女騎士は恋をする
私が投稿中の騎士の話と同じ世界ですが、そちらの登場人物は出ません。
「恋したいー!!」
夜空に向かって叫ぶ声。
淡くやさしい桃色の髪をおろし、明るい朱色の瞳の女性が窓の前に立っている。彼女の名前はレイラ・ルーエン。
大きな丸い目が彼女を幼く見せている。
「毎回うるさいわよ! レイラ!」
「うぐっ!」
金髪で空色の瞳のきつい顔をした美人、アメリア・ミラーが、振り返ったレイラの顔に向かって枕を投げつけた。
「静かにしなさいよ! 恋なんていつかできるわよ!」
「だぁって~」
「だってじゃない! レイラも明日早いんだから寝なさい。寝不足は体に悪いのよ? あとたびたび起こすその発作をやめろ!」
アメリアは背中を向け、布団を頭の上まで引っ張り上げてしまう。レイラは口を尖らせて寝る準備をする。
「はあ、明日の新人はいい男だといいな……」
*
このフェノーラ王国には、四つの騎士団がある。男女問題改善のために、女性にも労働権が与えられた。しかし、完全に改善したわけではない。
レイラは騎士家系の貴族の娘だ。家族には自分で男をもぎ取って来い、見つけるまで騎士をやめるな、と言われてしまった。
今の時代に恋愛結婚なんて! と反論したのだが、
『あら、私達は恋愛結婚よ? お互いに婚約候補にいなかったのだけど、お父様にちょ〜〜っとお願いしたのよ』
とお母さまに黒い笑みで答えられ、レイラはお祖父さまを気の毒に思った。
そして、二年前、十五歳の年にレイラは仕方なしに入団試験を受け、高成績で合格した。
寮は一人か二人部屋か選べたので、同じ第一騎士団に配属になった友人のアメリアと同室にした。
仕事ばかりで華やかじゃないこの生活を塗り替えたい。そういう想いが爆発してレイラは夜空に叫んでいるのだ。夜なのは、仕事が終わるのが遅いだけで他意はない。
*
雲一つない明るい空。そよそよと気持ちのいい風が吹いている。
早朝の訓練場に人が集まっている。まだ開始時間ではないため、各々自由にしている。
桃色の髪を高い位置に一つにまとめたレイラは、第一騎士団団長の前まで歩いていく。
「おはようございます!」
「おはよう。さっそくだが、先日話していた新人を紹介する。ほれ」
団長の斜め後ろにいた青年が、レイラの前に出てくる。レイラと同い年か、年下だろうか。
さらさらとした銀髪に、濃い青色の瞳の青年だ。黙っていれば冷たそうな印象を受けるが、にこりと笑う顔は幾分か優しげに見える。
レイラは口が開きそうになったのをぐっとこらえた。
「初めまして。アラン・ノースです」
「初めまして。レイラ・ルーエンです」
「じゃ、ルーエン。この前頼んだ通り、案内と説明よろしくな」
「はい!」
団長が離れていったので、レイラはアランに笑みを作って話しかける。
「では、ついてきてください」
*
まずは、一番近い武器庫から行き、執務室と掲示板、休憩室、食堂を案内して、食堂の先の建物へ行く。
「ここの自由室という部屋は女性騎士が使うので、そこは入らないようにしてください」
「へえ、そういう配慮がされてるんですね」
感心したように言うアランに、レイラは先程から気になっていたことを聞いてみる。
「ノースさまは、第二騎士団団長のご令息ですか?」
第二騎士団団長は優しそうな男性で子供が何人かいると聞いたことがある。偶然廊下で会ったときは、何度もお菓子を頂いたことがある。
「ええ、でも、気にせずに接してください」
「ノース団長と同じ団に希望しなかったんですね」
「父親と同じって、嫌なもんですよ」
苦笑いで答えるアランに、レイラはそういうものだろうかと小首を傾げる。
「とりあえず、ここまでが道案内です。あと、ノース団長から聞いてるかもしれませんが、第一騎士団は、主に城内の警備。舞踏会などの警備には、第二騎士団と協力して臨みます」
