続きます
カチッ
小気味のいい音が薄暗い部屋に消える。
ごく小さな音をたてながら最新技術の塊である薄い板の中に組み込まれた小型ファンが回りだすと、数秒の間沈黙を貫いていたディスプレイの縁にうっすらと光が灯る、次第に全体に明かりがつき、パソコンは僕を照らしパスワードを求めてくる。
カタカタッ
何千回と行ってきた動作
ほぼ反射と言えるほどの速さでセキュリティ面であまり推奨されていない規則性のパスワードを打ち込む。
[YAMAMOTM HIROMU428]
パソコンを使う仕事に就いているにも関わらず名前と誕生日というありきたりなパスワードをネットアカウントやクレジットにすら使っているような意識の低い人間です。
そんな僕が仕事以外でパソコンを起動した理由は記録のため、少し執筆作業をする、内容は僕の人生経験、と言っても生まれてからの幼い思い出や学生時代の甘酸っぱさを残したいとかではなく、
「なにしてんの~?」
パソコンに向かう僕の背後からやや楽しげな女性の声が聞こえる。
「ちょっと執筆作業しようとおもってさ」
キャスター付きの椅子を半回転させて答える。
すると僕の視界にはソファーに逆向きに座り、湯気のたつマグカップを持つ女性がみえた。
「執筆?仕事の話?」
意外な返答に目を丸くして首をかしげている。
「ちがうちがう、君と出会ってからの日々を書こうかなってさ」
「えぇ?そりゃまたなんで?本にでもするき?」
「いやいや、ただの記録だよ、思い出して書く日記って感じかな」
「へぇ~、じゃあ有りもしないことを脚色しないように私が監修してあげるよ」
イタズラでもしそうな笑みを浮かべて歩いてくると、僕の頭の上に手と顎を置き同じディスプレイを眺める。
見られながら日記を書くのは何処か気恥ずかしさがある。それも内容はこの頭の上にいる女性との思い出ともなれば中々辛い。
「出会った日から書こうかな、、」
10月20日 葉の落ちる木は少しみすぼらしくなり始め、対象的に紅葉を準備する木達はその表情を少しづつ変えていく。
ここ新潟では秋服の活躍の場は短く、敏腕経営者の多い服屋達は冬物を並べている。とはいえ僕も夜はコートなしでは寒さを感じる時期。
情けなくも体調を崩した僕は仕事終わり、いつもの数倍重たいの体を引きずるように歩いていた。
普段より厚めの上着にマスクをし、咳が出るので電車のなるべく隙に座り揺られていた。グラグラとする頭でも聞き取りやすい女性のアナウンスを耳に、自分の降りる駅に到着した。
やたらと多い階段をゆっくりと降り、駅を出るとビルやお店の灯りの照らす人通りの多い道を歩き自宅へと向かう。
(頭痛い、、早く寝たい、、)
7時頃の街は人々の賑わいに溢れている。この中を歩く僕は息を切らしながら一刻も早く眠りたいという思いで足を運ぶ。
(風呂どうしようかな、、インスタントカレーでも食べて薬、いや、薬なんてあったかな?)
