いい加減、婚約者が親友だとそろそろ気づいてくれないか?
「ダリアは本当に素晴らしい奴だった……」
今日も、今回も……きっと次回だってそう繰り返すであろう10年来の親友を死んだ魚の様な目で眺めたダリアことラベンダは微笑む。
「まぁ、そうなんですね」
毎回、毎回繰り返させる話にうんざりしながらも心持ち、声のトーンを上げながら相づちを打つ。今日もまたいつもと変わらずに10年来の親友の話に相づちを打つのだ。
“毎回、毎回同じことを繰り返しやがってバカかお前は”
そう令嬢の見本の様な穏やかな微笑みを相手に見せつつも内心で盛大に毒づきながら。
「本当にアイツは脳ミソが筋肉で出来てるんじゃないか」
婚約者とのデートから屋敷に戻ったラベンダは盛大に舌打ちしながらも白い手袋を外すとベッドに投げ捨てる。そしてうんざりという表情を隠しもせず、どかりと部屋のソファーに腰を下ろす。その仕草は男性そのもので、女性らしさは一切ない。足を組む際にふんわりとスカートの裾が広がるも少女は気にしない。怒りに満ちた表情で帰宅した少女の後をついてきたメイドと乳兄弟の二人はそんなラベンダの様子に苦笑を浮かべる。
「ダリア様、お部屋だとはいえ……お言葉が崩れておりますよ」
そう控えめに椅子に座ったレモン色のワンピースを着た少女に意見するのは生まれた時から少女付きの侍女。若くして嫁いだが夫に先立たれ、困っていた所をこの家の当主に少女の為の侍女として雇われた。そしてその横の乳兄弟の母親でもある。長年の生活で染み付いた言葉を注意され、ラベンダことダリアは顔に渋面を浮かべる。
「ふん、10年来の親友が目の前にいるってのに未練たらしく俺のことばっかり話すアイツが悪い」
そう言い放ち、ラベンダは座っていたソファーから頭に被っていたヅラをベッドの上に投げる。そうすれば、ようやく結べる長さになった髪の少女が現れる。
「ダリア様!」
その年頃の少女らしからぬ行為に30代半ばを越えた乳母が慌てベッドに走る。投げられたかつらを心配して走る母を横目に乳兄弟であるライラックは肩を竦める。
「ダリア。今さらだろう?アイツが馬鹿なのは」
肩を竦めた少年はラベンダと同じ16才。生まれた時から一緒に育ってきた乳兄弟の言葉に嘆息し、ラベンダも肩を竦める。
「そうだったな。アイツに気遣いなんて求めた俺が馬鹿だった」
乳兄弟に言われるまでもなく、自分の10年来の親友が馬鹿なのは自分が一番知っていた。その事に気がついてラベンダは何とも言えない表情を浮かべた。
「アイツは死んだダリアの一番の友だったからな」
そう独白して……ダリアことラベンダは苦笑する。
……なぜなら
彼の一番近くにいて、彼の親友だったのは自分だったのだから。
……もうお気づきの方もいるだろうが……ラベンダとダリアは同一人物だった。だったと言うのはダリアが“事故死”し、その双子の妹であるラベンダのみになったから。
そんなややこしい事情を抱えることになったのはひとえにラベンダの3つ上に生まれた公爵家の嫡男の体が生まれつき弱かったからに過ぎない。男以外に家を継ぐ権利を持たないため、3つ下に生まれたラベンダは“ダリア”として公爵家の次男として育てられた。そう、生まれた時から“男”として。そんな経緯があって性別は“女”のラベンダが長年“男”のダリアとして生きてきた理由があったのだ。
「ですが、ダリア様がそんなに憤るのは珍しいですね」
そんな家の事情を周りに知られる訳にはいかないので、専属侍女としてつけられたのが乳兄弟の母であるイザベラだ。その質問に肩を竦めたダリアは呆れた表情を乳母に向ける。
「当たり前だろ?いくら目の前に死んだ親友の話ができる女がいて話したいのは分かるが、デート中にそんな話ばっかり繰り返されてみろ。普通の女ならとっくの昔に愛想を尽かしているさ」
デートから戻れば愚痴りはするが、馬鹿な親友の話に付き合う自分を労えと視線を向けるとイザベラは“まぁまぁ”と苦笑する。