レイラは間を空けて相手の反応を伺う。
「ノースさまは、しばらく訓練を受けて、そのあと交代制で警備にあたってもらいます。城内の案内は、その時になります」
「わかりました」
簡単に説明はしたので、訓練場に戻ろうと歩を進める。
レイラはアランの視線を感じ、眉を下げ戸惑った表情を浮かべる。
「あの、なんでしょう? 聞きたいことでもあります?」
「……え! えーと、失礼かも知れませんが、ルーエンさまはなぜ騎士に?」
慌てたアランは、目を泳がせてそう尋ねた。
レイラは女が騎士になるのは珍しいからだろうと思う。実際、よく聞かれるのだ。
「家が騎士家系で、幼い頃から父に剣を教わっていたので入団したんです」
「結婚とかされないんですか?」
アランは小首を傾げる。その目には侮蔑の色は見えず、純粋な疑問として聞いているようにレイラには見えた。
レイラは少し迷ってから、口を開く。
「したいんですけど、相手がいなくて……。ノースさまは? もてそうですよね」
「婚約者もいませんよ、女の人は苦手なんです」
「え! そうなんですか?」
「はい、嫌な思い出がありまして」
そう言われると、それ以上はなにも聞けなくなってしまう。
レイラは聞きたかったことを聞くのに成功したが、女性が苦手だと言われ少し落胆した。
そして、二人は訓練に参加しにいった。
*
レイラとアメリアは部屋に帰り、上着を脱ぐ。
アメリアはニヤリとからかうような笑みを浮かべる。
「で? どうだったの!? あれ、レイラの好みよね?」
「ドストライクだよ!! 女だからって蔑んでもこないし!」
レイラは満面の笑みで勢いよく答えて、どかっと椅子に座る。
「婚約者いるのか聞けたの?」
「聞けた! 婚約者もいないって!」
「凄いじゃない! 毎回聞けないのに」
今までレイラはいいなと思った人に近づくどころか、うまく会話もできずに終わってしまっていた。
レイラはふふんと鼻を鳴らして、明るい声を上げる。
「もっと褒めて!」
「調子にのるな」
「わっ」
脳天にアメリアの軽い手刀が降ってくる。この流れは、いつものことだ。
アメリアはそのまま頭に手を乗っけて、レイラの髪をくしゃくしゃと撫でる。
「頑張んないとだね?」
「んー、でもね、女の人苦手なんだって……」
「へー? まぁあの顔だもんねぇ。レイラと話してる時、どんなだったの?」
「んー、特に、変わったことはなかったような……?」
アメリアは眉をあげてレイラを見ながら、ゆっくりと首を傾ける。
口角を上げたアメリアは励ますように声をかけた。
「まあとりあえず、アピールして、だめだったら次に行けばいいと思うわ!」
「そ、そう? 迷惑じゃないかなぁ」
「自分から動かないと、始まるものも始まらないの!」
アメリアの気迫に押され、レイラは大きくうなずいてこぶしをぎゅっと握る。
「う、うん。とりあえず、当たって砕けろで頑張ってみるよ!」
「砕けちゃだめでしょ」
アメリアのつっこみが入ったが、レイラは気にしない。
そして、重要なことに気づく。レイラは困り顔ですがるようにアメリアを見る。
「どうすれば男の人の気を引ける?」
「……あらら」
気が抜けたように、アメリアはがくっと肩を落として、笑った。
*
それから、数日が経った。
レイラは休憩に入るだろうアランに声をかける。
「ノースさま! 一緒にお昼食べませんか?」
「良いですよ」
「ありがとうございます!」
笑顔で許可してくれたアランを見て、レイラはぱぁっと表情を明るくする。
ずっと誘おう、誘おうと意気込んでいたのだが、いざ声にしようとすると言葉が出なくなってしまった。そのため、話しかけては足早に去るという挙動不審な行為を続けていたのだ。
