第七話 メアリーの平民生活二日目
目が覚めると見慣れない白い天井が目の前に広がっていた。
あくびを抑えながら、ベッドから起きると、私の元従者のアルベルト・クロワッサンが近くに立っていた。
「なんであんたいるの?」
その質問に対する彼の返答を聞いて、自分が学園を退学となったことや、生活が一変したことを思い出す。
「あー、そういえばそうだったわね。分かったわ身支度しなきゃね」
身支度なんていつもは起こしに来た侍女に任せるんだけど、彼が言うには平民は基本自分でやるらしい。本当に自分でやるのかと私はちょっと半信半疑だった。
ただ、他の奴が言うなら信じないところなのだけれど、彼がそう言うならそういうもんなのかと自分を納得させることは出来た。……のだけれども、納得したからといっても自分でやって上手くいく未来は全く見えないのよね。
こういった平民の謎文化はたびたび私を困らせる。でもこういうときは彼に頼めばだいたいなんとかなることを私はこの短期間で理解しているのだ。
「お願いアル! ね?」
彼の腕をぎゅっと抱きしめてお願いすると、しばらくしてから彼の十八番である「しょうがないなぁ」が口から出た。いや~チョロいわ~。
淑女としては異性に抱きつくなんて凄くはしたない行為だと思うのだけど、まぁアルとは10年以上の付き合いだし、手のかかる弟みたいなものだしね。きっとセーフでしょう。
それに一時的とはいえ私もクロワッサン家にはお世話になるわけだし、私は義理の姉になるわけよね。うん弟にならいくら抱きついてもセーフね。と誰に言いわけするでもなく再度自分を納得させた。決して彼に異性として魅力を感じて抱きついているわけではない。ほんとほんと。
髪をとかす彼の手は思ったより丁寧で、お互い特にしゃべることも無かったのだけれど、この二人きりの静かな空間は落ち着いててなんか良いなと感じた。よし、今日だけとか言ってたけどどうにか明日もやらせよう。
彼は髪を結うことが出来なかったのか、王都の女騎士がしているような髪型にされてちょっと不満だったけど、あまり困らせるのも義姉として大人げないかと思って我慢した。
「チョコさん、オイシーさんおはよう」
「おはようメアリーちゃんよく寝れたかい?」
「うん。特に問題無かったわ。むしろ寮の部屋より広くて快適だったわよ」
「それはよかったわ」
二人と朝の挨拶を交わして朝食を食べた。意外なことにクロワッサン家の食事はとても美味しい。てっきり平民の食事なんて質素で口に合わないイメージがあったのだけれど、公爵家の料理にもひけをとらないくらい美味しくて、これは素直に嬉しい誤算だった。
その後は二人と畑仕事の手伝いをすることになった。
これまでの私だったらどうして貴族の自分がそんなことしなくてはならないのかと、アルの顔面に右ストレートを打ってもおかしくなかったけど、平民たるものあくせく働かなくてはいけないことはちゃんと理解しているわ。うん我ながら成長したものだと口元が緩んでしまうわね。ふふふ。
手にはカゴとハサミを持って、トマトとかナスとか野菜の収穫が私の記念すべき初仕事とのことで、チョコさんの指示を聞きながら作業を開始した。
勤労意欲は全開だったのだけれど、思ったより地味な作業の連続にやる気はどんどん下がっていった。
なにせ暑い、チョコさんから帽子を被せて貰ったけど真夏の昼間で風も吹いてないのでじりじりと太陽が照らしつけ、熱が体中の水分を奪っていくのだ。
おまけにハサミで切る時に、裏返した葉っぱのとこに芋虫がこんにちわ! って出てきたりする。最初見たときは叫んでしまった。私は触れる虫はちょうちょだけなのである。
休憩込みで体感1時間以上は働いた。もう限界である。早急にこの拷問から逃げなくてはならない。だが、遠くで別の作業をしている二人には、昨日会ったばかりでも既に恩義を感じており、あまり文句は言いたくないし、仕事を放り投げる責任感のない人間だとは思われたくなかった。
というか私がこんなに苦労しているのにアルのやつは何してるのだろうか。
