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第九話 俺は潤滑油

 自宅に戻った俺はお袋にメアリーを引き渡した後、風呂に手早く入って身支度を整えた。


 どうやらメアリーは脱走兵だったらしく、仕事を放り出して遊びに言った事に対してお袋に説教されていた。


 必死に言いわけばかりしているメアリーを尻目に俺は再度就活へと出かけた。




 画家の家というのは大豪邸か、もしくは他とはセンスが異なる奇抜な家を想像していたが、着いた先はどこにでもある普通の一軒家だった。


 ノックをすると、入っていいよーなどと声が聞こえたので、その言葉に従った。


 玄関から廊下へ、廊下の先にある部屋へと進む。


 扉を開けると全てが白い部屋がそこにはあった。壁や天井だけでなくテーブルやイスなどの家具まで白かった。夏なのにまるで真冬の銀世界に迷い込んだようだ。


 真っ白い部屋には大きなキャンバスの前で筆を動かす黒い服を着た黒髪の女性がいた。ベレー帽を被り、真剣な表情で絵を描いている。


 年齢は20歳くらいだろうか? 幼い顔つきだったので、顔だけなら今年23歳の義姉さんよりは若そうだが、彼女の凛とした仕草一つ一つが彼女の人生の厚みを感じさせ、童顔な30歳と言われても納得できるような大人の雰囲気がそこにはあった。


 彼女はこちらを一瞥もせずにひたすら姿勢よくキャンバスに向かい合っていた為、俺からは声をかけ辛く、しばしドアの前で立ち往生した。


 足元を見ると使い捨てられた絵の具や筆がそこかしこに乱雑に落ちていた。なんとなく想像していた画家のイメージそのままでちょっと笑いそうになった。


「なにか可笑しなことでもあったかい?」


 声をかけられた。そこまで大きな声では無かったが、防音では無いのか、白い部屋には鈴の音のような声が響いた。


「外目では普通の一軒家でしたが、中に入ったら想像していた以上に画家のお部屋だったので驚きました」

「ふふっ、そうかもしれないね。ここはもとは只の民家だったんだ。それを私が安く引き取ってね。内装だけ私好みに変えたんだ」


 白銀の世界の中で唯一異色の存在である女性は、筆を置くと立ちあがり俺の前に立った。


「やぁやぁ、よく来てくれたね。私の名前はフローラ、見ての通り絵を描くのが好きでねつい夢中になってしまうんだよ」


 自らをフローラと名乗った女性は、薄くだが友好的な笑みを浮かべながら握手を求めてきたので、それに応じた。


「アルベルト・クロワッサンと申します。本日は職場を見せて頂けるとのことで伺ったんですけど」

「うん。実はちょっと困っていてね。優秀な人を探していたんだよ。きっと君なら大丈夫そうだ」

「えーと、ありがとうございます? ちなみにどんなお仕事なんでしょうか?」

「仕事の話の前にちょっと休憩をしてもいいかな? 紅茶を淹れよう。砂糖とミルクはいるかな?」

「ああ、大丈夫ですよお構いなく」


 この時点で俺は少し嫌な予感がしていた。彼女の持つ独特の空気がそう思わせるのだろうか。


 鍛冶屋の時と同じく、給金は絵で支払うなんて言ってきてもおかしくなさそうだった。




 紅茶を飲みながら彼女は話し始めた。ちなみにテーブルを挟んで対面に座る俺も、淹れて貰ったのを飲んでいる。


「小さい時から絵を描くのが好きでね。趣味が高じて筆一本で食っていけるようになった。それ自体は喜ばしいことだったけど、どうにも有名になりすぎてしまったみたいだ。自分で言うのもおかしいけど、そんなつもりは無かったから色々と煩わしいことが増えてしまったわけさ」

「なるほど」


 分かるような分からないような話だ。ちなみに芸術に精通していない俺はフローラなんて画家は聞き覚えがない。というか他の画家も知らない。


「ずっと王都で暮らしてきたし王宮で専属で描いていたこともあったんだけど、ちょっと疲れてしまってね。幸い懐には余裕があったから、穏やかな場所でゆっくり絵を描きたいと考えて、こっちに引っ越してきたんだ」

