陸攻はこの部分に、防御火力が一切無かった。
冷静に望遠鏡型の照準機を覗き、十字線を九六式陸攻に合わせる。
「殺!」
趙の手がトリガーを引き、四門の7.62mm機銃が放たれた。
曳光弾が光の帯を引き、九六式陸攻の胴体に吊り下げられた爆弾に命中する。
轟音と共に機体が真っ二つに折れ、趙はエルロンを切って離脱する。
「……あっけないもんだな」
趙はふと呟いた。
反復攻撃を心得てしまえば、護衛のいない双発爆撃機は大した敵ではない。
漢口から800kmの長距離を飛行して中国軍の本拠地・重慶を爆撃する九六式陸攻には、戦闘機が随伴できないのだ。
ましてやI-16は、九六式陸攻よりも優速である。
続いて別の機体に、連続で攻撃を仕掛ける。
九六式陸攻は懸命に回避しようとするが、次から次へと機銃弾を浴び、ついに火を噴く。
さらに一機、また一機と九六式陸攻は墜ちていく。
最早完全に、趙の部隊は陸攻隊を圧倒していた。
「……む?」
趙は残った三機の陸攻隊が、爆弾の投棄し始めたのを見た。
爆撃を諦め、機体を軽くして引き返すつもりらしい。
敵機はいずれも満身創痍の状態で、そうすぐには最出撃できないだろう。
対する自分たちは、そろそろ燃料が無くなってきた。
……これでいい……
心の中でそう呟くと、趙は部下達に帰投命令を出した。
…………
………
……
夜、仲間が酒盛りをしている中、趙は愛機の元で星を眺めていた。
星の名を一つずつ脳内で呟いていると、自分を呼ぶ声がした。
「……楊か」
「大尉も一杯、やりませんか?」
その男は、片手に酒瓶を持っていた。
頬もやや紅潮している。
「いい老酒ですよ、これ。星空を肴に飲むのもまた一興」
楊惇少尉は、趙が最も信頼する部下だった。
妙に風流人を気取っているため、司令官からは変人扱いされているが、操縦技術は高い。
加えて、単純に気の合う相手でもあった。
「いや、俺はいい」
「大尉が何を考えているのか、分かりますぜ」
楊は趙の隣に腰掛ける。
「日本軍がこの事態を、ただ放置しておくとは思えない……何か対策を練ってくるのではないか、でしょ?」
「……ああ」
「しかしイギリスのような強国も、800kmもの距離を往復できる殲撃機は保有してませんよ」
「欧州の国を引き合いに出しても無意味だ。日本の航空技術は我が国より上、それだけが問題だ」
その言葉に、楊は腕を組んで唸った。
「それは揺るがざる事実ですな。そもそも我々は外国産の殲撃機に乗っているのに対し、日本軍は自国生産ですから」
「そうだ。それに南京の例もある」
以前日本軍は台湾や九州から九六式陸攻を発進させ、東シナ海を越えて南京を爆撃した。
誰もが不可能と信じていた敵国本土への渡洋爆撃を、日本軍はやってのけたのだ。
「……あーあ、なんでまたこんな時代が来ちまったんでしょうなァ」
楊は酒臭い息を吐き出すと、酒瓶を地面に置いた。
「それは俺達が考えても、仕方のないことだ」
趙は言う。
その双眸には、確かな信念が宿っていた。
「日本が我が国を侵略するなら、俺達は殲撃機乗りとして、奴らからこの国を守る。俺達が飛んで戦うことで、罪のない女子供の命を守れるはずだ」
「それが我らの誇り、ですね」
「そうだ。俺達に勇気を与えてくれるのは、称賛でも勲章でもなく、誇りだ」
趙の言葉に、楊は頷いた。
「仮に新型機の噂が本当だったとしても、相手だって化け物じゃないんです。単座の殲撃機で重慶まで飛んでくれば疲労するはずでしょう。対抗策はいくらでもありますよ」
楊は単純に腕が立つだけでなく、洞察力がある。
九六式陸攻は前下部に防御火器が無く、また機内に爆弾倉を設けられないため、胴体下部に剥き出しの爆弾をつり下げなくてはならないという弱点を見抜き、対抗策を編み出したのだ。
