[00-01] 〈ジ・アル〉へようこそ
《存在の生成、及び因果律の修正、完了》
《異世界〈ジ・アル〉へようこそ、アマルガルム族のネネさん》
女性の声がわたしの五感を『現実』に引き戻した。
抱え込んだ膝から顔を上げる。どうやら、狭苦しい物置の隅っこで寝ていたらしい。でも、どうしてこんなところで?
物置、というのも違うようだ。木の骨組みに大きな覆いを被せているので、テントが正解だろう。布に染みついた砂埃の匂いが、校庭の体育備品倉庫を連想させた。
にしては、地面が激しく揺れる。ひどいときには体が浮いて、ごとん。鈍い痺れがじんわりとお尻に広がった。
いてて、と手を腰の後ろに回した、そのとき。向かいで何かがごそりと動く。
どきっとして見ると、男性が窮屈そうに座っていた。無精ヒゲを生やした、映画俳優さながらにカッコいいおじ様である。さりげなく腰のリボルバーに手を運んでいる。この人もガンスリンガーなのだろうか。
ぱちりと目が合い、わたしは慌てて視線を逸らした。光差すほうからずっと聞こえている『かぽっ、かぽっ』という音が気になる、という風を装って。
わたしたちに背を向けて座る太っちょなおじさんと、その手に握られた革紐が目に入った。何に繋がっているのかと追うと、たてがみを揺らして歩く動物の背中に辿り着く。
……ああ、そういうことか。ようやく状況を理解できた。
わたしは幌馬車に乗っているのだ。革紐を持つおじさんは御者さんで、ガンスリンガーのおじ様はわたしと同じ乗客――といったところだろう。
ただし、この馬車は荷物を運ぶのが主目的らしい。周りに積まれた木箱からは果物と野菜のいい匂いが溢れている。
もっと耳を澄ませば、木々の葉っぱが掠れる音や鳥のさえずりも聞こえた。馬車が進んでいるのは森に拓かれた道のようだった。
目覚めたばかりで落ち着かないわたしに、ガンスリンガーのおじ様が話しかけてくる。
「よお。町ならもうすぐ着くぜ」
困った。どう返事をしたものか。
悩んでいる間に時間の流れが遅くなり、先ほどの女性の声が頭の中に響く。
《キャラクターに意識を向けると、情報にアクセスすることが可能です》
新参者向けの助言に従うと、おじ様の表面的な情報が目に浮かんだ。
《ジェイソン・〈報復者〉・ジェイムズ》
《NPC:ヒュマニス Lv:??》
名前に挟まっているのは、『通称』とか『ふたつ名』とかいうヤツだろうか。レベルがよくわからないのはどうしてだろう。
黙っているわたしに対し、ジェイソンさんはなおもコミュニケーションを試みる。
「ずっとフードを被っているが……同じ馬車に乗り合わせた縁だ。そろそろ、お前さんの顔を見せてくれてもいいんじゃないか?」
仲よくなりたい、というよりも、わたしの素性を探っているみたいだ。
《ノンプレイヤーキャラクターは誰もが固有の人格を持っています。彼らにどう接するかは『あなた』次第。対応するもよし。無視するもよし。『あなた』にお任せします》
そういうことなら――わたしはフードを脱ぎ、狼の立ち耳をひょこっと出した。
こちらが異種族であるとわかって、ジェイソンさんは眉をひそめる。
「獣人……」
気まずい空気はほんの一瞬。すぐに『にかっ』と笑ったジェイソンさんは、わざわざハットを取ってお辞儀してくれた。
「いやはや、まさかこんな可愛らしい娘と一緒だったとはな。こいつは失礼した」
……可愛い? わたしが? それがお世辞だとしても照れてしまう。でへへ。
「俺はジェイソン・ジェイムズ。今さらだがよろしくな」
「えっと、わたしは――アマルガルム族のネネです」
