第十二話 少し大人になった
「ええと、アウラどういうこと? 平民のって?」
「言ったとおりだよクリス、この人はもう公爵令嬢でも貴族でも無い。学園も退学になって今は只の平民ってこと!」
「ぐ、ぐぬぬ」
蒼い髪をたなびかせているアウラ伯爵令嬢の言葉を聞いて、メアリーは悔しそうに嗚咽を漏らしている。その青ざめた顔には痛いところを突かれたとしっかり書いてあった。
さっきまでは俺の前でふんぞり返って偉そうにしてた癖に、今はこそこそと俺の背後に隠れ出した。やめろ俺を盾にするな。
「……アル、なんでこいつ私が退学になったこととか知ってるのよ」
「……俺が知るわけ無いだろう。貴族の間では案外有名なんじゃないのか?」
メアリーが俺の耳元でぼそぼそ囁くように聞いてくるが、正直俺にも分からない。彼女が公爵家を勘当されたことはクロワッサン家以外では、ルドルフ公爵と関係が深い一部の好色貴族と学園長くらいしかまだ知らないはずだ。
学園が夏季休業に入る直前まではメアリーも一応通っていたし、少なくとも現時点で、学園の生徒には彼女の落ちぶれっぷりを知るすべは無いはずだ。どこでアウラ伯爵令嬢がこのことを知ったのかは皆目見当もつかない。
「さっきまで偉そうにしてたのに、平民だってことがバレたら急におとなしくなりましたね」
「あの、すみませんが……ライシュタット伯爵令嬢様は、何故メアリーが平民だということを知っておられるのでしょうか?」
「私の叔父が学園長なので、たまたま知っただけですよ。公爵家から除名されたことまでは聞きましたけど、その後どうしてるかまでは知りませんでした。まさかこんなとこで会うと思ってなかったのはこっちも一緒です」
そういうことか、学園長繋がりだったのね、成程合点がいきました。
「それからアルベルト先輩はそんな畏まらなくて良いですよ。私は誰かさんみたく親の権力をチラつかせて偉そうにするのとか好きじゃないですし、私の事もアウラで結構です」
「学園内でも無いのに伯爵令嬢様を相手に呼び捨ては流石に良くないと思うのですけど」
「はいはい! 私の事もクリスって呼び捨てにして下さい! 私もアル先輩って呼んでも良いですか? というか絶対呼びます! アルせ~んぱい!」
「ええと、じゃあせめて、さん付けで呼ばせて貰います」
さっきまで意気消沈してたのに、めっちゃクリスさんぐいぐい来るんですけど。でも可愛いからアルベルト的には許しちゃう。
「それにしてもちょっと自分に都合悪くなったら直ぐに男性の後ろに隠れるなんて、相変わらず姑息というかなんというか……卑怯な人」
アウラさんは再度メアリーに苦言を呈している。彼女に対する敵意を隠そうともしていない。
なにせ友達であろうクリスさんに散々嫌がらせしてきた諸悪の根源が目の前に居るのだ。メアリーに対して怒りが湧くのも当然であるし、その怒りと敵意は事情を知る俺からしても正当なものだ。いまやメアリーは身内だが、過去の悪行を思えば弁護の余地が無い。
「さっき、一緒に住んでるとお聞きしましたけどほんとにそうなんですか?」
「そ、そうよ! こいつがどうしてもって言うから――」
「私は、あなたじゃなくてアルベルト先輩に聞いてるんです」
アウラさんの質問にすかさず答えようとしたメアリーだったが、氷のように冷たい彼女の言葉にピシャリと黙らされていた。この子迫力があるなぁと思いながら、俺が答えた。
「そういうことになりますね。クロワッサン家として彼女の身元を引受たので俺の両親との4人で暮らしてます。一応関係としては義理の姉弟です」
変に誤解されてもしょうがないので、正直に言った。クリスさんはホッとしたように胸をなでおろしている。とても可愛い。
「なんだ。どっかの変態貴族に嫁いでるか修道院で尼でもやってるかと期待してたんですけど、お優しいアルベルト先輩が引き取っちゃったんですね。王子から婚約破棄されてまだそんなに経って無いのに従者に色目をつかうとか尻の軽い人ですね」
お優しいの部分に妙な含みを感じた。あれ? アウラさんもしかして、俺にも怒りの矛先向いてませんか?