具合が悪いと人間不思議と思考も暗くなる。
そんな考えを巡らせていると正面に僕のすむマンションが姿を現す。
(もういいや、、すぐ寝てし╲╲)
ドンッ
「イタッ」
突如そこそこの力で後ろから衝撃を受ける。流石に転びはしなかったが多少足がもたつく
直ぐに目線を下からもとの位置に戻すと、恐らく犯人であろうニット帽を被った女性が小走りで走っていた。
周りに気を付けたほうがいいとは思ったが特に苛立ちも感じなかった僕は余程急いでたんだろうと、気にも留めずにまた足を進めると、
コンっとつま先に何かぶつかり下を向くと、鮮やかなラベルのビール缶が転がっていた。同時に僕は衝撃を受けた。それは一缶1200円もするいわゆる高級ビールだった。もしも仕事終わりにこれを飲めるなら最高の気分になるだろう。偶然にも知っていたそのビール缶に一瞬憧れを抱いた。
そして誰でもそんなビール缶が道端に落ちていれば直ぐに落とし物だと気づく。
そしてそれがまだかろうじて視界に写る女性が振り回しているビニール袋から飛び出した物だとも理解した。
後ろからぶつかってそのまま走り去る女性の落とし物を渡すため僕は痛む喉を酷使する。
「ちょっとお嬢さん~落とし物~」
拾い上げたビール缶を掲げて声をあげるが届かない。
「マジか、、」
どんどん距離を離していく女性の背中に呟くと僕はやたらと重たい手足に力を込めて、ズキズキと痛む頭を抑え走り出した。
お人好しな僕は自分の体にムチを打ち追いかけるのはこれが高いビールだからだ、日常的に飲める価格ではないそのビールはいわば自分へのご褒美として有名だ。彼女が周りも気にせず走るのは一刻も早く家で晩酌したいのだろう。
もしそれが家に着いてなかったら、、、自分は堪えられない確信があったからだろう。
「ちょっと、、待って!ゼェ、ハァ」
小走りの女性にすら追い付けない、、自分の体調的にも限界が来ているのが分かる。
すると彼女は商店街を出て細く暗い路地に入る。
後を追いかけ僕も路地裏に入り数回曲がると
目の前で目の前の光景に脳が処理しきれずにショートした。
狐がいた。
僕の手に持っているビール缶と同じ物を一本、そしてマグロの刺身の入ったビニール袋を咥えた狐がいた。
そして狐も此方に気付き硬直している。
固まっている僕の顔と手元のビール缶を交互に眺め硬直している。
いよいよ限界だった僕の頭は暴走し狐に向かって何故か弁明を始め出した。
「あの、、落とした、ビール缶、、渡そうと、ね」
明らかに瞬きの回数が増える狐
ドスッ!
突然僕は本日二度目の背後からの衝撃を受ける。
しかし今度のは鋭く強烈な痛みを伴っていた。
「なん、だ?」
ゆっくりと背後を振り替えると、全身黒ずくめの男が立っていた。その男の握りしめる包丁には一体何が着いているのか? ボタボタと粘性のある液体が地面に向かって垂れている。
ギラギラと異常に光る男の目をみた瞬間、空気を抜かれた風船のようにぼくの体から力が抜けていき、僕は強く痛む腹部に手を当てながら壁にもたれ掛かり、ズルズルと尻餅を付く。
しかしビール缶は放さない!
「ゴホッゲホッ、寒いし、、熱い、」
体調不良で完全に暖まっていた頭が血を抜いて覚めたのか、目の前の異常な様子の男からた折れ込む間際、怯える狐を一瞬にしてコートにくるんだ。
ドクドクと溢れる自分の血液を無駄と分かっていても手で押さえつけている。すると踵を返して黒ずくめの男は走り去っていく。
「ハァハァ、、ビール、、噴いちゃう、かな」
この短時間で何度も地面に叩きつけられたビール缶の結末を心配しコートにくるまれた狐に問いかける。
そして僕の記憶は逃げていく男の背中を最後に、足元で震える暖かな狐を感じながら途切れた。
人気のない路地裏で刺された僕、当然狐が救急車や人を呼ぶなんてまず考えられない、要するに僕はここで永遠の眠りについてもなんら可笑しくない状況だった。
しかし僕はベッドの上で目を覚ます。
数秒の間全く頭が動かず、嗅ぎ慣れない消毒の匂いと白く無機質な天井を見ていた。
「病院だ、、」
24歳になる僕は自慢だが大きな怪我や病気で入院した経験はない。なので僕が患者の寝泊まりをしている病室という空間に入ったのは家族の見舞いに行った数回の他はなかった。
しかし今僕がいるのはそんなカーテン一枚で同室者からプライバシーを確立するような部屋ではなく、某失敗しない女医のテレビで見るような個室だった。
とりあえず目が覚めたことを知らせる事、何があったのかを聞くことを目的に人生初のナースコールを押した。
気を失う直前の記憶、触って確かめることが少し怖いが腹部にある違和感と痛みから大体は分かっていたけど
ほどなくして40代くらいの医者と若い看護士が数人駆けつけると笑顔で目が覚めたことを喜んでくれた。
体の状態確認をすませるとなにがあったのかを丁寧に説明してくれた。
そして女性からの通報で僕が救急車に運ばれたことも伝えられた。
(通りががりのひとかな?)