「確かにこの村は言っちゃなんですけど田舎ですからね。結構いるみたいですよ王都から引っ越してくる人」


 まぁ王都からわざわざこの村へ引っ越してくる人は老人が多いけどな。なにかと忙しない王都より、緑豊かな土地で余生を穏やかに過ごしたいって人は多い。


 多分、自称有名になりすぎて疲れたフローラさんや、追い出されたメアリーは相当レアケースだと思う。


「仕事というのは、ようは雑務や給仕だね。この汚い部屋を見て貰えば分かる通り、どうも私は生活能力が極めて低いみたいなんだ。つい絵に夢中になると食事もとらないことがしょっちゅうある。だからご飯を作ったりゴミ出ししたり掃除したり、そういうのが一つ目の仕事」

「分かりました。他には何をすれば?」

「あとは、絵の依頼が結構くる。権力を笠にかけてくる貴族は全部お断りなんだけど、中には真摯に頼み込んでくる人もいるからそれを選別しといてほしい。これが二つ目の仕事。三つ目はファンレターが毎日のように届くから私の代わりに返事を書いてくれると嬉しいかな。お願いしたいのは主にこの三つだね」


 聞いてるだけなら今までで一番、俺の性格に合ってそうな仕事だった。


「ファンレターの返事ってのは、俺が考えて書くんですか? 正直文章には自信が無いんですけど……」

「いや、代筆はしてもらうけど内容は私が考えるよ。絵を描いている間、口は動かせるからね。私の絵が好きと言って手紙まで出してくれる人に不義理は働きたくないしね」

「ありがとうございます。仕事の内容はよく分かりました。ところで聞き辛いんですが給金の方はどのくらいでしょうか?」

「言い値で支払う。なんて言えたらカッコいいのだけれどね。まぁ大体このくらいかな」


 そう言ってフローラさんから提示された額は、俺の想定より多く、魅力的な額だった。


「じっくり考えてから決めて欲しいと言いたいけれど、出来れば早い方が好ましいかな。基本いつでもここにいるから、働く気が起きたら知らせてほしい」

「分かりました。少し考えさせて下さい。明日また来ます」

「うん。良い返事を期待してるよ」


 お互いのカップは既に空だった。俺は彼女に御礼を言った後、部屋から退出した。


 家の外に出て振り返ると、さっきまで見た光景がまるで白昼夢だったかのように、独特の世界を構築していた彼女の家は、いくつも並んでいる民家の中の一つに戻った。


 理知的で聡明そうな人柄だったし理不尽なことは言われなさそうだ。仕事内容も特に難しい印象は受けなかった。給金も十分な額だった。


 良い条件なのに、二つ返事でその場での了承が出来なかったのはやはり彼女のミステリアスな雰囲気が俺にどこか気後れさせたのだろうなと分析する。


 いつの間にか、午後の光はいくらか薄れて、周りには夕暮れの気配が混じり始めた。


 俺は時間が経つのは早いなぁと思いつつ、ゆっくりと帰路についた。




 ただいまーと言いながら家に帰ると、まるで留守の間主の帰りを待ちわびた大型犬のようにどたどたと走ってきたメアリーが飛びついてきた。


 なんだなんだ。


「あんたねぇ!? 帰ってくるのが遅いのよ! 私がチョコさんに怒られてる間も助けてくれないし! 許さないからね!」


 帰宅したら美少女に正面から抱きつかれて愛の抱擁かと一瞬勘違いした俺を誰が責められよう。


 実は俺はトウシンのことがあった後、怒るとすぐに手が出る彼女の暴力は禁止した。


 パンチやキックが禁止されたと解釈したメアリーの出した答えがこれという訳だ。


 すなわち締め技、これは愛の抱擁ではない。ベアハッグである。地方によっては鯖折りとも言う。


 いったい彼女のどこにこんな腕力があったのか、背骨から肋骨にかけてミシミシと音が鳴り、続けて痛みがくる。


「ちょ、ギブギブギブ!!」


 というか、打撃技を禁止したわけでは無くて、人に危害を加えることを止めなはれと注意したつもりだったが、伝わらないものである。


 部屋から顔を半分くらい出して、あら~ラブラブーとか声を出しながら顔を赤くしている両親が目に入って、単純にムカついた。



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