アメリアに相談して軽いボディタッチをしなさいよと助言を受けたが、レイラにはハードルが高すぎて、まずは昼食に誘うことに決めた。
相変わらず、食堂は混んでいる。
空いている席をやっと見つけて食事を置いた。騎士用なだけあって、量が多い。
何を話すか迷ったレイラは無難な質問を投げることにした。
「騎士になってどうですか? 慣れました?」
「親切な方が多く、やっていけそうです」
「それは良かったです! 数日で辞める人、結構いるんですよね」
「そうなんですか。やっぱり訓練がきついとか?」
「ええ、それに最初から配置につけると思っている人が多くて、思っていたのとは違ったとか」
「ああ、なるほど」
一日中訓練を受けるのは辛く。根性がなく、自惚れすぎているものはさっさと辞めていくのだ。
また、女騎士と仕事なんて馬鹿馬鹿しいと捨て台詞を吐いて辞める男もいる。自尊心が高いのだろう。
話が途切れるかと思ったが、アランが話題を提供してくれた。
「ご兄弟いらっしゃいますか?」
「上に兄がいます、第四騎士団で民の見回りを楽しんでいますよ」
レイラの兄は人と関わるのが大好きで、天職だと絶賛している。幼いころはあちこち動き回って、お母様たちが慌てて探して、と大変だったらしい。
「人好きなのですね」
「昔から誰とでもすぐに仲良くなるんです」
「それは羨ましい。秘訣を教えて欲しいくらいです」
レイラはアランが社交性が低いようには見えないけどと思いつつ、話を広げる。
「ノースさまもご兄弟がいらっしゃるんですよね?」
「兄が二人と妹が一人います」
「妹さんですか! 可愛いです?」
レイラは小さい頃から妹を欲しがっていた。アランは穏やかな声で答える。
「可愛いですよ、昔から私や兄たちの後ろをついてきて、真似していました。まだ十四なのに正義感の強い子です」
「わぁ! 優しい子なんですね!」
仲のいい兄弟なんだなとレイラの声が明るくなる。
「そうなんです。来年は騎士になるって息巻いてるんですけど、心配なんですよね」
そう言いながらアランの眉間にしわが寄せられていった。
レイラも騎士なので、騎士は一般民よりも死が近い職だとわかっている。ぬくぬく王城警備をしていると思われることもあるが、この王国だって華やかなところだけではない。
どの配属になったとしても、生死の取引から遠くなることはない。
女の子だから、家族だから、心配する気持ちも……。
どう声をかけるか迷って、レイラは眉を下げた。
「……」
「まぁ頑固なので、応援してますけどね」
アランは呆れたような声で話す。
言うか迷いつつも、レイラはおずおずと口を開く。
「ノースさまの気持ちが、彼女を繋ぎ止めるものになると思います」
一瞬目を見開き表情を緩めたアランは、妹さんの面白い失敗談に話題を変える。
話の中の妹さんは陽気で、努力家で、負けず嫌いなところが伝わってきて、アランは、三人の兄は、妹さんを溺愛していることがよく分かり、レイラは目を細め微笑んでいた。
レイラたちは話ながら食事を終え、休憩時間が終わっていった。
アランが意外とよく喋ってくれるので、レイラは嬉しかった。
レイラは気持ちを切り替えようと、緩んでしまう頬をぱちんと叩いて、これからつく配置に向かった。
*
もうすぐお昼になる時分。
レイラが廊下を歩いていると、背の高い、見るからに偉そうな騎士に声をかけられた。
「ルーエン! この部屋の箱を執務室に運んでおいてくれ、急がなくていいからな」
「承知いたしました」
レイラは部屋に入って箱を確認する。三つ運べばいいようだ。
一気に行けるだろうかと積み上げて、よいしょっと持ち上げる。持ち上がったが、少し足元が見えにくい。大した距離でもないし、人が退いてくれるだろう。
楽観的に考えて、そのまま執務室の方に歩いていった。
