第十五話 自覚
やってしまった。
今日はついチョコさんとオイシーさんに言われて、村の夏祭りにてアルと一緒に遊んだ。そこまでは良い。
「うがあああああ!!!」
襲い来る羞恥心と幸福感を打ち消すように、自室にて獣の咆哮。
よりにもよって義理の弟相手に、しっかりと、ねっとりと、唇を奪われて、いや奪ってしまった。
「なんであんなことしたのよ! バカバカ、アホ令嬢!」
今更後悔しても既に後の祭り。夏祭りだけに。私は自室の布団の上で、暴れるミミズのようにのたうち回った。
ひとしきり身体を動かしたことで私は徐々に冷静さを取り戻した。
今日から同居人となった友達に声をかける。
「クマミちゃん。私はこれから先どうすればいいの?」
身長は50センチくらい、茶色い毛とつぶらな瞳をもった熊のぬいぐるみ。特徴的なのは胸にしている赤いリボン。それがクマミちゃんだ。
「自分の気持ちに正直に向き合うクマ。大丈夫今のメアリーちゃんなら出来るクマ(裏声)」
クマミちゃんは難しい事を簡単に言ってのけた。それが出来れば苦労しないのよ。
明日からどんな顔でアルと会えば良いのだろうか。そもそもさっきまでの私ってちゃんと普段通りの冷静美少女として繕えてた?
あーあ、何であいつとキスなんてしちゃったかなー……。
「何でキスしたかなんて、自分が一番分かってる癖にクマ(裏声)」
クマミちゃんの鋭い指摘にため息が出る。理由なんて一つしか無い、まさに短慮。あのムカつく女に対する当てつけだ。それだけの理由でしか無い。
「またまた、すっとぼけちゃって、ほんとしょうがないクマ(裏声)」
……分かってる。それもきっと言い訳だってことは。
以前婚約者だった王子とだって唇を重ねた事なんて無かった。あの女と王子がどれだけ仲良くしていても、そんなことはしなかった。
つまりそれは、そういうことだ。
そういうことになってしまう。
「やっぱり、私ってアルのこと好きみたいね」
その言葉を口に出した時、行き場を見失ってた胸の中の感情の濁流は澄み渡る水面のように変わっていった。
いつから彼に恋愛感情を抱いていたかはもう分からない。きっと見ないように、隠すように、気づかぬように蓋をして生きてきた。
いつも一緒にいてくれる。私を肯定してくれる。困ったら助けてくれる。私が本当に欲しかったものを彼が与えてくれたことに気づいてはならなかった。
何故なら私は公爵家の娘で、彼は只の使用人だった。安い小説じゃあるまいし、今時身分違いの恋なんて実際には起こり得ない。
貴族として生まれたからには、親によって決められた相手と添い遂げる。私の場合はそれが顔も人柄も身分も良い第二王子なのだから恵まれていた方だ。
そのことに不満を持ったことは勿論無い。それは貴族として当たり前のことであったし、婚約者ならきっと私を、世界で一番に愛してくれると思っていたからだ。
それなのに。そう思うのが貴族としてあるべき姿だと思っていたのに。
「クマクマクマー(裏声)」
彼女の両手を持って、ダンスをするように横にふりふりと揺らす。
「クマミちゃん。私、平民になっちゃったのよ」
貴族と公爵家の肩書に頼れない生活にももう慣れてしまった。
昔の私だったらきっと未だに受け入れられなかっただろうけど、今の私は考え方が成長したと自覚している。
平民の生活は忙しい。以前の私のように優雅さも知的さも娯楽も無い日々を送っている。
チョコさんは畑作業中によく叱るし、オイシーさんは下品なことを言うし、アルは以前に比べて私の扱いが雑になった。
だけど、そんな生活も最近では悪くないと感じている。ほんと成長したものだ。
「話したらスッキリしちゃった。ありがとねクマミちゃん。なんとかなるでしょ」
