第八話 混沌カフェ
メアリーが水魔法を使って誰かを困らせる。それは学園に通っていた時は、言ってしまえばよくある光景だった。
俺も商業科の講義が多少あった為、四六時中メアリーと一緒にいたわけではない。だからメアリーの悪行を全て見てきたとは言わないが、彼女の使用人を勤めるということは、必然そういった場面を多く目にするということだ。
遠距離からの、誰かも分からぬ相手からの突然の水魔法による空襲は、犯人が分からない点も含めて陰湿な嫌がらせだった。
やられた方は慌てふためいて、最後には寮に帰って着替えることになる。講義がある者は濡れ鼠になりながらも教諭に説明しなくてはならない。大雨の日でもないのに歩いていたら水が降ってきたなんて言うのは恥ずかしいのか、或いは犯人に気付いた上でなのか、被害者達は学園の噴水に落ちてしまった等と適当な言いわけをする。
男女差別をするわけではないが、男子生徒に比べて、貴族の令嬢達は見るからに狼狽し、突然の悪意にショックが隠しきれない様子だった。泣いていた子も何人も見てしまい、胸糞悪い光景見せやがってとメアリーを心の中で罵ったものだ。
犯人が誰か気づいていた者も多かっただろうに、王子が言うまでは公爵家の威光が怖くて誰も追求することは出来なかった。
かくいう俺も心の中で彼女の悪口を言うだけで、何かを変えるために動いたことはあまり記憶に無い。
彼女はクソオブクソだったが、使用人は陰に徹するべきだなんて自分に言い訳をして、見て見ぬふりばかりしていた俺も最低のクソ野郎だった。
だから、あのコーヒーが混じった黒い水球を見たとき、当時の胸糞悪い記憶が脳裏をよぎった。
ぱしゃああん! と水の弾ける音が聞こえた。
「あはははははっ! アル! 見てよあれ! 癖っ毛だったのに濡れてめっちゃストレートになってる! あはははっお腹痛い!」
横目には、下品に笑う絶世の美女、遠くには困り顔で慌てる被害者。もう見たくはないと思っていたが、一カ月前までは何度も見た光景がそこに広がっていた。
彼女はこの一カ月の苦難で性格が改善されて、ほんの少しはしおらしくなったと思っていた。というかそう思いたかった。
結論を言えば、そんなことは無かったということだ。大丈夫大丈夫、思考は冷静でクリアで状態異常無しである。怒りも悲しみもないし失望もしない。最初から彼女の性格がクソオブクソなのは分かっていたことである。
今やるべきなのは、とりあえずトウシンには謝罪くらいしとくか、嫌な奴だが流石に可哀相だ。
俺はメアリーに家に帰るよう促すと、小走りでカフェの方へと向かった。
「だからさぁ! 謝罪しろよ謝罪! お前んとこのコーヒーが急に降ってきたんだからよぉ!? お前が犯人なんだろが!」
「お客様、そう言われましてもっ……!」
「トウシン、もういいわよ……一旦家に帰って着替えましょう?」
カフェに戻ると、濡れ鼠というより濡れワカメとなったトウシンが店員に詰め寄っていた。他に怒りをぶつける先が居なかったのだろう。
「ああん? なんだよアルベルト! 僕はいま機嫌が悪いんだよ何しに戻ってきやがったんだ? この職無し野郎がよぉ!?」
開口一番で罵ってきやがる。職無しは事実だから言葉のナイフがグサグサ心に刺さる。止めてくれ。
「本当にすまんっ! お前が今そんなになってるのは、俺が近くの建物の上からコーヒーをこぼしたんだ。申し訳ない!」
そういって二人に頭を下げた。魔法の件はややこしくなるので伏せた。
よく考えれば俺の発言は嘘だとすぐ分かるが、トウシンは怒りの矛先を向ける相手が見つかって愉快そうな笑みを浮かべた。
「なんだ、お前だったのかアルベルト、薄汚い犯人はよぉ? 店員に濡れ衣着せるなんて、お前はほんと汚い奴だよなぁ?」
「ふふ、濡れ衣着ているのはトウシンだけどね」
「スザンヌ、ちょっと黙れ!」
店員を勝手に犯人扱いしたのはお前だろというツッコミは火に油なのでもちろん口には出さない。
「で? どうしてくれるわけ? 僕の一張羅をこんなにしちゃってさぁ?」
「本当にすまない。なんなら俺の家に来てくれないか? すぐ洗濯させて貰うしシャワーも貸すよ。あとこれよかったら使ってくれ」
そう言ってハンカチを渡そうとするが、その手はトウシンに音が鳴るくらい思いっきり叩かれた。
「はっ! 馬鹿なこと言うなよ! なんで僕がお前の汚ない家に行かなきゃいけないんだ? おいそこのお前! タオルくらいすぐ持ってこい! 気が利かねえ店だな!」
横暴な態度で店員に命令するトウシン、こいつ普通に最低だな。謝るのが馬鹿らしくなってきたぞ。ちなみにうちの家は内外共に綺麗である。失礼な奴め。
「じゃ、どうすれば許してくれるんだ?」
「偉そうに質問するなよ。お前が出来るのは頭を下げることだけだ。ほらもっと下げろよ」
「……分かった」
再度下げた頭の上からぼちゃぼちゃと液体をかけられた。おそらくトウシンが飲んでいたコーヒーだろう。夏でよかったわアイスコーヒーじゃなかったら火傷しているところだ。