「うわっなにやってるんですか」
途中、呆れたような低い声が耳に入り、腕が軽くなる。目の前には、取り上げた箱を持ったアランがいる。眉間にしわが寄っていて、怒りそうな雰囲気だ。そう思っていたら、
「ふらふらしていましたよ。荷物が多いのなら、二回に分けるとかしてください! 危険です!」
案の定、怒られた。随分と迫力がある。レイラは眉を下げてしゅんとした顔で縮こまる。
「ご、ごめんなさい……」
どっちが先輩だろう。
はぁとため息をつくアランを見る。
失敗した。まさかアランに会うなんて。レイラは横着しなければ良かったと後悔するが、もう遅い。
「これ、どこに運ぶんですか?」
「執務室に」
「わかりました」
背中を向けたアランに、急いで声をかける。
「えっ? 待って! 私も待ちます!」
「じゃあ、ひとつだけ持ってください」
「……わかりました」
今度はおとなしく箱を一つ受け取った。
執務室のドアを叩くが、返事がないので、レイラは勝手にドアを開けてみる。
「失礼します。……誰もいないのかな? まぁ、いいや、置いていっちゃいましょう!」
レイラたちは机の前に箱を置いて、部屋の外に出ていった。
ここまで来てくれたアランに笑顔でお礼をする。
「ノースさま。助かりました。ありがとうございます」
「いえ、でも、ああいうのは危ないのでやめましょうね」
「はい」
アランは心配性なのだろうかとレイラは思う。
雑談しながら、歩いていると、
「ぅあっ」
盛り上がっているところに足が乗ったようで、バランスを崩して前に倒れてしまう。迫る床に身構えるが、身体は途中で止まった。
代わりに、レイラのお腹に圧迫感がある。そこにはアランの鍛えられた腕があった。
そのまま引き寄せられ、アランの顔がレイラの顔に近づいてくる。足が微妙に浮いていて落ち着かず、レイラの頬が朱に染まった。
「大丈夫ですか?」
「ひゃっ……ちっ、ちかっ!」
こんなに異性に近づいたことのないレイラは動揺しすぎて、しっかり言葉を返せない。
アランは気にしていないのか、そのまま、レイラをじっと見て声をかける。
「足ひねってません?」
「……えっ、と…………」
そう言われて、足首が熱を持ち始めていることにレイラは気づく。一瞬迷って、眉を寄せると、アランはレイラの膝の下に腕を通して横抱きにする。
急に態勢が変わり、驚いたレイラはアランの服を掴んだ。
「わっ! 大丈夫ですよ! 一人で歩きますから!」
「だめです!」
アランの言葉はいつもより語尾が強い。レイラは眉を下げて申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「……さっきから本当にご迷惑をおかけしてすみません、ありがとうございます」
「迷惑ではないですよ」
軽く笑みを浮かべてアランが答えてくれる。
恥ずかしいところばかり見せているレイラは、せめてお礼をしようと考える。
「なにか埋め合わせをさせてください」
「……休みの日に、手作りのお菓子を持ってきてはくれませんか?」
アランは少し考えてからそう言った。
レイラは目を丸くする。レイラはお菓子作りが好きだから構わないが、素人お菓子でいいのだろうかと小首をかしげた。
「そんなのでいいんですか?」
「はい」
「どこで渡した方がいいですか?」
だれかに見られたら、嫌かもしれないとレイラは配慮したつもりだ。
アランは緩やかに口を開く。
「私の部屋に来てください」
「はい! え、ええ!?」
まさかのお部屋訪問が決まってしまった。
アランに本当にそれでいいのかは聞かない。
レイラはお祭りを待つ子供のように、騒いでしまいたくなった。
*
雲の少ない晴れた綺麗な空。小鳥のさえずり。
柔らかに吹く風に葉や花が気持ちよさそうに揺れている。