「……期待してたって、この女性格悪いわね! というか引き取ったって何よ! 私は動物かってーの! 色目なんて使ってないし! アル! なんか言い返しなさい!」
メアリーは相変わらず俺の背後に隠れながら彼女らに聞こえない声量でぶつくさ文句言ってる。正面から自分で文句言うのが怖いんだろうが、勿論無視した。
「散々クリスや皆に嫌がらせしておいて、反省もしないで普通に暮らしてるなんて、そんなの納得できるわけ無い!」
「……別にあんたの納得なんて必要無いわよって言いなさい! アル!」
俺を中継地点にして少女達は怒りを露わにしている。女の子同士の諍いに男の俺がどうにか出来る訳無い。早々に匙を投げた俺は救いを求めるようにクリスさんに目線を向けたが、彼女は珍しい物でも見るかのようにアウラさんのことをまじまじと見ていた。誰か助けて。
「謝って下さいよ。誠心誠意。クリスに対して。そのくらいは出来るんじゃないですか?」
「あ、アウラ? 私もうそんなに気にして無いっていうか……」
「私が気にしてるの! 私はクリスを傷つけようとしたこの人がどうしても許せない!」
感情が昂ったのか、アウラさんは声を張り上げた。その琥珀色の瞳には少し涙も見えた。その涙は俺の罪悪感を呼び起こした。
メアリーは知らんが、俺には彼女たちへの負い目があった。メアリーの暴走を止められなかったこと、それで傷つけられた人達を見て見ぬふりしてきたこと。どれも苦い記憶だ。学園にいた頃の彼女には明確に罪が在り、一緒にいた俺も似たようなものだった。
完全なる被害者であるクリスさんには今も申し訳ない気持ちになるし、アウラさんの言うとおり誠心誠意の謝罪はするべきだと思う。
「メアリー」
俺は彼女の名を呼び、彼女らと正面から向き合えるように身体を少し横にずらした。
謝れと命令もしない。謝ってくれと懇願もしない。ただ、以前よりほんのちょっぴり性格が改善された彼女の良心が、きっと謝罪という選択をするであろうと信じていた。
時間は巻き戻らない。起こした罪は消えないし、謝罪や反省をしたからといって全てが許されたりはしない。だけれどもそれは、謝罪も反省もしなくていいという理由にはならない。
おずおずと前に進み出た彼女は、クリスさんの正面に立つと、ため息を一つ漏らした後、深く頭を下げた。
「確かに、あなたにしたことは申し訳なかったし。それについては謝罪するわ。でも私も婚約者を取られて冷静じゃ無かったというか、つい暴走しちゃっただけというか、あのときは精神的に不安定だったというか……」
「それで謝ってるつもりですか?」
「ぐぎぎ」
頭を下げたまでは良かったのに、延々と言い訳を呟いているメアリーの横からアウラさんの駄目出しみたいな言葉が出る。だが傲慢不遜で被害者意識の強いメアリーが頭を下げるとは思っていなかったのか、その語気は先ほどよりも少し弱かった。
「本当にごめんなさい。私が愚かだったわ。もうあんな風にあなたを貶めたりしないわ……多分」
「多分?」
「……絶対しません」
半ば言わされている様にも見えなくはないが、兎にも角にもメアリーは確執あったクリスさんに謝罪した。アウラさんもその様子を見て溜飲が多少下がったのか、怒りのボルテージも同時に一段階下がったように見える。
あとはクリスさんが彼女の謝罪を受け入れるかどうかだが、今までのメアリーの所業を振り返ると普通はその望みは薄いのだけれど、クリスさんは先ほどからあまり気にして無い素振りを見せていたので案外許してくれそうではある。あれだけのことをされたのに一体彼女のメンタルはどれだけ強靭なのだろうか。
「分かりました今までのことは許します。まぁそんなことはどうでもいいんですけど、さっき言ってましたけど二人はその、しちゃってるんですか? セッ……じゃなくて、交……、いやえーと、愛の営みってやつを?」
メアリーの一世一代の謝罪をあっけらかんと受け入れるとクリスさんはそんな疑問を恥ずかしそうに口に出した。いやそれダンスの練習してただけなんです。
「……そんなこと? ……どうでもいい?」
あ、ヤバい。多分葛藤の末になけなしの良心と勇気を振り絞って頭を下げたであろうメアリーは、クリスさんに適当に流されたことがかなり不満だったらしく、頭を下げた状態のまま怒りでプルプルと壊れた人形のように震えている。