明日アルに会ったら、まず平常心をこころがけて、その後のことはその時考えましょ。そう結論付け、私はクマミちゃんを抱きながら一緒に毛布を被って、寝る準備をした。
それにしてもさっきのアルは珍しく動揺していた。亡くなったお母様譲りの美貌を受け継いだ私のキスなんだから、もっと激しく取り乱してもいいような気がするが、それでも満更でも無さそうだった。あいつが私のことを好きなのは今までの行いから確定的に明らかであるし、やっぱこれって完全に両想いよね。
そう考えると顔が熱くなってきた。
思えば、思い合った男女が一つ屋根の下だ。今真向かいの部屋に居るであろうアルが気の迷いで夜ばいにきたらどうしよう。
キスしたんだからその先も良いだろと考えた彼が部屋に来たら、私はきちんと拒めるだろうか。
口ではいやいや言いながら身体は素直になりそうで怖い。待て待て、ロマンス小説の読み過ぎだ。そんな展開無い。
変なこと考えてたら顔以外も熱くなってきた。不味い、煩悩退散。私は淑女私は淑女。
寝る。寝るしかない。クマミちゃんお休み。
朝、いつも通り髪を梳かしに来たあいつは、動揺を隠しきれない私に比べていつも通りの顔をしててムカついた。
おまけに相変わらず乙女心の分からない発言が出たのでつい手が出てしまった。
こんなデリカシーの無い奴のことが本当に好きなのか私は。自信無くなってきた。
でも夜のダンスレッスンでは明らかに心ここにあらずという様子で、私のことを意識してるのが丸分かりで、やはり朝のは演技だったのかと、気がついてしまったら内心笑うしかなかった。やっぱりそうよね。ふふん気分が良い。
しかし結局私はこいつとどうなりたいのだろうか。悩んでいてもどうも答えが出ない。異性との適切な付き合い方がいまいち分からないので、とりあえず今まで通り本能に従ってみることにした。もっかいキスしたい。
遠まわしに誘ったつもりだったのだが、いざその時となると心の準備が完了して無くてちょっと焦った。もしかして異性に慣れて無いのは私も同じではと今更ながら気づいてしまった。
知りたくなかった自分の新しい面を知ってしまった。なんてことだ。そんな風に頭を抱えていると、彼が真剣な顔で私になんか見当外れなことを言っていた。
愛情表現は本当に好きな人にだけする行為、ねぇ……。
さてはこいつ、自分が私のことを大好きだという自覚が無いな?
成程、確かに今までの公爵令嬢だった私は高嶺の花で雲上人だもの。遠くから愛でることは出来ても、いざ手が届く距離に来たら自分の気持ちに素直に気づけないわけか。合点がいったわ。
仕方あるまい。こうなっては気づかせるしか無い。今の私は不本意にも平民。さながら羽衣を取られて下界に降りてきた天女。
いくら彼と私の釣り合いが取れて無くても、私はそんなこと気にしてないよと分かって貰わなくては。
そんなわけで、深夜、彼と一緒の布団になんとか潜り込むことは成功したわけだ。
今更、学園時代の最悪な夢なんて見てやるもんか。女心が分からないのを逆手にとってやった。深夜に異性の部屋に来て怖い夢見たなんてシラフで言うのは、小さい子だけだから。震えてるのも不安そうな顔も全て演技よ。
シチュエーションは我ながら完璧だと思う。
普段完璧な私が偶発的に見せちゃう弱気な顔に、二人っきりの布団の中、抱きしめて頭撫でてキスするまでは許してあげるわ。
それ以上のことは流石に嫁入り前だから勿論駄目だけどね。ふふ、がっかりする顔は見ものね。
……しばらく手を繋いで待っても何も言ってこないので顔だけ横を向くと、すやすやとした寝顔が見えた。
「Zzz」
普通この状況で寝れる? 嘘でしょ?