ところが、またもや微妙な反応を誘発させてしまう。
「……アマルガルム族だと?」
わたしの生まれの何に引っかかったのだろうか。ジェイソンさんは表情をごまかすようにハットを被り直した。
「故郷を飛び出して冒険中、かい?」
「そんなところ……ですかね?」
「いいじゃないか。今の『魔王領』は衛兵のいない宝物庫みたいなもんさ。近頃はお前さんのようなセリアノだけじゃなく、エルフやドワーフまでお天道様の下を歩いてら」
そこでジェイソンさんは声色を落とす。怪談話のノリだ。
「しかし、魔族どもには気をつけろよ。オークは粗暴。デモニスは狡猾。ドラウは冷酷だ。そいつらに比べたら、俺なんて紳士と言ってもいい。ま、アマルガルム族のお前さんには余計な忠告かもな」
「あ、あはは……」
ジェイソンさんは魔族を嫌悪しているらしい。わたしは調子を合わせて笑っておくことにした。
――と、そのとき。
ぱん! ぱぱん! 馬車の外で、立て続けに破裂音が轟く。
驚いた馬がいななく。御者さんが手綱をぐっと引き、急ブレーキをかけた。
馬車の荷物が大きく揺れ、わたしは思わず頭を抱える。ジェイソンさんは木箱が崩れないように支えただけで、すぐに腰を上げていた。
「ギャングか!?」
ジェイソンさんの問いかけに、御者さんが青ざめた顔で振り返る。
「はい! 森の中から……ああ、こっちに来る!」
「……よし。他に誰もいないふりをしろ。『事』が始まったら、この中にでも隠れてな」
襲撃者の笑い声はすぐに聞こえてきた。ひとりやふたりではない。
「俺たちに出くわすなんて運が悪いなァ」
「死にたくなければ、じっとしていろよォ?」
この、いかにも悪者なセリフ! 『ギャング』って物騒な単語! わたし、事件に巻き込まれちゃってる!?
涙目のわたしを、ジェイソンさんが叱りつける。
「おい。腰の物は飾りか? お前さんにも手伝ってもらうぞ」
「手伝うって、何を――」
「決まっている。正当防衛だ」
ジェイソンさんはリボルバーを持ち上げてみせた。ギャングと戦うつもりなのだ。
確かに、大人しく投降したところで見逃してもらえる保証はない。わたしはごくっと喉を鳴らし、腰に手を伸ばした。留め具がなかなか外れずに焦ったけれど、どうにかこうにかでリボルバーを引き抜く。
《キャラクター同様、アイテムを意識することで情報にアクセスできます》
自分が使う道具について少しでも知っておきたい。即、リボルバーを凝視した。
《ラーヴェン855》
《タイプ:リボルバー レアリティ:コモン》
装弾数は五発。弾薬はすでに回転弾倉に装填されている。
ジェイソンさんもこちらの手元をちらりと覗き込んだ。
「〈ラーヴェン〉のずいぶん古いモデルだな。親父の時代の物じゃないか。まあ、撃てるならいいが……いや、お前さん、銃を撃ったことは?」
「何度か……」
あまりにもか細い声を絞り出してしまった。ギャングがすぐ近くに迫っているというのに、ジェイソンさんは笑って肩を揺らす。
「しっかりしてくれ。銃ってのは簡単だ。弾を込めて、ハンマーを起こして、トリガーを引く。ばん! 相手は倒れる。わかったな?」
「は、はいっ」
「よし、ついてこい。後ろからそっと出るぞ」
荷台から飛び降りたジェイソンさんに、わたしも続く。どん、と土を踏み締めた衝撃が体を這い上がり、頭を痺れさせた。
撃てるのかな……生きてる人に向けて……。
いや、深刻に考えるな。これは現実ではない。この世界は仮想空間で、今からやろうとしていることはここではありふれた行為なのだ。
思い出せ。わたしが体験しているのはゲーム。
その名も〈荒野の魔王領〉。