多分、クリスさんも悪意は無くて素なんだろうけど、それが余計にメアリーの癪に障るのだろう。このままだと折角良い感じにまとまりそうだったのに癇癪持ちメアリーのせいでまた台無しになりそうだ。
なんというかそもそも相性が悪いんだなこの二人は、善と悪は決して交わらないというやつだ。
「いや、そんな事実は無いです。夜中にダンスの練習して汗だくになったってだけですよ」
すかさず二人の間に割って入り、事実を述べた。下手に二人が喋ると余計こじれそうだ。
「あ、なんだそっかぁ、やだ私ったら勘違いしちゃって、ダンスレッスンのことだったんですね」
「アルベルト先輩の女性慣れしていない対応を見れば直ぐに嘘だと気づく。クリスはむっつり」
「な! そんなことは、あるけど! 好きな人の前でそういうこと言うのやめてよ!」
「クリスさん、むっつりなのは否定しないんですか? というか好きな人って……」
「ああ! ちが、そう言うんじゃなくて! ただアル先輩は私のこと助けてくれたし白馬の王子様というか凄くカッコ良かったし憧れというかそういうあれなんです! 今度デートして下さい!」
「クリス、テンパり過ぎ」
これもう完全に俺のこと好きじゃない? どうしよう。凄く嬉しい。休みの日にデートして遊んで親睦を深めてからお互いの誕生日にプレゼントとか送って喜びあったりペアルックで同じ服とか着て町を練り歩いたりとかしたい。
そんな妄想を俺が幻視していると、先ほどから放置していたメアリーが幽鬼のようにふらりふらりとしながら不意に俺の胸ぐらを摑んだ。
ヤバい、女の子二人と和気あいあいとし過ぎたからか、これはまた理不尽な右ストレートが放たれる。暴力は禁止したはずだぞやめろ。と一秒にも満たない刹那の時間の中で俺の思考はフル回転していたが、次の彼女の行為により頭の中は真っ白になった。
俺の顔を近くに引き寄せた彼女はあろうことか俺の唇に自分の唇を合わせてきた。
今までの人生で一番の至近距離で彼女の顔を見る。目を瞑っており、彼女の長いまつ毛が俺の顔にくすぐったくも当たっている。
接吻、キス、ちゅー、たしか求愛行動の一つだったはずだが、突然の事態に何も考えられない。
「……んっ、…………ふぅ」
艶めかしい声が彼女から聞こえる。たっぷり数秒間俺のファーストキスを貪るように奪ったメアリーは、してやったりという風に二人の少女を見た。
アウラさんは突如目の前で行われた痴態に顔を紅くさせている。
クリスさんは嘘だあああ! と叫びながらどこかへ走って行ってしまった。アウラさんは舌打ちを俺達にした後、走り去った彼女を追いかけていった。
二人の少女が消えて、この場には俺とメアリーだけが残されていた。
「な、にしてくるんだよ」
俺はようやくそれだけ言うことが出来た。当然の疑問なのに、口から出るのはだいぶ遅かった。先ほどまでは良くも悪くも賑わっていたこの場所も今や俺ら二人っきりだ。どちらかが何も言葉を発しなければ静寂が場を支配していた。
「ちょっとカッとなってやっちゃった。言っとくけど勘違いはやめてね。キスくらいたいしたことじゃないから」
「なんだよ、それ」
俺は蹲ってちょっとめそめそし出した。情けなくも悔しいことに女性経験が全く無い俺は不意のキスに全く抵抗する気が起きなかった。
メアリーがこれ見よがしに彼女達の前でやったのは、クリスさんが俺に好意を持った様子を見たから。それ以外考えられない。
こいつがやったことは普通に最悪なのに、ちょっと喜んでしまってる俺がいるのは男の悲しいサガだ。自己嫌悪に陥ってるのに、気づいたら俺は自分の唇を指でなぞりながら彼女を見ていた。浴衣姿の絶世の美少女、彼女にキスされた。一体今俺はどんな顔をしているのか鏡で見てみたいものだ。羞恥心で真っ赤なのか、情けなくもだらしない顔をしているのか、どちらにせよ最悪だけどな。
俺達は特に会話も無いまま実家に向かって歩き始めた。何をしゃべっていいのかも分からない。
これからどんな顔して彼女と暮らせばいいのかも分からない。たいしたことじゃないと言っていたが、気にしないのは無理だろう。
「なんか喋りなさいよ。まだ恥ずかしがってるの?」
「無理、せめて明日まで待ってくれ、それまでに平常時の状態に戻す」
ちなみにファーストキスは若干ソースの味がした。