「ゼラニウム様はダリア様のお話が出来ることが嬉しくて仕方ないのでしょう」
そう嗜める乳母にため息を追加し、ダリアはソファーから立ち上がる。
「ああ、そうかもな。分かった。アイツが馬鹿なのは変わりはしないが……許してやるさ。それよりもスカートがすうすうして気持ち悪い。着替えさせてくれ」
そう乳母に告げるとイザベラが腰に手を当てて、ラベンダを見上げる。
「分かりました。ですが……ダリア様、さっきからお言葉が崩れておりますよ」
長年、“男”として暮らしてきた少女が少年らしい仕草と言葉を使うのに乳母は注意した。
「イザベラは本当に細かいな」
“剣の練習をしてくる”という言葉をイザベラに残し、スカートからいつものズボンとシャツという軽装に着替えたダリアは乳兄弟のライラックを連れて部屋を出た。部屋にいれば“淑女たるもの”とお説教が乳母から飛んでくるのをダリアは長年の付き合いで理解していたから。ダリアの後ろを歩きながらそう愚痴をこぼす親友の言葉にライラックは嘆息する。
「それはお前が悪いんだろ。母さんが言葉づかいを注意しても一向に直さないんだからな」
そう苦言を呈せば、兄弟として生きてきた親友がこちらを振り返った。
「17年男として生きてきて、半年前に女としてデビューしたばかりの人間が女らしく振る舞えると思うか?」
その真顔での問いかけにライラックは言葉に詰まり、ため息を吐く。
「悪かった。無理だな」
「だろ?」
長年、悪友兼乳兄弟だったライラックの言葉にダリアは“ニヤリ”と笑いつつも視線を動かして窓に映る自分を眺める。そこにはダリアだった頃とは何ら変わらないハニーブラウンの髪と瞳を持つ少女が憂鬱気な表情で映っている。その姿を眺める度にダリアは思う。
「俺はきっと本当に“女”には慣れないさ」
長年、“男”として暮らしてきた自分にとって今更“女性”として生きていくのはハードルが高いことだった。
ダリアが消える事が決まったのは“半年前”
“女”に生まれた俺を“男”として育てることを決めた父親が真剣な表情で切り出してきたのだ。
「ダリア、お前にはすまないが……ラベンダに戻ってくれないか?」
そう切り出された時、ダリアの頭に過ったのは“喜び”だった。
「ついに兄上が家督を継がれることが決まりましたか?」
父親の執務室で二人、向き合っていたダリアは喜色を浮かべてそう父親に切り出した。そう聞いた娘に父親である公爵は複雑そうな顔で頷いた。
「ああ」
「おめでとうございます」
複雑な事情で男として育てられはしたが、公爵家の家族関係は悪くなかった。母親も元々、体が弱くスーノリア公爵家の子供は兄のプルメリアとダリアの二人兄弟だ。その為、家の為に男として育てられることになった自分にも優しい。
「プルメリア兄上が家督を継がれることが一番です」
偽りなく、そう答えてみて“ああ”と気づく。
「なら、ダリアはもう必要ありませんね」
「……すまない」
自分の言葉に申し訳なさそうに頭を下げる父親にダリアは首を振る。
「父上、男たるもの。家の為に命をとして当たり前です」
“男”として育てられ、教育を施されたダリアにとっては兄の家督に対して自分が邪魔になるのなら自分が消えるのが必要なら当然だと思っていた。
「お前はそれでいいのか!」
あっさり納得したダリアとは裏腹に表情を変えたのは乳兄弟のライラックだった。
「ライ」
吐き捨てるように叫び声を上げたその激昂具合に呆れた表情を向けると拳を力の限りに握りしめたライラックが悔しげに唇を噛み締めていた。
「お前が……お前がどんな気持ちと覚悟で生きてきたのか分かってるのか……」
その言葉にダリアは幸せだなと感じた。家の為とはいえ、“女”に生まれながら“男”として生きるのは大変だった。それは元々、女と男では体の作りも仕組みも違うから。ダリアが“男”として生きていく為に力を尽くしてくれたのは乳兄弟のライラックだった。
「悪いな……お前に報いてやれないな」