「くくく、良いヘアースタイルだなアルベルト? 薄汚い面もずいぶんきれいになったんじゃないか?」
「水も滴る良い男なものでな」
髪はコーヒーで濡れた上にべとついているし、服も濡れてしまったので俺も一旦家に帰んなきゃならなくなった。実に面倒臭い。
まぁこれでおあいこってやつだ。異国のハンムラビ法典にも目には目、歯には歯って書いてあるし、いい落としどこってことでもう行っていいっすかね。
「悪かったなトウシン、彼女さんもデートの邪魔してすみませんでしたね。じゃ、俺はお前の言う汚い家に帰るよ」
「何勝手に帰ろうとしてんだ? まだ僕への謝罪は終わって無いだろうがよぉ!? 今度は土下座をしろよ土下座!」
「えートウシンもういいじゃんー」
トウシンがまた喚きだした。彼女さんも呆れ気味だ。
すぐ癇癪起こして周りを困らせるあたり、やっぱこいつはメアリーと本質が似ている気がする。つまり性格が悪いし相手にするのも面倒臭い奴ってことだ。
場は混沌としてきたし、俺はこいつの横柄な態度に段々辟易してきたので、もうダッシュで帰ろうと思った。
別に土下座なんて減るもんじゃないしいくらしても特に気にしないが、こいつをさらに増長させてもしょうがないので、この場の最適解は三十六計逃げるにしかずってやつだ。
そんな風に考え始めた時、俺の後ろから誰かが力なく服を引っ張ってきた。
振り向くとメアリーがいた。ええっ? なんで帰ってないの?
「ごめんなさい」
開口一番悪口のどっかの濡れワカメと違って、うちの義妹は開口一番俺に謝罪をした。
おずおずとした態度はどうやら演技ではなさそうだ。
トウシン達が目に入っていないのか、彼女のアイスブルーの瞳は俺だけをしっかり見つめている。
「ごめんなさい。もうしないわ」
繰り返される彼女からの謝罪。言葉は少なかったが、反省の意は見てとれた。もしかしたら俺がボソッと言った皮肉を気にしたのかもしれない。
「だからその、えっと……許してくれる?」
本来なら許しを得るべき対象は俺なんかではなく、被害者のトウシンだが、あのワカメは謝罪する価値も無い奴だったので気にしないことにした。
「こっちも嫌な言い方して悪かったな。メアリーはきちんと成長して良い方向に変わったよ。ずっと隣で見てきた俺が保証する」
俺はそう言って笑いかけた。対外的にいつも使用してる作り笑いではなく本心からの笑みだ。彼女の成長を感じ取るたびにどうも不意に心が喜んでしまう。兄貴も弟である俺の成長を見た時同じ気持ちだったのだろうか。
「それは私もそう思う」
「調子に乗るんじゃない」
さっきまで泣きそうな顔してたのに、手放しで褒めるとすぐこれである。
「今度からは魔法は控えろよ。あれ普通に平民は使えないから要らん混乱を招くぞ」
「もうしないってば、てかあんたなんか頭とか濡れてるわよ」
「あー、そうだった。一旦家帰らないとな……」
「じゃ、一緒に帰るわよ!」
そう言って笑顔で腕を組んで引っ張ってくる。表情がころころ変わる奴だなぁ。
「いやちょっと待てや! まだ話は終わってないだろうがよぉ!」
うるさく叫ぶトウシン。そういやこいつも居たんだった。
「誰よあんたうるさいわねぇ」
「僕の名前はトウシン! この村一番の商家であるサンジェルマン家の次男だ!」
あとお前が水球をぶち当てたのはそいつだから忘れるな。
「そこのアルベルトが僕に醜く嫉妬して、コーヒーをかけてきたんだ! 全くクロワッサン家は全員最低だよ! 土下座するまでぜってぇ許さないからな!?」
「クロワッサン家を馬鹿にするな!」
「げぶふぉっ!」
口汚く罵る濡れワカメの腹にメアリーの正拳突きが決まった。ワカメも彼女さんも突然の暴力に驚いている。俺は慣れっこだから普段通り。
「くひゅーくひゅー……。この僕に、暴力など……許さないぞ絶対に許さないぞ……復讐してやるからな」
「さ、うるさい口は黙らせたし帰るわよ」
うずくまって恨みの言葉を吐く濡れワカメなんて路傍の石だとばかりに気にするそぶりも見せず、再度俺の腕を組むメアリー。ちなみに満面の笑みである。ま、いいか。
「ほら、だーっしゅ!」
「あまり急ぐと転ぶぞメアリー」
こうして、腕を組みながら俺達は一緒に街中を駆けだした。トウシンから逃げ出したとも言う。
女性とそんなことをするのは何気に初めてだったので、結構走りにくいなと思った。
走りながら俺は、怒ったらすぐ手を出す彼女の悪癖を今更ながら改めさせようと心に誓った。
でも、昔と違って今の彼女は俺や俺の家族に対して怒ってくれたのだと、さっきようやく気付くことが出来た。
方法はともかく唯我独尊で自己愛の塊だった彼女のそういった行動が素直に嬉しいと思う。
「アイスでも買って帰るか?」
「ん? なによ急に」
「いや、なんでもないよ」
帰って着替えたら、また就職活動を頑張らないとな。