レイラ・ルーエンは鼻歌を歌いながら、お菓子を袋に詰めていく。そんな様子を見ながら、彼女の同室のアメリア・ミラーはレイラが余分に作ったマドレーヌを皿の上に置き、コーヒーを飲んでいる。
「よく約束取り付けられたわよね」
「ほんとだよ。ノースさまから自分の部屋はどう? なんて言われるとは思わなかった」
今日はアラン・ノースとの約束の休日だ。
「女子力見せつけるチャンスね! いつもがさつなんだから、今日くらいはいいとこ見せなきゃ!」
レイラは、友人にかける言葉にしては辛辣だなぁとくすくす笑う。すると、アメリアがにやりとなにか企むような笑みを浮かべる。
「髪もそんな1つ結びじゃなくて違う風にしましょ! 服も選んであげる! あと化粧も少しはするわよ!」
アメリアの申し出にレイラは嬉しく思うが、普段そういったことをしないので笑みがひきつる。
「あんまり可愛らしすぎる服装にしないでよ?」
「あー、そうね、わかったわ! じゃあ、これなんてどう?」
アメリアが取り出したのは青色のワンピースと灰色の肩にかける大きな布だった。アメリアはよくふわふわした可愛らしい服を出してくるので、珍しい組み合わせにレイラは眉をひそめる。
「なんでそれ?」
「そりゃ、ノースさまが青目の銀髪だからよ! これにすれば、好意がありますってレイラが言葉にできなくても言ってるようなもんでしょ?」
レイラは顔がかあっと熱くなるのを感じた。
アメリアがレイラのことをよく知っていて、協力してくれているのはとてもありがたいが、アメリアの思い切りのよさにレイラは目を見張ってしまう。
「ええっ! それ恥ずかしすぎるよ!」
「大丈夫、似合うわよ! 落ち着いた雰囲気になるわ!」
「そうじゃない! せめて肩掛けは白があるから、それにしようよ」
アメリアはまた服を取りに戻る。
「えーと? あ、だめだわ。白いの洗濯で回してる」
「う、うそ!?」
「やぁね、嘘じゃないわよ」
レイラはアメリアの態度が白々しく感じる。友達想いで放胆なアメリアのことだ。もしかして……。
「謀った?」
「……な、なんのことだか」
にこりと笑顔を作るのを見て、レイラは確信する。
「もー、私のこと考えてくれてるのは分かってるけどぉ」
「ごめんって。そんなふてくされないで。可愛い顔が台無しよ」
アメリアはレイラの頬を両手で包み込んで囁いた。
うっ、美人だなぁって思いながらレイラはふふっと笑って言い返す。
「こういう時だけ褒めるんだから」
アメリアはあははっと笑って頭に手をやった。
「せっかく選んでくれたから、それで行く! というか、時間ないから早くしよ!」
アメリアに渡された服に着替えて、アメリアに桃色の髪を横が三つ編みのハーフアップでおだんごにしてもらう。
薄く化粧をして準備が終わった。
「じゃあ、行ってくるね!」
「健闘を祈るわ」
「ありがと!」
*
呼び鈴を鳴らすと、ガチャリとドアが開いた。
出てきたアランは、レイラを見てなぜか目を丸くした。
レイラはにこりと笑顔を浮かべて挨拶をする。
「こんにちは!」
「……っ、こんにちは」
アランは言葉に詰まったのか、やや遅れて返した。
「えと、とりあえず、中へどうぞ」
「お邪魔します!」
シンプルな家具が多く、綺麗に整頓されている部屋だ。
「座っていてください。茶をいれますね」
「いえ、私も」
荷物を置いて、お菓子を持ってアランの後ろについて行く。
「お皿ありますか?」
「その棚から取ってください」
小さい皿を二枚、大きな皿を一枚、フォークを二本とる。
「普段、人を部屋に呼ばないので長椅子が一つしかないんです。すみません」
「いえ、大丈夫ですよ」
(普段呼ばないのに私を入れるってどういうこと!? 自惚れていいのかな……?)
