第1章−5 猫の特権
一途に想う貴女をボクは想う。
「ほんとよく食べるわねぇ。碧…無くならないから、もう少し落ち着いて食べて」
「はミいっふぇんヘフか!こんな…ふまいもも…」
「もー、何言ってるの?」
口に残っていた一口をゴクリと飲み込み、グラスの水を一気に飲み干す。
「何言ってるんですか!こんな美味い物、食べるしかないっすよ!それに、この身体は随分消費が激しいみたいで、めちゃめちゃ食欲旺盛になります」
今日の夕食は、織姫様手作りの家庭料理の数々…。
いつも主人はさっと作れる簡単なものしか食べていなかったから、正直こんなにも料理が出来るとは思ってなかった。
「ふふっ、そう言ってくれると嬉しいわ。作りごたえあるし、誰かとこうして同じ食事を取るって幸せね…」
ああ、そうか。
俺が猫だったときは、一緒に食事をしていたとはいえ、こんなに向かい合ってとはいかなかったから。
「あ、別に猫の碧との食事の時間が不満だったわけじゃないから!もし碧がカリカリ食べたかったら、出してあげるからね!」
すかさず主人らしいフォローが入る。
「ハハハッ!ありがたい話ですが、もうこの身体は人の食事しか受け付けないようです。カリカリは、猫に戻ったらお願いします」
「あー、うん。そうだよね!ごめんごめん」
と、主人は困ったように笑って言った。
そして一つ咳払いをして、こちらを見た。
「あのね、碧…。これから人になったあなたと暮らす上で、ルールを決めましょう?」
「ルール?何です?」
「えーと、猫だった時は問題無かったけど、人の碧では問題あることはやめる…ってことで…」
「問題あること?」
「これからは、寝室でのベッドで一緒には寝ないこと、よ」
「えっ!何でです!?」
俺は思わず立ち上がった。
「も、もう、碧は人なのよ!?一応彦星様の妻なのに、他の男性と一緒に寝るのはさすがに無理よ!」
「それは…」すっかり盲点だった。
人として織姫様と一緒にいること自体、彦星様には申し訳ないと思っていたつもりだったが、まだ完全に猫の感覚が抜けていないようだ。
正直、あの温もりを手放すというのはかなり淋しい…。
「碧は隣の空き部屋を使ってちょうだい。ベッドも変わらずフカフカだし、気に入ると思うわ」
「…分かりました」
俺はがっくりとして、ヤケ食いの如く一つの皿をかき込んだ。
「う…ゴホッゴホッ…」
「あーもう、だからゆっくり食べてって…―」
主人が立ち上がり、俺の背中を擦ってくれる。
「あ、お水お水…」
と、同時にグラスの方に手を伸ばし、俺は主人の指先を掴んでしまった。
カランと弾みでグラスがテーブルに倒れる。
「あ、あの碧、それコップじゃなくて私の手だから…」
…分かってます、勿論。
「てか、お水入ってなかったね…入れなきゃ…。あの、碧?」
手を握られたままの主人が少し頬を紅潮させて慌てふためいている。
俺は喉詰まりが継続中で、もう片方の手で自分の胸を少し大げさに叩き、手を握っていることなど気付いてもいない素振りを振る舞った。
「碧、大丈夫?今水あげるから!」
主人はそう言うと自分から無理やり手を引き離し、手際よく水差しから水をグラスに注ぎ、俺の口元まで差し出した。
あーあ、もはやここまでか。残念。
俺は堪忍してグラスを受け取る。
主人ときたら、俺の下心など微塵も感じず、ただ安堵した表情をこちらに向けている始末。
参りました、ご主人様。
その夜、初めて一人で使ったベッドは確かにフカフカで寝心地が良かったけれど、やっぱり何かが足りなくて、なかなか上手く寝付けなかった。