男として家督を継いだなら側近にと思っていたが、それは“女”に戻れば無理だ。しかし、優秀な乳兄弟なので父に頼んで兄の側近にしてもらおうと心に決める。
「安心しろ。父上にはライを推しておく」
そう長年、自分の為に尽くしてくれた悪友にそう声をかければライラックは“違う”と喉の奥から声を絞り出してきた。
「違うんだ。ダリア。お前が消えるということはお前が築いた関係が全て亡くなることになるんだ」
今にも泣き出しそうなライラックの言葉にダリアは笑みを浮かべた。
「ありがとう。ライ。でも、大丈夫だ」
自分が消えるということの重みに自分以上に嘆いてくれる友にダリアは満足気に微笑む。
「ダリアが消えてもお前やイザベラ。母上に父上。兄上が居なくなる訳じゃない。だから、俺は大丈夫だよ」
そう告げれば、親友が唇を噛み締めて顔を伏せてしまう。
「だが……………」
言葉にならない思いを抱えて嘆いてくれる友にダリアは嘆息する。
「だから泣かないでくれよ。親友」
静かに自分の為に泣いてくれる親友の頭を抱きしめてそう告げる。それは長年、“ダリア”として生きてきた俺の本当の思いだった。
「ダリア、またな」
そう言って、もう一人の親友が俺の名前を呼ぶのに振り返る。大型犬のようにがっしりとした体付きに人好きする笑顔を浮かべたこの男もライラックとは違う意味で長年付き合ってきた悪友の一人だった。
「また会おうな」
その言葉は“休み中に遊びに行こうな”という誘いだとダリアには分かった。
「ああ」
そう言って頷けば大型犬……違った。ゼラニウムが嬉しげに笑うのが分かる。ダリアよりも茶色の髪に朱金色の瞳が印象的な悪友。
「ゼラ」
“ゼラ”という愛称で呼ぶのが今日が最後だとは言えず、ダリアは親友の顔を眺める。
「ん?」
なんだ?と首を傾げる仕草にすら笑いが込み上げる。
「元気でな」
そう言葉にしてダリアは笑う。幼稚舎から長年友として過ごし、色々と三人で悪巧みもした。二人の別れを横でじっとライラックが眺めている。
「ライも」
「ああ」
珍しく言葉少ないライラックにゼラニウムが不思議そうにしているがダリアは嘆息する。
「行くぞ」
「ああ」
ライラックの促しに頷きながらもダリアはたまらずにゼラニウムの体を抱きしめる。
「ダリア!」
驚いた声が頭上から聞こえるがダリアは目を閉じる。
「元気でな。親友」
その言葉が届いたのはダリアには今も分からない。
今日も今日とて……この男はダリアのことを話す。あれから数日後。また婚約者として二人で絵画を見にきても口から零れるのは“俺”のこと。
「その時、君の兄のダリアは剣を振って乱戦に突入してきたんだ……」
まるで武勇伝のように語られる話にラベンダは内心でうんざりとするも表情には出さないが心の中で苦笑する。
“知ってるよ。馬鹿”
そう口には出せなくてもダリアの脳裏にはゼラニウムが話す話の情景がくっきりと甦る。
“お前が命令を間違えて突進したんだよ”
待機せよとの指示に何を読み違えたのか“突入”だと身を踊らせたゼラニウムに俺とライラックは顔を見合わせて、ため息を吐いてお前を助けるために飛び込んだんだ。騎士科を目指す自分達には時には上級生の訓練もあったからな。そう嘆息して、ゼラニウムの語る“ダリア”の話に耳を傾けながらラベンダはあの日を思い出す。
『ダリア!』
視察に出た帰り道。崖から馬車ごと落ちたダリアは“死んだ”
損傷が激しくて見せられないとの事で棺は閉じられたまま、葬儀は行われた。体が弱く、田舎で療養していたラベンダも双子の兄の葬儀に参加するために王都に来た。黒いベール越しに棺にかじりついて叫ぶゼラニウムの姿に目を伏せた。
“ゼラ”
泣かないでくれと気軽に言えない距離が二人の間に生まれた。
「ラベンダ」
「大丈夫だ」
心配気に気遣う声をかけるライラックにダリアは首を振る。
「どうして、どうして…………」
突然の友の死を受け入れられないゼラニウムの悲痛な声に胸が痛む。
“その棺は空っぽで俺はここに居るよ。ゼラニウム”
