普通ならざるものたち
日付は変わって翌日。
JCと街の中で年甲斐もなく追いかけっこをしたせいで、一日経った今でも体の疲れは取れていない。それでも学校は通常運転なわけで。もちろん、JCと追いかけっこをしていたせいで疲れているためお休みを所望するなど、生ぬるいことは許されないわけで。
こうして、だるい体で必死に学校へと行き着いた御劔であるが、着いて早々に居眠りで呆けていた。
「……るぎ…………つるぎ………………御劔!!」
「んあ?」
居眠りをしているところにふと気がつくと呼ばれたような気がした御劔は驚いて顔を上げる。しかし、まだ本調子ではない頭でなまじ返事をしてしまったものだから呼んだ本人はおかしくって笑いだした。
眠っていた御劔を起こしたのは、友人の中でも群を抜いて悪友で御劔の良いことも悪いことも言い触らす大悪人でもある、我修院京介。
ようやく自分を呼び立てた人物が誰なのかを理解した御劔は、心底嫌そうな顔をしてどっか行けと片手で追い払おうとする。
「京介か……なんだよ?」
「一瞬、思いっきり俺のこと拒絶しなかったか!? ……って、まあいいか。それより、お前さんにお客だぞ」
まあいいのか。そう心の中で思ってから、京介が言っていたお客さんとやらに目を向けると、御劔は思わずげっと言葉を漏らしてしまう。二年の教室のドアのところに立っていたのはつややかな黒髪と幼さを残した可愛らしい顔をした少女、如月結衣だった。
もちろん、御劔は如月のことを忘れていたわけではないが、如月がこの高校の付属中学生であることは忘れていた。だから、何の考えもなしに学校に来てしまったというわけである。そして、もちろんのこと御劔は如月に出会った際の対応を何一つとして考えてはいなかった。
「一体、お前さんはどこであんな可愛らしいロリっ子と仲良く――おい。窓に足を掛けてどこに行くつもりだよ?」
「すまん、京介。二時間目以降の授業は休む! 理由は……そうだな、悪魔にでも追いかけられているって言っておいてくれ!!」
「は? あ、おい! ここ二階だぞ……って、なんでいつもいつも飛び降りてピンピンしてんだよ」
そも、御劔が二階の教室から飛び降りたと言うのに悲鳴一つ起きないのはクラス全員が御劔の奇行をよくよく知っているから。要するに見慣れるほど御劔は自殺行為とも言える二階からの逃避を行っているわけだ。しかし、それを知らない如月からすれば、呆然となる行為で。御劔のその後の行為を見て、歯ぎしりする。
悔しそうにする如月を見て、京介がいつものことだから気にするなロリっ子よ、と。そう言おうとすると。
「ごめんな。あいつ、危険が及ぶと窓から逃げ出すっていう生き物だから。まあ、気にしない方が――はい!?」
肩でも叩いて慰めようか。そう思っていたであろう京介は、それを行おうとしたときには如月が既にその場に居ないことに驚き、そして如月も窓から飛び降りたという事実に目を疑った。曲がりなりにも如月は中学生。周りの人から見れば――御劔はともかくとして――如月が自殺したと思うに違いない。
今度こそ、安否を確認する野次馬が窓に張り付くと、逃げていった御劔を追いかけるように、中学生とは思えない足の速さで走っていく如月を見て、一同は唖然とする。
■□■
十八番とも言える窓からの逃避を経て、多少なりとも時間稼ぎが出来ただろうと思っていた御劔は自信と同じように窓から飛び降りて追いかけてくる如月を見て、馬鹿なと吐き捨てる。
運動神経に自信を持っていた御劔は少しだけ自分に自信を無くしそうになるが、今は如月に捕まらないことだけを考えて逃走経路を数パターンに分けて練り上げる。
如月にしてみれば残念ながらというべきか。御劔はこういう逃走劇が得意だ。理由は、まあ簡単な話、追いかけられることが多いからだが、それにしても得意すぎなのだ。
けれど、今回に至って言えば相手が悪かった。如月は戦闘経験こそ未熟と言われるが、そもそも如月の得意分野は戦闘ではなく護衛。つまり、対象から目を離さない能力がダントツとして高いのだ。
「くそっ! 巻いたと思ったらすぐに追いついてきやがる! 何なんだ、あいつは!?」
御劔にも逃げるという特技が、如月にも特技というものがあるわけだ。いや、如月のは特技というよりかは潜在能力と言うべきか。
とにかく、如月にも特殊技能がある。それは、超聴力。耳に全集中すると、最大で半径五百メートル先のコインを落とした音さえ聞き分けられるという能力が存在する。そのおかげで護衛が得意なのだが、それは置いておく。
如月は御劔を見失うたびに耳に全神経を集中して御劔が走り去る音を聞き取る。それから逆算して御劔の居場所への最短ルートへと駆けるという荒業で御劔の一手先に行くのだ。そうとも知らない御劔は大きな足音を出しながら逃げ惑う。
「観念してください。先輩では私からは逃げられませんよ?」
「そういう言葉はもっとロマンあふれるシーンで言ってもらいたいもんだぜ」
