第1章−4 関係
一途に想う貴女をボクは想う。
「いつまでソファの陰に隠れてるんですか。いい加減出てきてください」
「今日は織姫様の大好きな辛味噌肉まんを蒸しましたよ」
「うう…」
隠れているつもりだろう主人の身体がピクリと反応したのも、今の視界からは丸見えだ。
「いやーこの身体になったら何でも作れちゃいそうだなぁ…。青椒肉絲に回鍋肉、肉団子の酢豚風。あんかけ焼きそば、焼き餃子。小籠包もいいなぁ…。あ、デザートに杏仁豆腐用意してますからね!」
「全部私の好きなもの~~~…!!」
主人は半べそになりながら叫んでいる。
「肉まんは蒸したてが一番!っていつも言ってませんでした?」
「……ほんとに…本当に、碧なのね…?」
「だから、さっきから何度も言ってるじゃないですか」
「だって…そんな猫が人になるだなんて魔法みたいな…」
「魔力なら前から見てるじゃないですか、ほら」
俺はそう言うと、ホカホカに湯気が立った肉まんをふわふわと浮かせ、主人の頭上で踊らせる。
「……その力はそのままなのね」
主人は頭上に浮かぶ肉まんを目で追いかけながら、遠慮がちに呟く。
「はい。でも、それだけじゃありません―…」
「ひゃあっ!?」
隠れていた主人はあっという間に宙に浮いた。
当の本人は空中で溺れかけた人のように手足をばたつかせている。
「え!ウソっ!?浮いてる??何で!?ちょっと待ってー!」
「どうやらこの能力は体重に比例するようで…。猫の時はせいぜい40kgくらいが限界でしたが、この姿ではまだまだ余裕がありそうです」
肉まんは元のお皿の上に、そして主人は俺の腕の中へと誘う。
「ね?すごいでしょ?」
「す、すすす凄いことは、分かったから…!早く下ろして!これじゃお姫様抱っこじゃないの」
「織姫様を抱っこしてるだけですよ」
自分で言った屁理屈にクスクスと笑いつつ、離れていく温もりを惜しみながら彼女を椅子に座らせた。
顔を赤くして足をばたつかせる姿をもう少し堪能したかったけれど。
「でも、流れ星が直撃しただなんて、生きていることがまず奇跡って話よね」
「ええ、確かに…」
「碧が無事でいてくれて、本当良かったわ…」
食事を取りながら、少しずつ俺を受け入れ始めてくれていることに気付く。
さすが織姫様らしい。
しかし―
「で、何でこちらを見ようとしないんです?」
そのくせ、時折こちらをチラチラと盗み見てくることに俺が気づいてないとでも?
「そんなことないってば…」そう言って、主人は誤魔化すように2個目の辛味噌肉まんにかぶりついた。
「よりによって何でその姿なのよ……」
「今何と?」
「に、人間になったというのはまず良いわ。でも何で子供じゃなく、大人の男性で……しかも―」
「しかも、ゲームの推しキャラ『バハル・トウパーズ』にソックリなの!?と?」ニヤリと被せ気味に言う。
「なっ!!じ、自分でも気付いてたわね!?んもー!」
「当たり前じゃないですか。何度、バハルの画像やイケメンエピソードを見せられ聞かされたことか…」
「やーめーてー…」
顔を覆って悶える主人の姿につい笑い声を上げてしまう。
「…碧ってば、猫の時より意地悪じゃない?」
「心外だな~。俺は忠実なる織姫様の僕ですよ。あ、俺をバハルと思って、リアル恋愛シミュレーションゲームでもしてみます?」
「ば、バカなこと言わないでよ!」
「まあまあ。ほら、ゲームじゃ画面越しで触れられませんけど、今なら触り放題。温もりもちゃんとありますよ」
俺は主人をからかうのに夢中になっていたらしい。
彼女の傍に寄り、紳士よろしく片膝を床に下ろし跪く。
そして手を取り口元に近づけようとし…――
「やめなさいっ!」
「くっ……」
左頬に見事な平手打ちを喰らった。
「あ……。ごめん、冷やさなきゃ!」
「待って!」
慌てて抜け出そうとする腕を掴む。
「織姫様、申し訳ございません!」
さっきまでの紳士気取りはどこへやら。
俺は思いっきり冷たい床に額を擦り付けた。
「……昨夜から浮かれてて。何がどうなってるのか自分にも分からないけど、でも嬉しくて…。織姫様と同じように、人として向かい合えると思ったら……」
「顔を上げて、碧」
「は、はい…」
目の前には、しゃがみ込み静かに微笑む主人の姿があった。
「私も取り乱しちゃってごめんね。その、まだ私も混乱してて…。でも分かってほしいの」
「私は碧のこと一度も僕だなんて思ったことないし、推しキャラの身代わりにすることなんて絶対にないわ」
「織姫様…」
「そりゃ、ちょっと目の保養にくらいはするかもしれないけど…」
「織姫様?」
「ふふっ。でもすごいわね。黒猫の時もハンサムだったけど、人の姿になってもちゃんとイケメンなのね」
ドクンと音がした。
「……織姫様、お願いがございます」
「何?」
「昨日まで猫だったとはいえ、今はこの姿。彦星様のいらっしゃる織姫様の傍にいるとなっては、良からぬ噂も立ってしまうでしょう。もし、もしこのまま人の姿のままだったら…」
スッと織姫様を見つめる。
「もし、七夕までに猫に戻らなければ、ここを出て行きます。ですから、どうかそれまでは…。それまではお傍でお仕えさせてください!」
「碧……」
織姫様は困ったように軽く笑みを浮かべ、まるであやすように俺の頭を撫でた。
昨日まではごく当たり前だったはずなのに、どこか遠い記憶のように懐かしさが溢れてきた。
「バカね…。さっきも言ったじゃない。碧は僕じゃないって」
「私たちは家族でしょう」
ああ、そうだった。
すっかり忘れていた。
あの日のこと…。
『じゃあ、あなたの名前は碧ね。そして今日から私たちは家族よ』