温かいココアを
如月と出会って三日目の朝。
御劔は朝からインターフォンを鳴らす傍迷惑な客を見て深く肩を落としていた。片や訪ねてきた人物というのは全く悪びれもない様子で笑顔で首を傾げていた。
「これは何の冗談だ、如月?」
「はい? 何がですか、先輩?」
訪ねてきた傍迷惑な来客は、ふんわりとしたセミロングの黒髪を揺らす如月であった。もちろん、出会ったときと同じく制服を身にまとい、通学カバンを持っている辺り学校へ行く途中で寄ったという風である。
けれど、それは絶対に有り得ない。というのも、如月が下宿している場所は御劔の家よりも学校に近い場所にある。なので、如月が学校の途中で御劔を起こすというような非リア充が妬んで仕方ないシチュだけはありえないのだ。
それを理解していた御劔はそれも踏まえて話したのだが、如月にはその意図は汲み取れないものだったらしい。
さて、ではどうして如月は朝から御劔の家に来たのだろうか。
考えるまでもなく御劔を監視するからなのだが、今のところ如月は御劔に割いている時間はあまりにもなさすぎる。それは、先の血鬼暴走事件が深く関わっているのだが、今日如月が御劔の家を訪ねたのもそれが深く関係していた。
「はぁ……まあ、上がっていくか?」
「あ、はい。できればそうしてくれると助かります」
そう言って如月は御劔の家に上がり込んだ。見るからに寒そうな姿をしていたので、ついつい家に上げてしまった御劔であるが、家族への配慮はそう考えるものでもないのだ。それというのも、御劔は現状実質的に一人暮らしだからである。
御劔の父は島外に出張で仕事をしているし、母親は数年前から行方不明、他兄弟もいないので御劔は三年前から一人暮らしのような状態で暮らしているのだ。もちろん、これらすべてのことは事前に調べていたので如月は知っているのだが。
そうして、リビングへと着いた二人は各々の行動に出る。如月はとりあえず食事中だったであろう皿が置いてある前の席に腰掛け、御劔はココアを作るためにお湯を沸かす。そのまま、数分が経過すると、ココアを片手に持った御劔が食べ残った皿の席に座り、そのままココアを如月へと渡す。
一息ついてから、御劔は訪問の理由を尋ねた。
「どういう理由で俺の家に来たんだ?」
「不躾な質問ですけど、まあその通りなので何も言えませんね……。率直に聞きます。三日前の血鬼暴走事件、その解決に吸血王の力を貸していただけませんか」
「俺の? でも、昨日も言ったけど俺には吸血者に対抗するとか、難しい問題を解くなんて力はないぞ?」
「前者はともかく、後者に期待はしていません。ですが、先輩は私に嘘をついてませんか?」
そう言って、熱さを確かめるように少しだけココアを舌に当てながら如月は御劔の返答を待つ。
しかし、御劔とて隠したくなくて隠していることなどないわけで、もちろん隠したいことは隠し通したいわけであるが、はて今回はどうしたものかと頭を悩ませる。
決して。そう、決して如月が嫌いだからというわけではない。だが、信用ならないという点で置いてはお互いにそうなのだろう。だからこそ、如月は嘘偽りなく言葉にしたのだ。つまるところ、如月は御劔に「私はあなたを信用してはいない」と公言したのだ。
そうなってしまっては御劔だって対処しなければならない。まして、協力関係になれだなんて交換条件を出されたのならば尚更だ。
悶々と考えてみたものの、御劔には上手い言い訳も、返し方も考えつかない。時計を見て時間を確認するが学校に行く時間にはまだ早かった。逃げ場がない。急に走り出すことも今回ばかりは出来そうもない。三日目に至って、ようやく完全に追い込まれたのだ。
「……何が聞きたい」
観念ここにありと、御劔が両手を上げて降参すると、如月はパッと嬉しそうな顔をして子供のごとく質問を繰り出す。
「じゃあ、先輩は本当に七人目の吸血王なんですよね?」
「ああ、そうだよ」
「でも、吸血王に至ったばかり……ということは――」
「ああ。俺は先代の吸血王を喰らった成り上がりだ」
成り上がり。吸血者にも階級というものがあり、階級が上に行くに連れて公爵などの冠位が存在する。また、原則として階級が下の吸血者は階級が上の吸血者には勝つことが出来ないとされている。それは純粋に力の問題である。唯一の例外として『同族喰らい』という方法のみが吸血者が下克上をするやり方となっている。
しかし、吸血王はその例外にすら該当しない。圧倒的な力を持つがゆえに、吸血王は吸血者に負けることが決して無い。だからこそ、吸血王は種族を問わずして恐れられているわけである。