その後医者に言われた言葉に少し驚いた。
不思議なことに通報した女性から目が覚めたは話をしたいと申し出があったらしい。
少し不思議には思ったが特に断る理由もなく、助けて頂いたお礼もしたかったらので了承すると、看護士の一人が連絡を、、と退出
それから約10分程で看護士は戻って来て例の女性が此方に向かっている、後20分程でつくと伝えられると、医者と看護士達はお騒がせしました。安静に、と言って全員が退出した。
しばらくボーッとしているとドアがノックされる。通報してくれた方かな、と思い返事をする。
「どうぞ」
返事を聞き、ゆっくりとドアが開けられた。
「失礼します」
何故かバツの悪そうな雰囲気で入ってきた女性の姿に僕は驚いて思わず声をあげる。
「あっ!」
見覚えのある顔に思わず声を漏らす。
そして腹部の傷が痛み、反射的に手で抑える。
「ビー、、落とし物のお嬢さん」
とっさで[ビールのお嬢さん]の言葉を飲み込み言い換える。
「えぇーと、、はい、先日はどうも」
少し顔を赤らめて返事を返す。どうやら[ビー]で気づかれたらしい。
暗がりだったのと、余裕がなかったのもあり今初めてしっかりと容姿を見たがかなり美人だ、、
世に言うカワイイ系で細身の体型、肩まで掛かる長めの髪は赤かった。日で傷んだ茶褐色とは明らかに違い、海外の血が入ってるのかと思うような艶やかな赤色
なんとも言えない微妙な空気
片やビールを返しに追いかけた男
もう片方はそれが原因で目の前で追いかけてきた男が刺されるのを見てしまった女
「あの、お身体大丈夫ですか?」
沈黙を破る
「あっ、はい、救急車を呼んでいただいたおかげで助かりました」
「いえ、、私が原因を作ったようなものなので、、なんと謝ればいいか、」
結果だけみれば刺される事になったのはビールを拾い追いかけた時点でどちらが悪いとかは決まらない。落とした事、拾い上げたこと、そして追いかけたこと、そして僕が刺されなければ彼女が刺されていたのかも知れない。
結論悪いのは当然犯人である。
「いえいえ、追いかけたのは僕ですし、そもそも通り魔が捕まればいいだけですよ」
同意の意味を含めた微笑みで返されるとまた沈黙
そして彼女は意を決したような表情で一言
「ごめんなさい、本当は目が覚めたあなたに会いたかったのは謝りたいのとは別の理由があります」
急に雰囲気の変化に戸惑ったが直ぐに何か重要な話だと察して僕は話を待つ
「一言だけ聞きます」
『あの日見ましたか?』
さっきとはまた表情が変わり、彼女はその言葉を話すだけで今にも不安に泣き出しそうな顔をしていた。
実は察しはついていた。
しかしその質問を聞いた僕は彼女を心配し声をかける余裕はなかった。
刺される、という人生初かつ今後も忘れることはない程の事件にあったにも関わらず、僕の脳裏に焼き付いていたのは刺される瞬間の少し前、それは目を覚ます以前より頭の中で渦巻いていた事、
彼女を追いかけた結果、レジ袋を咥えた狐がいた。
本来なら真面目に考えるようなことではないけれども僕の脳はその光景に支配されていた。だから答えた。
「はい、見ました」
あえて飾らず、言葉を選ばずに真っ直ぐに目を見て答える。
涙を浮かべるほどの覚悟のした質問に答えるとき、気を効かせて嘘をつくのは正解ではないと思ったからだ、
そして彼女はほとんど帰ってくる返事が予想できていたのか、あの泣き出しそうな表情は今では顔を手で多い鳴いていた。
それを目の当たりにした僕は今度は言葉を選んだ、泣いていることには一切触れず、気づいていないのかとすら思わせる態度で