どうにか起こしてやろうかと思ったが、あまりにも幸せそうな顔で寝てるのを見て躊躇った。
ま、一日仕事した後に私の特訓にも付き合わせたし、疲れてたのだろう。
とりあえずほっぺに軽く口づけした後、私も寝ることにした。
こんな菩薩の様な寛容さを持った女の子他に居ないわね。感謝しなさいよとぼやきながら、彼の腕を抱き枕にして寝た。
目が覚めた時、既に隣には誰もいなかった。時計を見ると、朝と言うよりは昼くらいの時間、寝るのが遅かったせいで、こんな時間に起きてしまった自分を恥じる気持ちはあったが、何故誰も起こしに来てくれなかったのかと疑問に思った。
鏡を見た時、髪はぼさぼさの状態であったのでまずアルにこれをなんとかして貰わねばと考えリビングへ向かった。
そこには紅茶を飲みながら静かに座ってる、私と同じ黄金色の髪が特徴的な傾国の美女が居た。
「おはよう。久しいなメアリー」
「お、お姉様……何故ここに、他の皆は!?」
「まずは座れ、ちょうど紅茶を淹れたばかりだ。お前も飲め」
そう言って私の姉であり今や第一王子の結婚相手、すなわち王子妃であるアイリスお姉様は、紅茶が置かれているテーブルを指でトンっと叩いて着席を促してきた。
私は昔からこの女が嫌いだった。偉そうな態度も鼻についたし、お父様の期待と信頼を一手に引き受けていた彼女を恨んでもいた。
だが、昔ならいざ知らず今や彼女はこの国の王子妃だ。少しでも無礼な態度を取ればただでは済まないだろう。嫌悪感を必死に隠したまま、私は彼女の対面の席へと腰を下ろした。
「まず、家の者達は皆用事で出かけたぞ。夫妻は会って挨拶したが、アルベルトは知らん。出なおそうかと思ったが、夫人の方からここで待ってて良いと言われたのでお言葉に甘えることにした」
「それはそれは、起きるのが遅くて申し訳ありませんでしたわねぇ」
「気にするな。アポも無く休日にいきなり来たのはこっちだ。あと敬語はいらんぞ」
そう言うと彼女はくいっと手に持ったカップを傾けて紅茶を飲んだ。クロワッサン家はコーヒーを飲む人の方が多いせいで、家の棚には安い茶葉しか無かったはずだが、王子妃の口に合うのだろうか。
「何しに来たのよ」
「可愛い妹の様子を見に来た。大急ぎで駆けつける程度には心配だったが、元気そうで何より」
「別にそこまで心配でも無かった癖に……、わざわざこんな田舎まで来るなんて偉くなった癖に暇なのね」
「真に優秀な者は仕事を溜め無いものさ。ところでメアリー、アルベルトのことだがな」
「何よ」
そう言って、折角淹れて貰った紅茶を飲む。相変わらずムカつくくらい美味い。何故淹れた者の技量でここまで味が変わるのか不思議だ。
「もう子作りは終えたか?」
「ぶーーーーっ!!」
口に含んだ紅茶を盛大に吹き出した。流石に正面に居る姉にはかけることは無かったが醜態を晒してしまった。
「その様子じゃキスもまだだな。やれやれだ」
「失礼な、キスくらいしてるわよ!」
「小さい頃のはカウントに含めんぞ。全くお前は昔からアルベルトが寝てるのを見計らってちゅっちゅしてたけどな。あれ逆だったら犯罪だぞ」
「何で知ってんのよ! 最低! そんな下世話な話をしに来たのなら帰ってよ!」
この女はいつもそうだ。訳知り顔で、上から私を見下しからかって、それでいて八方美人だから周りからは褒めちぎられている。おかげで比べられる私はいつも貧乏くじを引いてきた。何をやっても姉というものさしを置いて皆が私を見てきた。大好きだったお父様さえも。
それがどれだけ苦痛だったのか、彼女はまるで分かっていない。その無神経さもまた私を苛立たせるのだ。
「下世話というがな、大事なことだ。単刀直入に言うが、メアリー、貴族に戻りたいか?」
「なっ!?」
姉から出た突拍子も無い言葉に私は言葉を詰まらせた。
持っていたカップをソーサーに置いた彼女は探るような目で私を見た。
テーブルには私の飲みかけのカップと彼女の空のカップが置かれていた。