「余裕がありそうですけど、その実どうなんですか?」
どうも何も、御劔は見事如月の術中に嵌って行き止まりへと誘導されて絶賛逃げ場を失ったところである。余裕のあるように見えるのは、若干諦めが入っているからだ。どう考えても御劔にこれ以上の手は存在しない。だと言うのに、最大限の躊躇をする如月。
如月にしてみれば、御劔は未知の存在だ。何をするかわからない。そして、もしかすれば御劔が探していた七人目の吸血王の可能性があると考える如月は無闇に御劔に攻撃を仕掛けられない。
「実のところだって……? 俺が吸血王とかそういう話なら、俺はまったくもって話す気はないぞ?」
「どうしてそこまで頑ななんですか?」
「それはこっちの話さ。お前はどうして、そうも頑なに俺を肯定しないんだよ?」
一触即発。しかし、戦いが始まれば御劔に勝ち目は薄い。なにせ、如月は吸血者用とは言え武器を所持している。そして、何よりも戦闘経験が御劔よりも豊富だ。対して御劔には何もない。血鬼を素手で沈黙させるほどの力はあるが、人間に――あろうことか女子にその力を使いたくはないとこの期に及んでも考えている。
馬鹿なのか、アホなのか。御劔はここに至ってもまだ、如月を傷つけないという理想を忘れないでいた。
「なあ、そろそろやめようぜ? この追いかけっこはどっちも得をしないだろ?」
「そうでもないですよ。あなたが脅威かどうかを試すには丁度いいじゃないですか」
「知ってるか? それを傍迷惑って言うんだ」
「人類にしてみれば必要なことですよ」
ああ言えばこう言う如月に、もはや何を言うでもなく御劔は諦める。どう足掻いても如月は御劔を逃がさないし、逃げようものなら颯爽と切り捨てるだろう。故に、御劔は諦めた。諦めたからこそ、濃密な殺気を如月にぶつけたのだ。
「なっ……!」
そう。御劔は諦めた。如月を傷つけないという理想に掛けた信念を諦めたのだ。それ故に、ここからの御劔が本当の御劔に相当する。濃密な殺気をコートを着るように身にまとい、行進の一歩は如月の耳に不快な音を届ける。
耳を、目を塞ぎたくなる程に悪寒を感じさせる御劔の変化に如月は吐き気を覚える。威圧などというレベルではない。御劔のそれは如月の内蔵をぐちゃぐちゃにかき乱すかのような気分を害するものだった。たかが見られているだけ。ただ歩み寄ってくるだけ。それだけだというのに、如月にはこの世の終わりさえも感じた。
そうして、遅ればせながらに武装を構えるが、恐怖故か上手く構えられない。刃先が、刀身が震える。それは徐々に体全体に浸透していき、とうとう立つこともままならないほどになる。座り込みながらも、目に涙を浮かべながらも武装を握る手だけは離さずに、けれど戦意は喪失されて、どうすればいいのかもわからないという顔で御劔を見つめる。
そうして、目の前に立った御劔が如月に手を伸ばす。今にも頭に触れようかというその時、如月は恐怖で目を閉じてしまった。だが、考えうる全ての暴力は未だやっては来ない。おかしいと思った如月が目をもう一度開くと。
「これに懲りたらもう二度と俺を追いかけ回すんじゃないぞ?」
笑顔で頭を撫でる御劔がいて、如月は強張っていた体が緩んでいくのを感じる。しかし、恐怖から開放された安堵感からか、緩まなくとも良いところまで緩んでしまったらしく、如月はそれに気がついたときにはもう遅かった。
「……ぁ」
じわりと地面が濡れていく。その様子を見て御劔はやらかしたという顔に、如月は青い顔になった後、羞恥で真っ赤になる。
空気が冷たくなる。そのせいか、冷静になった如月は睨みつけるように御劔を睨みつける。
「あ、いや、これは……」
「ゆ、ゆ、ゆ…………許しません!!」
「ま、待て! 話し合えば分かり合えるはず――ぐはっ!?」
先程まで生まれたての子鹿のような震えをしていたとは思えない程の鋭い蹴りが御劔の鳩尾を捉える。その衝撃に体ごと飛ばされた御劔は壁に背中を強打して、藻掻きながら倒れ込む。そして、如月は股をキツく締めると、もう一度、涙を浮かべた瞳で御劔を睨みつけると、今度は怒りで震えながらにして言葉を放つ。
「先輩の変態! お、お、お――とりあえず殺します!!」
「ま、待て……今のお前じゃやりかねないからもうちょっと待ってくれ……」
「問答無用です!! 死んでください、このド変態!!」
御劔に追撃を加えようとして如月が立ち上がると、それを避けようとして御劔が如月の体にダイブする。そんなことをしたものだから、お互いの体が変に絡まってしまい、挙げ句の果てには御劔の顔が如月の中学生にしては大きすぎる胸に突っ込んでしまい、再び如月の頭に血を上らせる。
「い、いや、これは!!」
「………………っ!! もう……いやぁ……」
今度こそ、完全に戦意を喪失した如月はわけがわからないという思いで駄々をこねる子供のように泣き始める。これはやりすぎたと、御劔は頭を掻きながら、はてさてどうしたものかなとつぶやくのだった。