では、どうやって御劔は吸血王を喰らったのだろうか。そこが今回の如月の疑問点であった。七人目の吸血王はただでさえ隠匿率の高い王であった。その隠匿率と言えば、世界の情報を収拾、管理する世界機関でさえも存在するという記述以外に何一つとして記されていなかったほどだ。
そんな秘匿王とも呼べる存在とどこで出会い、そしてどうやって倒し、喰らったのか。その情報を引き出そうと如月はしているのだろうが、それは話すことが出来ない。なぜならば、御劔にその記憶が欠如しているからだった。
「悪いが、先代の七人目の吸血王については何一つ覚えていないんだ。出会った時期から別れた時期の記憶がまるっきり消されてるみたいでな。ただ一つ、自分が吸血王になったんだっていう実感があるだけで、俺には他に何もない」
「さすが、秘匿王と言ったところでしょうか。まさか、人の記憶から己の存在を消すことまでできるなんて……。それはそうと、先輩は元々人間だったんですか?」
「ん? ああ、そうだけど?」
御劔が元々人間であったということを知ると、如月は一瞬ホッとした表情を見せて、少し冷めたであろうココアの温度を確かめるように舌の先でちろっと舐める。そのまま口に含まないところを見ると、まだ飲める温度では無かったのだろう。案の定、如月はコップを机において話の続きをしようとする。
真剣な話の最中であるのだが、これまでの如月の反応を見ていた御劔がどうしても気になってしまったことを口走ってしまう。
「もしかして、如月って猫舌か?」
「え? え……っと、まあ、はい」
「どして、そこで顔を赤くするんだ?」
猫舌だったのを見破られたのが恥ずかしかったのか如月が顔を赤くしているのだが、その理由がわからなかった。けれど、御劔は席を立つと、冷蔵庫の中から小さな氷を二つほど持ってくると、如月のココアの中に入れた。
元々濃い目に淹れてあったことが功を奏したようで、氷が溶け切る頃には濃さも温度も丁度いいココアが出来上がっていた。
「……どうも」
「猫舌なら最初からそう言えよな。今度からはもうちょっと冷ましたココアを作ってやるよ」
「それはまた来いってことですか?」
「……? 血鬼暴走事件で協力するのに、俺の家に来ないのか?」
まるで来るのが当たり前のように言っているが、そこは多少なりとも大人な如月は一つ屋根の下で男女が二人っきりでいるというのは良いことではないと指摘を入れようとした。しかし、それを言うならば今この状況がそれに当てはまってしまうことに気がつくと、何も言うことができなくなってしまった。
そう。考えてみれば今のこの状態は、一般的にはあまりよろしくない状況である。他の誰の耳にも届かない場所で話さなければならない内容のものだったとしても、体育館裏など場所はいくらでもあったのに、よもや御劔の、引いては殲滅対象である吸血王の家に二人きりだなんて、大胆も何もあったものではない。
対して、知り合いが家に遊びに来たような感覚でいる御劔はというと、呑気に朝食の皿の片付けなんかをし始める次第である。
如月はとりあえず心を落ち着かせるために頂いた温かいココアを口に含んで、御劔が手際よく皿を片付けていく姿と、食べかけではあったが朝食がバランス良く調理されていたところを思い出して、家事ができる男性ってかっこいいなとふと思う。すると、急に顔を真っ赤にさせて「別に、先輩がかっこいいとかではなくてですね!」と心の中でツッコミを入れた。
そんな如月の様子がおかしいと思った御劔がキッチンから顔を出して声をかけた。
「どうした? まだ熱かったか?」
「ぶっ! …………い、いえ……」
突然顔を見せるものだからびっくりした如月がテンパって口に含んだココアを吹き出すと、苦し紛れに大丈夫だと伝えたがどう見ても御劔には大丈夫のようには見えていないだろう。
けれど、本人が大丈夫だと言ったのだからきっと大丈夫なのだと思って、如月を信じた御劔は再びキッチンに戻って続きをしようとすると。
「あ、先輩」
「ん? どうした?」
「その…………お砂糖を四つほどもらっても……いいですか?」
どうやら、中学生の味覚にはココアの無砂糖は甘さが足りなかったようだ。もはや恥ずかしさで我を忘れそうな如月は涙目で上目遣いになって砂糖を注文する。
その様子がとても可愛らしかったので、御劔はついつい見とれてしまう。そうして十秒ほど見とれていると、我に返った御劔が少し頬を赤くして、返事をする。
「お、おう。スティックタイプのでいいか……?」
「あ、はい。お願いします」
キッチンに引っ込んでスティックタイプの砂糖を探す御劔は、さっきの自分は一体どうしてしまったのだろうかと、冷静でない頭で必死に考えるのだった。