「……ああ」
趙は微かに笑みを浮かべた。
「この国の空は、我々が守る」
…………
………
……
「日本軍の轟炸機が多数接近中! 直ちに迎撃に向かえ!」
整列した操縦士たちに命令が下り、それぞれのI-16へと乗り込む。
エンジンが始動し、車輪止めが外され、まず趙の機体が発進する。
独特の形状の機体が地表を滑走し、やがて滑走路から足が離れた。
高度を上げていき、車輪を引き込む。
I-16の引き込み脚は、ワイヤーを使って人力で引き上げる原始的な仕組みだ。
続いて、部下達の機体も離陸を完了し、編隊を組む。
複葉のI-15も飛んでいる。
「今回はまた、敵機も多そうだ……」
やがて、陸攻隊の機影が見えてくる。
趙は機体を加速させつつ、敵編隊の前下方からの攻撃を狙う。
しかしその時……
《大尉!》
通信機越しに、楊の声が聞こえた。
《二時方向に機影多数!》
「何!?」
趙が確認してみると、確かに十数の飛行機が編隊を組んで接近してくる。
そのシルエットは明らかに単発機のものだった。
……まさか!?……
趙は驚愕した。
高速で接近してくるその飛行機の主翼には、忌まわしき日の丸が描かれていた。
「殲撃機だ! 散開! 散開!」
叫びながら、趙自身も機体を捻り、列機も散らばる。
しかし数機は回避が間に合わず、旋回しながら接近してくる敵機に捉えられてしまった。
次の瞬間、敵機の機銃が火を噴き、I-16が火達磨になって砕け散る。
《大尉、李と劉がやられました!》
「怯むな! 反撃せよ!」
人間が戦闘機を操縦する以上、人間の能力以上の力は発揮できない。
例え漢口と重慶を往復できる航続距離があっても、操縦士が疲労するはずだ。
勝算はある……趙はそう踏んだ。
「うおおぉッ!」
趙は操縦桿を必死で操り、敵機を追う。
ついに一機の後ろを取り、照準を合わせた。
「殺!」
7.62mm機銃が火を噴く。
しかし、敵機は180度横転し、垂直旋回する。
「!」
趙は驚愕した。
敵機は火線をかわすと、瞬く間に趙の背後に回り込んだのだ。
まるで機体が羽毛でできているのではないかというほどの、軽快な旋回機動だった。
趙は咄嗟に横転降下し、辛うじて敵機の攻撃を回避する。
曳光弾の光が主翼の近くを掠めていった。
仲間の機体が次々と被弾し、炎上していく。
……本当に化け物が現れたか!……
趙の背を冷や汗が伝った。
楊がまだ無事か気になったが、今は自分の背後についた死神から逃れることを最優先しなくてはならない。
趙は機首を、一番近い雲に向けた。
隠れてやり過ごすのだ。
右へ左へと動いて敵の照準をかわしつつ、スロットルを押し上げる。
弾丸が数度、機体を掠める。
敵機の主翼には大型の機関砲が搭載されているが、射程が短いらしく命中しない。
しかし、喰らったら最後だと趙は直感した。
「くっ、間に合え!」
辛うじて、趙は雲の中に逃げ込んだ。
視界が闇に覆われるが、そのまま速度を落とさず、反対側に抜ける。
「……これで、ひとまずは……」
そう呟いた直後、真横からの敵機の接近に気づいた。
敵の操縦士は趙の未来位置を予測し、雲を迂回して回り込んできたのだ。
趙が回避しようとするまえに、後ろをとられる。
……やられる!……
敵機の機首から放たれた銃弾が、I-16の機体に弾痕を穿つ。
エンジンが煙を吹くが、敵の射撃はその一瞬で終わった。
「……弾が切れたのか」
主翼の大口径の方は、すでに弾が尽きていたのだろう。
趙は息を吐く間もなく、開放式の操縦席から後方の敵機を確認した。
すると相手の操縦士はそれに気づいたのか、密閉式の風防を開けて身を乗り出した。