「実際始めて見て驚きましたよ、、」
「«咥えていた»あのビール」
サラリと極自然に流れるように答えた。それはあくまでも動詞、手に持っていた«物»がきになると意識した言葉選び、でも彼女の問いかけには誤魔化さず答えた«咥えていた»の一言
君が狐の姿になっていたことは見たけど気にしてない
そう伝えることができればいいなと思っていた。
返答があまりに予想外だったのか、顔を手で覆い震えていた彼女の震えがピタッと止まり、指の隙間から覗かせたまん丸の赤くなった目で見つめてきた。
「えっ?、、ビっ、ビールですか?」
「うん、僕も偶然あのビールを知ってたからさ、ちょっと憧れ的なものがあったから気になってね」
これが僕の精一杯、彼女の態度を見れば一目瞭然、僕の中の本当の答えは望まれていない、一人の女性を不幸にすることが分かりきっていた。
だからもう忘れよう。
「おいしかった?」
[羨ましい]そう表情にできているだろうか
既に溢れていた涙を拭い彼女はようやく答えを口にする。
「はい、、おかげさまで飲めました、、ホントに、、おいしかったです」
死ぬほど頑張って笑顔をつくり
ビールを飲めたことにしては大袈裟すぎる答えと深いお辞儀をして彼女は部屋を後にした。
それから僕が退院するまでの数日間、意外な事に彼女は何度も見舞いに来てくれた。
最初に姿を見せたときは心底心配になったが、嬉しいことに何事もなかったような振る舞いで他愛もない話を弾ませてくれた。
「どうも、もうすぐ退院できるそうですね、なので今日はこれを持ってきましたよ」
これが本来の彼女なのか、常に爽やかな笑顔、時にイタズラ的な笑みで抑揚のある話し方
営業職に就いているのかと思うような人当たりのよさ
度重なる見舞いに会話を重ね、僕も含めお互いの性格から直ぐに打ち解けあっていた事から、既に伝えていた退院の日にちを見越し、あのビールをお見舞い品に持ってきてくれた。
「うわっ!ホントにいいの?」
「もちろんです。正直病院患者にアルコールをあげるのはかなり悩みましたけど、退院してからならいいかなと」
さて、一つ大きな問題が発生した。
また今日も彼女は訪れる。
退院まであと3日、僕は焦っている。
ガチャ
「どうも山本さーん」
扉を開けてまず目に写るのはニコニコと眩しい笑顔の彼女、何かあったのかいつも以上に元気に病室に入ってくる。
「今日も有り難うございます。なにかいいことでもありました?」
「はい!山本さんを刺した通り魔捕まりましたよ」
なんと!素直に安心、日本の警察に尊敬を抱きながらも是非犯人には長らく箱に入っていてほしいと思う。
「へぇ、もう少しニュースとかになってますかね」
「いえ、いち早く警察の方に連絡頂きました」
そっと見舞品のラスクを横に置く
本当に困った
「山本さんの退院も直ぐですね」
「うん、以外と軽症でよかったかな」
どうやら僕は彼女に恋してた。
清々しく恥ずかしい程の一目惚れだ、僕はニヒリズムに対して俗世間に触れてないとかクールで格好いいとか思っていないが、僕は必要以上に人と関係を築こうとしない。
[必要以上]なだけで友人もそれなりにおり食事したり遊びに行くことは大好きだ。
更には自他共に認める愛想の良さ
そんな僕が彼女に恋をして何が困るのだろうか、
それはお互いの関係が邪魔をしていた、現状彼女が僕と話すのが苦痛には見えず、楽しく会話できる中にはなっている。
だが、忘れようと決めたが忘れてはいけない
彼女は狐に姿を変える。そして彼女はそれを絶対に知られたくはないと思っている。
