[00-02] アマルガルム族のネネ
〈荒野の魔王領〉は、『銃と魔法のファンタジー世界』を舞台としたVR多人数参加型ゲームだ。
プロローグムービーで語られたところによると――
異世界〈ジ・アル〉は〈人魔戦争〉と呼ばれる大戦で荒れ果てていた。
大陸中央の『魔王領』に住んでいた魔族が、全世界への侵攻を開始。
暴力と魔力の前に成す術がない人族を救うため、守護女神が『御使い』と呼ばれる勇者を送り込んだが、それでもなお魔族の勢いを止めることはできなかった。
そこで、人族は叡智を結集。施条式銃火器の開発と普及により、ついに攻勢へと転じた。破竹の勢いで領土を取り戻し、最後は御使いの魔王討伐によって戦争終結を迎えることができたのである。
それから三十年もの月日が経ち――世界は未だ混沌としている。
人族は旧魔王領の開拓を巡って争い、魔族は抵抗派と融和派とで分断。平和とはほど遠い情勢だった。
わたしたちプレイヤーは、そんな無法地帯の登場人物となって冒険するのだ。
「おー……」
歴史ドキュメンタリー風プロローグムービーにぱちぱちと拍手。
と、満足するには早すぎる。ゲームはまだ始まっていないのだから。
わたしの足が木の床を感じ取る。どこかに立っている。そう認識したのをきっかけに、五感が働き出した。
このゲームはヘッドギア型シミュレーターを用いて遊ぶ。
物体に設定された『手触り』や『色』を電気信号に変換して、脳にぴりっと伝達。VR空間を現実と誤認識させるデバイスだ。
繋がりのない場所に転送されたときには、膨大な情報の流入に晒される。暗いトンネルを抜けて目が眩むのに似ていた。
しばらくして、正面に立つ人影の輪郭がはっきりしてくる。
「……って、鏡か」
鏡に映るわたしは、リアルとほとんど同じ姿である。
高校一年生にもなってまだ中学生と間違えられる低身長。肩に届くか届かないかの長さで維持している髪。客観的には、控えめな容姿と言えよう。
なのに、ゲームでデフォルトのコスチュームがあまりに大胆で、その似合わなさにびっくりしてしまう。動物紹介番組の解説お姉さんみたいな恰好だ。
視界――網膜――脳内に文字が浮かび上がる。
《『あなた』の姿を作成してください》
ここは古い衣服屋の試着室を模したアバターメイキングの空間らしい。
このままの姿でもいいけれど、折角のゲームだ。自由な空想を楽しもうではないか。
「どうしようかな」
体のコントロールには思考操作方式が採用されている。『動け!』と思えばそのとおりに動くので、リアルでは椅子にゆったり座ったままである。
視界にはアバター作成に必要な項目一覧も表示されていた。
まずは名前の登録――そう考えると、入力欄が最前面に浮上する。
「『ネネ』、っと……」
性別設定も女の子のままでよし。
次に設定するのはキャラクターの種族だ。
これがとても悩ましい。異世界〈ジ・アル〉にはファンタジーならではの種族がたくさん存在していて、それぞれに身体能力や特殊技能が設定されているのだとか。
その差異についてゲームに疎いわたしがわかるはずもなく。ひとまず、種族説明を読みながら考えようか。
最初から選択されている『ヒュマニス』。
リアルのわたしたちと同じヒトであり、〈ジ・アル〉の人口過半数を占める種族だ。
平均的な能力、平均的な技能、高い社交性とあるので、『なんにでもなれる』のが長所なのだろう。
次は『エルフ』。
神秘的な森の奥で閉鎖的な社会を形成していた、不老長寿の種族だ。長く尖った耳がなかなかセクシーだと思う。
〈人魔戦争〉では、森を守るためにヒュマニスと共闘。それがきっかけとなって外の世界に興味を持つエルフが急増したらしい。
エルフは虚弱体質の代わりに、道具を扱う器用さ、『精霊』と交信する精神力が高い。視力と聴力が優れているのも強みである。
その次は『セリアノ』。
獣の精霊――『霊獣』の加護を受けた、獣の身体的特徴を持つ人である。
たくさんの部族が存在し、住む場所も暮らしも様々なのだが、他の種族からは『セリアノ』とひと括りにされやすいとある。
プレイヤーは用意されている出身部族からどれかひとつを選べるのだけど、
「あ、これ……いいな」
鏡の中で起こる容姿の変化を眺めているうちに、ぴんと来るものがあった。
他には『ドワーフ』『オーク』『ドラウ』『デモニス』といった種族が選択できる。
ドワーフはヒュマニスに友好的だが、エルフとは反目しがち。
発明好きの技術者にして炭鉱の労働者でもあり、その姿は低身長ながらも筋肉もりもりだ。女の子の姿はぷにころっとしていて、マスコット的な可愛さがある。
オークはエルフと同じ祖先を持つのに、『悪霊と交信する』『姿が醜い』という理由で森から追放された種族だ。
あちこちで迫害を受けながら魔王領に流れ着くと、屈強な戦士として魔族に歓迎された。〈人魔戦争〉では人族相手に大暴れだったそうだ。
ドラウは人族に近い姿をしているが、全く異なる生物――魔族である。
魔族でも大多数を占めるドラウは、青い肌、黒曜石のような眼球を特徴としている。長い耳はエルフのものと違って捻じれた形だ。