レイラの内心は騒がしくなりながらも、ゆっくりと長椅子に腰を下ろした。持ってきたお菓子を並べていく。
アランはお菓子を見て目を見張った。
「そんなに作ったんですか!?」
「ふふっ! そう! 凄いでしょ!」
今回は、頑張った。チーズケーキとマドレーヌとクッキーを作ったのだ。
「凄いです! 時間かかったでしょう?」
「まあね!」
レイラは褒められて、上機嫌になる。
「ほら! 食べてみて!」
満面の笑みを浮かべたレイラは、マドレーヌをフォークに刺して、アランに向けた。
「……えっ!?」
アランは驚いた表情で動きが止まる。そんなアランを見て、レイラは自分がとんでもないことをしていることに気づき、顔を真っ赤に染める。
「……あっ…………ま、間違えまっ!?」
レイラは手を下げようとしたが、手首を掴まれ固定される。そして、フォークの先に刺さったマドレーヌは、アランの口の中に消えてしまった。
アランの頬が少し赤く見える。レイラは瞬きしているのかと思うほどに、目を見開いて動かない。
ごくりと飲み込んだアランは、目を細めてゆったりとやさしげな笑顔を浮かべる。
「美味しい。ありがとうございます」
「…………っはい」
レイラは顔が熱くて、離された手でぱたぱたとあおぐ。それを見ているアランはくすくすと笑って、クッキーに手を伸ばす。
「はい、お返し」
「え? ……むぐっ」
クッキーを唇に付けられたので、そのまま口に含む。唇に軽く指があたり、気恥ずかしさを消すように、さくさくと咀嚼する。
アランは嬉しそうにほかのお菓子を食む。
「どれも美味しいです!」
「ふふっ。喜んでもらえて嬉しいです」
レイラは頑張って作った甲斐があるなと頬を緩めた。美味しいと言ってもらえると、作った方も嬉しいのだ。
「甘いもの好きなんですね?」
「好きだけど、店には行けないんです。実家なら使用人に頼むんですけど」
「ああ、だから……」
お礼がお菓子なのはこういうことか。滅多に食べられないのなら、こういう機会を利用するのも手だよなとレイラは納得する。
「普通の料理もできるんですか?」
「できますよ。いつ、どうなってもいいように、勧められて習いました」
レイラの両親は変わった人たちなのだ。男を胃袋から掴めとかも言われたなぁと、ふと思い出す。
「じゃあ、同室の方も喜びますね」
「いつも美味しい、美味しいって食べてくれます」
アメリアは、何杯でもいける! って、大口開いてかなりの量を食べるのだ。太らないので、そのカロリーはどこにいったのか不思議である。
「羨ましい。是非俺も食べたいです」
「言ってくれれば、いつでも作りますよ」
「嬉しいです」
レイラはと無邪気な笑顔をアランに向ける。
和やかな雰囲気で話せていて、レイラは内心でガッツポーズをする。
「ノースさまは、お料理しますか?」
「いや、できないよ。父に教わった動物や植物の男料理くらいしか知らない」
「豪快な鍋ですね! 私、今動物のさばき方を本で勉強しているんです! いつかご一緒させてくれませんか?」
レイラは料理に関して、色々なことをしてみたいと思っている。その好奇心に突き動かされ、迷惑とか考えずに、思ったことを口走っていた。
アランはきょとんとして首を傾ける。
「え? 動物の?」
「はい! 一度は自分でやってみたいんです!」
「いいけど。変わってるなぁ」
「ほんとですか? ありがとうございます! あと、好奇心旺盛だと言って欲しいです」
肩を震わせて笑っているアランを尻目に、レイラはクッキーを口内に放る。
笑いが収まったアランが、残念そうな声で話す。