さて、対人会話性能の優れた僕はそこに阻まれていた。仮に僕が交際の申し込みをしたならば
同じく察しの良い彼女はきっと苦しむだろう。
自分の最も知られたくはないことを知っている相手から交際の申し込み、
当然だが彼女が狐に姿を変えることは一切気にしてはいない。しかしそれでもそれは脅迫に違いない
あと1日、寝る間も惜しい、僕と彼女が他人になるタイムリミット
あっという間に朝が訪れた、寝た
明日の為に荷物をまとめておいた、軽装でベッドに寝転がる。
そしていつも通りの時間に扉が開く。
「どうも山本さーん、いよいよ明日ですね」
「ええ、ついさっき荷物をまとめたところです」
彼女が帰るまで大体1時間、臆病な僕は事故った場合を当然想定して10分程経過したタイミングで覚悟を決める。
当然話し出しくらい決めてある。笑わないでほしい
「何度も見舞いに来てもらって今さらなんですど、お名前なんて言うんですか?」
そう、僕は彼女の名前を知らない、彼女は病室の前の名前札だったり、看護士の方から聞く機会があったが僕はなかったんだ。
僕の質問に彼女は目を丸くし、クスクスと笑いながら答える。
「そういえば名前いってませんでしたっけ!すいません」
「いえ、いまふと気になっただけで」
「そうですね、改めまして、私、『狐野 灯』と申します」
『狐野 灯』なんて的を得た名前、、、心に留める
そして僕は後にも先にも最大の覚悟を決める。
「『狐野さん』ほんとに突然で申し訳ないと思います」
「?」
やや不思議がっている
「そういう意味でお尋ねします、、いま交際してるお相手はいますか?」
我ながらなんて情けない言い方
一方狐野さんは驚くほど同様していない、どことなく冷めた目で僕を数秒見つめてくる。
僕をしっかりと目を合わせて向かい合う。
やはり(弱味を握っている相手)と見られている。
、
、
、
「山本さん」
沈黙の終了
「はい」
「そういう意味でお答えします。今そういった関係の相手はいません」
そういう彼女の表情を見て僕は目から涙が滲んだ。
自分でも驚いたんだ、感動もしたことないのだから
狐野さんは満面の笑みを向け答えきってくれた。
「さぁ、山本さん、まだ言うことありますよね」
情けなく涙を浮かべる男を彼女はニコニコと見つめる。
「うん、、あの、、よろしければ僕とお付き合いしてくれませんか?」
告白の時にグズグズと泣いているナイフで刺された男、もし彼女をあの時庇っておかなければ酷い結果に終わってた。(らしい)
「はい、宜しくお願いします」
こうしてめでたく僕は狐野さんを射止めた。
「でも、まずはお互いのためにお互い3つ質問しましょう」
思わぬ返答に一瞬戸惑ったが場の空気を変えるため、そして思えばお互いのことを何一つ知らないと気付く、
彼女の頭の回転に脱帽だ
しばらくの沈黙、いや、数秒鼻を啜る音が響いていた。
僕が顔を少し上に上げたタイミングで見ていた彼女が笑顔を向ける
「決まりました?私は決まってます。」
「僕も決まりました、狐野さんからどうぞ」
何も知らないお互いでの質問、一体狐野さんは何を重要視するのか、好きになった理由を聞かれたらどうしようなどと一応の対策をしてみる。
コミュニケーション能力はあると自負しているが流石に相手の発言を予想して回答を用意するなんて初めてだ。
ん?いや、3年程前に就活でやったか、、っていうか高校入試も大学選考も面接はあったな。
「お仕事と年齢を教えてください」
!?しまった、何故か学生時代に遡って全く目の前の問題を見てなかった、、、
「仕事と歳ですね」