体内に宿した『魔力』と呼ばれるエネルギーを放出し、爆発や落雷を引き起こすことができる。ただし、発動には長い詠唱時間を必要とする。その弱点を突くために、人族は新型ライフルを開発したのである。
デモニスは、ヒュマニスとドラウの混血で、両者から忌み嫌われている存在だ。純血ほどではないにしろ魔力を有している。
現在の旧魔王領は人族社会が主で、魔族勢力を選んだ場合にはコミュニケーションが難しくなると警告されている。上級者向けの種族なのだ。
「これで全部かな……?」
改めて考えてみよう。わたしはゲーム初心者なので、簡単そうな種族がいい。それを踏まえても、ファーストインプレッションは大事。
ということで選んだのは、
「セリアノ!」
である。
続いて細かい容姿の調整を行う。
まずは部族と信仰する霊獣を選択する。視界に表示される動物のイメージは、どれもカッコよかったり可愛かったり。
その中で特にわたしが気に入ったのは、『アマルガルム』という狼の霊獣だ。
人間の頭なんて簡単に嚙み砕けそうなくらい大きくて、風になびく赤い体毛は威厳たっぷり。悪そうな目つきがとってもキュートである。
霊獣を決めると、わたしの頭にぴょこんと狼の立ち耳が生えた。代わりにヒトの耳を失ったが、細かい音の聞こえ方が全然違う。聴力が上昇したのだ。
鼻も利くようになった。部屋に満ちた木材の香りがさっきよりも濃く感じられる。おばあちゃんの家を思い出す匂い。
お尻がむずむずすると思ったら、ずりゅん。ふさふさの尻尾が生え伸びた。となると、パンツはどうしても尻尾を出せる物しか履けなくなるワケで。
「大丈夫。これはゲーム。下着は見えても、それ以上はなし」
ええい、わたしは狼少女になるのだ。恥ずかしがっていないで、どんと開き直ろうではないか!
クローゼットには衣装のテンプレートが用意されている。
リネンのブラウスとデニムショートパンツの組み合わせなんかいいかも。野性味三割増しで、耳と尻尾にも合う。
アクセサリーは元から下げている牙の首飾りだけでいい。
そこにフードつきのマントを加え、てるてる坊主に変身。裾がぼろぼろで、荒野の放浪者っぽくなった。
服装はこんなところだろうか。いっそ、髪色も弄ってみようかな。
アマルガルムの毛色に見習って、黒髪にほのかな赤みを加える。肌も少し日焼けさせたら、瞳の色は透き通った緑色にしてみた。ばっちり。
体型はこのまま。リアルからかけ離れると、感覚の違いに悩まされるからだ。わたしにとっては初めてのVRゲームで、できるだけ操作には慣れたい。余計な苦労を負いたくなかった。
放浪者に必需品の武器も、ここで貰えるみたいだ。
テーブルの上に並べられているリボルバー、ライフル、ショットガンの中から、どれかひとつを選択できる。
わたしはこの手の物にとんと疎い。それに、博物館に置いてありそうな古めかしい銃ばかりで、最良の選択なんてできようはずがない。
ゲームからのオススメによれば、アマルガルム族に向いているのはリボルバーかショットガンだそうな。それなら、リボルバーかな。
棚に置いてあったガンベルトとホルスターが宙に浮き、わたしの腰にするすると巻かれた。そこにリボルバーと大きなナイフがセットされる。
改めて鏡を覗き込んだわたしは、あまりの決まりっぷりに目を丸くした。
すごい! どこから見ても、流しの銃使いだ!
くるっと一回転。揺れる耳と尻尾。赤髪の狼少女。
これが〈荒野の魔王領〉に降り立つ『わたし』、アマルガルム族のネネである。
「カッコいい……」
VRサービス用のアバターは今までも色々作ったけれど、未だかつてないほどワイルドでアクティブなアバターが完成した。最終確認も承諾。
どこかで鐘が『がらぁん、がらぁん』と鳴り出した。冒険開始の合図だ。
わたしは意気揚々と試着室のドアノブに手をかける。が、ドアは押せども引けども動かない。……これってもしかして、密室に閉じ込められてる!?
「あの! 出れないんですけど! 誰かいませんか!? もしもーし!?」
大声で叫んでも、ドアを叩いても、反応なし。こうなったら体当たり――
と、わたしの背中を何かがぐいっと引っ張った。
部屋には他に誰もいなかったはず。恐る恐る振り返ったわたしは猫みたいに、いや、狼みたいに飛び上がって驚く。
なんと、姿見の鏡面が真っ暗闇になっていた。その闇がブラックホールみたいにわたしを引きずり込もうとしているのだ。
抗おうとするも、わたしの軽い体はすんなり鏡に吸い込まれる。あっという間に上下がどちらかわからなくなって、試着室から差し込むひと筋の光も見失ってしまった。
「ねえ! これ大丈夫!? ゲーム始まる!? みんなこうなの!?」
我ながら情けない悲鳴が虚空に沈んでいく。手足をばたばたさせても意味がない。このまま暗闇に押し潰されるのではないか。シミュレーターを取り外すべきか。
そんなわたしの不安を払うように、頭の中でシステムボイスが響いた。
《存在の生成、及び因果律の修正、完了》
《異世界〈ジ・アル〉へようこそ、アマルガルム族のネネさん》