「五年くらい前に、菓子を作ったことあるんです。でも、真っ黒になっちゃって、材料が無駄になったと出禁になったんです」
「それは、お気の毒ですね。…………今度、一緒に作ります?」
レイラはひらめいたことをおずおずと声に出した。アランは目を見開いて、笑みを浮かべる。
「いいんですか?」
「はい!」
「じゃあ、お願いします」
「私が教えるからには、ノースさまをお菓子作りが得意になるようにしてみせます!」
レイラは立ち上がって、自信満々な堂々とした笑顔で拳を握る。アランはふはっと吹き出すように笑った。
「頼りにしてます」
何気ない会話で二人は笑う。そんな楽しい和やかな時間を過ごした。もっと二人で話していたい、そう思っても、太陽は待ってはくれない。
「そろそろ帰らなきゃですね」
「あ、送りますから」
「一人で大丈夫ですよ?」
アランは真剣な表情で、レイラの肩を掴む。レイラはなんだろうかと首を傾ける。その緊張感のない顔は、あどけなく、何もわかっていないことをありありと示している。
「ダメです! そんなに可愛いあなたを一人で帰すわけにはいきません!」
「か、か……?」
レイラは目を見開いてぱくぱくと口を開ける。一目でわかるほど、動揺している。アランはほんのり赤くなった顔を、引き締めて、しっかりとレイラを見る。
「可愛いです。ルーエンさまが入ってきたとき、すぐに言えなくてすみません。迎えに行かなかったことだって後悔しているんです」
レイラは自分の顔が真っ赤であろうことを自覚する。アランは一瞬、床にに視線を落としてから、
「俺が言うのもおかしいけど、一人で男の部屋に入るのは危険です。他の男にはしないで欲しいです」
レイラは俯いて、声を絞り出す。
「…………ぅん」
アランは、耳まで赤くして頷いたレイラに、満足して、出る準備を始めた。
残されたレイラは、赤い顔を隠すように手を当てて、うずくまっていた。
*
アランと会った日の夜。
アメリアは心配そうな顔で、レイラに聞いた。
「今日どうだった?」
服を選んだアメリアは、レイラが出て行った後、やりすぎだったかもしれないと反省していたのだ。
「えっと、とても楽しかったよ」
顔を赤くしたレイラに、アメリアは驚きつつ、ほっと胸をなでおろす。しかし、なにかあったように見えるので、アメリアは追求する。
「なんか進展があったの?」
「進展? は、ないよ」
レイラが少し考えて答えると、アメリアは眉をひそめて訝しげな表情になる。
「何かあったんでしょ?」
「いろんな表情が見れて嬉しかったんだ! それにね! お菓子美味しいって、可愛いって褒めてくれた!」
上機嫌でにこにこ笑っているレイラ。無邪気な様子にアメリアはほっとする。しかし、引っかかる言葉がある。
「いろんな表情? ノースさまって表情変わるの?」
「え? よく変わるよ? 笑ってることが多いけど」
アメリアは目を見開いて唖然とする。
「…………笑う? え、あの目が笑ってない笑顔のこと?」
「そんな顔する?」
認識が違う、とアメリアは眉間にしわを寄せる。
レイラは険しい表情のアメリアを見て、首を傾ける。
「……どうしたの?」
「んーん、なんでもない。良かったね、褒めてもらえて! 私一押しの料理人だものね。それに、今日のレイラは私の力作よ?」
「やだ、照れる〜」
レイラはほっぺに手を当てて、冗談めかして笑った。
*
レイラは訓練場の入り口に人がいるのに気づく。
銀髪のあの後ろ姿はアランだと思い、声をかけようとする。
「ノースさ……」
レイラは絶句した。アランの影にもう一人いたのだ。豪華なドレスを着た少女とアランが抱き合っている。
途中まで呼んでしまったので、アランが顔だけ振り返り、レイラを見て目を丸くする。よそ見をしたアランを少女が高い声で呼ぶ。