考える時間を稼ぐと共に脳内を整理する為に繰り返す僕のテクニックを挟む。
年と仕事ね、いきなり告白されたにしてはかなり現実的な質問に驚く、聞かれたら一目惚れです。と胸を張って答えるつもりだったが好きになった理由を聞いたりするメルヘンな女子ではなく、リアリストな女性なのか、、
何も知らない僕は彼女からの質問からも何か情報を得ようと必死になる。勿論水面下で
「歳は25歳で、仕事は税理士をしています」
「25歳で税理士っ、、なんか格好いいですね」
告白の前からの冷静な雰囲気は崩れ、やっと僕の知る朗らかな彼女になってきた。
「ありがとうございます、では僕の質問も同じでお願いします」
狐野さんの鮮やかな話術、2つの質問を1つにしてきたことを利用する。
仕事と年齢、、最初に聞く事としては恐らく完璧だろう、話し始めのアイスブレイクかつ交際する上で一番重要なことだ。狐野さんは話し方、仕草の印象は明るく素直な女性だがやはり相当頭のキレるリアリストだ。
「はい、23歳の、、喫茶店のオーナーです!」
可愛らしい笑顔で胸を張って答える。
「喫茶店のオーナー?えと、つまり経営者ですか?」
彼女の期待に答え、やや声を高くして答える。
「はい、開店一年目の店長兼オーナーです」
仕事柄現実を突き止める癖がある僕は[経営者=社長]に特別視していない。それは彼女もそうだと思う。
(人の下に就くのが嫌だから)なんて理由で社長になりたいとか言い出す人じゃないと願う。
「一年目ですか、やっぱり自分の店を持つのはいいものですか?簡単にできるような事ではないですし」
まずは気分を害さないように探りを入れる。
1、若い年齢で店を出せた理由、
2、経営状況
1については借金をして店舗を購入しているのか?もしくは賃貸契約、前者ならあまり好ましくない。
理由としていい物件なら客足は同然いい、しかし23歳の自営業の人間に貸し出す金額では確実にそれは不可能だろう。なら安いそれなりの物件ならどうか?
論外、それが一番良くない、コンビニのような経営体力、規模のある職種ならいいが個人の営む店、それも飲食店なら絶対に立地状況と外観は妥協してはいけない。
2は正直僕には判断できない、、経営1年目という難しさもあるが、僕はまだ飲食店の税理士経験がないので会計監査すら見たことがない。
「はい、実は知り合いに店を貰いまして、元々喫茶店として開く予定で改装済みの物件だったんですがその知り合いが事情がありできなくなりまして、、無償で頂きました。当然ですが土地代、税金、その他維持費は私持ちです」
なんと!全く予想だにしなかった答えだがかなり理想的だ、しかし23歳の蓄えがどれ程かわからないが売上がなければマイナスが出る、それが慢性的になれば直ぐにでも店を畳むべきだ。
「売上はどうですか?」
「職業柄気になります?開店して3ヵ月ですがギリギリ毎月黒字って感じです。もしや経営アドバイザーもできたり?」
後半やや声が明るくなる
「いえ、経営アドバイザーなんてできませんよ、でも税理士としての仕事は依頼されれば喜んで、経営についてはあくまでも友人のアドバイス程度なら」
「恋人のアドバイスなら重要ですね」
ふと告白した事を思い出す、別に忘れてた訳ではないが改めて彼女からそんな言い方をされると頬が緩みそうになる。
「さて、そろそろ次の質問にいきましょう」
パンッと手を叩く音で引き戻される。お陰で表情に出ずにすんだ。
確かに1つの質問から随分広げてしまった、恋人にする質問というよりは仕事の法人相手に近く感じ、申し訳なくなる。