仕事探しと言ってはいたが、一ヶ月後には私の使用人にしてやると昨夜に言ったのだから、別に職を探す必要は無いはずだ。
それに、公爵家からある程度給金は出ていたはずだ。王都に居た頃も特に金を使っている様子では無かったし、実家もお金に窮している雰囲気ではなかった。そうなると結構貯めこんでいるはずなので、やっぱり急いで職を探す必要なんてどこにもない。
さてはあいつどっかで地元の女とでも会ってデートとかしてるんではないだろうか。
これは早急に調査せねばなるまい。決して嫉妬でも仕事が嫌になったわけでもない。ほんとほんと。
大義名分を得た私は、二人に書置きを残し、余所行きの服に着替えた後、商店街の方へと歩いていった。
10分程歩いただろうか、疲れたのでカフェにでも入ろうかと思ったときに、屋外テーブルのとこに探していた顔が見えた。アルだ。
気づかれない程度の距離で様子を見たが、どうやら変なカップルに馬鹿にされているように見えた。
てっきり鉄拳で返すのかと期待して見ていたら、特に何も言わずに席を立ってしまった。
その一連の流れを見た私は、何故かものすっごく不快な気分になった。なので、私をこんな気持ちにした元凶である彼に、声をかけようと近づいた。
「え? 何で居るの?」
「何ではこっちの台詞よ。見てたわよ。何で言い返さないのよ」
「いや、畑仕事は?」
「ちょっとこっち来なさい!」
近くの路地裏にひっぱって行った。この情けない義弟の男らしさを鍛えてやろうとありがたい説教でもしようと思ったのだ。
「あんたねぇ何言われたんだか知らないけど、馬鹿にされたんなら怒らなきゃだめよ! あんなこれ見よがしに金持ちアピールした格好の奴、どうせ本人じゃなくて親が偉いだけなのに威張ってるタイプよ」
「それはブーメランでは?」
「まぁあんたが事なかれ主義のお人よしってのはこの一カ月身にしみて味わったから、一宿一飯の恩ここで返してやるわ」
「いやメアリーさん。特に何か酷いこと言われたわけじゃないんで別に大丈夫ですよ。あのほんとお気持ちだけで……」
私は精神を集中させ、20メートルくらい離れているカフェの屋外テーブルの方に手をかざした。最近魔法を使ってないから体内の魔力は潤沢みたいね。
アルが飲み残してたコーヒーを空気中の水分と合わせて直径20センチくらいの黒い水球にしたあと、今も談笑している先ほどのカップルの頭上に浮かせる。
「ちょ、メアリー、やめーー」
浮かべた水球を男の方の頭に叩きつけた。
ぱしゃああん! と水の弾ける音が聞こえた。
「うわわっ!? なんだなんだーっ!?」
「きゃっ!? なになに!?」
遠くからでも目に見えて動揺している二人、直撃を食らった男は言わずもがな、近くにいた女も急な異常に混乱している。
何が起こったのかも分からないまま慌てふためく二人の姿はまさしく間抜けで滑稽だった。
「あはははははっ! アル! 見てよあれ! 癖っ毛だったのに濡れてめっちゃストレートになってる! あはははっお腹痛い!」
ひとしきり笑った後、彼が無言なことに気づき、振り向くといつも以上の仏頂顔で私を見ていた。
「なによ。その顔やめなさいよ」
「きちんと止めれなかった俺も悪かった」
「は? どういうことよ」
「でもなんというか、あれだな、結局人ってあんま変われないもんだよな」
そう言って頭をかいた彼の目は、まるで最後に会った時のお父様のようだった。その目には怒りや悲しみ以上に失望の色を浮かべていた。
「メアリー、何でここにいるかは知らないけど、一旦家帰れよ。お袋とか心配してんじゃないか?」
「なによその言い方、私に御礼でも言うのが先なんじゃないの?」
その返事も無く、彼は私を無視しながらカフェの方へと足を進めた。
「ちょ、どこ行く気よ?」
「二人に謝ってくるだけだ。少しは気にしてほしいが、お前は気にしないで家に帰れ」
そう言って小走りで行ってしまった。残された私はまるで心臓が締め付けられるような痛みを感じて、その場から動くことが出来なかった。