「!」
趙はその日本兵が、自分に向って敬礼をするのを見た。
直後、日本兵は機体を旋回させ、飛び去っていく。
他の敵戦闘機も、編隊を組んで去って行った。
……趙はただ、それを呆然と見送るだけだった。
……
その圧倒的な性能の新鋭機……十二試艦上戦闘機は、後に零式艦上戦闘機の名を与えられ、その力を中国軍に見せつけた。
増槽搭載時の最大航続距離は実に3000km、当時の常識を覆すものだった。
日中戦争における零戦部隊の損害は、地上からの対空砲火による三機のみと記録されている。
しかしこのとき既に、零戦の弱点……あまりにも脆弱な防御力を、操縦士たちは指摘していたという。
やがてアメリカとの激戦が始ってからも、多くの操縦士がこの機体に命を預け、戦い、散っていった。
……
……1950年12月 北朝鮮……
趙は未だに、戦闘機に乗っていた。
日本との戦いが終わっても、安穏とした日々など一瞬のことで、また次の戦いが始まったのだ。
今の愛機は、ソ連製のMiG-15。
ドイツから奪い取った後退翼の技術と、37mm機関砲を搭載した最新鋭のジェット戦闘機である。
レシプロ機はおろか直線翼ジェット機P-80さえも陳腐化させ、『超空の要塞』B-29も、この機体の前ではただの的でしかなかった。
「敵編隊確認! 総員攻撃準備!」
趙は敵機の中に、自分たちと同じ後退翼ジェット機のシルエットを見て取った。
アメリカ軍がMiG-15に対抗して投入した新型機・F-86『セイバー』である。
《今日は護衛機も多そうですな》
「そうだな、楊。極力無視し、轟炸機を狙え」
こちらが戦火を上げれば、敵も新型機を送り出す。
それはI-16に乗っていた頃からから変わっていない。
だが今は、あの時のように絶望的な性能差があるわけではないのだ。
趙がスロットルを押し上げると、MiG-15のクリモフVK-1エンジンが唸りを上げた。
彼の魂の声に応えるかのように。
……あの日本人は、今でも生きているのだろうか……
趙は思った。
自分と同じく、誇りに満ちた眼差しをしていた日本軍の操縦士。
滅びゆく祖国の中で、彼はその誇りを守り戦ったのだろうか。
零の名を冠する、あの悪夢のような機と共に。
負けた日本は、もう戦争はできない。
しかし、勝ったはずのアメリカや我々は……。
……俺たちはもう、空の戦場から降りられない生き物になってしまったのかもな……
趙には最早、祖国を守るという誇りなど無かった。
今の彼に勇気を与えてくれる誇りは、操縦桿を握る己の腕のみ。
《敵も来ましたよ!》
「各機、散開!」
白い星と赤い星が入り乱れ、曳光弾の光が交差する。
一機、また一機と、炎の花を咲かせ散華する。
戦闘機乗りたちは死の舞踏に、命をすり減らしていった。
それが、自分たちの宿命と信じて。
お読みいただき、ありがとうございます。
またマイナーな軍隊にスポットを当ててしまった(爆)
今回は戦闘機乗りの生きざまと、その悲しみをテーマにしたつもりです。
別に嫌中厨への当てつけではありません。
でもはっきり言って、嫌中厨の書く仮想戦記って総じて面白くないんですよね。
小説としての面白さよりも、自分の願望を優先して書いているせいで、ただの自己満足にしか見えないんです。
そうはなりたくないですな……。
俺は中国好きですが、それはあくまでも文化の面であり、政治とは関係ありません。
ただ、どの国のパイロットも己の信念に生き、誇りに燃えていたということを伝えたかっただけです。
ちなみに連載中の艦魂の方もちゃんと書いています。
艦魂会は脱退した方がいいかもしれない、とも考えていますが、まあ今はとりあえず保留で(笑)
では、この辺で失礼します。