棺にすがりついて泣く友の後ろで、ダリアは心の中でそう呟くことしか出来なかった。
「墓参りに行ってくる」
ダリアが亡くなって1ヶ月ぐらいした月命日にラベンダは自分の墓参りに向うことを決めた。墓には何も入ってないが、自分の名前が刻まれた墓石を眺めたくなったのだ。墓参りに行く途中、寄った花屋で“ダリア”の花束を買った。墓地の丘の下に止められた馬車から降りる時にはライラックがついて行くと言ったが断った。慣れないスカートでも不埒者を沈める自信はあった。鼻歌混じりに花束を肩に置き、変装のために被ったかつらのまま丘を登ったダリアの目に入ったのはゼラニウムの姿。肩を落とし、がっしりとした体を小さくした姿に嘆息する。
「ゼラ……」
呆れたように小さく親友の名前を呼べば聞こえるとは思っていなかった相手が弾かれたように振り返る。
「ダリア」
自分の姿を信じられないというように目を見開いた相手がそう呼ぶのがダリアの耳に届いた。
“ダリア”自分を間違えずにそう呼んだ親友は自分の姿に慌てて頭を下げた。
「すまない……親友によく似ていたので」
「いえ」
そう謝る親友にダリアは苦笑する。
“似てるのは当たり前だよ。だって俺はお前の親友だからな”
心の中で、そう言いながら自分の墓に持って来た花を供えて手を合わせた。その姿をずっと見守る親友にダリアは顔をあげる。
「よろしければ、兄のダリアはもうおりませんが私と友達になって頂けませんか?」
そう問いかけるとゼラニウムが驚いたように目を見開いていた。
それからはまた昔のように三人で色んな所に行った。
「ライ」
「ゼラ」
友達だったんだと語る二人の話を聞きながら、ダリアは心の底から安堵し、そして悲しくなった。友として話すゼラとライの中で自分だけ“ダリア”として話す事が許されない。痛む胸を抱えて、耐えきれずに泣いた夜もある。
「ラベンダ嬢、目が赤いですね」
自分が泣いたことには気づいてくれる癖に自分が“ダリア”だとは気づいてくれない親友に“死んだ魚のような目”を向けるのぐらい許して欲しい。
ーそれから1年が経ち、俺達は正式に婚約者となったー
「ラベンダ嬢!」
そう叫ぶ馬鹿を他所に、ダリアは転がってきた剣を足で蹴りあげる。スカートが“ヒラリ”と舞い上がるも気にせずに自分の手に剣を握り、暴漢を打ち倒す。
「きゃあああ」
突然の事態に悲鳴をあげるご婦人を自分の背中に庇う。油断なく周囲を伺えばどうやら金目当ての盗賊だと分かる。
事態は数瞬前まで戻る。絵画デートを終えて郊外の屋敷に戻る最中だったダリア、ゼラニウム、ライラックは女性の悲鳴を聞き付けた。前の馬車が襲われているのに気付き、加勢に走った。
「ダリア!」
「大丈夫だ!俺は気にするな」
名前を呼んで来たライラックに素で返せば、ライラックが頷いて暴漢の退治に走っていく。自分の仕事は婦人の警護だと目を光らせているとあまり間をおかずに事態は落ち着いた。
「ラベンダ嬢、大丈夫か?」
「はい……」
街から騒ぎを聞き付けてやってきた警備隊に暴漢達を引き渡したゼラニウムが自分の元に走ってくるのにダリアは落ち着いた様子で頷く。
「怪我はないか?」
そう真剣に自分を心配する姿にダリアは頷く。
「大丈夫ですわ。ゼラ様」
婚約をした時からダリアは昔のようにゼラニウムを呼ぶようになった。自分の返事に安心したゼラニウムは安堵の息を吐く。
「良かった……君が無事で」
その言葉にダリアは頷きながらも剣を握る自分の姿を見てもやはり気づかない親友に“死んだ魚のような目”を向けてしまう。
“この馬鹿”
そう思いながらも口元を緩める。いつも白い手袋に隠された手は剣だこにまみれている。さりげなく手を繋いでも、気づかない親友はいまだに俺の“秘密”に気づかない。
“いい加減。俺が親友だと気づいてくれないか?”
そんな思いを抱きながら、ラベンダことダリアは“親友兼婚約者”に嘆息した。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。