「アランさま!」
「し、失礼しました!」
そう言って、レイラは走って二人の横を通り抜けていった。
「まって!」
アランの声は、レイラの耳には届かなかった。
*
走り抜けたレイラは、そんな青ざめた顔で訓練に参加するなと団長に言われ、許可を取り、休憩室に行った。
レイラの目には涙がたまっている。紅茶を飲んで落ち着こうと、震える指でかちゃかちゃとゆっくり用意する。
アランに抱きついていたあの少女は、十五か十六歳に見えた。少女は綺麗系の美人で、アランと並ぶとお似合いだろう。
少女は名前で呼んでいたので、もう恋仲か婚約者だろう。遅かった。視界がぼやけて、手元が見づらい。
一目惚れから始まった恋は、いつの間にか、本気の恋に変わっていた。胸が張り裂けそうなほど苦しい。
こんなことなら、早く告白すれば良かった。好きの二文字、たった二文字を言えていたなら……。
レイラは足の力が抜けて、うずくまる。
「……すき」
ガンと大きな音を立てて、ドアが開く。レイラはびくりと肩を揺らす。
「はぁ、探しました。」
レイラは、声の主が誰だかすぐにわかった。アランの顔を見れなくて、レイラはうつむき、腕で覆う。こつこつと音を立てて歩いてくるのが分かる。
「誰も教えてくれないので時間がかかりました。……ルーエンさま?」
「彼女は、いいの?」
レイラはこもった小さな声で問う。
「あの人は、ただの他人です」
「抱き合ってた!」
顔を上げて、隣にいるアランをきっと睨むようにみる。アランは困ったような顔をしている。走ったのか、額に汗がにじんでいる。
「俺の手の位置、見ましたか?」
「……わかんない…………、でも、名前」
レイラは動揺して、二人の手元なんて見ていない。二人の近さと少女の顔に目が釘付けになっていたから。
「あれは告白してきて断ったら、抱きついてきた気色の悪い女ですよ。勝手に名前も呼ぶようなね」
アランは心底不愉快そうに顔を歪めて、冷たい声で言い放った。今まで見たこともない冷たい態度に、レイラはびくりと震える。しかし、口から溢れる言葉は止まらない。
「……なんで、なんでここにきたの!! なんでそんなこと言うの! 意味わかんない! なんで、なんで!」
大粒の涙を流しながら叫ぶレイラを見て、アランは苦し気に眉を寄せる。
「なんでばっかりですね、はっきり口に出さなかった俺が悪かったです。聞いてください」
アランは真剣な表情で、レイラの涙が伝う両頬を両の手の平で包む。レイラは眉間にしわを寄せて苦しそうに顔を歪め、か細い声を出す。
「ゃ、やだ」
「……好きです。俺は他の誰でもないレイラ・ルーエンが欲しい。婚約していただけますか?」
目にたまった涙が大きく揺れ、一層レイラの顔が歪められる。
「返事は?」
「……本当に?」
念を押して聞くと、アランの目は何かを思い出すように細められる。アランは、レイラの目の端にたまった涙を指で軽くなぞる。
「一目惚れだったんです。節度を守っていて、元気いっぱいで、無垢なところが好きです。くるくる変わる表情が愛らしい。放っておけなくて目が離せなかった。レイラ・ルーエンの綺麗な朱色の瞳に誓って、あなたを幸せにします」
「……わっ私もっ……、すきっ! ………いっしょに……いたいっ」
熱烈な告白にレイラは、きらきら光る涙を溢れさせ、嗚咽まじりに、言葉を声にする。
アランは心底嬉しそうな微笑をうかべ、愛おしい宝物を見るようなやさしい目でレイラを見つめる。
「嬉しい、キス、していいですか?」
「んっ……」
返事はさせてくれなかった。
はじめてのキスは甘くてしょっぱかった。